第一章 第二話(2)『鎧獣騎士』
研究室の裏手の山あい、樹木が生い茂り、山道と地続きになっている林の奥。そこにザイロウは佇んでいた。まるでイーリオがやって来るのを待っていたかのように。
ここにいるのは、おそらく父の咄嗟の判断で、研究室にいたままでは危ういと感じ、逃がされたからだろう。だが、本来の狼の脚力を持ってすれば、とうに山深くまで逃げていてもおかしくないはずであったが、屋敷のこんなすぐ側にいるという事は、シャルロッタから離れないという、ザイロウの意思の表れに違いなかった。
ここにザイロウがいることは、わずかばかりの根拠ではあったが、イーリオなりの確証があった。
父は何かあった折に、例えば研究中の鎧獣が、万が一生成過程の失敗で暴れ出すなど、不測の事態の際には、この山道を逃げるようにと彼に言い聞かせてあったからだ。無論、ザイロウがそのままいなくなってしまう可能性もあった。だが、あれだけシャルロッタの側を離れようとしなかった狼だ。おそらく遠くに行く事はあるまいと確信していた。それに、こんな目立つ鎧獣が未だに見つかっていないというのなら、尚の事、入り組んだ場所にあるこの山道にいるのだろうと察しがついた。
日が落ち、辺りが昏黒の闇に包まれようとしている中でも、その銀狼だけは、まるで自らが光を放っているかのように、白い輝きを身にまとっている。
イーリオは、ゆっくりとザイロウに近寄って行った。
何故だろう。やはり、この鎧獣の声が、聞こえてきたような気がする。
「助けに来てくれるかい?」
頷きも、尻尾を降ったりもしない。だが、ザイロウが彼の言葉に応じたのだけは、真っ直ぐな輝きを放つ黄金の瞳から、確かに感じる事が出来た。
イーリオはザイロウに着いてくるよう促すと、物音をたてぬように、そっと屋敷の方へと戻って行く。
屋敷の前庭には、ソルゲルを含めて騎士が二名。
あとは捜索をしているのだろう。その内一名は、逃げようともがくシャルロッタを無理矢理取り押さえていた。
イーリオは、ザイロウに向かって語りかける。
「いいかい。僕が行動したら、彼女を取り押さえている男を襲うんだ。男が彼女を離したら、彼女を連れて、急いでこの場を離れるんだ。森の中に入ってしまえば、いくらアイベックスでもそんな簡単には探せやしないからね」
自分の鎧獣でもなければ、長く知っているわけでもない。まだ会って間もないけれど、イーリオは自らの友にするように、切々と銀狼に語りかけた。
シャルロッタとザイロウが上手く逃げ出せたとして、その後はどうする?
その後の算段などまるでない。けど、やるしかない。いくら鎧獣だからといって、ようは、奴らが鎧獣騎士になりさえしなければ、こちらも勝機はある。
好機は一瞬だ。
イーリオは立ち上がり、手にした石を、狙い済ましてソルゲルに投げつけた。
拳小の石は、過たずソルゲルの顔面に直撃する。
「ぐぉっ」
いきなりの不意打ちに、そこにいた全員が面食らった。
だが、イーリオが投石を決められたのは、偶然ではない。山育ちで、獣の捕獲を幼い頃から学んできたのだ。動物に対しては、網や投石などが、最も効率の良い方法だと教え込まれ、その技に磨きをかけてきた賜物である。
次の瞬間、シャルロッタを抑えていた騎士の背後より、白銀の巨大な狼が、唸りをあげて襲いかかった。
鍛えられた騎士であっても、六フィート半(約二メートル)以上はある巨狼の怒りの牙の前には、咄嗟に怯まざるを得ない。肉食獣の、獰猛そのものといった迫力の前に、騎士達は思わず恐怖にかられておよび腰になる。
拘束がとけたシャルロッタを見て、ザイロウは低く唸り声をあげながら、まるで彼女の守護者のように、騎士達の前に立ちはだかった。
いきなりの急変に戸惑っていたソルゲルだが、目の前の少女と銀狼を見て、表情が一変する。
「こいつらっ! 舐めた真似をしてくれて!」
受けた痛みを堪えつつ、手にした剣を振りかざした時——。
シャルロッタ、ザイロウ、その前に、突如人影が、飛び出した。
ソルゲルの剣閃は、勢いを変えず、その影を袈裟がけに斬り裂く。
斜めに斬られたその影は、イーリオだった。
「イーリオ!」
ムスタの叫びが響き渡る。
イーリオは、胸を両断されたと思った。
だが、幸いな事に致命傷ではないようだったが、それでも傷は決して浅くない。辺りが暗いので判別し辛いが、かなり血は出ているはずだ。
彼は体を起こすと、シャルロッタとザイロウに向き直り、声を絞り出して言った。
「早く……! 早く逃げるんだ……!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。ザイロウの捜索に出ていた四人の騎士達が、己の鎧獣と共に駆け寄ってくる。
「お前ら、鎧化だ! ここまで来て逃がすんじゃないぞ!」
ソルゲルは騎士団全員に、鎧獣装着の命を下す。
騎士団員は身に着けた武具や防具をすぐに外し、衣服のみ姿となった。
騎士と呼ばれる鎧獣の使用者達は、皆、取り外しの簡易な武器防具を着けている。これは、鎧獣装着時に邪魔にならないようにするためであり、通常の騎士のものと比べると、実に頼りない強度や防御性しかなかったが、それで充分であった。
防具を外した騎士たちは「白化!」と叫んだ。
その瞬間、騎士たちの背後に立った鎧獣が、一斉に前足を跳ね上げた。
鎧獣の額にある宝石、神之眼が輝きを増し、全身から白煙が吹き上がった。
前足立ちになった鎧獣の体が、突然、体を広げたムササビのように広がると、騎士の全身を包み込む。鎧獣が身につけていた授器という鎧も、間欠泉のような凄まじい勢いで吹き上がる白煙を浴び、まるで水銀のようにその形を変容させていった。
白煙が辺りを埋め尽くすのも束の間、風に吹かれた霧のように、数えもしない短い間に、その白煙は溶けて消えていった。
吹き払われたそこには、先ほどまでの六人の姿はなかった。
頭はアイベックス。
体も全身体毛に覆われているものの、アイベックスの面影を残した一回り大きくなった人型。体の各部には、動物形態の鎧とは異なった、申し訳程度の量になった幾分かの防具がついている。
そして手に持つのは、短めのランス。
羊頭人身の人獣の騎士。
これが鎧獣をまとった騎士の姿。
即ち、鎧獣騎士。
中央に立つ一体のみ、アイベックスではなくシベリアオオツノヒツジの人獣騎士であり、これが捜索隊隊長のソルゲルだった。
「もう逃がさんぞ」
オオツノヒツジの口吻から、少しくぐもった声でソルゲルが言った。
黄色の眼。四角い瞳孔。凝っと見つめられると、別種の生物だと、否応なく感じさせる隔絶感。鎧獣騎士となった姿では、それが一層際立って感じさせる。
オオツノヒツジやアイベックスの脚力を倍増させた鎧獣騎士だ。ひと蹴りで村の真ん中ほどには跳べてしまうだろう。
その手にしたランスは、例えかすっただけであっても、四肢が千切れとんでしまうに違いなかった。
一体が千人の騎兵に相当すると言われる鎧獣騎士を前に、イーリオは為す術無く、後ろに目をやる。シャルロッタたちは逃げられたのだろうか。
「!」
振返ったイーリオは絶句する。
逃げたと思ったシャルロッタとザイロウは、まだそこに立ち尽くしていたからだ。それどころか、ゆっくりとイーリオの元へ近寄って来さえしていた。
「何をしてるんだ! 早くここから逃げて!」
でないと、自分の行為が無駄になってしまう。
痛みと出血で意識も混濁しかけているイーリオに、シャルロッタはひざまずいて手を触れた。
「ありがとう。助けてくれて」
――礼なんてどうでもいい。
「ありがとう。守ってくれて」
そう言って、イーリオの流した血に手を触れた。
するとどうだろう。
突然、血に触れたシャルロッタの手が輝き出し、次にシャルロッタの額に、何色もの色鮮やかな、プリズム光が発現し始めた。
額の光はみるみるうちに輝度を増し、気付けばイーリオの胸から痛みがなくなっていた。
血はべったりとついているものの、傷はない。
「何……何なんだ……?」
そこにいる全員が呆然としていた。
額の輝く少女。
それはまるで――神之眼のような――。
だが、人間に神之眼があるなんて――。
それではまるで神話の――。
イーリオも呆気にとられて、シャルロッタを見つめる。すると今度は、彼の視界いっぱいがプリズムの光で埋め尽くされた。
違う。シャルロッタが顔を寄せたのだ。
暖かな感触。
――!
離された柔らかさを前に、自分が口づけをされたのだと、イーリオは知った。己の唇に、薄桃色の温もりが残っていた。
何が何だか訳が分からず、混乱する。
「な……!」
シャルロッタは、口元だけで笑みを浮かべると、小さく呟いた。その瞳は暖かなようで、無機質にも見える。
「契約。あなたは、あたしと契約したの」
「……?」
イーリオの側に、銀毛の巨狼が近付く。
「ザイロウ――。イーリオの鎧獣」
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