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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第三章『獣王殺しと皇位』
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第三部 第三章 第五話(3)『魔女暴走』

 灰堂術士団(ヘクサー)の密偵より賊軍討伐戦の一部始終を聞き終えたエッダは、むしろ静かなものだった。内容自体ははらわたが煮えくり返るようなものだったが、ここまで来ると怒りを通り越してただ呆れるしかないというのが率直な感想だったからだ。

 獣王殺しだの三獣王格だの戦場の支配者だのと言われながら、ただの孺子こぞう一人も始末出来ないとは、名ばかりの無能集団も同じ。失望以外の感想が出て来るわけがない。


 それよりも、獣使術(クンスト)獣理術(シュパイエン)を使えば数日から数週間はかかるであろう最新の情報も、その日の内にはエッダの耳に入る事が出来る。どんな物事においても情報は生死を分ける最重要項目だと言えるだろう。それが手の内にあるのだから、その意味での精神的猶予は大きかった。


 しかしまだ婚礼にも、そして婚前の儀式にも数日を残している。


 戦場となったシロンスク州北接のアウクシュタイティヤ州から帝都まではかなりの距離があるが、鎧獣騎士(ガルーリッター)の移動速度を考えればぎりぎり到着も難しくはない。となれば、イーリオ達が再び帝都に舞い戻ってくる可能性もあるという事だ。いや、確実にそうなるだろう。


 各州の地方常駐部隊もいるにはいるが、帝国最精鋭の軍を退けた相手となればアテには出来ない。第一、及び腰で使い物にすらならないだろう。

 無論、帝都にもまだヴォルグの家軍コーアが二つもあるし、ベルサーク騎士団の全軍にゴゥトやグリーフの両騎士団も呼び寄せればすぐに駆けつけるはずだ。だが今となってはそれすら信頼出来ない。


 ――帝国だの騎士団だのと言えど所詮は人間の集まり。


 だから不本意ではあったが、目の前の男を呼び寄せたのだ。


 濃い眉に癖の強い短い髪。

 女性受けの良さそうな面長の顔立ちだが、エッダからすれば整った容姿などどうでもいい。むしろ胡散臭さが目の前のテナガザルを通じて喋る彼の上位にいる者と似ていて、不快ですらあった。


「まさか百獣王が出てくるなんて予想の外でしたねえ。彼はそういう動き方のする人物とは思ってませんでしたが、たかが弟子のために戦いに加わるとは。とはいえ、あのマグヌス・ロロが負けてしまうというのも、まああり得るとはいえ少々残念な気もしますが」


 芝居がかった独特の節回し。

 姿は見えずともどんな顔でこれを語っているのか手に取るように分かる。


「貴方の感想など求めてないわ、スヴェイン枢機卿(・・・)

「おお、これは手厳しい」

「それよりも、私より先にスヴェイン殿が話を知っているのはどうしてかしらね、ヘンリク司祭」


 エッダの問いに、彼女の居室に招かれているヘンリク・タルボ司祭は神妙な謝意を示した。

 とはいえ、雇用関係にあっても上役に状況を報告するのは当然だろうし、事態の把握を共有出来ている方が話が早く済むので本来は責めるべき事柄でもないと言える。だが、このところの灰堂術士団(ヘクサー)の身勝手な振る舞いもあって、いちいち釘を刺しておくべきだとも彼女は考えていた。


「……まあいいわ。今回は貴方がたのおかげで事態に対処出来るのもありますからね。ただし、次からは枢機卿より先に私に報告する事。雇用関係の常識よ。分かったわね」

「は」


 見た目だけなら実に礼儀正しい。しかしこの者らの術があれば、こんな風に注意をしたとていくらでもエッダを出し抜くすべはあるだろう。これに対し完全に対処出来る者がいるとすれば、それはヴォルグ六騎士のウルリクなのだろうが、彼も彼で最近の動きは油断ならない。

 結局は己以外、誰も信用出来る者などいないという事だ。

 ならば信頼の出来ない者同士が、互いを牽制し合えば抑止力にもなろうと彼女は考えた。それもあって、この者らに今までとは別個の協力を取り付けようというのが今回の話である。


「で、状況を知っているなら話は早いわ。帝都にある手勢だけでも賊軍に対処出来るでしょうが、どうにもあのイーリオという孺子(こぞう)は、常に何か面倒事を齎してくれるみたいです。百獣王は離れたと言っても、いつどんな手段を用いてくるか分からない。メルヴィグの方面に消えたというジェジェンのジョルトも気になります。ですから、ここは貴方がたに協力を要請をします。灰堂術士団(ヘクサー)ではない、実際的な力の方での協力を」

「それは、灰堂騎士団(ヘクサニア)を出せ――と仰ってるのですかな?」

「枢機卿、貴方は灰堂騎士団(ヘクサニア)の総長代理でもあるのでしょう? それに立て続けの失策を埋め合わせてもらう意味でも、断る事など出来ないはずよ」


 机の上で人の声真似をするかのように喋る半透明のテナガザルから「勿論、勿論」と調子のいい言葉が返ってきた。


「喜んで派遣仕りましょう。――いえね、実はこういう事もあろうかと思い、もう既に選りすぐりの者を選んでそちらに遣わしております。灰堂騎士団(ヘクサニア)から腕っこきの者達をね」


 エッダがヘンリクに目を走らせる。ヘンリクの方も少し驚きの顔をしているところを見ると、彼も知らなかった事のようだ。


「勝手な事を……」

「ですが御役に立つでしょう?」

「ふん、あのイーリオという孺子こぞうをはじめ、今や賊どもにはロロ家軍コーアの騎士や、かなり名うての仲間がいるのだぞ。中途半端な騎士くずれでは困るのだがな」

「そこはご安心を。腕利き――と申しました」

「メルヴィグとのいくさで大半の使徒を失ったのにか?」

「そこはそれ、我らには我らしかない方法もあれば、真に全てを失うような愚は犯しませぬよ。派遣させていただいたのはとびきりの者ばかり。その中の一人に至っては、百獣王やマグヌス・ロロにも匹敵するような騎士――いえ、〝戦士〟がおります故、ご期待にそえるかものと」


 本当にそれほどの者がいたなら、何故メルヴィグ戦の時に投入しなかったのか大いに首を傾げるところではあるし、スヴェインの大言壮語をいちいち真に受けていたらいいように翻弄されるだけだとも思う。何であれ、今は一人でも腕があって使える騎士がいる方がこちらの役に立つのは確かだ。

 聞けば明日にもその者らは到着するという。


「ところでエッダ様。此度の顛末、さすがに皇帝陛下のお耳に入れぬわけにも参りますまい。いかがなさるおつもりですか?」

「陛下にご報告するわけがなかろう。事は全て私とウルリク、あとは貴殿らのみが知るのみ」

「何と。隠されると?」

「人聞きの悪い事を言うな。陛下にいらぬ心労をかけぬためだ。今は大事な時期。そのために討伐隊などと大仰な事までしたのだからな。だからだ、その派遣した者らにもきつく伝えておけ。決して賊の一味を帝都に入れてはならん。帝都の外で、奴らの始末をつけよと」

「成る程、かしこまりました。その旨、きつく命じておきましょう」


 最後にいくつかの過剰な修辞をスヴェインがぺらぺらとまくしたてた後、獣使術(クンスト)を使った遠距離の密談は終了した。


 やがて半透明のテナガザルが霧が溶けるように消えていき、灰堂術士団(ヘクサー)のヘンリクも居室から退室をする。それを確認すると、エッダは深い溜め息をついた。


 本来ならば皇帝に報告するのは当然の事だ。

 それは分かっている。

 だが、精神的に不安定なハーラルに今そんな事を話せばどうなるか――

 下手をすれば婚儀は一旦中止にし、自らイーリオ討伐に出向くと言い出しかねないだろう。そうなれば今までの苦労が全て水の泡だ。だからこの事がどれだけ騒ぎになろうとも、皇帝の耳に入れない。入れるとしたら全てが済んだ後。その時、隠匿した罪で己がハーラル帝に罰せられようとも、彼女は一向に構わなかった。


 千年の悲願なのだ――。


 事が成りさえすれば、後は本当にどうでも良かった。

 だからエッダは黒母教の支援だけでなく、最後の手段まで用意していたのだから。

 ある意味彼女こそ、世界で最も孤独な〝人間〟なのかもしれない。

 しかしそれを理解する者こそ、エッダから最も遠い存在である事が、彼女にとっての悲劇だったのかもしれなかった。



 そしてその一人が、ゴート帝国を遠く離れたオグールの地にあるヒランダル黒聖院にいた。

 たった今、遠方との会話を終えたスヴェインが、満足げな顔で微笑を浮かべている。

 以前とは違い、服装も枢機卿らしい威厳のあるものになり、いささか尊大な態度で深々と椅子に腰を掛けていた。その彼に、傍らで立つ司祭長のタマラが術の始末をしながら問いかけた。


「ご満悦ですね」

「そうだな。非常に結構な事だ。我々教団が利をるに全ての条件が整いつつある」

「はあ。それで〝渾沌ケイオス〟まで出されたのですか? ジュリオらだけでもよろしかったでしょうに」

「ああ、それは違うぞ。あの者らはオマケのようなものだ。〝スクライカー〟の初陣も兼ねてのな。彼にはむしろ、万一の為に暴走を食い止めてもらうのが本来の役割でもある」


 タマラが眉根をしかめた後、徐々に表情を別のものに変えていった。


「……まさか、出されたのですか? アレを?」

「ああ」

「では、名前も決まったので?」

「〝サルクス〟とイーヴォ師は命名された」

「〝サルクス〟……」


 噛み締めるように、もしくは忌むべき言葉に怖気をふるうように、タマラはその名を反芻した。


「初陣でありお披露目だ。出来ればドン・ファンが良かったが、あ奴は今おらんからな」

「ドン・ファン殿はどちらへ?」

「勧誘だよ。恰好の候補が見付かってな。この諍いに間に合えば良かったのだが、まあどちらにしても使える人材なのは確かだろう」

「では、向かわれたのはひょっとして……」

「ああ、そうだ。それよりも、折角であればカイゼルンかマグヌスどちらかに相手をしてもらいたかったが、それだけが残念と言えば残念だな」


 振り向いた顔に広がる稚気めいた笑顔に、タマラはどこか薄ら寒いものさえ感じさせられた。しかしこれこそが彼女らの主。今や教皇すらも意のままに操るという黒母教の最大権力者だ。

 全ては彼が綴る喜劇の思うがまま。


「猊下は赴かれないのですか? 以前の実験の折りには自ら足を運ばれたと聞いておりますが」

「私もそれなりの身分になってしまったからねえ。身動きもなかなかに取り辛い――と、言いたいところだが、ここはやはり凝としてはおれないよねえ。うふふ、勿論行くさ。行くに決まっている。少し遅れる事になるが、私の〝ノスフェラトゥ〟なら然程問題ではないからね」


 答えながらも、スヴェインの思考は別の事に割かれているのだった。


 予想以上にエッダは煮詰まっている。

 もう愚図愚図に煮立っているのも同じ。極めて面白い暴走ぶりだ。あと一押しというところだろうから、くれぐれも派遣した者らには上手く立ち回ってもらわねばならない。まあそこのところは弁えた連中だろうから、何の心配もしていなかった。

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