第三部 第三章 第四話(終)『百獣王』
「ここでそんな大言壮語とはな……。些か拍子抜けだぞ、カイゼルン」
嘲笑う言葉の合間に、ウェルーンの分身体が再び数を戻していた。
本体と合わせて六騎。
おそらく自分と等しい個体として維持出来るのが、あの数なのだろう。似た能力を持つイーリオ=ザイロウには、それが分かる。
同時に、己の師が言った宣言にも、背筋が震える思いがした。
そうだ。どんな時でも師匠はそう言うんだ。
オレ様より強ぇ奴はいねえ――。
この長いようで短い決闘ではじめて、いつものカイゼルン・ベルを見た気がした。
「オッサンが何をどう思おうが知ったこっちゃねえが、ここまで渡り合えたんだ。その強さに敬意を表して教えてやる。オッサンはオレ様に負けるんじゃねえ。オッサンはな、〝カイゼルン〟に負けるんだ」
「……よく、分からんな。何が言いたい?」
「ま、手を下すのがオレ様だから、結局はオレ様に負けるってのと変わりねえんだが――もしもあんたがマグヌス・ロロじゃなく、カイゼルンと同じように、その〝称号〟を受け継いだ騎士だってんなら、この勝負はまだ分かんなかったかもしれねえ」
「どういう意味だ?」
「アンタは紛れもなく天才だ。百年に一人、千年に一人ってほどのだろうな。自分の実力だけで歴代の三獣王の技を習得し、それどころか真性鎧化まで至ったんだからよ。人間の域を超えてるぜ。本物のバケモンだよ」
「フン、褒め言葉とは思えんな。ま、そこまで評価してくれるのは有り難いが」
「褒めてんだよ。全く、大したもんだぜ――ただでもな、それだけだ」
曇天が更に暗さを増した。
気付けば今にも振り出しそうな空だが、北国の春とはこういうものだから、誰も気に留めない。
鳴り響く雷鳴だけが、まるで出来過ぎなようにこの戦いを彩っていた。
「アンタは天才だ。だが、天才すぎた。誰もアンタに本当の意味で教えを齎しはしなかったんだろう。だがオレ様は違う。オレ様はアンタ以上の天才でありながら、オレ様以上の怪物から受け継いだものを持っている。アンタにないのは、それだ」
「ほう。して、それは何だ?」
「言ってるだろう。オレ様はカイゼルン。六代目百獣王〝カイゼルン〟だ。アンタは今から、このカイゼルンって名前に負けるんだ。この身に刻まれたカイゼルンの歴史にな」
「ならば見せてみろ。その歴史とやらを」
その時いきなり、カイゼルンが己の後方でこれを見守る相手に向かって、大剣を真っ直ぐに突きつけた。
「おい! 馬鹿弟子!」
突然名指しで呼ばれたイーリオは、虚を衝かれて返答に詰まる。
「今からは一瞬たりとも目を離すんじゃねえぞ。いいか、これがカイゼルンの名を受け継ぐ者の戦いだ。それをしっかり刻み込め!」
目を丸くしてしばし呆然となった。
気付けば戦場にいる全員の視線が、自分に集中していると分かる。
あの百獣王に名指しで呼ばれた騎士――。
重責というべきか期待と名付けるべきか。
そんないきなり言われても――と返しそうになるが、そんな答え、誰もが望んでいないのがひしひしと伝わってくる。何より、師の薫陶を受けた者として、返す言葉は一つしかなかった。
「はい!」
戦場全体に谺する、若き騎士の声。
その響きが見せる景色は、この中にあってどこか眩しいもののように広がった。
ザイロウを纏うイーリオの肩に、黒紫の分厚い手が置かれた。
「父さん」
「いい師匠だな」
「――うん。そうだと思う」
紅く輝く黄金の獅子王が、大剣を構えた。
姿勢は低く、まるで狙い定めた獲物に飛びかかる、獅子のように。
一方の獣王殺しも両足を肩幅ほどに開き、三叉戟の穂先を下に、半身の構えを取った。
紅い光が白亜の全身を燃えるように輝かせる。その紅は、炎か血か。
物言わずとも誰もが悟る。
決着は間近だと――。
遥か地平に雷光がはためき、白銀の竜が曇天の中踊り狂った。
輝きと暗闇が、世界を陰と陽に反転させた。
それはまさに、光の速さそのものだったろう。
同時に仕掛ける、六騎のウェルーン。
どれの動きも超常の更に上。全員の体捌きが獣合技。
白煙の巨腕が六騎分。合計十二の巨人の腕が、ヴィングトールを襲う。
擦るだけで動きを止められ、当たれば致命傷。およそ死角らしい死角などない。
ならば対抗する手段は、あの死を呼ぶ呪いの異能か。
しかしカイゼルンはそうしなかった。
「〝創大――百刃〟」
一瞬で出現する百の剣。
異能の速さも真性鎧化だからか。その百の剣を右に左に大剣と織り交ぜつつ、雷光すらも斬り裂く速度で全方位に斬撃を繰り出す。
――これは五代目カイゼルンの! 〝百閃剣〟!
極限の技と呼ばれる獣王合技の中でも、最上位に位置するという究極技。
数多の戦場で振るわれたその剣は、誰も抗し得る事が出来なかったという必殺剣。
――成る程、それが貴様の言うカイゼルンの歴史か!
マグヌスは即座に理解する。
六代続いた百獣王の歴史は武技の歴史、レーヴェン流の歴史そのもの。脈々と受け継がれた技術は一三八年分の研鑽として六代目のカイゼルン・ベルに集約されている。
対して自分はあくまで一代一人。それが頂点といえども、そこに受け継がれてきた歴史はない。あくまで己の手で得た頂きの技だ。
――だがな!
技術を受け継ぐという事は、称号で受け継ぐものじゃない。先人から学び、それを己のものとして昇華する事。それこそが歴史を継承するという事だと、マグヌスは心中で吠えた。
「それが貴様の言う歴史ならば、こちらも見せてやろう! 俺もまた受け継いだ者だという事を!」
声に出して咆哮する、マグヌス=ウェルーン。
幾度の戦場を駆け、幾夜の戦いを潜り抜けて辿り着いた己の極致を、全て解放する。
斬り裂かれ消えたはずのウェルーンの分身体が、もう既に現出していた。
それどころか前の六騎が消えると同時に、猛吹雪のような盛大な呼気が一斉に放たれたのだ。
全方位からの氷座。
それが避けられるものでない事は、誰の目にも明らか。例えカイゼルンであったとしても、風でも操らない限り絶対に不可能だった。
動きが――
全身が硬直する黄金の獅子。
けれどもマグヌスに、手抜かりはない。
六騎全員が放つ、全方位からの獣王合技。
二騎の〝覇王旋壊牙〟。
二騎の〝嵐陣剣〟。
二騎の〝首刈りの魔技〟。
完璧な連携。完全な攻撃。
「終わりだ!」
それは完全無欠の最後だった。
粉々に斬り裂かれる黄金の獅子騎士。
その姿が霧のように消え去るまでは――
全ての技が空を斬り、無意味に衝撃波と爆裂、爆砕を轟かせる中、マグヌスは即座に己の状況を理解した。
ウェルーンの背後。
いるはずのないカイゼルンが、己の死角にいる事を。
同時に、イーリオも理解した。そして絶句する。
落雷の明滅と双方のあまりに速く、激しい攻防で今の今まで気付かなかったが、密かに大気を漂っていた光の粒子があった事を。
〝輝化〟
吸い込むだけで幻覚を見せるヴィングトールだけの特殊な効果。
あれはいつだったろう。
初めてカイゼルンと出会った時にも使っていたものだ。
ジェジェンの氏族何十騎に対し幻を見せ、一瞬で一個の軍隊を平らげていたものだ。
あの時ホーラー・ブクは、あんなものは邪道だと苦々しくも言い放った。何より後で知った事だが、高性能な鎧獣騎士になるほど、この術はほぼ効かないのだという。効いたとしてもほんの瞬きほどの目眩程度にしかならないのだ。
だからカイゼルンも、強敵と呼ばれる相手には使わなかったし使う意味がなかった。
おそらくウェルーンが見せられたのも、一秒の何分の一にも満たない幻であったろう。
だが――
それで充分だった。
「いい夢見たか? 最後の勝利って幻をよ」
マグヌス=ウェルーンが雄叫びを上げ、体を旋回させる。
「創大・極大・終大」
無数の巨剣が宙に大地に姿を表した。
それらは六騎のウェルーンの両腕に、両足に、体の至る所に突き刺さっていく。
分身体と共にこれを必死に弾き跳ばすも、避けられずに消えていく本体以外のウェルーン。
そしてヴィングトールの姿も消えていた。
天空を真っ二つに斬り裂く、雷という閃光。
直上に、百獣王はいた。
旋回と斬り下ろし。
――覇王旋壊牙?! いや、違う?!
どこが攻撃起点か。どういう剣でどういう爪でどういう牙か。
まるで分からずに、〝獣王殺し〟の全身から一瞬で血が噴き出していた。
「今のは……?」
背中合わせに対峙する、紅く光る黄金と白。
「〝百獣剣〟――オレ様が創った技だ」
吐血と共に、苦笑するマグヌス=ウェルーン。
「そうか……それが貴様の言う、歴史というわけか……ただ古きを学ぶのではない。新たな創造を積み重ねていく事。……成る程、負けるべくして負けるわけだ」
言葉の最後、絶叫と共にウェルーンが背後に降り立ったヴィングトールに槍を向けるも、剣閃百斬。
斬り裂く百獣の剣と爪が、不敗の武神の両腕を吹き飛ばした。
誰もが声を失い、呼吸を忘れた。
数拍の間を置き、白亜の巨体が膝から崩れる。
全身から吹き上がる白煙は、今まで見せた異能のものではない。
明らかな、強制解除の標。
やがて前足をなくした古代北極羆の巨体と、金の髪をした壮年の武人が姿を見せた事で、勝敗の歓声が天を衝いた。
「さすがだ、カイゼルン。無敗の百獣王よ」
最強と言わしめた敵からの賛辞。
イーリオは全身の肌を粟立たせながら、この光景に魅入っていた。
大陸の歴史に名を残す一戦は、鳴り止まない稲妻と共に、激しくも荘厳に、幕を下ろしたのだった。