第三部 第三章 第四話(4)『破軍六騎士』
両者の速度は、もうイーリオ達ですら目で追う事が不可能だった。
音と衝撃波だけが山間の丘陵地帯に谺し、時折見える残像と破壊の痕跡だけが、この戦いの桁外れさを物語っていた。
「創大――終獣」
「氷座――凍結吹雪」
異能で創造された獅子が放たれれば、文字通り猛吹雪も同然の凍結息でそれらが硬直させられる。
が、次の瞬間ライオンは砕け散り、中から無数の剣が爆散してウェルーンに襲いかかる。
しかしそれらを全て白煙の巨腕で弾き跳ばすと、帝国の武神は獣合技の動きで瞬く間にヴィングトールとの間合いを詰めた。
ヴィングトールも全身を鎧で包み、相手の白煙を防ぎつつ複数の反撃技を合わせた攻撃で、ウェルーンに付け入る隙を与えない。
互角。
全くの互角で攻防が繰り広げられていた。
イーリオはウェルーンの氷座を受けてもいないのに、その身を硬直させるしかなかった。
あれはもしかして、本気の師匠なんだろうか? いや、間違いない。多分師匠は本気で戦っている――。
でも、その本気の師匠、本気の六代目百獣王カイゼルンを相手に、〝獣王狩り〟は勝るとも劣らぬ実力で迫っていた。
信じられなかった。目を疑うとはこの事だ。
それに対し、マグヌス・ロロはどうだろう。全力を出せると子供のようにはしゃいだ声で戦っている。戦いに至上の喜びを見出すのが武人であろうが、それにしても相手はあの百獣王なのだ。
一進一退がいつ命取りになるか分からないというのに、まるで戦いに魅入られたようですらあった。
今更ながらにその二つ名が思い起される。
――〝獣王殺し〟。
もしかしたらカイゼルンとヴィングトールも、その牙と槍の前に屈してしまう事もあるのではないか。
まさか! そんな事は有り得ない!
そう言いたかったし己の師匠に声援のひとつも出したかったが、喉から声が出ない。
それは騎士であれば誰も同じであったろう。
この世で最高峰の決闘を前にして、あらゆる言葉は無意味だったからだ。
何より、国家の存亡がかかった大一番というならともかく、この戦いはそうではない。いわば私闘に近いもの。ならば遥か格下の応援など、滑稽きわまりないものだと誰もが自覚していたし、せざるを得なかった。
ウェルーンの身が踊る。
僅かに見えた動きの空白を見逃さず、先ほど見せた螺旋の跳躍を今度は地面と平行に放った。
究極技――獣王合技・〝覇王旋壊牙〟
人熊の立っていた大地は、噴火かと思える爆発の痕になる。先ほどを遥かに超える勢い。
ムスタをして極大の破壊技とまで言わしめたあれを、真性鎧化の状態で出せばどうなるか。当たればヴィングトールとて、確実に粉微塵になるだろう。
だがカイゼルン=ヴィングトールは、これを上回る動きで反応する。
動きの全てが陽動。
足さばきですら何も見えない。何も感じさせない。
高速の動きと高速の反応、そして高速を超える速度の向こう側の剣が、破壊の渦すら斬り裂いた。
動きを止められるウェルーン。
空中でぶつかり合う両者。
散った火花は一瞬だったが、その火勢はまるで劫火のよう。
が、止められるのもマグヌスの予想の内。吐き出された呼気の速度も、今や超常だった。それが突風となってヴィングトールの両足に襲いかかる。同時に、煙の巨腕まで放たれ、まさに三方向からの一斉超速攻撃。
「創大・極大――装甲・終獣」
ヴィングトールの背から、有り得ぬほどに巨大なライオンが創出される。
しかも全身が鎧に包まれた姿で。
そのライオンが白煙の巨腕を弾き跳ばし、ヴィングトールはそのまま剣を振り抜く。
亀裂。
三叉戟の三本の穂先の内、一本が折れた。
同時に、ヴィングトールの持つ黄金の大剣にもひびが入った。
互いに背を向け、着地する両者。
「今のは〝残像剣〟だな。獣王合技を獣王合技で返すとは、さすがカイゼルン。全く、恐れ入る」
「おめえこそ、初めての本気っつう割りにその力を使いこなしてるじゃねえか。大したもんだよ、ほんと」
戦いの中でカイゼルンが相手を褒める事など有り得ない。一体、この戦いはどうなるのか。
もう誰にも予測不能。見ている誰もが理解の外にある戦闘だと言って良かった。
「どうやら貴様と俺は互角のようだな」
「ああ?」
「しかしだ。これならどうかな?」
ウェルーンの紅く光る上半身が、膨れ上がった筋肉で巨大さを増す。
明滅を激しくする文字列。
全身から立ち昇る白煙が、勢いを増していった。
「第三獣能――〝破軍〟」
まさか――と言うべきか。それともやはり、という言う方が正しいのか。
白煙が猛烈なものになり、ウェルーンの周囲を覆い隠す。
目くらましの異能?
いや、これはどこかで見た事のあるものだ。カイゼルンもだが、特にイーリオにとっては。
白煙が晴れていく――というより、いくつかの処に吸い込まれていく。
その先に見える、目を疑う光景。
まさかの第三の獣能というだけでも驚愕なのに、そこにあったのは、ウェルーンの姿。
マグヌス=ウェルーン――そしてウェルーンにウェルーン――ウェルーンたちだ。
「ホーラーのジジイめ……。クソ面倒な鎧獣を作りやがって」
カイゼルンが呟いたのも無理からぬ事。
そこに居たのはウェルーンの分身。
ウェルーンが他に、五騎も表れたのだから。
「俺の最後の〝とっておき〟だ。俺の持つ、真の家軍。俺一人のヴォルグ六騎士だ」
並ぶ六騎のウェルーン。
イーリオは言葉が出なかった。
少し半透明にも見えるあの姿は、見慣れた力と瓜二つだったから。
紛れもない、ザイロウの千疋狼。
それと酷似していたのだ。
ただでさえ無敵のウェルーンが、他に五騎も表れるなど、およそ絶望でしかない。
とはいえ、あれがもし千疋狼と同じ性質のものなら、それは攻撃を受ければ霧散する、脆いものだろう。だが、脆さがどうというより、最強の獣王が一気に数を増やしたのだ。
誰であれ、カイゼルンの圧倒的不利を感じずにはおれなかった。
「お前もあるんだろう? 第三のが」
しかしマグヌスの言葉でイーリオはハッとなる。
そうだ。かつて獣帝との戦いでも師匠はその能力がある事を匂わせていた。
灰堂騎士団の総長やクリスティオ王にも出来たのだ。そして目の前のマグヌスにも。ならばカイゼルンに出来ない事などあるだろうか?
あったとてして、その力とは一体いかなるものか?
「チッ、ほんとに面倒なオッサンだぜ。そんなに見てえかよ、オレ様の獣能をよ」
凄絶に口元が緩むウェルーン。
「当然だな。でなくば六代続く百獣王を真に降した事にはならんだろがい」
「そうかい――なら、かかってきな」
指で招く挑発。
見た目だけなら、ここまできて尚、大胆不敵な仕草をしたように映っただろう。
だが、そうではなかった。
この瞬間、この場の全員――いや、この周囲一帯にいる全ての生命体が、訳の分からぬ戦慄に襲われたのだ。
騎士の中には思わず腰を抜かして、その場にへたり込んだ者すらいたほど。
イーリオの膝も我知らず震えている。気付けば、隣りのムスタやマリオンですら、身を硬直させて必死に堪えているようだった。
それは一言でいえば恐怖。
圧倒的捕食者が放つ、捕食対象への無慈悲すぎる隔絶感。
変わったのだ。カイゼルンの放つ空気が。
それを受けたマグヌスの闘気も。
イーリオは心の中で、己の不明を恥じていた。彼は、既にカイゼルンが本気を出していたのだと思っていたのだ。相対するマグヌスも同様に。
実際に両者は戦いの中、何度も「本気を出すぞ」と似た言葉を交わしている。しかし、実のところそうではなかったのだと、ここにきてやっと理解した。
潮目が変わるのはここから。
今この時になって初めて、二騎は実力の全てを曝け出したのだ。
「いけ、〝破軍〟」
真性鎧化の姿そのものを写した五騎のウェルーンが、一斉に黄金獅子へ殺到する。そのどれもが、既知のあらゆる動きを超えた速度。
しかも動きの鋭さはウェルーンと変わらず、ウェルーンが六倍になったのと同じだった。
だがカイゼルンの反応速度も、神域のそれだろう。
「創大――〝六連門楯〟」
魔法のように表れる、周囲を囲む六つの巨大な盾。
けれどもウェルーン達は怯まない。各々が出す白煙の巨腕でそれらを弾き跳ばすと、中央にいるヴィングトールへと一斉に躍りかかろうとした。
そう、この分身は獣能すらも本体と同じという事。
だが、盾は目くらまし。獅子の狙いは敵の只中、一点突破の右側だった。
「左と右――〝極大〟」
巨大化する両の腕。斬り裂かれるのもまるで厭わず、巨腕で扉をこじ開けるように左右へ振るった。
――!
マグヌスが気付けたのは、あくまで直感だった。
ヴィングトールが巨大化した両腕で分身体を薙ぎ払おうとした。どのような達人でもそう捉えただろう。それほどまでに洗練された動きだったからだ。
だが、耳にした言葉を後で反芻すれば、己の勘が間違いでなかった事に気付く。
「〝終大〟」
号令と共に、カイゼルンの巨大化した両腕の指先が黒くくすんでいく。
それが触れた先――ウェルーンの分身体が、ボロリと崩れる。
まるで炭化したようにあらゆる全てが一瞬でどす黒く変色していき、見る見るうちに黒い粒子と化す。
枯れ葉が朽ちるように。
渇いた砂上の楼閣のように。
「これは……!」
見れば、ヴィングトールの両腕も黒く朽ちていこうとしていた。
それが上腕まで達した時、剣を血振りするような動きで、腕を両方振るうと、中から最前までの腕が新たに表れているではないか。
「見たいっつうから見せてやったぜ。これが三つ目の獣能。生きるモノ全てに死を齎す極悪非道の能力さ」
一瞬で三騎のウェルーンが消えたばかりか、その周囲の動植物、草木に至るまでも黒い消し炭になって消滅している。
まるで死の灰が巻き散らされたように。
マグヌスですら、喉から漏れるのは呻き声だけ。
触れただけで死滅させる異能など、そんな呪いめいた力などあるというのか――!
「細胞ってヤツにはな、〝決められた死〟ってのがあるんだよ。オレ様の〝終大〟は、それを早めてやる能力だ」
この時代、この世界の今の科学では解明されていない、プログラム細胞死というものだ。
即ちそれは、遺伝子を書き換えているのと同じである。
「そうさ、この能力と同じって事だ」
「何がだ?」
「終わりってのは決められている。オレ様とアンタとの戦いもな」
「ほう。貴様が運命論者だったとはな。もしその運命が俺の死で終わるなら、それは当たらぬ宿命という事になろう」
「かもな」
間違いなく、カイゼルンはマグヌスを認めていた。
いや、カイゼルン・ベルだけではないだろう。もしこの場に歴代のカイゼルンが居たとしても、目の前の〝獣王狩り〟を最強の敵と認めていたに違いなかった。
しかし――
「だが、こいつは運命ってのとは違う。そういうのとは全然別の理由で、決まっちまった事だ」
「面白い。その結論とやら、教えて貰おう」
「アンタの負けだよ、マグヌス・ロロ」
「……」
「アンタは実力で負ける。それを今から証明してやるよ」