第三部 第三章 第四話(2)『獣王殺』
マグヌス・ロロは自分の実力をよく分かっている。
三獣王に並ぶと呼ばれる事も、またはそれ以上という事も、過信でも自惚れでもなく実際そうだろうと思っている。
だが、自分がその称号を贈られるきっかけになった出来事。それだけは納得しかねるものがあった。
六代目〝獣剣公〟ゲオルク・フォルスト。
メルヴィグ王国・覇獣騎士団・壱号獣隊・主席官。
彼を倒し、自分の名は一躍広まった。
しかしあれをして自分が獣剣公を本当に倒したとは思っていない。何故ならあの時ゲオルクは、元々の自身の騎獣であった〝グインバル〟を老衰で失い、新たな騎獣〝覇雷獣〟ガルグリムに変えて間もない時だったからだ。
本来なら三獣王とは、騎士と鎧獣の〝つがい〟に贈られるもので、鎧獣が変わった時点でゲオルクは獣剣公でなかったはずなのだ。しかしエール教会は当時その称号に相応しい人物がいないという事で、そのままゲオルクの預かりとしたらしい。
思うに政治的な動きが裏であったのだろう。
ただその結果、まだ実力の本来も出せてないゲオルクはマグヌスに敗れ命を落とし、マグヌスは三獣王に推挙される事となったのである。
しかし当然、納得がいくものではなかった。本来の獣剣公をくだして贈られるのならともかく、まるで別人、別騎士とも呼べる者を倒して称号を貰うなど言語道断。騎士としての誇りが許さなかった。
だから彼は辞退した。
名目上、皇帝の配下でありながら勝手に王を称するなど不敬であるからという理由にしたのだが、そうでも言わなければエール教会の政治力で押し切られそうだったからだ。
ただ、当時彼は既に、本来の獣剣公が相手でも自分なら勝てだろうという確信も持っていた。その実力は自分にあると。
その自負心があったから余計に、この授与を受けるわけにはいかなかったのだ。
別に三獣王に固執しているわけではない。だが、己の〝武〟がこの世に比類なしと認められるのは、戦士として生きるなら誰もが望むところであろう。
だから目の前にいるカイゼルンを倒せば、本当の意味で文字通り、彼は地上最強と認められる事になるのである。
何せ百獣王は三獣王筆頭。
六代続いて未だ無敗。
それを史上初めて倒したのが己であれば、どれだけ痛快であるか。
今度こそ胸を張って三獣王の号を戴く事が出来るであろう。
それはある意味、武人マグヌスにとってこの討伐の任務よりも魅惑的なものであったに違いない。
「そろそろ様子見はお仕舞いにしようじゃないか。なあ、カイゼルン」
白亜の古代北極羆から出される不敵な声。
そこに疲労の響きは微塵もない。ない事に、耳にした全員がぞっとした。
あれだけの攻防の後で、僅かな息切れすらないだなんて――と。
「へっ――歳を取ると堪え性がなくなるってか。イカんねえ。ンなこっちゃカワイコちゃんにモテねえぜ。ほら、よく言うだろ? 恋も戦も我慢が肝心ってよ」
そんな言葉聞いた事がない、とイーリオは思った。実際そんな言葉はない。
そもそも師匠はモテるというより、女性のお尻を追いかけ回してばかりいるだけでしょうに……と直弟子のイーリオは突っ込みそうになるが、雰囲気が壊れるので心の中だけに押しとどめる事にした。
「んな言葉は俺ァ知らん。だが待て。そうか、色恋は辛抱が大事なのか」
「おお、そうだぜ。なんなら今度、オレ様が色街にでも連れてって手ほどきしてやるよ」
「ほほう……お、いやいや。部下の前でしめしがつかんじゃないか。そういう事はもちっと人のいないとこで言うべきだろう。お前、三獣王なんて割に気が利かんな」
「ん? そうだな。そりゃそうか。じゃあお互い、殺し合って生きていたらだな」
「ふむ。約束したぞ。勿論確実に殺してやるがな」
「ったりめーだ」
途中から、これが本当に殺し合いをしている二人かと思えるやり取りに、誰もが呆れ返るばかり。しかも最後の方は若干声を潜めていたのだから、全員がどう反応していいやら唖然とする。
いや、あれだけの戦闘を繰り広げておいて、むしろここまで真逆の会話をしているのだ。それはむしろ、どこか恐ろしい事、おぞましい者であったのかもしれない……。
しかし会話の終わりと共に、両者の殺気はかつてないものに膨れ上がった。
周囲一帯全ての騎士が凍り付くほど。イーリオも思わず息を呑む。
先ほど自分達親子がマグヌスと戦っていた時、かの総司令官が本気でなかったのは充分わかっていた。いたのだが、これほどまでに開きがあるものかと愕然となる。
まず――
マグヌス=ウェルーンが生きた津波となって黄金の獅子を砕こうとする。
それを幻惑の動きで回避しながら、反撃を放つカイゼルン=ヴィングトール。
その刹那――
ウェルーンの胸腔が瞬間的に膨れ上がり、発動の号令がかかった。
「〝氷座〟」
吹雪のように吐き出される呼気。
ホッキョクヒグマの口腔から、白い噴霧が凄まじい濃密さで放たれたのだ。
それは一瞬で周囲を真白く満たし、一番近くにあった鎧獣騎士の足元にすら広がっていくほど。
「チッ」
吐き捨てるように舌打ちをしたカイゼルンは、この戦いではじめて大きな間合いをとる。
同時に、漂ってきた煙霧が体に触れた鎧獣騎士たちは、瞬間的に己の異変を感じ取った。
「え……? あ、何……?」
硬直――動けない。
微動だに出来ない。
まるで氷漬けだった。
一瞬で彼らの全身は、氷結されたかのような状態になっていた。
「お、済まねえな。俺の氷座は無差別だからよ。喰らいたくなけりゃ、もっと離れてな」
途端、全騎士が一斉に大きく間合いを取る。硬直したまま残された者らは、敵味方関係なくその場で引き攣った声しか漏らせない。
勿論、イーリオ達も念のため、距離を置いた。
「父さん、あれって……獣能?」
「ああ、そうだ。〝氷座〟。ウェルーンの持つ第一の獣能。あれこそ奴をして氷界の覇王なんて呼ばせる、その所以となる能力だ」
〝氷座〟
それはこの世で唯一騎、ウェルーンのみが放てる神之眼の獣能。
獣能とは鎧獣騎士における鎧獣の肉体部分を特異化・超常化させる能力である。この場合、己の肉体部分というのが前提なのだが、鎧獣は神之眼から生成された以上、神之眼もまた己の肉体の一部であるには間違いない。
そう考えたウェルーンの制作者ホーラーは、この異能に至る方法を思いついたと言われている。
呼気を吐きながら、熊頭人身の巨体が、再び黄金獅子へと迫ってくる。
間合いの詰め方も巨人のそれではない。むしろ俊敏な軽量級の動きである。
「仕方ねえ」
カイゼルン=ヴィングトールが宙に身を踊らせた。そしてそのまま――
「〝創大――装甲〟」
解き放たれる異能。
獅子騎士の鎧に覆われてない各所から、みるみる〝何か〟が生み出された。
着地と同時に目にするのは、全身を余すところなく黄金色の鎧で身を固めた獅子王の姿。
そこのどこにも隙間はなく、首周りから上、頭部のみだけが剥き出しになっているのみ。
「成る程、鎧で身を固めたか。それなら俺の氷座を浴びても平気――って考えか」
ヴィングトールの獣能〝創大〟とは、己の細胞を無限に強化・分裂・増殖させ、体から武器や防具を生み出す力である。カイゼルンはこの時、全身を完全に鎧で覆う事で、ウェルーンの異能に対抗しようとしたのであるが――
ウェルーンが押し寄せる。
攻撃が、津波から雪崩へと変貌したかのように重さを増した。
呼気混じりなだけでなく、速度も更に上がっていた。それ故、鋭さと重さが雹のように苛烈で絶え間ない。
ヴィングトールの動きはと言えば、全身鎧の分だけ動きが鈍くなっていた。いや、鈍いといっても実際は誤差の範囲のもの。傍目には差異など微塵も見受けられない。
だが、ここまで高レベルな攻防だと、ほんの微細な変化ですら、致命傷になりかねないのも又事実。
マグヌスの狙いは明らかに胴体。中央部に氷座が侵入すれば、たちまち全身が凍り付いてしまうからだ。
両騎の膝から下は、既に雲海のように真っ白に覆われている。
それが激しく蹴立てられている最中――
三叉戟の突きに変化を加え、いきなり頭部を狙った攻撃。肩の防具でこれを弾くと、その反動で胴体――と見せかけて左腕への鋭い突き。
授器ではない鎧部分。
亀裂が走り、砕ける。
白煙が、呪いの舌で破砕部分をちろりと舐めた。
その瞬間、ヴィングトールの左腕が、凍ったように硬直してしまう。
「……!」
氷座の煙霧の正体。それは何かと言うと、鎧化時の白煙を性質変化させたものであった。
鎧獣は鎧化時、白い煙を全身から放出し人型に変化するが、この煙は肉体を超速で創り変える機能を持っていた。
そして氷座とは、己以外のあらゆる鎧獣が、その動きを制止させてしまうように白煙を変化させて吐き出すというものである。それは例外なく、あらゆる鎧獣騎士に働きかける事が出来、僅かでも触れたら即機能停止させられる。
しかも気体だから、実質防御は不可能に等しい。
「片腕を失くしたな」
マグヌスの声。しかし嘲りでも余裕でもない。
それもそのはず。息つく暇もなく、間断ない速さでカイゼルンはその左腕の肘から下を斬り捨てると、二の腕だけで大きく振り上げて――
「〝創大〟」
と一声。
瞬間、まるで最初からあったもののように一瞬で下腕が〝創造〟され、それを振り下ろしながら、今度は更にもう一つ。
「〝極大――剛力〟」
一秒の何万分の一の速さで、ヴィングトールの片腕だけが巨大なものに変化をおこし、そのままウェルーンを直上から叩き潰した。
細胞を強化・肥大化させ、全身、または部分を巨大にする異能。
それがヴィングトールの第二獣能〝極大〟である。
巨大過ぎる歪な片腕は、氷結の煙を浴びながら、そのまま振り下ろした勢いで地形を砕き、滞留する白煙を腕の振りだけで彼方に吹き飛ばしてしまう。
誰もが目を見張った。
だがヴィングトールの動きは素早く、目にする誰にも余韻など与えてはくれない。
カイゼルン=ヴィングトールはすかさず己の腕を朽ちさせていき、その中からもとの大きさに戻った通常の左腕を現出させる。
まるで演武のように流れる速さ。
そのまま剣を片手から両手に持ち直したかと思えば、すぐさまそれを目の前に翳した。
――そこを襲う、衝撃。
剣を盾にし防いだのは、先ほどの白い煙霧。
いや、煙が塊になっている。
まるでこれでは白煙で出来た巨大な腕のよう――
「〝軍神〟」
濛々と立ちこめる破壊された自然の土埃と人造の白煙が混じり合う中、かの古代北極羆の人獣騎士が、のそりと姿を表した。
その異様に皆が目を剝く。先ほどまでとはまるで違ったからだ。
口吻から白煙を吐き出しているのではない。
今度は全身から、気迫のように白い煙霧がしゅうしゅうと噴き出しているではないか。
それどころか全身から出された煙霧は、一部が大きく寄り集まり、巨大な二本の腕を形作って、巨人の左右から伸びていた。
先ほどヴィングトールに反撃したのも、この煙で出来た腕の片方という事か。
「……貴様と俺、互いに第二獣能が少し似ているな? とはいえ、能力的には俺の方がちと上になるのかな――どうだ?」
「かもな。ま、オレ様からすれば、獣能なんてなタダの虚仮威しだ。こいつを頼みの綱にするなんざ、二流以下だぜ? あの獣帝とかってオッサンみたいによ」
「応。確かにその通りだ。さすがはカイゼルン、よく分かっとるじゃないか」
互いに譲らず、減らず口。
一瞬イーリオは、両者の言葉にそんな色が混じっているようにさえ感じた。
先ほどから息つく間もなく繰り広げられている、神々同士のような争闘。
獣帝の時も桁外れだとは感じたが、この戦いはそれとは別種の迫力に満ちている。そんな風に、最初は思っていた。
だが、そうではなかった。
別種と言えば別種だが、この戦いはそれだけではない。
あの時――獣帝との一騎討ち――以上。
それに間違いなく、マグヌス・ロロはカイゼルンと本当の意味で互角に渡り合っている。いや、もしかすれば押しているとさえ言えるかもしれない。
果たしてこの戦いに先は見えるのか。
運命でさえも二騎の前では力尽くでねじ伏せられそうな、そんな戦いの幕はまだ終わりを見せてはくれなかった。