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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第三章『獣王殺しと皇位』
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第三部 第三章 第四話(1)『最強対決』

 雷鳴が轟いた。

 北天の空を斬り裂く、時期としては少し遅めの春雷。

 まるでこれからはじまる戦いに、空までも過剰な演出で飾ろうとしているかのようだ。


 相対する頂点二騎。



 〝百獣王〟〝三獣王筆頭〟〝黄金の獅子王〟

 カイゼルン・ベルとヴィングトール。



 〝獣王殺し〟〝無冠の獣王〟〝氷界の覇王〟

 マグヌス・ロロとウェルーン。



 敵も味方も誰も彼も、争う手を止めただの観客となりはてている。

 意味がないからだ。自分達がいくら戦おうとも、この二騎の勝敗だけで戦場全体の決着そのものがついてしまうから。

 ただ、疲弊で鎧獣(ガルー)を纏えないエゼルウルフやソーラを除き、戦闘態勢である鎧化(ガルアン)を、誰一人解除しようという者はいなかった。人間の視力でこの戦いを追う事など到底出来ないからだ。いや、正直なところ鎧獣騎士(ガルーリッター)の視力でも、捉える事が出来るかどうか。

 それはイーリオらも同じである。既に己の獣能(フィーツァー)は解除しているが、鎧獣(ガルー)は纏ったまま。


 そこへやたら緊張感のない声が、近寄ってくる。


「上手くいったぜ、ムスタの旦那」


 毛先が赤毛じみた茶色味がかった黒豹。

 片眼鏡モノクルを嵌めた奇妙な鎧獣騎士(ガルーリッター)


 怪盗騎士ゼロが、愛獣オルクスを纏ってイーリオ達親子の側に寄る。


「そうだが、正直ギリギリだったぞ。あと少し来るのが遅かったら、何もかも後の祭りだった」


 フォルンジュートの姿だから見えはしないが、声の感じで憮然としているのがイーリオには何となく分かった。

 しかしイーリオはそんな事より、彼らがここにカイゼルンを連れて来れた事の方が、何よりも疑問だった。


「その、一体どうやったの? ゼロ、君はどんな手を使って師匠に依頼したんだよ」

「ああ、そりゃあな、ムスタの旦那が提案した条件のお蔭さ」

「条件?」

「順を追って話すとだ――」


 イーリオが生家で寝込んでいた時、ムスタはゼロにカイゼルンを自分達の元に連れてきてくれと依頼したのだ。

 目的はひとつ。


 来るべき戦いにカイゼルンの力が必ずいるから――であった。


 つまり目の前の状況になるのを、ムスタは既にその時点で予期していた事になる。どうしてかと言うと、帝国に立ち向かうとなれば、必ずマグヌスとの戦いは避けて通れないからだ。

 何故ならマグヌスはこの国の武の象徴にして頂点。つまりそれは、皇帝にとっても最大最後の守護者であるという事を指している。


 しかしかつてはともかく、今の(・・)マグヌスと戦って、正直勝ちの目は無いに等しい。

 いや、対抗出来る存在など、大陸広しといえどほぼいないかもしれない。

 もしもこの世で勝算があるとするなら、三獣王――カイゼルンか黒騎士くらいのもの。

 黒騎士に依頼など出来るはずもなく、望みがあるとするならばカイゼルンという事になるだろう。単純に消去法というわけだ。


 ゼロはと言えば、事態を拗らせたのは自分にも責任があると感じていたため、それにイーリオへの貸しも返したいという思いがあったから、その依頼を二つ返事で引き受けた。


 この場合、まず問題となるのはカイゼルンの居所についてだが、それについてはゼロにとってそう難しい話ではなかった。

 ゼロが初めてイーリオに出会った時、〝ウーヴェ・ティッセン〟なる闇市場の大物という裏の顔で、カイゼルンとも遭遇している。それをきっかけにカイゼルン・ベルがいくつもの裏の顔を持ち、暗躍しているという話も調べ済みだったからだ。

 何せカイゼルンと言えば表の世界でのある種の頂点とも言える人物である。そんな超大物が裏の世界にまで網を広げているとなれば、怪盗を生業とするゼロにとって無視する事など出来るはずがないのは必然。

 また、ムスタの屋敷にいた折りにもイーリオに裏の顔が他にもないか聞き込んでおいたのもある。

 その結果、つい先だってまでカイゼルンは〝ゼルグ・ヴァリ〟という偽名で闇市場の格闘王者として活動していると知れたのであった。


「けど実際一番大変だったのは、勧誘じゃなくってアンタらがどこにいるか分かんなかった事だよ」


 ムスタはマリオンの隠れ屋敷の事までは伝えていたが、そこから先はゼロに伝えてなかった。

 だからゼロが屋敷に来る事も想定して、自分達が帝都に向かうという書き置きは残しておいたのだが、とはいえどの順路でどういう風に向かうかは書いていない。いや、書けなかっただけだが、それでゼロは合流が遅れたと説明した。


「そんな事より、父さんの出した条件って何なのさ。師匠が飛びつくものなんて――」


 金銭以外に何かあるというのか。

 それとも本当にそんな大金、ムスタは用立てれる自信があったのか。

 いや、そんなお金などあるわけがなかった。ヴェクセルバルグの家が貧乏というわけではない。むしろそこらの貴族など足元にも及ばぬほど裕福だろう。ではなくカイゼルンの求める報酬額が、国家予算規模だからだ。


 先のクルテェトニク会戦で提示された条件も、法外な額の金銭に加え、己の経営する獣猟団(ヤクトオルデン)への一部専売権や己に科されている犯罪歴の取り消しなど、まとめると相当なものだと聞いている。


 しかしゼロの明かした見返りとは、そのどれでもなかった。



調合表レシピだよ、旦那の出した条件は」



調合表レシピ……? まさか……!」

「そう、鎧獣(ガルー)調合表レシピ。それも旦那の手掛けた全ての鎧獣(ガルー)のだ」

「は、はあぁ?!」

「全部じゃないぞ。フォルンジュートは外してある。こいつはホーラーとの合作だからな。あ、それにリンドもな」


 ムスタは捕捉を入れたが、イーリオからすればそんな細かい事はどうでもいい。開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。


「何考えてんの? 調合表レシピを?! 全部?! 一体どういうつもりなんだよ」


 イーリオが激昂にも似た驚きを見せるのも無理からぬ事。


 調合表レシピとは、鎧獣(ガルー)を錬成する時につける記録書で、そこには薬液の細かな調合や、季節や温度、湿度、環境も含め、様々な情報が事細かに余さず記されている。それは別の錬獣術師(アルゴールン)が見て全く同じに錬成すれば、理論上は同一の鎧獣(ガルー)を生み出せるという書物で、錬獣術師(アルゴールン)にとっては命よりも大事なものとされていた。闇で取引された場合、その価格はかなりのものになるという。


 ムスタの調合表レシピとなれば、その価格はおそらくとんでもない額になるだろう。

 何せ〝熊名工〟と渾名されるほど、名うての錬獣術師(アルゴールン)なのだ。同じ錬獣術(アルゴーラ)を志すものなら、喉から手が出るほど欲しいだろうし、皆目にしたいに決まっている。


 そんな錬獣術師(アルゴールン)にとって生命線とも呼べるものを取引材料に差し出すだなんて――。


「父さん、もしかしてこのまま錬獣術師(アルゴールン)は辞めて、騎士(スプリンガー)に戻ろうなんて考えてんじゃないよね……?」

「阿呆、そんなわけあるか。ま、全部というのはさすがに気前が良すぎたが、こいつは元々考えてた事なんだ」

「どういう事……?」

「儂はな、ここらで一度今までの自分のやり方を整理したかったのよ。儂に錬獣術(アルゴーラ)を教えてくれたのはヘニッヒ大師だが、途中からはホーラーにかなり教わったりもした。そのせいかどうしてもホーラーのものと似てくるし、比較もされちまう。それが嫌ってわけでもないんだが、それじゃあ儂は一生かけてもホーラーの二番煎じどまりだ。一度この道を進むと決めた以上、『まあここでいいか』と満足するのは儂の生き方じゃない。儂は、儂にしかつくれない、ある種の頂点ともいうべき鎧獣(ガルー)をこの手で生み出してみたい――そう思ったからこの道を選んだんだ。だったら、今までのやり方を一度全部捨てて、自分にしか見つけられない自分だけの錬獣術(アルゴーラ)を極めるしかないだろう。そんな事をずっと考えてたのさ」

「自分だけの錬獣術(アルゴーラ)……。それで今までの調合表レシピを? いや、言いたい事は分かるけど、だからって売り払う必要までないんじゃないの?」

「阿呆。それじゃあ捨てた事にならんだろう。儂のやってきた事が世に広まり、皆が儂の今までを知る。そうでなくば儂だけにしか作れないものを作れたという事にはならんじゃないか」


 それにしても思い切りが良過ぎるというものだろう。

 普通に売れば天文学的な価格がついてもおかしくない代物だ。むしろカイゼルンを二人分雇えるほどにすらなるかもしれない。

 そこまで考えてイーリオはふと思った。


「もしかして、色々アテまで考えてあるの?」

「お、さすが儂の息子だな。そこに気付くとは。そうさ、カイゼルンの経営してる幻獣猟団ファタ・モルガナ・オルデンに販売権の一部譲渡も代わってもらうのと引き換えに、大幅な経済援助も受けている。当分食う飯にも研究にも困る事はない」


 悪戯っぽく返した声音は、おそらく人熊の中の顔も同じ表情をしているのだろうと察しがついた。

 とはいえそれは、ある意味己を身売りをしたのも同じだと言えるのでは……とも思ったが、これ以上口には出さなかった。正直、呆れるやらどう返事をしていいやらで、イーリオはただ狼頭の首を左右に振るだけだった。


 カイゼルンを助っ人に呼び寄せられた理由は分かったが、これを手放しで喜んでいいのかどうか。

 後になって愚かな選択だったと後悔するかもしれないだろうが、後悔出来る未来があるのなら、むしろそれは幸せなのかもしれない。


 何せ運命の趨勢は、目の前の戦いに全てかかっているのだから――。




 稲光が遠くで明滅するも、落雷は鳴りを潜めている。

 まるではじまらない戦いに不満げなのか、それとも張り詰めた緊張でいかづちさえも落ちるに落ちれないのか。不穏な音だけが色のない空を包むのみ。


 皆が一様に、固唾を呑んで見守っていた。


 やがて雷音が鼓動のような拍動で、徐々に膨らみを増していこうとした時。


「動く」


 ボソリと呟くマリオン。



 ピシャアァァッッ



 同時に輝く、一際大きな稲妻。

 雷鳴。


 稲妻が瞬く早さで、ヴィングトールとウェルーンが斬り結んでいた。

 黄金の大剣が光の軌跡を描くと、紺碧の槍が波濤の激烈さで呑み込もうとする。


 見えない。まるで見えない。

 攻撃が、防御が、動きが――

 誰もかもが、ほとんどが――明瞭はっきりと視認する事が出来なかった。


 かろうじてイーリオ達を含むほんの一部の騎士達のみ、その動きをやっと目で追いかけるのみ。

 速度も当然あるのだが、それは単純な速度というものではない。


 用体――身体の操作。

 用骨――獣身の操作。


 それらを極めた者のみが放てる至高の領域。

 ヴィングトールと獣帝ドゥルガが見せたクルテェトニクの最終決戦も歴史に残る戦いだったが、あれとはまた別種の最高峰だ。


 ヴィングトールの剣圧が空を斬る度、ウェルーンの三叉戟トライデントが虚を貫く度、その迫力に圧された取り巻く騎士の輪が徐々に広がっている。ドゥルガのような無差別さがないから被害が外に漏れてないだけで、掠めるだけで即死なのは見て分かる。横から割り込む事など出来はしない。

 彼らの殺傷圏内に入るだけで、その者は塵となって細切れになるのが明らかだった。


「むんっ」


 マグヌス=ウェルーンから出された声。

 同時に地響きが周囲を圧すると、途轍もない突きが真横の竜巻となって大地を破壊した。

 が、当然ヴィングトールはこれを躱している。巨体とは思えない身のこなしで大剣を起点に宙返りをうつと、地面に足をつける前に凄まじい連撃が放たれた。


 ――! これは、クリスティオさんの!


 レーヴェン流の技ではなく、アクティウム王国のクリスティオ王が使うヴァン流の技〝宙浮闘ガレッジャンテ〟。

 通常ならば体格等級が上一級以上で出せる技ではない。

 ところがマグヌス=ウェルーンは、ここで信じられない運動能力を見せる。

 大地を貫いた槍を遠心力で振り回しながら、突進をするように黄金獅子の背後へと高速で回り込む。

 今度はムスタがこれに目を見張る。


 ――今のはオレンボー流の〝背動駆スパッツァーリ〟か……!


 互いに他流派の技。それを動きに織り交ぜて戦いで駆使する。しかもそれらのどれもが超絶の領域。

 後ろをとる恰好になったウェルーンは、先ほど見せた踏み込みの突きを再度するのかと思いきや、突きのまま全身で突撃をかける。


 雷鳴。

 いや、ウェルーンが齎した破壊音か。

 音量が桁はずれのため、どちらのものか分からない。


 土埃ではなく、巻き起こる土煙の柱。


 それが視界から失せると、起伏のある丘陵めいた山地の風景が、一部完全に消失していた。


 中からは少し平らになった大地に佇む二騎の巨獣騎士。


「あいつめ……曲骨クルヴァにレーヴェン流の雷体ブリッツを混ぜやがったな」

「カイゼルンは誘骨フェィンタそのものを囮にして動きは惑走シュリッツで躱したわね」


 ムスタとマリオンの独白に、イーリオが目を剝く。

 他流派の技を会得しているというだけでも凄いのに、それに独自の変化を加えるなど、やろうと思って出来るものではない。第一、それこそ用体も用骨もまるで違うものだ。ジャンプ中にもう一度ジャンプしろと言うようなもので、理屈でも無理があるはず。

 しかしこの両者は、それをやってのけている。


「あれはなイーリオ、初代百獣王カイゼルン・ヴァッテンバッハⅠ世が編み出したとされる獣騎術(シュヴィンゲン)の極限技〝獣合技ミッション〟ってヤツだ。使える騎士はごく少ない」

獣合技ミッション……。そんなの、聞いた事ない」

「私やムスタだってあんなには使えないわ。それにね、三獣王と呼ばれる人間は、その上すらあるのよ。〝王の技〟とも言うべきものが」


 ムスタの説明に対するマリオンの捕捉に、イーリオは言葉を失う。



 獣合技ミッション



 他流派同士の技を合わせて出す獣騎術(シュヴィンゲン)で、そのまま〝掛け合わせ〟などとも呼ばれる。そんなものすら平然と撃ち合う戦い。それどころかその〝上〟すらあるという。


 正に超常にして頂上の決戦。


 誰もが思っていた。

 これをどう語ればいいか、どう表現すればいいのかと。


 どうやっても、この戦いを正しく伝える手段が見つからない。

 既に詩人の語る言葉すら、両騎の前ではその役割を失いつつあった。

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