第三部 第三章 第三話(4)『極北最強』
ゴート帝国総騎士長リヒャルディスとの激闘を制したイーリオ達の一団は、すぐさま帝都に向けて出発を再開した。
ソーラ達やアネッテ、マリオンらの安否も気になるが、何より目的を達成する事こそが最重要なのだ。
目的とは即ち、ハーラルとシャルロッタとの結婚を阻止する事。
正しくはそれはイーリオの目的であり、ムスタをはじめその他の人間は、少し事情が異なっているのだが、大きく捉える分に違いはなかった。
だが先を急ぐ一行の前に、新たな――そして最強最大の〝壁〟が立ちはだかる。
旗に記された六芒星と飛竜の紋章。
最強だの無敵だの、ゴート帝国の騎士団には様々な異称が添えられるが、その中で真実どれが最強かと問われれば、この一軍を以て他にはないだろう。
ゴート帝国ヴォルグ騎士団団長マグヌス・ロロ率いる〝ロロ家軍〟。
配下の騎獣はほぼ全てが熊類。
ホッキョクグマもいればヒグマ、ハイイログマ、クロクマなど種類は多彩だ。中には古代絶滅種のホラアナグマなども混じっているから、種別だけで精強無比なのがありありと見て取れる。
そしてそれらを率いるのが北の武神。
極北最強にして三獣王すら凌ぐと言われた帝国騎士の頂点。
帝国総司令官マグヌス・ロロ。
古代北極羆〝ウェルーン〟。
「上手く切り抜けられれば良かったんだが……」
ムスタが愚痴めいて言うのも頷ける。
威風だけではない。戦歴、実力、どれをとっても今の自分達で歯が立つ相手でない事は確実なのだ。いや、もし風聞がその通りなら、自分達全員が束になってもまるで無意味だろう。
それはあくまで〝その通りなら〟であり、〝それ以上〟である可能性も充分有り得るのだが。
「ここに来たという事は、リヒャルディスの軍を退けてきた――わけでもなさそうだな。部隊の全員に大した疲れもなさそうだ。とすると、総騎士長め……自分だけで全部抱え込もうってわけか。全く、面倒な抱え込み方をしたもんだ」
こちらの部隊を一瞥し、マグヌスは嘆息混じりに吐き捨てる。
とはいえ、イーリオもどうしてリヒャルディス総騎士長が自分達を見逃したのか、その理由は分かっていなかった。ムスタだけは何やら得心したように見えたが、尋ねても答えてはくれなかったからだ。
「だがな、俺ぁリヒャルディスのように甘くないぞ。俺も俺の部隊も、一切手加減はしない。分かってるよな、ムスタ」
「相変わらずだな、マグヌス。そんなカチコチの頭だから、未だに嫁の貰い手もいないんだぞ」
「あぁん?」
ムスタの煽り文句に、マグヌスの目の色が変わった。変な向きに対してだが。
「普通、大国の大将軍っつったら嫁どころか妾の三人や四人くらい囲っとるもんだろうが。それがお前はどうだよ。一人も嫁いでくれやしねえじゃねえか。史上稀に見る非モテ大将軍様だなぁ、おい」
マグヌスの後方にいる部下らが思わず噴き出してしまうのを、上司はジロリと睨んだ。
「うるせえ。告白してフラれるたびにてめえのヤケ酒に付き合ってやったのはどこの誰だよ。言ってみろ」
「てめ……ンなカビ臭い話を息子の前で言うんじゃねえっつうの。泣き入れてやんぞ、このヒゲダルマ」
「ああ? よく言ったなコラ。俺ぁてめえと違って今でもモテとるわ。何だったら帝都の女どもに人気投票してそっちでもコテンパンにノシてやってもいいんだぞ、ボケムスタ」
いつもの間にやらマグヌスの口調も砕けたものに変わっている。いや、これが本来の彼なのだろう。
というより、途中から煽りあいではなくただのワルガキの喧嘩のようになっていった二人に、イーリオもマグヌスの部下らも開いた口が塞がらない。
「あの、閣下……」
「父さん、何やってんの……」
ひとしきり罵声を浴びせあった後、両者はぜいぜいと息を切らし合っていた。
やっと終わったのかと周囲が残念な感想を抱いていると、突然――二人の纏う空気が一変する。
あまりの変化に、その場の誰もが凍り付いた。
「腕ぁ錆びてねえだろうな」
「さて、どうだろうな。ちょっと試してみてくれよ」
凄味のある笑い。
これが父のかつての姿。あのマグヌス・ロロを前に、何ら物怖じしていない。
「イーリオ」
「はい」
思わず畏まった返事が、口を突いて出た。
「最初から全力でいけ。様子見なんて考えるな。でなきゃ――死ぬぞ」
よく見れば、父の顔から血の気が引いていた。寒くもないしまだそこまで激しい運動もしていない。体調とて万全のはずだ。それだけでイーリオは全てを了解した。
「いくぞ」
マグヌスのひと声。
その場の全員が、一斉に「白化」と告げる。
山間部のひと処に、たちまち白煙の広場が出現した。
それは瞬く間に消え去り、中から幾体、幾十体もの人獣騎士が出現する。
「ストゥルラ、雑魚共の始末は任せる。俺ぁムスタと恐炎公子を貰うぜ」
マグヌスが傍らのホラアナグマに命令すると、副官らしき鎧獣騎士は、「は」と短く答礼した。
たちまち、クラッカ団の残り部隊とロロ家軍との混戦がはじまった。
イーリオは鎧化すると同時に〝炎身罪狼〟を発動させていたが、正直、恐怖で膝が今にも震えてしまいそうだった。
かつて三獣王〝獣剣公〟を倒し、三獣王の称号を贈られようとも受け取りはしなかったという逸話。そこから絶える事なく今に至るまで続く、無敗の伝説。
通常のホッキョクグマとは違い、ヒグマとの混合種であるため、四肢の先端や腹部など、一部の箇所が茶色く染まっている。だが、全体の体毛は生成りにくすんでいながらも白系と言えるだろう。
何より大きさが桁外れだった。
背の高さは二〇フィート(約六メートル)を超えるか。
先ほど戦った暴帝北極熊のヤロヴィトよりも更に大きい。それが縦だけでなく筋肉質に横にも広がっているのだ。
まさに異形の英雄神。
体を覆う授器は、カシミールサファイアのような深い青水晶の色をしている。手に持つ三叉戟も同じ。
ムスタと子供めいた応酬をした同じ人物の騎士姿とは思えない。
その威厳は帝国の武の象徴そのもの。
それを目の前にしているのだから、イーリオの恐怖も当然であったろう。少なくとも恥じるものではなかった。
そこへ機先を制するように、ムスタから聞き馴染みのない号令が発せられた。
「〝守護熊王〟」
次の瞬間、ムスタ=フォルンジュートの全身が見る見るうちに痩せていき、代わりに腕部や脚部の露出箇所から、硬質性の鎧のようなものが滲むように表れてくる。
その姿は熊というより犬類に近いものにさえ見えるほど。ただし衰えた痩せ方ではなく、むしろ先ほどよりもずっと筋肉質に引き締まっているように見える。
「何十年振りかいのう、その姿。昔を思い出させてくれる。あの時のように、俺に本気を出させてくれるかな〝黒飛爪〟」
言葉のわりにウェルーンは構えを取っていない。にも関わらず、巨体に隙など微塵もなかった。
「イーリオ!」
「うん!」
疾走する二騎。
黒紫と白銀。
イーリオは驚いた。
ザイロウは炎身罪狼で速度が数倍にも上がっているのだ。ところがフォルンジュートの速度も、それに負けず劣らず目にも止まらぬものがある。
見れば、新たに体表から出現した鎧状のものから、陽炎めいた気体が吐き出されていた。おそらくあれはただの装甲ではなく、速度を生み出す何かになっているのだろう。
二騎合わせれば、とても反応出来る領域の速さではなかった。
イーリオは古代北極羆の横腹を突こうとする。ムスタは突撃の勢いそのままに、踏み込み強く真正面から斬り込んだ。
ところがウェルーンはそれを易々と払いのけ、横のイーリオからの攻撃にも防ぐどころか逆に反撃の爪撃を放ってみせる。
紙一重。体毛数本を掠めて、何とか躱すザイロウ。
空気を抉る野生の一撃は、通り過ぎていった瞬間に致命傷の威力が籠っていると感じた。
「ほう」
ウェルーンから感心の溜め息。
そこに間髪入れず、初撃を外されたムスタが真上から斬り下ろしを放った。防がれたように見えた最初の攻撃は見せかけか。
が、ウェルーンは後ろに目がついているかのように、振り向きもせず三叉戟で受け止めた。
その瞬間――
「飛天槍士!」
踏み込みなく、空中で至近距離からの空を飛ぶ拳。さながらそれは黒い弾丸。回避は不可能。
ウェルーンの首から上が吹き飛ばされた――かと思ったが、ところがそれは擦りもしていなかった。
どういう体捌きなのか。
軸をずらして拳を避け、巨大な顎でこれをくわえたのである。高速で宙を飛ぶ塊に対して。
古代北極羆は、くわえた拳を吐き捨てるように放り捨て、同時に直上の黒羆を片腕一本で吹き飛ばしてしまう。
ムスタ=フォルンジュートは飛ばされた腕を戻しつつ、宙で一回転し着地。その横にイーリオ=ザイロウも並んだ。
「安心したぞ、腕は錆びてねえようだな」
「そうかい。そりゃ良かった」
言いながら全然良くあるもんかと、冷や汗が背筋を伝うのをムスタは感じていた。
「けど、がっかりもしたぞ」
「あ?」
「腕は錆びちゃいねえがそのままだ。前と変わらない実力なのが残念だよ、ムスタ」
「何だと?」
「分かるだろ? 俺ぁ前と同じじゃねえ。お前の知る俺なんぞ、とうに埃の被った昔の俺さ。今の俺を相手にするには、あと何人仲間が居ても苦しかろうな」
挑発でも嘲弄でもなく、心底がっかりしたように肩を落とすマグヌス。
それが大袈裟どころか、むしろ敵である自分達に気遣いすら見せての落胆であると分かっても、言い返す事さえ出来ない。彼我の実力差はそれほど埋めようがなかった。
その直後だった――。
若芽色の光が視界を掠め、〝獣王殺し〟に閃光の剣撃を放ったのは。
眩い金属音。
イーリオですら、咄嗟に何が起きたのか理解出来ていない。
しかし、不意撃ちをされたマグヌスは余裕でこれを受け止めただけでなく、至って涼しげなものですらあった。
イーリオを挟んだ形で、光が地面に降り立つ。
「マリオンおばさん……!」
「ご免なさいね、来るのが遅くなってしまって」
並んだのはシロオオツノヒツジを纏う、マリオン・ドレッカー。
彼女らはソーラの部隊の苦境を助けつつ、何とか仲間であるゴゥト騎士らを退け、ここに合流したのである。
「助かったぞ。儂らだけでは手に余りそうだったんでな」
「まあ、珍しく正直ね。――けど、私の加勢だけで足りるかしら……」
次いで、数を減らしたクラッカ団と、アネッテ率いるゴゥトの一団も合流した。
「その姿……成る程、話に聞いていた新しい鎧獣か。久々だなあ、マリオン」
「そちらも相変わらずで何より。でも、私達は年相応に気楽なものだけど、貴方は面倒事を抱え込んでいらっしゃるようね。特に貴方自身の事で」
「さて――何の事かね」
マリオンの挑発だったが、マグヌスは毛程も動じてないようだった。無論、意味は通じているだろう。
今度は父だけではない。マリオンも合わせて三騎。
このうえなく頼もしい援軍でありつつ、それでもまるで勝算は見えてこなかった。
果たして彼らは、無敗の武神〝獣王殺し〟を降す事が出来るのか――。