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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第三章『獣王殺しと皇位』
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第三部 第三章 第二話(3)『増援部隊』

「〝禁忌大予知ザプレェット・プラグノース〟」


 瞬間、高周波のような頭の天辺に余韻の残る音が周囲に広がっていった。

 それが何なのか、初めて目にする――いや、味わうソーラ・クラッカにも正体が分からなかった。


 ただ、これをしてヴォルグ六将のエゼルウルフ・ヘリングを、〝戦場の支配者ヴァイナー・ヴラスティ〟と呼ばわしめている事だけはすぐに分かった。



 哺乳類の多くは視力よりも嗅覚や聴覚に優れている。

 イヌ科が人の何万倍も匂いに敏感なのは言わずもがな。牛や馬の聴覚、はてはコウモリなどは高周波の音域に至るまで幅広い音を聞き分けられる。

 それが齎す世界は、人間ではおよそ想像もつかない領域の情報で満ち溢れている事だろう。


 それを可視化させたのが鎧獣術士(ガルーヘクス)の能力であったが、エゼルウルフの駆るアンデスオオカミ(ハーゲンベックウルフ)鎧獣(ガルー)――〝ハティ〟の第二獣能(デュオ・フィーツァー)は、それら超常の知覚すらも超えていた。



 第二獣能(デュオ・フィーツァー)・〝禁忌大予知ザプレェット・プラグノース



 嗅覚のみならず聴覚や視覚、味覚、触覚の五感全てを超異能化。

 五感の発達など珍しい異能でもないように思うかもしれない。例えばイーリオのかつての相棒であったドグの〝カプルス〟や、先のメルヴィグとアンカラの戦争でファウストの命を救ったモニカの〝マーザドゥ〟などをはじめ、他にも多数いる。だが、ハティの異能はそれらの最高峰とも言えるものなのだ。


 知覚の及ぶ範囲は大都市をまるまるおさめるほどの広域に渡る。しかし恐るべきはそこではない。

 最も恐ろしいのが情報処理の行き着く先。

 全てを感知した先に〝視〟えるのは――



 未来予知。



 膨大過ぎる情報が鎧獣(ガルー)であるハティの脳内に流れ込み、それらが情報分析に長けたエゼルウルフにも伝わる。これにより約一日分の完全な未来予測を可能にする異能。

 それがハティの第二獣能(デュオ・フィーツァー)

 より正確に言えば予知ではないし、捕捉出来る範囲の外から入り込む情報までは、予測不可能となってしまう。

 だが、範囲内の今ある現状においては、どう反応しどう動くかがほぼ完全に捕捉出来る。

 例えて言えば、歩く時、右足を前に出せば右手が後ろに振られるのは当然だが、それと同じ原理である。こう動くとこうなる、それの超拡大版。


 ただ、拡大どころかその情報量と処理が尋常ではない――というよりほぼ神の域とでも呼べるほどなのだ。


 ましてや戦場となれば遠いところに援軍が伏せてあるのならともかく、一定の広域で全軍の動きが完全に読まれているとなれば、敵からすれば手の打ち様はなくなってしまう。

 だからこそ、エゼルウルフは集団戦において無敗を誇れるのだ。



 先ほどの奇妙な咆哮の後、エゼルウルフ=ハティの動きが変わった。それに、ヘリング家軍コーアへの指揮も。

 それを肌で感じるソーラ。

 明らかに劣勢だったヘリング家軍コーアが、クラッカ団とゴゥトの混成部隊を押し返していた。

 エゼルウルフの指揮が届く範囲であればあからさまに顕著で、押し返すどころかむしろこちら側が削られているのだ。


 ――これが戦場の支配者ヴァイナー・ヴラスティの真価ってワケかよ。


 ならば指揮する間すら与えなくしてしまえばいいだけの事と、苛烈に攻め立てるソーラ=スコール。

 ところがまるで見違えたように、ソーラの攻撃が当たらなくなってしまう。いや、さっきまでも避けられてはいたが、それでも時に刃を合わせ、斬り結び、攻防を応酬させていたのだ。


 ところが今やそれは違った。


 達人が三流を相手にする如く、動きの先が完全に読まれてしまい、斬り合うどころか毛先すら掠める事が出来ない。

 増えるのは己の傷ばかり。


 ただ、いつどうやって傷を負わせたのか――


 いや、被撃したのではなく、何か反動のようなものだろうが、ハティの口の端から血がひと筋垂れていた。

 おそらくそれが、第二獣能(デュオ・フィーツァー)を封じる鍵になるかもしれんとソーラは当たりをつける。

 その考えは間違いではなかった。むしろ、ハティの異能を本能で看破していたと言えるかもしれない。

 ただ、この時のエゼルウルフは、それすらも折り込み済みだったのだ。


「ソーラよ。貴様の事は大嫌いだが、その実力だけは本物であった。それだけは認めてやろう」


 戦いの最中に告げる、エゼルウルフの言葉。


「ああ?!」


 まるで勝利宣言のような言い回しに、ソーラの不快さが増す。だが、これは挑発であるかもしれず、そんな事で冷静を欠くようなソーラではなかった。


 ――どういうタネでどういう仕掛けか分からないが、おそらくこいつの第二獣能(デュオ・フィーツァー)は、第一の強化版ってところだろう。


 ソーラの目筋は確かだが、それくらいなら見ていれば自ずと分かるというもの。しかし分かるからといって対処出来るかどうかは別問題だが、ソーラは違った。


 彼は〝群れの王〟。

 〝破滅の声(ギベル・ゴーサ)〟のソーラ・クラッカなのだ。


 ――それだけ分かりゃ、打つべき手も決まってくる。


 こちらの攻撃が全て先読みされてるとなれば、先読みされようがどうしようが、防ぎきれぬわざを出せばいいだけの事。

 防ぎきれぬ? そんな都合のいい攻撃があるのか。


 絶滅種・アームブラスターオオカミのスコールにはあった。


 相手が第二獣能(デュオ・フィーツァー)となればこちらも第二獣能(デュオ・フィーツァー)とばかりに、息を吸い込んで距離を取るソーラ=ソコール。



 〝狼王の呪言(ロボ・ブレステム)〟。



 スコールの第二獣能(デュオ・フィーツァー)

 特殊音波の遠吠えにより、周囲のあらゆる鎧獣騎士(ガルーリッター)の平衡感覚を根こそぎ狂わす異能。ただし、〝王の契り〟と呼ばれる噛みつきによる洗礼を受けた狼種には、これが効かない。当然、彼の部下であるクラッカ団は皆、この洗礼を受けていた。

 味方のゴゥト騎士団は巻き込む形になるが、それでもお釣りがくる結果になるだろう。


 だが――


 異能を放とうとしたまさにその矢先、まるでぴったりと寄り添うように、眼前にハティの白灰色の姿があった。

 鋭く狙った剣閃がソーラの虚を衝き、スコールの喉もとを掠める。


 かろうじて首を落とされるのは避けたが、第二獣能(デュオ・フィーツァー)は出せないまま。


 ――こいつ。


 狙いは明らかだった。

 一度喰らわせた技だ。躱せぬのなら、発動する前に動きを封じてしまおうという事だろう。その判断は正しく、何より動きが完全に近いほど読まれている。


 となれば先回りをされずに隙を衝くしか方法は見当たらない。

 ここまで動きを先読みされていては隙など皆無にも思えるが、物理的限界は必ずあるとソーラは考える。


 仲間に無言で合図を送り、呼び寄せた二騎で撹乱の壁を作るソーラ。

 その隙に今度こそ第二獣能(デュオ・フィーツァー)を放とうとした時だった――


 悲鳴をあげて倒れる別の仲間の一騎。


 次いでアネッテ率いるゴゥトの味方騎士が次々に倒されていった。

 いや、それらが入り混じり、まるで渾沌としている。

 何が混じっている?


 ――あれは!


 ゴゥト騎士を駆逐しているのは同じ岩山羊アイベックスの騎士――ゴゥト騎士。

 ロロ家軍コーアとは別の後詰めの一軍。



 団長グスターヴ・ノギン率いるゴゥト騎士団本隊が前に出て来たのだ。



「〝ゴゥト・ファランクス〟展開――いけ」


 密集隊形を取る百騎ほどの一団が横一列に並んで躍りかかる。

 統制の取り難い鎧獣騎士(ガルーリッター)とは思えぬ機械的な動き。


 アネッテが指揮をした時も同じだったが、敵の動きはそれより遥かに機敏で一糸乱れぬ精緻なもの。

 明滅するツノが、この騎士団特有の証。

 高められた戦闘力により、制圧する力は大陸屈指となる。


「くそっ、グスターヴの野郎、もう出てきやがったか」


 予想より早い展開に、ソーラが毒づいた時だった。

 油断というほどではなかったはずの僅かな時間的隙間を縫って、眼前に再びエゼルウルフ=ハティがいた。

 かろうじて攻撃を避けるも、剣だけでなく咬撃(ビィーデ)も織り交ぜた連続技だったせいで、片足の肉が抉られてしまう。


「チッ――」


 だが大きい傷ではない。避けれたのだから問題はなかった。

 とはいえ、対するエゼルウルフは今のが避けられる事を、既に〝知っていた〟。


 この後に起こる事も全て。




 グスターヴ率いるゴゥト本軍の出現に、遊撃的な動きをしていたマリオン=リンドが足を止める。

 あれを相手にするには、アネッテでは荷が重いだろう。それに離反した己の配下を、グスターヴがどう思っているか。


 戦場の優劣が振り子のように目紛しく動く中、事態を打破出来るのはおそらく己のみ。


 大きな跳躍をかけ、グスターヴの前に降り立つマリオン。彼女の横に、姪でありゴゥトの副団長であるアネッテも並んだ。


「マリオン様……」


 アイベックスの隊列のすぐ後ろに控える一際大きな山羊の騎士が呟く。


 ツノは捩じれた螺旋を描き、ヒゲのように長く伸びた顎下の体毛が、他と異なる風格を漂わせている。


 野生の現世種で最大の山羊。



 山羊王マーコール

 その鎧獣騎士(ガルーリッター)――〝ワレフォル〟。



 駆り手の顔は見えないが、マリオンもアネッテもよく知っている。己の騎士団の団長なのだからアネッテはともかく、マリオンからしても後任に指名した人物なのだから忘れようはずもない。


「いつ以来かしらね、グスターヴ」

「六年八ヶ月と四八日ぶりになります」


 グスターヴの返した言葉に、シロオオツノヒツジ(ドールビッグホーン)の中でマリオンが苦笑を零した。

 茶色味を帯びた灰褐色の毛並みは長く、それを覆う武装の色は黒がかったピーコックグリーン。まるで黒蝶真珠で出来た鎧のようであった。

 手に持つのは戦棍メイス


 マリオンが現役時代、既にグスターヴはゴゥト騎士団の副団長となって彼女を支えており、その実力はよく知るところでもある。風紀に厳しい――といった類いではなく、別の意味で頭の固い男でもあった。


「理由は問いません。マリオン様の事、お考えあってであろうと察します。――だがアネッテ。君がどうしてそこにいる」


 山羊王マーコールのワレフォルから出された声は、男性としてもかなりの低音域のもの。威圧さはさほどなかったが、妙な迫力に満ちていた。


「そ、その……あたしはあたしの意思でおばさんやイーリオに協力してます。だから団長、どうか見逃してくれませんか……」


 アネッテの語尾が萎むように小さくなったのは、後ろめたさが原因であって恐怖しているわけではなかった。ただ、考えの読めないところがあるのもグスターヴという男の特徴である。


「お前も一人前だ。そう判断したのなら仕方ない。だが、見逃す事は出来ん」

「で、ですよね……」

「例えマリオン様に矛先を向けようとも、私は帝国騎士。倒れるのなら後ろにではなく前にと決まってます」


 手に持つ戦棍メイスを前に向け、固い意志を行動で示す。それを目にし、マリオンがドールビッグホーンの目を細めた。


「どういう結果になっても?」

「覚悟の上」


 ゴゥト騎士団の総数は規模で言えば大陸最大、三〇〇〇騎以上になる。

 だが今グスターヴが率いているのは、せいぜい百騎ほどでしかなかった。

 少数の討伐だから数はいらないという判断かもしれないが、マリオンにはそれが彼なりの〝意志〟であると感じていた。


 兄のリヒャルディスと同じ、不器用な――

 自分が出来る最大限の譲歩。


 それが百騎という数なのだ。


 見逃す事は出来ないが、数を抑える事なら出来る。それが彼の言う「覚悟」であり、不器用にも見えるグスターヴなりの気遣いなのだろう。


「いいわ。でもそうね――今の貴方なら私だって歯が立たないかもね」

「ご冗談を」

「それだけ今の貴方を評価しているという事よ。それに、剣を置いて十五年以上。こんなおばあちゃんになったんだから、腕が衰えているのも当然。――だから、こちらも手加減なしでいかせてもらうわね」


 マリオン=リンドが細剣レイピアを胸元に引き寄せた。

 その動きに、隣りのアネッテが目を見開く。


「アネッテ。貴女もなさい」

「は、はい」


 アネッテ=アウロラも同じ動きをした。

 まずはアネッテが発する。


「〝真珠色の(ジェムチゥー)貴婦人(ク・レイデ)〟」


 異能の号令。

 アネッテの纏う王野羊アルガリの体毛がぞわりと膨れて広がり、ツノの先から爪先どころか鎧に至るまで全てを包み込んだ。

 最終的には膨張した――というより、薄い衣で全身を包み込んだような姿になった。

 その色は号令の通り、真珠のような輝きを放っている。


 それと同じように、マリオンも告げた。


「〝蛋白石色の貴婦人(オパール・レイデ)〟」


 こちらもアウロラ同様、体毛が膨れて全身を包み込むが、色は告げた異能の名の通り、真珠を一層複雑にしたかのような色をしている。まるで虹色がその身から発せられているかのようだった。


 アネッテが、初めて見るリンドの獣能(フィーツァー)に目を見張る。当然、グスターヴも同じであった。


「アウロラと同じ……」

「そう、私がムスタに頼んだの。出来れば同じ方が使い勝手がいいからって。性能も、ほとんど同じと考えてくれていいわ」


 真珠色とオパール色の美しき人獣が鏡写しのように剣をしならせた。

 その背後に六〇騎ほどのゴゥト騎士。アネッテたちに協力する一団、その残りだ。

 対して黒蝶真珠の山羊の王と、その背後で構えを取る一〇〇騎の部隊。

 同じゴゥト騎士同士による壮絶な衝突が、はじまろうとしていた。




 それに気付いた――いや、予見していたエゼルウルフが、自分の足元で倒れるアームブラスターオオカミの人獣に目を移し、ほくそ笑む。


「お前の負けだ」


 既にスコールの全身からは、うっすらと白い蒸気のようなものが漂いはじめている。


 一方で、勝利宣言をしたエゼルウルフ=ハティも、膝が震えるほどの消耗ぶりであった。両目は充血を超えて血の涙が滲んでいるし、口の端だけでなく鼻孔からも血が垂れていた。


 ――だが、為すべき事は果たせた。


 本当はソーラにとどめをさしたかったが、それをするだけの余力がない。いや、全てが〝視〟えているエゼルウルフには、この戦いの結末がもう分かっていた。


 ――とどめをさせなくとも関係ない。


  だからこその完全予知。


 ――我々の、勝ちだ。

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