第三部 第三章 第一話(終)『双羊貴婦人』
イーリオ、ムスタらはグライフェン家軍と、ソーラはヘリング家軍と。それぞれに激闘を繰り広げ、戦線は僅かに膠着状態を見せようとしていた。だが、古今の歴史を紐解けば分かる通り、戦の基本は数である。
鎧獣騎士戦の場合、数よりも一騎の質で勝敗は左右されると語られてはいるものの、それはあくまで正面同士のぶつかり合い、真っ向からの戦闘においての話であった。局地戦、突破戦、撤退戦など限定された条件下においては人間同士の戦同様、数がものを言ったり、策で相手を封じたりするのは鎧獣騎士とて同じである。
そしてそれを想定に入れぬ帝国軍でもない事は、今更言うまでもない。
勢いで押していたクラッカ団だったが、彼らの背後から別の部隊が姿を表し、状況を一変させたのである。
どこにどうやって身を潜めていた伏兵なのか。
旗に印されているのは、王冠にとまるカラスの紋章。
北央四大騎士団の遊撃騎士団。
グリーフ騎士団のものである。
先だってムスタらが寄宿していた屋敷を襲った、あの三獣士の姿もいる。
だが最も目を引いたのは、部隊を指揮する騎士の姿。
頭部は巨大なクチバシを持った猛禽のもの。
だが、団長のギオルが駆るハルパゴルニスワシのような翼はない。身体は他の鎧獣騎士同様、人体の形をしている。とはいえ、それも歪だ。
上半身は筋肉質に引き締まっているものの妙に細身で、下半身は腿の巨大さに加え、全体的に太く大きい。特に下腿部から下は凶悪にすら見え、両足の爪は猛禽の形状を魔物化したようにさえ思えるほど。
手に持つのは太く長身の槍。
中から聞こえる男の声を聞かずとも、これが誰か、戦場にいる帝国騎士で分からぬ者はなかった。
グリーフ騎士団副団長ベント・カールセンと、彼の駆る古代絶滅種・恐鳥類の一種古代恐鳥の鎧獣騎士〝ネヴィン〟だった。
恐鳥類とは翼を退化させ飛べなくなった鳥の一種で、分かり易く言えば頭部の巨大な肉食のダチョウとでも言えばいいか。
これが鎧獣騎士となれば、その大きさも相まって鳥頭の巨人とでも言うべき容貌になるのだが、羽がないに等しいため上半身が細身になるのだ。
種別もさりながら、団長であるギオル同様非常に珍しい――というよりベント以外に使用者はほとんどいない鎧獣である。目立つ事この上ないが、見た目が虚仮威しでない事は言わずもがな。速度や移動力、何よりも攻撃の威力が段違いな騎士なのだ。
既にソーラ=スコールの異能で性能を向上させていたクラッカ団ですら、相手にならぬほど。まるで古代の神話から蘇った異形の怪物のようである。
総隊長のソーラが立て直しの指揮をはかろうとするが、今度は先ほどと立場が逆転してエゼルウルフがそうはさせじと攻撃の手を休めなかった。
「決着と言ったな。望み通りつけてやろう。帝国に逆らった事を存分に後悔させながらな」
言葉が若干嗜虐気味だが、エゼルウルフがそういう性格なのではない。
何度も言うように、元より彼は優れた戦術眼を持つ用兵家なのだ。自分達の奇襲に敵がうまうまと嵌まった――などと楽天的に考えているはずもなく、更に言うなら彼の元に報告のあった敵の数と二つの戦場の総数が合わない事にも気付いていた。
おそらく賊軍はまだ戦力をどこかに伏せている。
ならばグリーフ騎士団の奇襲が功を奏している今のうちにこのまま大勢を決したい、というのがエゼルウルフの考えだったのだ。
つまり彼は焦っていた、という事になる。
彼の読みでは、おそらく伏せられた残りの敵軍は、本命であるイーリオ達の方に集中しているだろうと踏んでいた。となればクラッカ団自体は現状手薄となり、初手で決するならこの機が最良となる。
ここまではソーラ達も読まれていた通りであり、エゼルウルフの考えは決して間違いではなかったのだ。
しかし――である。
まさか今現在、リヒャルディスが一騎討ちを自ら申し出て、そちら側の戦場が膠着しているなどとは、彼とて予想だにしなかった事であろう。何より、エゼルウルフが戦場を支配すると嘯かれていても、人の心まで彼が操れるわけではないのだから。
目に見えぬ焦慮が形となったように、強引に力押しで挟撃をするヘリング家軍とグリーフ騎士団。
普通ならばひと息で揉み潰されようものだが、クラッカ団の面々はソーラ=スコールの異能で能力を爆発的に飛躍させている。潰されそうで潰されきれず、補食獣らしい粘り強さで抵抗を続けていた。
そして――
混迷する戦場を導くように、ヘリング家軍とグリーフ騎士団の間を新たな輝きが駆け抜けていった。
「何?!」
驚いたのはエゼルウルフもベントも同じ。
宝石のごとき煌めきは、見目鮮やかだと感じる前に次々と帝国軍を吹き飛ばしていく。あまりの速さのせいで、感知の網にすら捉えるのが困難だったが、停止した際に姿形が判然となった。
若芽色の輝きがペリドットを思わせる鮮やかさと峻烈を放っている。
見慣れた種の人獣だが、ほとんどの者にとって〝彼女〟を見るのは初めて。
かつて〝北の戦女神〟と隣国を震え上がらせた女将軍。その新たな騎獣の姿。
ドールビッグホーンの〝リンド〟とマリオン・ドレッカーであった。
「アネッテ!」
リンドの中でマリオンが合図を放つと、林を飛び越す跳躍で岩山羊騎士の隊列が一斉に躍り出た。
中央には野生羊の王とも呼ばれる王野羊の女人獣騎士。
アネッテ率いるゴゥト騎士団である。
「槍! 構え!」
アネッテの命令一下、アイベックスらは短槍を前に出して隕石のように敵の頭上から襲いかかった。
おそるべき速さだ。
ずっと以前、イーリオが相手にした者達と同じでありながら全くの別モノ。動きも迫力も段違い。
ある者は躱せず串刺しに。ある者は撃ち落とそうとして歯が立たずに吹き飛ばされる。
「何故だ……何故残りがここにいる? 戦力をこっちに固めるとは正気か?」
目を剝くエゼルウルフ。
「そうね、貴方は大した戦術家だけど、共に戦う人間がどういう種類の人物かってところまでは考えに入れてなかったようね」
「その姿……! 貴女がマリオン将軍か」
いつの間に近くにまでいたのか。
マリオン=リンドがヘリング家軍を薙ぎ払いながら答えた。
確かに当初はエゼルウルフが読んでいた通り、そしてソーラが立案した通り、イーリオ達の部隊を助ける恰好でゴゥト騎士らは配置されようとしていた。だが歴戦の女傑であるマリオンは、リヒャルディスがどう動くかを読んでおり、むしろイーリオらの部隊は安全だろうと判断した。
それよりもソーラ率いる部隊を助ける事で追手を返り討ちに合わせた方が、結果としてイーリオらの部隊を助ける事にもなるだろうと考えてこちらにゴゥトの部隊を伏せたのだ。
「お久しぶりね、エゼルウルフ将軍。私の事、覚えていてくれたのね」
「貴女ほどの方が何故このような大罪人どもに力を貸すのですか……! ましてや兄であるリヒャルディス閣下に刃を向けるなど……」
「もしこの場で私の言葉に耳を貸していただけるなら、それは違うわと説明したいところだけど――貴方の事だから今は無理でしょうね。だからひとつだけ。リヒャルディスはきっと今、イーリオとムスタ、あるいはそのどちらかと決闘をしているんでしょう」
「何……?!」
どんな勅命を受け、何を為すべきか。
そんな事は今更確認するまでもないし、だからこそヴォルグ騎士単騎のみならず軍を引き連れてまでの討伐になったのだ。
ならば大将同士の一騎討ちなどにかまけるべきでない事くらい、そこらの凡庸な将とてわかるはず。それをよもや総騎士長がするなど!
現実に起きている事実と理解出来ない感情がせめぎあって、エゼルウルフは剣を振るいつつ目眩を起こしそうになる。
「だから私はここに兵力を割いたの。兄のリヒャルディスなら、きっとそうするだろうと分かっていたから」
血の繋がった肉親だから思考を読んだというのか。なるほどもっともにも聞こえるが、はたしてそうなのか。
「実の兄だから考えが分かった――のではないわ。帝国筆頭騎士であり総騎士長だからそうするだろうと分かったのよ」
「どういう意味だ」
「あの人にとって一番大事なのは武名でもなければ騎士の誇りでもないし、帝国の皇帝でもない。あの人が何よりも忠節を誓うのはこの帝国そのもの。そして帝国にとって何が一番最良か。それを選択するにはどうしたらいいか――。兄ならきっと、そう考えるだろうと思っただけの事」
「それはつまり――」
エゼウルフが何か言いかけようとするが、混乱した戦場の中、ヘリング家軍の騎士の一人がマリオン=リンドに襲いかかり、そのはずみで会話が中断されてしまう。
マリオンはそれをいなしつつ、軽やかな声でこれだけ言い残した。
「話はここまでのようね。あとはご自分で考えなさい、エゼルウルフ。――ソーラ、後は任せるわよ」
若芽色が、光の尾をひいて戦場を縦に横に駆けていく。
エゼルウルフは今聞いた言葉の意味を否定したくて――けれども出来なくて、心のざわめきを塗り潰せないまま戦いを続けた。
そこへ唸りをあげて襲う黒狼の刃。
「どうした、指揮が粗いじゃねえか」
ソーラ=スコールが、薙刀を水車のように回転させながら波状にたたみかける。
「黙れ」
いつものエゼルウルフらしい返事だが、声に滲む感情の色はいつものそれではなかった。
彼はこの討伐部隊に出る前、彼が与しているウルリクに向かってこう言ったのだ。
もし再び任務に失敗したならば、この一命をもって償います――と。
不幸や不運が見舞ったとはいえ、このところの失態続きは彼の矜持を著しく傷付けた。周囲とて実力でどうにかなる類いの状況ではなかったと理解しているし、実際そのように諭してもくれた。だが、何よりも彼自身が己を許せないのだ。
――何が何でも討伐をやり遂げる。例えどのような姿になろうとも。
不退転の覚悟で臨む。
にも関わらず、彼は先ほど直感した。
北の戦女神と呼ばれたマリオン。そして彼女の駆るあの新たな騎獣。
その姿を見た瞬間、悟ったのだ。
自分は勝てない。
絶対に勝てない。
ヴォルグ六騎士の一人、〝戦場の支配者〟と呼ばれた己でも、あの女性には勝てない。
一騎討ちならどうとか、別の手はないかとか、そんな話ではなかった。
鎧獣騎士の戦では、数よりも一騎の性能で勝敗が決する――。よく言われる警句だ。
そしてマリオン=リンドとはまさにそれだった。
一騎当千。
一騎だけで戦場をひっくり返す強者。時に決戦兵器とも扱われる種類の存在。
それがマリオンであり白羊の騎士リンドであるのだと。
無論、全てが全て己の実力が通じないわけではないだろう。状況次第で勝ちに持ち込める相手だろうし、完全に規格の外である三獣王と同一とまではいかない。それも分かっていた。
ただ、この戦場においては違う。
今まさに自分が置かれた状況下では、どう逆立ちしようが己が勝ちになる結果は見込めない。どうあってもだ。それが分からぬエゼルウルフではなかった。
精神論でどうにかなるものではないし、合理主義者であるエゼルウルフにそんな思考も選択肢もなかった。
目紛しく変わる戦場で指揮をふるいながら、そして目の前のソーラに寸分の隙も与えないまま、彼は考える。
ならば自分が為すべき道は何か。
何をすべきか。
命を賭して玉砕覚悟などというつもりは微塵もない。己が勝ち得る最も最適な結果は何であるか――
白灰色の毛並みが逆立ち、獣性を漲らせてソーラを弾き飛ばすエゼルウルフ=ハティ。
アンデスオオカミが周囲を圧するように吠える。
「へっ――急にどうした? 俺の真似か? らしくねえな」
アームブラスターオオカミの顔でソーラは嘯くも、相手の雰囲気が何か変わった事にいち早く気付く。
「黙れ」
同じ言葉。だが、響きが違う。
「俺は俺の為すべき事を為す。それをやり遂げる。そのためになら、如何様な手も打つ」
まるで自分に言い聞かせるような独白。
実際、それはエゼルウルフが彼自身に告げているものだった。
「まさかてめえ……」
しかしソーラも同時に悟る。エゼルウルフが何をしようとしているかを。
いや、彼ならずとも知る者は多くいる。
何故エゼルウルフが〝戦場の支配者〟と呼ばれているかを。そのような大仰な二つ名で呼称されている本当の理由を。
「第二獣能――」
低く、静かに吐かれた異能の宣言。
今まさに、この戦場は白狼の騎士が描く一枚のキャンバスとなる。
己の血肉をも画材とした、苛烈な勝利と甘美な死に彩られた作品になろうとしていた――。