第三部 第三章 第一話(2)『親子共闘』
北央四大騎士団と言えば、大陸北部の軍事大国・ゴート帝国の最大武装組織だが、その中でも第一騎士団であるヴォルグ騎士団は別格である。
特徴的なのは騎士団でありながら構成人員はたったの六名しかないという事。
ただし六名全員が家軍と呼ばれる私家軍を持つ事を許され、その規模や構成なども個々に委ねられる。つまり六名それぞれが独立した軍事組織の長であるとも言え、同時に帝国内の重要な役職も兼任する事が多い。
ウルリクやヴェロニカの右翼・左翼それぞれの司令長官などがいい例で、これは全軍あげての大規模軍事行動の際、両翼の指揮を束ねるという意味で、軍事大国ならではの役職と言えた。また、ソーラとエゼルウルフの第一・第二外征獣騎総長という役職は、いわゆる外征部隊の事を指している。
ただ、リヒャルディス・グライフェンのみはこの例に加わらない、ある種の特別枠に列していた。
彼は総騎士長という役を担っており、これは帝国全騎士の頂点とでも言うべきなのだが、実際の頂点が総司令官のマグヌス・ロロなのは言わずもがなである。ただ、そのマグヌスに武術を教えたのがリヒャルディスであり、鎧獣騎士の武術である獣騎術の源流グライフェン流の現・宗家なのがこのリヒャルディスなのだ。
事実、七〇歳近い高齢者でありながら未だ帝国の武術師範をつとめる彼は、マグヌスとは違った意味で帝国騎士の象徴とも呼ばれており、マグヌスと並び筆頭騎士の一人に数えられている。
そのリヒャルディスが、己の家軍を率いてイーリオ達謀反人の討伐に出征したのである。
これが他国なら、自分達をそれだけ評価してくれていると武者震いするか、それともとんでもない部隊が出てきたと恐怖で震えるかだろう。ただイーリオ達にとっては、良くも悪くもいきなり本命が出て来たという以外、感想の持ちようがなかった。
悪いという意味については説明の必要もないだろうが、良いという意味は相手がリヒャルディスという事そのものをさす。
彼は騎士の模範を体現したような人物であり、戦い方も常に正々堂々。罠があろうとも奸計を巡らそうとも、それを真正面から潰すし、またそれが出来る実力者でもあった。
つまり、ソーラのような種類の用兵家にとっては策に嵌まってもらい易い相手とも言える。
問題は出兵したのがリヒャルディスの軍だけでなく、エゼルウルフ率いるヘリング家軍もいれば、後詰めにはあのマグヌス総司令率いるロロ家軍まで出ているという事であろう。
ただでさえ堅牢剛健、精強無比なリヒャルディスの軍に加え、最主力である部隊まで出張ってきているとあればこちらの目的を果たす事など出来るのだろうか。
何よりエゼルウルフである。
ソーラも相当に警戒しているだけに、こちらの狙いが読まれてしまうおそれがあった。だが、これに対してイーリオがひとつの提案をした。
「向こうはこちらを仕留めるつもりで来るはず。そのためにヴォルグ騎士団まで派遣したんでしょうから。それならあの灰堂術士団という黒母教の連中もいるはずです。あいつらは鎧獣術士と言って特殊な〝術〟を使ってこちらの居場所を探知します。――だったら、それを逆手に取ってみては」
鎧獣術士の厄介さは、ソーラ達も聞き及んでいる。
イーリオの言う通り追手として灰堂術士団も赴いているのは、間違いないだろう。
だが逆手に取るとはどういう事か?
その時の事前の打ち合わせで伝えた話を、イーリオは今まさに実行しようとしていた。
会敵をしたのは出立してより二日が経った朝。
進軍を一時止め傍らのザイロウに目をやると、大狼は要領を心得たように相棒の背に回った。
「白化」
間欠泉の勢いで白煙が吹き上がり、秒も待たぬ間に白銀の人狼騎士が姿を見せた。
手には巨大で肉厚な曲刀。白い炎を描いた銀の鎧。
プリズムに輝く額の神之眼には、宝石飾りのような器具が嵌め込まれている。
――いくよ、ザイロウ。
ムスタやヤンクら他の一同が見守る中、イーリオ=ザイロウは静かに目を閉じ、上体を屈ませて片手を地面に置きつつ鼻先をそこへ近付けた。
狼種の嗅覚が優れているのは言わずもがな。およそ人間の数万倍から百万倍にもなる嗅覚が鎧獣騎士となる事で更に増幅される。
そして神之眼に取り付けられたザイロウ専用の宝石飾り〝トレモロ・ユニット〟により、嗅覚情報が知覚化されてイーリオにも伝達された。
目に見えぬ網の目がザイロウを中心に広がり、数十マイル四方に渡って辺りを走査する。
捕捉される人工生命。
――いる。
敵軍の集団。そこに混じる鎧獣術士たち。
遥か遠い位置でありながら、ザイロウはこれをはっきりと感知した。
元々、トレモロ・ユニットは環重空間という特殊知覚空間を認識するための器具でもあり、これを着けた以上、ザイロウも同じ共有空間を認識出来るのは道理だった。とはいえ鎧獣術士のように術を使うわけではない。代わりに鎧獣騎士どころか鎧獣術士以上の広範囲・高精度の知覚能力を有する事が出来るようになったのだ。
更に――
「いくよ――千疋狼――〝幽幻死騎士〟」
号令を発した瞬間、ザイロウの全身から光の粒子が浮かんだように見えた。
しかし千疋狼と発しておきながら、変化はそれだけ。いつもの分身体が表れる素振りもなく、ただ何も起こらないままイーリオ=ザイロウは立ち上がった。
「どうだ?」
白銀の人狼騎士となった息子を見上げながら、ムスタが問いかけた。
「うん。多分上手くいった」
ピンときていないクラッカ団副官のヤンクにこの後ムスタが説明をすると、彼はただ驚くばかりであった。
まるで手品か魔法のような話である。だがあのムスタが言うのだから間違いないのだろう。横で聞いていた他のクラッカ団も、空恐ろしい気持ちで頷いていた。
その頃、賊軍と呼称されたイーリオやソーラ達一党の始末に進軍していた帝国軍は、その足を止めて行くべき道を見失いつつあった。
討伐軍の指揮官の一人であり、誰よりも感知に優れたヴォルグ六将のエゼルウルフと彼の鎧獣〝ハティ〟が、あまりに不可解な賊軍の動きに戸惑わざるを得なかったからだ。
既にエゼルウルフは鎧化をしており、周囲の状況をつぶさに捕捉している――はずだったのだが。
「何だこれは」
思わず声に出して漏れるのも無理からぬ事。
ハティが感知したはずの賊軍は、今いるブリッゲン山系のいたるところに広がり、その数も分刻みで増しているではないか。
数にすれば数百――いや、千騎近くにもなる。
だが統制の取れた動きはクラッカ団特有の遊撃的な行軍にしか思えない。そこへ声をかけたのが、随伴する灰堂術士団らであった。
「将軍、おそらく今感知されているのは全て囮です。敵は西側に固まりつつあるかと思われます」
狼頭の鼻面に不快な皺を寄せ、エゼルウルフは人獣の術士の言葉を一蹴した。
「何を言う、西など有り得ん。ブリッゲンの山壁とイティル川に挟まれて身動きが取れなくなるではないか」
「しかし我らの感知網には、確かに敵の本隊がそう動いていると出ております。間違いございません」
用兵の正道に照らさずとも、西に向かうなど絶対にない事だった。何か仕掛けをして罠に嵌めようというなら回りくどすぎるし、第一、帝都を目指すという意味でも回り道にしかならない。下手をすれば帝都への行き道を自ら遅れさせる結果になるだろう。
だが、自らの術に絶対の自信を持つ灰堂術士団たち、特に指揮を執るマヤという女性術者は、己の言を信じて疑っていなかった。実際、彼女ら灰堂術士団の探知網についてはエゼルウルフも認めるところがある。最前までこの広大な帝国領土にあって、的確に逃亡者を見つけてきたのだから。
しかし――だ。
「ならば貴様ら自身で証明してみせろ。貴様らの言う通りそこに敵がいるのなら、すかさず我らも駆けつけ、殲滅してくれようぞ」
エゼルウルフに気付かれぬよう、心の中でのみ舌打ちをするマヤ。これだけ実績をあげても、まだ自分達鎧獣術士の働きを信じないのかと苛立ちさえ覚える。
だが百言を積み重ねるよりも、一事の行動の方が雄弁なのはいつの時代も同じだ。
素振りだけは恭しく「かしこまりました」と平身した後、マヤは灰堂術士団の部隊を率いて西に向かう。
マヤの駆るピューマの理鎧獣は、中型猛獣だけあり移動速度も悪くない。
感知している限りであれば、賊軍――それも目標であるイーリオのいる群れに追い付くのは然程難しいものではないだろう。警戒と術の準備を怠る事なく、急ぎ西に向かっていた。そんな時だった。
彼女ら鎧獣術士は、件の特殊知覚空間・環重空間より齎される情報を頼りに追跡しているのであったが、その環重空間から突如白い影が表れ、瞬時に人獣術士を殺害していったのである。
即座に足を止めるマヤ。
彼女も見た白い影。
しかしマヤらに随行するヘリング家軍の騎士らにはまるで何が起きているか分かっていない。そもそも白い影すら見えていないのだ。
ローブを纏った味方の人獣術士が、いきなり悲鳴をあげて倒れていったのである。不可解さよりも不気味でしかなかったであろう。
次の瞬間――
そのヘリング家軍の騎士らにも何かが肉迫し襲おうとするが、間一髪のところで彼らはこれを躱す。だが一方で――
「なっ……何が……?」
血の塊を吐き出しながら、ピューマの術士であるマヤが絶命した。
見ていた騎士達は状況がまるで呑み込めず、必死で悲鳴を押し殺しながらその場から急いで退散する。
報告を聞いたエゼルウルフはやはり敵の罠であったかと納得するも、その罠が何であるか彼とて皆目見当がつかない。自身の探知すら狂わされているのだ。いかな戦場の支配者と呼ばれる彼とて、判断が鈍るのは仕方のない事だろう。
結果、エゼルウルフ率いる帝国の討伐軍の足は鈍る事となり、イーリオらの思惑通りに事は進んでいったのであった。
その隙にイーリオ達はエゼルウルフの軍を横目に抜け、一路、帝都へと向かった――かに思えたが、やはりそこはヴォルグ騎士団。そう上手くいかせてはくれないようだった。
まるでこちらを待ち構えていたかのように、いきなり種々雑多な一軍がイーリオら部隊の前に立ちはだかる。
足を止めるイーリオ達。
目の前で翻る二つの旗。
一つは帝国の軍旗。
もうひとつには六芒星の中にグリフォンを象った紋章が刺繍されている。
六芒星はヴォルグ騎士団の象徴。中でもグリフォンの意匠を持てるのはただひとつだけ。
その中央から、白亜の巨影が泰然と姿を表した。
「ま、そうだよなあ」
危機感を覚えているのか、それとも余裕なのか分からない父の声。一方でイーリオは、巨大で仰々しくも見える鎧の巨獣を目にし、これが話に聞いていたリヒャルディスと、彼の率いるグライフェン家軍だと気付く。
「どのような手管を用いたのか知らんが、あのエゼルウルフをたばかるとはな。さすがはムスタだ」
髭に覆われた口元を揮わせながら、老年の偉丈夫が白亜の騎獣に跨がり、山間に谺する声で告げた。
〝老英傑〟。
帝国きっての宿将であり、全騎士の尊敬を集める武人。
ヴォルグ六騎士にして帝国総騎士長リヒャルディス・グライフェン、その人が行く手を阻んでいたのだ。
「感知に優れた者であれば己の能力に疑いは持たぬもの。そのエゼルウルフの過信をついて、彼奴めを惑わせる何かをしたのであろうが――兵家の常道を見失わず大道を進めばおのずと当たりは向こうからやってくるというものよ」
「大道ってほどの道筋でもないんだがな」
リヒャルディスの張り上げる声に、ムスタがぼそりと呟く。
つまりこの老将もまた、優れた一人の用兵家であるという証であろう。
こちらが何かを仕掛けてくると読んで、可能性のある抜け道に自軍を配置した。こちらはまんまとそれに出くわしてしまっただけ。
「おそらくエゼルウルフは今頃、ソーラの奴めと一戦交えているのであろうな。つまりお前らは、はなから儂と戦うつもりでいた。そうであろう、ムスタ?」
「さすがだな。あんたの読み通りだよ、リヒャルディスのじいさん」
「……お前が騎士を辞めた時、儂は何度も翻意を促した。しかしお前の意志は固く錬獣術師になる事を止めれはせなんだ。だが何だ。帝国に逆らおうとしてお前は騎士に戻っている。これは何の皮肉だ」
「あんたと言い合うつもりはないよ。それに分かってるだろう? 帝国のと言うなら何が帝国のためか。儂ぁ息子を玉座にそえたいなんて思っちゃいないが、この馬鹿息子が帝室の血筋なのは本当の事だ。それの意味するところを考えりゃあ分かる事だろう」
リヒャルディスは、ムスタがかつてベルサーク騎士団の団長であった事を知っている。その当時の実力も。ムスタもまた同様だ。
互いに隔絶した時間の流れはあっても、刻まれた印象が未だ鮮明に浮かぶほどの強烈さを残しているという意味では、それほどの相手だと認めている証拠だった。
「その事はトルステンから聞いている。だがそれが何だ。我は帝国騎士。ハーラル陛下に忠誠を誓うヴォルグ騎士だ。そこに二心などあるはずもない。――さて、互いに語り合うほど悠長さを持っているわけでもなかろう。そろそろ本題に入ろうではないか」
言葉の後、リヒャルディスは跨がる騎獣の背から降りた。
ここから先は無言の領域。剣と獣で語り合おうという事らしい。
「ここは正々堂々と、お前らの目論見に乗ってやろう。つまり、儂とお前ら親子の大将対決というわけだ。その間、配下の者には一切手出しをさせん。もしお前らが儂に勝てば、ここを通してやろう。だが負ければどうなるか――言わずもがな、だな」
こちらが提案するより先に、リヒャルディスは一騎討ち――いや、こちらはイーリオとムスタだから二対一の対決を申し出てきた。
武人の鑑、騎士の模範とも言えるリヒャルディスなら、一騎討ちの提案をすれば否やとは言うまいと考えていたのだが、それが読まれているのはともかく、まさか逆に向こうから口に出されるとは――。
「こうもノリノリとはな。全く、年甲斐のないじいさんだ」
ムスタが苦笑しながら、己の愛獣〝フォルンジュート〟を呼び寄せた。
イーリオは既に鎧化している。獣能を使いはしたが、額のトレモロ・ユニットのお蔭か、疲弊はほとんどない。
ムスタとリヒャルディス。
両者が向かい合い、互いに「白化」と号した。
渦巻く白煙が晴れ、表れる黒と白。
その黒の横に、イーリオ=ザイロウが並んだ。
「言っておくがな、儂は騎士を廃業して長い。多少使えると言っても現役のようにはいかんぞ」
「何言ってるの、父さん?」
「お前が儂に合わせろと言ってるんだ。今やお前の方が騎士としては儂より有名人、センパイみたいなもんだからな」
「だから何言ってるの?」
この状況でふざけているのか本気なのか分からない父の言葉に、イーリオは呆れた声で返した。
「ではいくぞ」
白亜の巨体が二騎を睥睨する。全身から漏れ出る威圧は、アンカラ帝国との戦で味わったものすら超えていると、イーリオには思えた。
帝都にはまだ遠い、帝国の山間部。
関所らしい関所は通っていないが、目の前の白き巨獣騎士こそ、まさにイーリオらにとっての最初の関所であった。そんな風に思えた。