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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第三章『獣王殺しと皇位』
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第三部 第三章 第一話(1)『婚礼発表』

 ゴート帝国には珍しい陽光の射す春晴れの日。

 まるで帝国の国土そのものが祝辞を述べているかのような日射しに、ハーラル皇帝の婚儀が正式に発布された。


 帝国の地では、結婚の前に夫婦がしとねを共にする婚前の儀式というものが行われる。それが一週間後の事。翌日に帝国全土をあげて盛大な祝賀が催され、ハーラルとシャルロッタは神の前で誓いをたて、晴れて皇帝夫婦となるのである。


 当然、帝国領のあらゆる列臣、貴族から祝儀の言葉や祝いの百花が送られただけでなく、都民ら民草たちもこの明るい話題に染められ、重苦しかった帝都の空気はにわかに色彩を帯びていった。重苦しかったのは当然で、皇太后の死やヴォルグ騎士ソーラ・クラッカの離反など、このところ帝都は不穏な変事ばかりが立て続けに起こっており、更には北からの異民族流入による被害や西への進攻など、民衆にとっては歓迎すべからざる世情が続いていたからだ。


 軍事行動によって領土が広がるのは自国民にとって良い話に聞こえるかもしれないが、ようは戦争でしかない。古今の例に漏れず、いくさで喜ぶのはあくまで為政者だけ。民にとって一番喜ばしくないのがいくさである。


 そのように皇帝就任以来、焦りのように慌ただしさのおさまらぬハーラル帝であったが、ここにきて真反対の結婚という明るい話題なのだ。下々の者に至るまでこれを喜びで迎えたのも、当然であったろう。

 ちなみに無念の死を遂げたサビーニ皇太后の葬儀が先だって行われたが、結婚に際し喪に服するという事はなされなかった。

 これは帝国の風習によるところが大きく、身内親族の葬儀があろうと結婚を行う者らはそれを取りやめにしない事がこの国では往々にしてある。勿論、死という悲しい出来事なのだから延期をする者らもままいたが、悲しさを喜ばしい儀式で忘れようというのが、この国の一般的な考え方であるようだった。





 そして正式な結婚発表に際し、当事者の一人であるシャルロッタの周囲もまた、きたるべき皇后となるに相応しい状況へと変化していった。

 結婚発表が行われたその日、シャルロッタのいるホルグソン大公家に数名の騎士が訪れたのだ。

 騎士たちを率いているらしい上背のある引き締まった風貌の者が、形式的というには恭しすぎる態度で名乗りをあげる。


「お初にお目もじ仕ります。我々は皇帝陛下より聖女様の警護を拝命致しました、護衛騎士部隊の者。私は部隊長のノンナ・ネフスキーと申します。以後、よろしくお願い申し上げます」


 男性のものではない声で性別が分かったが、見た目はどう見ても男にしか見えない人物だった。薄茶の髪は短く刈り込まれ、背格好全体が骨張って逞しい。化粧っ気など白粉の粉粒ひとつすらなく、まるで訓練を受けた狩猟動物のようである。

 よく見ればノンナだけでなく、訪れた数名全員が女性であった。皆男のような風貌なので分かり難かったが、シャルロッタの身辺警護なのだからとハーラルが気を遣って女性のみにさせたらしい。


「次期皇后様にして帝国の守り神ともいうべき聖女様の御身を守れるなど、この上ない名誉にございます。我ら一同身命を賭して警固をつとめますゆえ、どうぞこれからは御心を安んじあそばされませ」


 ただの警護にしては熱狂的ともいうほどの強い口調に、並々ならぬ想いが滲み出ている。むしろそれは、敬慕の念というより崇拝に近い感情であったろう。


「あ、ありがとうございます……」


 いささか怯みを覚えながらシャルロッタが礼を口にすると、「勿体ないお言葉」と言わんばかりに頬を紅潮させて勢い込んだ敬礼をする女性騎士ら。

 この姿は周りから見ても熱狂的に映ったらしく、あまりの忠誠ぶりに誰言うとなく彼女ら部隊は〝聖女親衛隊〟と呼ばれる事になった。


 だがシャルロッタからすれば、これは有り難さより煩わしさの方が大きく勝っていた。実際この部隊の存在そのものが、彼女にとって好ましくない状況を作る事になっていく。

 そのひとつが聖女である彼女への面会許可である。この後早速にもホルグソン大公家の周りに警護についた部隊は、シャルロッタへの目通りをエッダの許可なくば誰も通さなくする。無論ハーラルは別である。


 しかし今やシャルロッタの友人となったインゲボー・スキョルすら、同様の扱いにされてしまうのだ。


 それを知った時、シャルロッタは自分が籠に閉じ込められたのだという事と、これが誰の差し金かという二つの事に気付くのだった。



 あの黒衣の魔女の仕業に違いないと――。



※※※



 皇帝ハーラルの結婚が正式に発表された翌日。

 ソーラ・クラッカ率いるクラッカ団の副長ヤンク・アリモシュの案内に従い、イーリオらはマリオンの屋敷を引き払ってソーラの元へと駆けつけた。


 合流した際一番驚いたのは、数の多さである。


 残っているクラッカ団の数はおよそ四〇騎ほどだったろうが、総数はその二倍以上はあった。どういう事かと言えば、クラッカ団以外にも多数のゴゥト騎士らがそこに混じっていたのだ。


「え? みんな、どういう事……?」


 副団長であるアネッテが驚いたのは当然で、彼女は勝手に部隊を抜け出し、ここにいるだけである。今や同じ騎士団の敵となったのであり、ゴゥト騎士らは彼女を追いこそすれ何故クラッカ団とここにいるのか。

 聞けばここにいるゴゥト騎士らは、団に反旗を翻す事になろうとも、アネッテの力になりたいと彼女を慕ってここに来たとの事。アネッテが感動したのは勿論だが、仲間が増えたのは心強いとイーリオらも深く感謝を告げる。


「手勢が増えたっつっても状況は良くないッスねえ。ただ、俺らはクラッカ団。こういうのは慣れっこですから、上手くやってやりましょう」


 ソーラを中心に、イーリオ、ムスタ、アネッテ、マリオンらが集まって打ち合わせをする。

 場所は帝国南部域シロンスク領にある山間部の山深い森の中。

 一見すると五人と彼らの鎧獣(ガルー)以外には誰もいないように見えるが、それは味方の騎士らが一帯に身を潜めているからである。つまり百騎以上もの味方が隠れ忍んでいるのだ。遊撃戦を真骨頂とするクラッカ団らしいと言えるし、ゴゥト騎士らもアイベックスという山間の種らしい見事なまでの身の潜ませ方と言えるだろう。


「で、具体的にはどうするつもりだ? 道々ヤンクから話は聞いたが、お前らもどういうわけか追われる身だろう。となれば今までにない規模の追手も来るはずだ」


 腕組みをし、訝しむような顔でムスタがソーラに問う。


「その事については、マジで俺らも何が何やら分かんねえっす。言っときますが、俺も団の連中もサビーニ皇太后を殺したなんて、絶対にないっすからね」

「分かっとる。どう考えてもエッダとやらを中心にした連中が、裏で糸を引いているのは明らかだ」


 ムスタの返事に、ソーラが険しい顔で続けた。


「んで、ですね――。まともにやり合うってのは当然ナシでしょうよ。ヴォルグの家軍コーアが二部隊も来りゃあ数なら勝ち目はないでしょう。なら、ここは手勢を分けるのが上策かと思います」

「ただでさえ数で劣るのにか?」

「少ないからっすよ。片方は囮。もう片方も囮――ってな具合にね」


 訳の分からないソーラの言葉に、ムスタだけでなくアネッテも問い直しそうな表情を浮かべた。一人、マリオンだけは無表情ながらも吟味するかのような納得の目つきだ。


「俺を中心にクラッカ団があえて見付かるような――でもぎりぎり見付かり難いような、そんな絶妙な塩梅の隠密行動を取って進みます。同じ帝国軍ですから、こっちに気付いても当然あやしいと判断して警戒はするでしょうが、それでも無視って事はせんでしょう。で、それとは別にまるで囮のような目立つ動きでイーリオを中心にした別部隊も進軍してもらいます。この場合、露骨な動きは露骨すぎるほどいい。となれば何か罠があるに違いないと踏んで、敵も二の足を踏んだ襲い方になってくれるでしょう」

「つまり、どうせ見付かるなら敵を怯ませてしまおうって考えか。しかしそんな上手くハマるか?」

「そこはクラッカ団の腕の見せ所ですよ。ま、俺の策を見破る可能性があるとすりゃ、エゼルウルフぐらいのもんでしょうね」


 エゼルウルフ・ヘリング。


 ソーラと同じヴォルグ六騎士の一人にして戦場の支配者ヴァイナー・ヴラスティの異名を持つ恐るべき用兵家。

 互いにソリの合わない両者であるものの、実力だけは認めているという事らしい。


「で、マリオンの姐さんとアネッテの嬢ちゃんにはゴゥトの手勢で敵の〝穴〟を突いて混乱を作ってもらいます。出来る限り掻き乱して、少しでも味方を――何より目的のイーリオを――脱け出させるってワケで。こっちの目的は勝つ事じゃないっスからね。あくまでイーリオを帝都に送る事。んで、陛下の結婚に待ったをかける事で、キナ臭い連中を炙り出して陰謀を暴く事ですから」


 頷くムスタ。マリオンやアネッテ、勿論イーリオも同じだ。

 この場合、もしソーラの策に敵が気付かず、ただただイーリオの方に全軍を傾けた場合は余計に簡単な話になるだろう。その時はソーラの部隊が敵の背後に周り、挟撃の形を取ればいいだけなのだから。


「そうね、ソーラの作戦が最良でしょう。アネッテ、〝スットゥング・ホーン〟の波長を変える事は出来るわね?」


 マリオンが若き姪を見て鋭く尋ねた。アネッテは「うん」と大きく首を縦に振る。


「ゴゥトの部隊――もしかしたらグスターヴも出てくるかもしれないから、貴女用の〝ファランクス〟を出せるよう今の内に調整をしておきなさい」

「姐さんの鎧獣(ガルー)は〝ゴゥト・ファランクス〟用の角飾りをしてないんスね」

「〝スットゥング・ホーン〟はゴゥト騎士団専用だから帝国の工房でしか扱えないのよ。私の〝リンド〟がムスタの製作と言っても、さすがにあれの製造工程は帝国の最高機密。そこまでの再現はちょっとね」

「スキョル家代々の秘密って事だな。ま、時間さえありゃ儂なら作れるようになるだろうがよ」


 ムスタの負け惜しみに一同が苦笑する。

 ソーラが聞いたのは、アネッテの駆る王野羊アルガリの〝アウロラ〟に装着してある角飾りの事であった。

 ツノの根元に嵌めている飾りを〝スットゥング・ホーン〟と言い、これを使ってゴゥト騎士団は並列戦闘を可能にし、真の実力を発揮出来るのだ。

 ただ、指揮官となる団長が並列戦闘の発信元になってしまうので、今のうちにこれをアネッテの指揮用に変えておけとマリオンは言ったのである。


 マリオンの的確な指示を受け、アネッテは合流したゴゥト騎士達を呼び寄せる。

 その傍ら、作戦の要諦も次々に決められていった。


「問題は時間ですが、ウチの若いモンからの報告によりゃあ、いよいよハーラル陛下の結婚の日が決まったそうです。で、えらく急なんですが、結婚は七日後。つまり婚前式が六日後だから、それまでに何とかしなきゃならんっつう事です」


 今の言葉に、イーリオの顔から血の気がひいた。

 怒りや苦しみに近い焦燥感。

 耳にした瞬間、すぐにでも駆け出したい衝動が胸の内から飛び出しそうになったが、必死でこれを堪えようとする。

 息子の肩に手を起き、ムスタが低い声でじんわりとなだめた。


「落ち着け。敵がどういうものかは身に染みとるだろう。お前にとっても失敗が許されん状況なんだ。そのために儂らもいる。違うか?」

「……うん。分かってる。分かってるさ」


 大きな息を吐きながら、イーリオが頷いた。


 ――そうだ。最初に単身乗り込もうとした時と今は違うんだ。


 あの時の味方はジョルトだけだったし、言い訳だろうがイーリオもメルヴィグとアンカラとの戦疲れが抜け切れてなかった。けど、今は父親だけではない。マリオンおばさんやアネッテに、ソーラやその他の味方がいる。


 頼りになる味方が――。


 そう思い直し、噴き出しそうになる激情を、必死の決意で鎮めていく。

 今直ぐ暴れ出しそうな激情を。




 方針が固まれば一同の動きに躊躇いなどなかった。それぞれが役割を決め、為すべき事を為していく。

 全体の指揮そのものはソーラが統括。そのソーラが先ほど言ったように、一五騎ほどのクラッカ団の騎士がイーリオとムスタに着いた。この部隊の指揮はクラッカ団副官のヤンクが執り、残りがソーラの指揮下になる。ゴゥト騎士らはアネッテのもと、マリオンもそれに着いた。


 また、部隊の鎧獣(ガルー)の点検はムスタが行い、気になるところがある者は彼がこの場で手早く処置を行っていった。イーリオもその作業を手伝った後、首を鳴らす父に向かって小さく礼を述べた。


「ありがとう、父さん」

「あぁ?」

「さっきのだよ」

「おん? ――ああ……。んなものは気にするな。お前は儂ら全員の要なんだ。お前にしっかりしてもらわなきゃならんからな。それだけだ」


 父らしい言葉。

 騎士(スプリンガー)であろうが錬獣術師(アルゴールン)であろうが、父の父たる芯のようなものは変わらない。ある意味それは師匠のカイゼルンとも似ていた。


 ふと、思う。


 己一人で成し遂げてみよと黒騎士は言った。

 強さとはそういうものだと暗にほのめかした。


 けれども真の強さとは一人とか二人とか、そんなものとは無関係なのではないのか。


 例えば強さの本当の在り様とは、己を見失わない事なのではなく、見失わない己を持つ事。自分の依って立つ場を失おうが、理解の出来ない状況に陥ろうが、それをそのまま受け容れ、心の平静さを失わずによく見極め、自分の立つべき位置をしっかりと見定める事。


 父は変わらない。

 それは変化を受け容れないという意味ではない。変化に遭っても己を見失わない、そういう変わらないだ。


 そしてそれこそが本当の意味で〝強い〟という事なんじゃないだろうか。


 だったら、自分はどうであったかとイーリオは省みる。

 シャルロッタがハーラルと結婚すると聞かされて以来、自分に平静さはあったのか。

 どう考えてもなかった。さっきもそうだ。

 勿論、だからといって二人の結婚を受け容れるなんて出来ない。そうではなく、今自分が為すべき事は何なのか。自分の行いは――


「またゴチャゴチャ考えとるのか、お前は」


 乱れそうな、もしくは何か見えてきそうな思考の水底から、父の声が強引にイーリオを引き揚げた。


「ゴチャゴチャ考えていい時もある。考えなきゃならん時もな。でもな、心に正直になって何も考えずに突っ走った方がいい時だってあるんだ。特に惚れた腫れたに関してはな」


 最後の言葉は余計に感じたが、でも実際そうかもれないなとも思った。結局全ては、自分のシャルロッタへの想いからはじまっているのだから。


「準備が出来たら行きますよ」


 横からヤンクが告げる。事態が事態なだけに事は拙速を尊ぶ。もとより全員、準備を済ませてここに来ているようなものだったから、後は確認だけのようなものだった。


 イーリオがザイロウを見ると、ザイロウも相棒を見る。お互い調子はすこぶる良かった。



「父さんは? 準備は出来てる?」



「お前が生まれる前から出来てるさ」



 父子は目を合わせずに、笑みをこぼした。


「んじゃま、いっちょカチコんでやろうか。相手は最強の軍事国家、ゴート帝国だ。これ以上ない派手な喧嘩をかましてやろうぜ、野郎共!」


 そんなイーリオ親子を知ってか知らずかソーラが檄を飛ばすと、全員が声を大にして「応」と呼応した。

 今ので誰かに――もしくは敵勢に気付かれようが構わない。

 彼らにそんな臆病さは微塵もなかったからだ。

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