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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第二章『想いと思い出』
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第三部 第二章 第四話(終)『妖精女侯爵』

 シャルロッタに、ハーラルとの経緯いきさつを話すと、彼女は喜んでこれを受け容れた。

 彼女が願っていたジョルトの解放が、これで成し遂げられるかもしれないのだ。


 上手くいけばシャルロッタとインゲボーの仲も深まるし、これをきっかけに何か深い事情を知る事が出来るかもしれない。

 そう思うとインゲボーの表情も明るくなろうというものだった。


 伝えるべき事を伝えてホルグソン大公の屋敷を出たインゲボーは、事の成功を願いつつ己の工房へと足を向ける。その日の内に、弟のビョルグから預かっている彼の騎獣〝ヴェレス〟の調整や、その他の仕事を終えてしまおうと考えたからで、自然と彼女の足取りも軽くなっていた。



 アケルスス城のはずれ、帝都でも比較的郊外にある彼女専用の錬獣術(アルゴーラ)工房の門を、いつものように彼女がくぐる。

 やがて工房まで辿り着いたのだったが、そこには巨大な生き物と毛皮付きのマントを羽織った人物が、訪れを待っていたかのように、彼女を出迎えていた。


 決して珍しいというわけでもないし、国家最高錬獣術師グロース・ライヒ・アルゴールンである以上、インゲボーの元に様々な騎士が訪れるのもよくある事ではあった。


「これは司令長官閣下。〝イアリロ〟の調整ですか?」


 金糸のような白金長髪プラチナブロンドの髪をかきあげ、世にも美しい女性騎士がこれに答えた。見た目とは違って女性にしては低い声をしているが、美貌と相まってむしろ凛冽な印象さえ相手に与える。


「ええ。先だって黒騎士との戦闘の際に負った傷が、少し気になりまして。獣能(フィーツァー)的なものであれば、国家最高錬獣術師グロース・ライヒ・アルゴールン様にお尋ねするのが一番だろうと考えた次第です」



 彼女はヴェロニカ・ベロヴァ。



 ゴート帝国左翼大隊司令長官にしてヴォルグ六騎士の一人だ。

 騎士としてもきわめて高名だが、それ以上に彼女の美貌は世に広く知られている。

 水晶のように透明度のある瞳に、白磁器ですら及ばない肌理きめ細やかな肌。あれは妖精世界の住人ではなかろうかと噂される美しさは、巷で絶世の美女と囁かれるほど。


 そこから着いた渾名が〝妖精女侯爵(フェーヤ・マルキース)〟。


 後ろに控える騎獣は、古代絶滅種にして史上最大級の鹿の一種。

 ギガンテウスオオツノジカの鎧獣(ガルー)〝イアリロ〟だった。


「成る程、これですか……。詳しく診てもよろしいですが、おそらく灰化焼け(シネファクション)でしょうね。授器(リサイバー)傷でごくたまに起こる化膿のようなものです。粉除け膏薬(カプト・モルトゥム)で塗り込めば、明日には治りますよ。ここでお待ち下さい、今、持ってきますから」


 言いながら、ヴェロニカほどの人物ならこんな症状ぐらい知っているだろうともインゲボーは訝しむ。

 いや、彼女はあの〝天頂騎(クーイ・ソルダット)〟を継いだ人物なのだ。黒騎士からでなくば、こんな傷は受けた事すらないのかもしれないとも思い直した。しかし、インゲボーの予想は良くない方に当たっていたようだった。


「ありがとうございます。それと、少しお尋ねしたい事もあるのですが、よろしいですか?」

「尋ねたい……何でしょう?」

「インゲボー殿は、最近聖女様の邸宅によくお通いになっておられるとか。何でも陛下の命で聖女様の治療に向かわれていると聞き及んでおりますが、それは何故でございましょう」

「何故? 何故、とは?」

「聖女様が特別だから、神秘にも通じる錬獣術師(アルゴールン)の方にもお力添えをなされたというのは存じ上げております。それで聖女様もご回復の兆しがあり、良かったと皆は口を揃えておりますが――となるとやはり、聖女様は我らと同じではなく、特別な存在だったという事でしょうか」


 ヴェロニカの美貌は無表情なままで、何も読み取る事は出来ない。

 いきなりここを訪れた本当の理由はこれであったかと、インゲボーは察する。とはいえ、質問の真意まではまだ見えていなかった。


「それは……聖女様の個人的なお話しでもあります。私が軽々しく口にして良いものではございません」

「成る程そうですね。では、別の質問を。聖女様はあの皇帝陛下の兄オーラヴ殿下の名を騙った若者とかつて旅を供にしたという噂がございます。それは誠なのでしょうか」


 あっさり引き退がったかと思えば、再びシャルロッタに関する質問。不審も露にインゲボーが逆に質問で返す。


「それはどういう意味でしょうか? 一体、閣下は何をお聞きされたいので?」


 インゲボーに近寄るヴェロニカ。

 背の低いインゲボーに対し、ブーツのヒールがあるものの長身の男性ほどに上背のあるヴェロニカ。

 並ぶと身長差はかなりで、思わずインゲボーは見上げる恰好になってしまう。


「このところ立て続けに起こっている帝都での不審な事件の数々。どうにも聖女様と皇帝陛下の婚約から起こったように見えるのです」


 それはまさにインゲボーが考えていた事でもある。だからシャルロッタに近付き、真相を探ろうとしているのだから。


「不敬な物言いでしょうが、私にはそのように見えるという話です。そして貴女は近頃、聖女様の元に足繁く通われている。今日もその帰りでしょう? それに皇帝陛下にもよく呼び出されているようで。となれば、何かご存知ではないかと思ったわけです」


 成る程、そういう事かとインゲボーは納得する。

 確かに周りからすれば、自分は事情を知った人物のように見えるのかもしれない。無論、その真逆で彼女も知りたいと考える一人だし、そう言えばいいのだが、果たして素直にそれを喋っていいものか。


 改めてヴェロニカの顔を見ても、皇帝とは別種の無表情さで何も読めない。

 単に不審がっているのか、それとも裏で誰か、何か手引きしている者がいるのか。


 下手に言ってあの〝黒衣の魔女〟の耳に入りでもしたら、ただでは済まないと考えを巡らせるインゲボー。

 その時だった。


「司令長官閣下、姉に何の御用でしょう」


 工房の奥から姿を見せたのは、インゲボーの弟にしてベルサーク騎士団団長のビョルグ・スキョルであった。

 その後ろには、まるで威嚇するような佇まいで彼の鎧獣(ガルー)暴帝北極熊タイラント・ホッキョクグマの〝ヴェレス〟が続いている。


「ビョルグ団長。何、姉君にイアリロの傷についてお尋ねしていたのですよ。ですよね、インゲボー様」


 微塵も動揺を見せず、いたって涼しい顔でヴェロニカが答える。まるで手慣れた尋問官のようで、役者の違いがまざまざと伺いしれるというものだった。


「それにしては物々しいですね。まるで姉に対する恫喝のようにも見えたのは気のせいでしょうか?」

「ですね。何分私は武骨な騎士ですから、どうにも人に対し威圧的に振る舞ってしまうらしい。申し訳ございません、インゲボー様」

「いえ、そんな」


 すらすらと用意していたように返されては、それ以上ビョルグも言い様がないように思えた。

 反面、インゲボーはにわかに緊張が増したこの状況の収拾がつきそうで、内心ほっとしている。何より、ヴェロニカの真意が見えぬ以上、どう切り抜けるのが最良なのか、判断がつかなかったからだ。

 そういう意味で弟の登場は非常に有り難い事だとも思えた。ところが、話はこれで済まなかったのである。


鎧獣(ガルー)の傷をと仰いましたが、先ほど貴女は聖女様と仰られたように思います。私は耳はいいので聞き間違いではないでしょう。――どうして聖女様の名を出されたのですか? 鎧獣(ガルー)の傷を診るのに聖女様がどういう関係があるので?」


 今度はビョルグがヴェロニカに対し恫喝紛いの問いを発する。


「それにイアリロの立ち位置。それは鎧化(ガルアン)の体勢ではございませんか? 先ほど物々しいと口に出しましたが、物々しいというより脅しにしか見えないのですがね。出来ればすぐに姉から離れていただきたい」

「ビョルグ、もういいわ」


 姉インゲボーの事となると、ビョルグはいつもの彼でいられなくなる。

 いつもは鉄製の仮面を被ったように無感情を装っているのだが、姉に対してのみ、彼は誰よりも激しく感情的になるのだった。ましてやその姉によろしからぬ行動を取られては、さすがのビョルグも黙ってなどいられないという事らしい。

 よく見れば、既に彼の表情は鉄面皮などではなかった。誰よりも感情的で興奮しているのが目に見えて明らかだった。



 ところがである。

 ここで、彼らも予想していなかった第三者の介入が入る事になる。


 この諍いじみたやり取りを、術の力を用いて気付かれぬよう覗いていた野次馬が一人。


 黒母教枢機卿スヴェインより派遣された、灰堂術士団(ヘクサー)の男がそれであった。


「いい感じに熱フいてんなぁ。となりゃあここは――」


 嫌らしく悪どい笑顔を見せた彼は、表情通りのちょっかいを思いつく。

 彼は姿を消した擬似動物を操り、それをインゲボーの側まで寄せた後、彼女の動きに合わせていきなり足を引っ掛けたのである。


 間合いを見計らった動きに、まるでヴェロニカがインゲボーを突き飛ばしたかのように見えるタイミング。


 当然、ヴェロニカはともかくインゲボーもこれが司令長官の仕業でないと分かっている。

 だが、ビョルグからはそう見えない。


「なっ……! 何をしたっ! お前、姉上に何を!」


 激したビョルグが、勢い込んでヴェロニカの胸倉を掴もうとした。しかしヴェロニカはすぐに彼の動きに気付き、滑らかな動きでその手を払いのける。


「おのれっ」


 だが、それが余計にビョルグの熱した頭に火をつけてしまう。


「いや、今のは私ではない。今のは――」

「貴様っ、言い訳とは見苦しいっ。よくも我が姉に対して乱暴をしたな。もう許さぬ……!」

「待て、ビョルグ団長。落ち着け」


 しかし姉の事となると見境のなくなるビョルグなだけに、聞く耳などまるで持っていない。それに、前のイーリオ捕縛任務での失態で大きな叱責を受け、彼は今かなり内心が乱れていたのもあった。

 こうなってはもう、頭に血が上って手がつけれられない。


「ヴェロニカ・ベロヴァ、もう許さぬ。ここで決闘を申し込む! さあ、鎧化(ガルアン)しろ。今すぐ貴様に謝罪の言葉を吐かせてやる」


 言うや否や、ビョルグは既に臨戦態勢を取ろうとしていた。

 一方で予想外過ぎる成り行きになったヴェロニカは、それでも誤解を解こうと落ち着けと言うも、やはり声は届かない。

 仕方なくインゲボーに視線を走らせると、呆然としていた彼女がそれに気付き、「落ち着きなさい、ビョルグ」と気を鎮めるように言い募る。


 だがもう、ビョルグの怒りはおさまりそうになかった。


「姉上、止めても無駄です。姉上を害する者は、例え誰であろうとこの私が許しません――白化(アルベド)!」


 インゲボーとヴェロニカが呆気に取られる中、遂にビョルグが暴帝北極熊タイラント・ホッキョクグマを纏ってしまった。


「こうなれば仕方ないか……」


 舌打ちをし、このまま打ち捨てる事も出来ないと判断し、ヴェロニカもギガンテウスオオツノジカをその身に纏った。


 にわかに起こる、帝都内での団長級同士の諍い。

 いや、この両者ほどになると諍いでは済まない。都市を破壊してしまいかねない規模の戦闘になってしまう。



 これを見ていた先ほどの灰堂術士団(ヘクサー)の男は、押し殺した声で腹を抱えて笑い転げていた。


「いっ、イヒヒヒ……! すげえ! すげえ面白ぇ! こいつぁどうなるか見物だぜ」


 ささいな悪意が起こした不協和音は、陰謀渦巻く帝都に、波乱を巻き起こそうとしていた。

 そしてこれを更に見つめる影がいる事に、インゲボーらは勿論、灰堂術士団(ヘクサー)の男ですらも気付いていないのだった。



来週はお盆! という事でGWに続き今回も毎日投稿を実施致します!


13日から4日間の予定!


頑張りますので期待していてください!

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