第三部 第二章 第四話(2)『伝授』
イーリオの戸惑いを知ってか知らずか、ムスタは呆れた顔をしつつ、話を続ける。
「話はまだあるぞ。このトレモロ・ユニットはな、何もザイロウをただ助けたり、単純に強くする為にあるんじゃない。こいつはお前が負けたティンガルボーグ用の対策でもあるんだ」
次から次に語られる言葉に、イーリオは感情と心の処理が、追いてけぼりになりそうだった。
「ティンガルボーグは、ネクタルを吸収する異能を持っているそうだな。ネクタル消費型であり大量のエネルギーを武器にするザイロウにとっては、相性最悪の相手だ」
そんな事は分かっている。
勿論、敵のエネルギーを吸い取るなんて異能、ザイロウでなくとも恐ろしいと言わざるを得ない。ましてやそれを武器にしてきたザイロウでは、もし次に戦うとなったらどうすべきなのか、未だに手立てが見付からない。
「となれば、戦い方はひとつ。今までの獣能には頼らない、ザイロウとお前それぞれの純粋な力で相手を上回る。それしかない」
「それってつまり……もっと実力をつけろって事?」
「まあ端的に言えばそうだ」
「そんな……。相手に負けたから相手より強くなればいい――だなんて、子供の理屈じゃないんだし。それとも、このトレモロ・ユニットがあれば僕の実力も上がるなんて事あるの?」
「ちゃんと話を聞け。今までの、と言ったろうが。こいつは今までの力をより洗練したものとしてザイロウに発揮させるための道具。それが、ティンガルボーグに対しての対抗手段だ。だが、対抗しただけでは駄目だ。相手を上回らなければ勝ちにはならん。だからお前には、これから勝ちを手に入れる為の訓練をしてもらう」
「訓練?」
「そうだ」
ムスタは立ち上がり、一人で屋敷裏手の簡易な鎧獣厩舎に向かった。
しばらくすると自分の騎獣、黒羆の〝フォルンジュート〟を連れて戻ってきた。
「イーリオ、鎧獣騎士の本質的な力、その真髄は何か分かるか」
本質といきなり問われて、返答に窮するイーリオ。
「鎧獣騎士の出す獣能は、個々で中身も違うし、開花すればどうしてもそれに頼ってしまう。むしろ一流の騎士でも、獣能次第でそれを前提にした戦い方になるのもいるから、獣能に頼るなとは言わん。だが、鎧獣騎士の力の真髄はこの超常特異な異能力ではない」
「獣能に頼るな……鎧獣騎士の持つ肉体的な力こそが、最も重要――」
かつて師匠であるカイゼルンが、イーリオに語った言葉だ。
獣能頼みでは二流止まり。
獣能とはあくまで戦いにおける手札のひとつ。本当の強さとは、骨・体・武装・異能――それら全てを呼吸をするように己のものとする事、そのものにある。
ムスタがにやりと笑みを浮かべた。
「そうだ。お前もその身で味わっただろう、ソーラ・クラッカの戦い方を。獣能ではなく己の〝武力〟のみで相手を圧倒する力。あれはひとつの完成型だ。お前があの時勝てたのはあいつが手を抜いていたからでしかない。殺意をもって最初から本気であったなら、今のお前はここにいなかっただろうな」
それはイーリオにも分かっていた。
手を抜かれたから勝てた。あれはきっと、イーリオの力量を量る為だけでなく、イーリオ自身に戦い方を見せてくれていたのだという事を。
ただ、それがどうしてなのか。
あの時は理由までは分からなかったが、しかし今のムスタの説明で何となく察しは付いた。きっとムスタと同じ理由で、ソーラは手加減をしてくれたのだろう。
「と言っても、曲がりなりにもお前はあのカイゼルンの弟子だ。既に相当の実力を持っているし、実際、万全な状態だったら本気のソーラでも勝てんかっただろう。だがな、根っこのところでまだまだ弱さがある。だから万全でないとソーラにも負けてしまう。なら、そんな未熟なお前に、儂が教えてやろう――と、そういうわけだ」
「修行って事……? でも、中途半端に他流派を学ばない方がいいんじゃないの。それに、そんなちょっとやそっとの修行でどうにかなるものでもないんじゃ……」
「当たり前だ。修行なんてまどろっこしい事、今更するか。修行したけりゃお前が自分の師匠にでもお願いするか、ヒマな時にお前が勝手にすればいい。儂が教えるのは――〝技〟だ」
言った後、ムスタはフォルンジュートに目配せをし、その身を己の背後に回らせた。
「白化」
黒羆が間欠泉の勢いで白煙を噴き上げ、ムスタに覆い被さると、たちまち猛き熊頭人身の人獣騎士が姿を見せた。
「お前もザイロウを鎧化しろ。調整はもう済んだから纏っても問題ない。それより、今から見せる技は、人間の肉眼で追えるものではないぞ」
確かに、鎧獣騎士が本気の速度を出せば、人間の肉眼では動きを捉えるなど出来はしない。
イーリオは、改めてトレモロ・ユニットを装着したザイロウを見た。
神之眼に装飾的な宝石飾りが着けられたようで、まるで王冠でも被ったみたいに見える。
とはいえ、ヴカシン大公から聖剣を譲渡された時のように、授器が劇的に変わったわけではなかった。見た目の違いなどほとんどないに等しい。そんな程度の変化なのに、何だかさっきまでのザイロウとはまるで別の、生まれ変わったかのように見えるのは、気のせいだろうか。
その白銀の顔にどこか頼もしさを覚えつつ、イーリオはザイロウを身に纏う。
人獣の状態になって、しばらく己を確かめるように凝と気を巡らせてみた。だが、ザイロウ自体に特段変わった様子は感じられなかった。
「ただ鎧化しただけでは分からんだろう。トレモロ・ユニットについてはまた後で説明してやる。ま、儂もホーラーからあれやこれや手紙で教えてもらっただけだがな。――今はそれよりまず、こいつだ」
言った後、ムスタ=フォルンジュートは後ろに大きく退がり、距離を取る。
その場で身体を小刻みに揺らし、手に持つ曲刀を曲芸師のように右に左に持ち替えた。
「若い頃、〝獣王殺し〟のマグヌスと本気の手合わせをした事が何度かあってな。こいつはその時に編み出した技だ。コツは己の最大限の力を、自ら上回る事だ」
事も無げにさらりと言ったが、よく聞けば――いや、よく聞かずとも無茶な事を言っている。
「いいか、自分が思う自分や、常識の動きを度外視しろ。お前は人間ではない。獣を纏った騎士、鎧獣騎士なんだ。それをどこまで理解し、感じ取れるかでこの技を会得出来るかどうかが決まる」
言葉の最後、イーリオの背筋に名状し難い寒気が走った。いや、それは全身を包む圧迫感だ。
ムスタの放つ、えも言われぬ語気の迫力。
やがて耳鳴りのような、空気の静止する音が訪れた。
弦を引き絞った弓が、限界ぎりぎりにまで達したかのようなその時――。
直後、ムスタの剣が消え、大気を震わす爆発音と共に技が放たれた。
濛々とあがる土煙。
イーリオは、今見たものがどういうものか一目では理解出来ずに呆然となる。
動きがあまりに桁外れ。
やがて土煙が晴れて黒羆の人獣が姿を見せると、更にイーリオは言葉をなくした。
ムスタ=フォルンジュートが着地した周囲から、草という草が吹き飛ばされ、三角状に地面が抉れた痕があったからだ。
どこかに当てたわけではない。ただ虚空に向かって放っただけなのに、剣圧、風圧、そんな目に見えない圧力だけで、大地に痕跡を残したというのか。
「今のが儂の編み出した〝破裂の流星〟」
剣を収め、ゆっくり振り返る黒羆の父騎士。
「今のお前には、大陸公用語の方が馴染みがあるか。それでいくと――〝破裂の流星〟だな」
「〝破裂の流星〟……」
まだ圧倒されたままのイーリオだったが、ムスタの言わんとしていた意味は、何となく理解した。
獣騎術の極致とも言える極限技。
つまりそれは、あのティンガルボーグへの対抗手段という事。
だが――
「それ……あの〝獣王殺し〟のマグヌス・ロロには通用したの?」
ムスタは黒羆の顔のまま。表情は分からない。
「いや、駄目だった」
「え?」
「あいつは桁違いの化け物だからな。こんな大技当てられるもんじゃない。おい、そうがっかりするな。話はまだ途中だ。――だからだ、儂は考えた。こいつを当てるための機を伺う方法を。必中のその時を見定め、確実に当てる手段を」
「そ、それで……? どうだったの? 当たったの?」
まさか、もしかして、とイーリオに少し期待が沸き上がる。
しかしムスタは、人熊の首を左右に振った。
「は……?」
「んなわけなかろう。相手は三獣王以上の騎士だぞ。そんなんで当てて勝てたら、苦労せんわ」
肩透かしを食らったように、げんなりするイーリオ。もしかして――と淡い期待をしたのだが……。
しかしそれでは、敗れた技を父は伝授しようとしているのか。
いや、敗れてもとんでもない技には違いないのだし、習わないより身に着けた方がいいには決まっている。ただ、やはり通用しなかったのだと思うと、がっかりしたのも隠せないところだった。
「だからな、儂は更に考えた」
終わったと思っていた父の言葉の続き。どういう意味かとイーリオが人狼の顔をあげる。
「いいか、イーリオ。今見せた技も全てはこの後のためのものだ。そしてここからは、お前とお前のザイロウでは、絶対に使えない。だからお前は、お前のやり方でこの先を身につけろ。儂はさっきの〝破裂の流星〟の先にあるそれで、あのマグヌスをぎりぎりまで追いつめたんだ」
「……!」
この後、更なるものを見せられたイーリオは、ひとしきり教えを受け、気付いた時には日も傾きはじめるほどになっていた。
今日という波乱の一日が終わろうとする頃、イーリオはずっと考えていた事を父に尋ねた。
「ねえ、父さん」
「おん?」
「父さんはさ、どうしてそこまで僕に色々してくれるの? 父さんだから、親子だからってのはまあ分かるんだけど、らしくないって言うか、父さんなら自分で切り抜けろとか言いそうなのに、何故か今は、こんなにもしてくれてるじゃない。ううん、父さんだけじゃない。マリオンおばさんやアネッテだってそうだ。みんなどうしてそこまで、僕やシャルロッタの事に力を貸してくれるの?」
自分らはともかく、名前を出したアネッテについては何も分からんのかと思うと、我が子ながらまあ何と不器用な奴だと呆れるムスタだった。
とはいえ、そういった疑問は聞かれるだろうと思っていたし、流された状況のせいもあるが、むしろ質問をされるのが遅いくらいにすら思えた。
「ま、お前への肩入れも確かにある。だがお前の言う通り、そんな程度でマリオンはともかく儂まで動くはずはないな」
自分は動かない、という言葉に、この父らしさが出てるなあと苦笑いが漏れるイーリオ。
「だったら」
「いいか、よく聞け。今この帝国は、近年なかったくらい軍事行動が活発になっている。北は武装化した異民族への抑え込みというのもあるが、海を隔てたカレドニア諸国に西の大陸大断路への進攻。聞いた話だと、南――メルヴィグやジェジェンへの侵略も画策していると言われている」
「メルヴィグ? ジェジェン?」
先年――と言ってもまだ半年も経っていないが――アンカラ帝国との戦争で両国とも疲弊しきっている。そんな折りにゴート帝国が来ればどうなるか。
「南への話はあくまで噂だ。そういう動きがあるというだけだが、これらの大規模な軍事作戦はいかにも帝国らしいし、まあこれの是非をどうこう言う気はない。だがな、大きく特別な話の影に隠れて見過ごされがちなのが、日常や小さな話というやつだ。例えば制圧した異民族が中央に流れ込んで、各都市でそれが問題になっている話は聞いた事ないか?」
イーリオは首を振って否定した。
「そうか。他にも大規模軍事行動があるとなれば、戦いになるのだから鎧獣や騎士の数も減る。数が足らなくなれば当然補充もあるな。だが、騎士は置いておくとして、鎧獣は兵器でもあるが生き物だ。命ある武装だ。そうほいほいと作り出せるものではない。となればどうやって補充をする?」
「傭兵とか――?」
「それもあるが、そうなれば金がかかる。ま、どのみち金はいるんだが、手っ取り早くする方法のひとつに乱獲というのがある」
鎧獣はエール教会などを通した登録制になっており、乱獲や闇市場というのはそれを通さないで違法に作り出し、流す事である。
「乱獲が起これば一般庶民にも影響が出る。仕立て屋、袋屋、馬借屋、鋳物師――その他、鎧獣や騎士と関わりのある仕事が様々にあるが、そいつら全員に影響を及ぼす」
袋屋は移動の際に鎧獣に関わる様々なもの――例えば糧食のネクタルやブラッシングなどの手入れ品を入れる為の専用の荷袋があり、それを作る職人の事だ。馬借屋は鎧獣連れのための借り馬屋、鋳物師は日常の鋳掛け品も扱うが、この場合は授器の修繕工を指していた。
「乱獲は正規ではないから、それらを盗品などで補うのがほとんどだ。となるとそれで食っている連中には商売の邪魔でしかない。普段はそんな輩を取り締まるのが帝国だが、補充と言ってそれらをむしろ採用しているくらいだからな。目こぼしどころか堂々とまかり通っているのが現状だ。分かるか? さっきの大きな話に埋もれて省みられていないたくさんの小さな暮らしが、皆悲鳴をあげているんだ。ハーラル皇帝は全てを自分で執政していると言うが、当然そんなわけはない。これらは皇帝が見えていない、見過ごされた下々の話だ。そして重要なのが、これら微細だが看過出来ない諸々の事柄には、どれも高級女官のエッダという女が関わっているという事だ」
〝黒衣の魔女〟エッダ――。
常にイーリオ達の行く手に表れる、不気味な存在。
「このエッダという女官は有能との事だが、取り巻きが良くない。そして国事は一人で全てを出来るはずもないし、となれば細々とした政治には、エッダの息のかかった佞臣どもが差配を振るう事になる。今はまだ小規模な歪みだろうが、いずれこれらが膿のように傷口を広げ、取り返しがつかなくなるのは目に見えている。更に近頃はヴォルグ六騎士の一人、ウルリクもここに噛んでいるとも聞く。この二人に共通しているのは、エッダもウルリクも黒母教との繋がりが囁かれているという点だ」
黒母教。
イーリオを襲撃したのも黒母教の術士集団。
さっき屋敷を襲った連中にも混ざっていた。
どうしていつもその影が濃い色を落とすのか。見当はまるでつかないが、不吉以上に厄ネタであるのは間違いないと思えた。
「おそらく近い内に、何かとんでもなく取り返しのつかない事が起きてしまう。それはもう水面下で進んでいて、何とかするには今しかない」
「ひょっとしてそれをどうにかするために、僕に協力を? でも何で?」
「今の話は儂一人が聞き集めたもんではない。帝国の上級外交官にカルステン・ブリカという男がいてな、儂やマリオンといった、今は〝外〟だがかつては帝国に深い縁のある人間に、力を借りたいと頼んできたんだ。そのカルステンが言うには、エッダという女官は、ハーラル帝と聖女の婚儀にいたく執心しているらしい。ほとんど無理矢理これを押し込んだほどで、どうも一連の動きや様々な政治の歪みも、元を正せばそこにあるのではとカルステンは踏んだんだな。だからこの事態をどうにかするカギは、ハーラル帝の結婚――即ちお前とシャルロッタにあると考えた訳だ」
自分のシャルロッタへの想いが、まさかこの大帝国の命運を左右する話にまで繋がっていたなんて――。
にわかには信じられない規模の広がりに、イーリオはどう言っていいやら言葉が見付からない。
「ま、理由はそういうわけだが、お前はそんなに考え込まんでいい。あくまで嬢ちゃんとの事だけを考えろ。むしろお前はお前の思う通りにやる事こそ、最善の道だと儂もマリオンも思っとる」
そう言われても、そうか分かったと、すぐに切り替えられるイーリオでもない。
さっきムスタが言ったように、自分は不器用なんだと改めて思う。
理由は確かに分かった。ただ、まさかそんな話が裏に潜んでいたなど思いも寄らなかっただけに、イーリオは掻き乱された心をどうすればいいか、空を見上げて溜め息をつくしかなかった。
だが、ここはゴート帝国。
メルヴィグのように夕焼けは茜色の優しい表情を見せず、ただ鈍色の重苦しさだけが、暗闇を呼ぶだけだった。