第三部 第二章 第四話(1)『寿命』
トレモロ・ユニットというのは、簡単に言えば鎧獣術士特有の機能、環重空間という特殊知覚を認識したり、術式を選んだりするための補助器具であり、術が体内を巡る際にも制御のために使われるものである。
簡単に――とはいえ、今の内容を聞いたところで、よく分からないというのが大方の感想だろう。
「まあようは、鎧獣術士ってヤツにとってなくてはならない装備。それがトレモロ・ユニットというわけだな」
ムスタはザイロウの額にある神之眼に、専用のトレモロ・ユニットを装着させながら、淡々と説明していく。
「いや、だからそれは何となく分かってるよ。僕が聞きたいのはザイロウにそれを着ける理由だよ。それに、延命とか何とか言った事も」
「だからそのために、順を追って説明しとるんだろうが。いいか……次にザイロウについてだが、ザイロウは今まで、何回再生をしているか分かるか?」
「え? 再生の回数……?」
鎧獣は寿命になったり戦いで命を落としても、神之眼さえ残っていれば再生をして若々しい状態に戻る事が可能である。
とはいえ、無限に再生が出来るわけではない。平均した再生限度回数は約五回前後。記録では、十数回以上再生をした鎧獣もいるとの事だが、それはあくまで特殊な例だ。
また、個々の鎧獣の寿命はおよそ三〇年から五〇年ほどと言われている。場合によれば、この幅も種別に関係なくそれぞれの個体によって増減するらしい。あくまで個体差によって年数などは変わるという事だった。
「実はザイロウはな、一度も再生をしていないんだよ」
「――え?」
「再生があればその痕跡は残る。しかしザイロウにはそれ特有の標がない。つまりずっとこの姿のままでいたという事だ」
「ちょ、ちょっと待って。一度もって、今まで一度も?」
「そう言っとろうが」
「ザイロウってゴート帝国の建国からいたって話じゃなかったっけ。なのに再生してないってそんな馬鹿な……。それならザイロウは、五〇〇年も生きてるって事になるんじゃあ……」
「九〇〇歳以上だ」
「……へ?」
「計測器で計れたのはそこまでだ。儂の見立てだと千年以上生きているのは間違いないだろうな」
開いた口が塞がらないとはこの事だった。
父の言葉を聞いて、「へえ、そりゃあ凄い」と頷くほどイーリオも単純ではなかったが、それでもそんな馬鹿なと言ってしまうほど、ザイロウの神秘を知らないわけでもなかった。
出会ってから今まで起きた、数々の超常現象紛いの出来事。それらを鑑みるに、千年以上も生きているという話ですら、むしろ納得してしまうというものだった。
「通常の鎧獣であれば、年数と神之眼の疲弊度合いでおおよその寿命が判定出来るものだが、ザイロウの場合、千年という時があまりに長過ぎるうえ、そもそも鎧獣自体、動物のように見た目で老衰が分からんときている。だから、今のザイロウが人間で言うとどの程度の年齢に当たるのか、いや、そもそも寿命なんてものがあるのかすら、今までは分からんかった」
鎧獣は、肉体や性能が最も優れた年齢に達するとそのままの状態を維持し、加齢をしても老いの衰えは一切なく、寿命がくるまでずっと若々しいままでいる。そして寿命がきたら唐突に老衰し、そのまま亡くなっていくのだ。
だから普通の動物のように、段々と足腰が弱くなったり噛む力が失われたりなどといった老いの兆候のようなものが出る事はない。
「だが数年前、長期間ザイロウをホーラーに預けた事があっただろう。その際に奴は詳しく調べ直し、ザイロウについて不明だった事をいくつか解明した。そのひとつが寿命についてだ」
メルヴィグの国家最高錬獣術師ホーラー・ブクに預けたというのは、四年前の事。
メギスティ黒灰院でそれまでの武器授器〝ウルフバード〟が破壊され、イーリオは五代目百獣王のところで過ごしていた間の話だ。
「ホーラーによれば、今のザイロウを人間の寿命に換算すると、七〇から八〇の高齢者になるという」
「え……じゃあ……」
「そうだ、寿命は長くない」
纏っているイーリオ当人にそんな兆しは微塵も感じられなかっただけに、これはかなりの衝撃だった。
「長くないといっても、あくまで人間に当て嵌めたらという話だ。千年以上生きているザイロウの尺度に合わせれば老いで亡くなるにはまだまだ先。少なくともお前がよぼよぼのジジイになるくらいまでは生きているだろうさ」
この言葉に、イーリオはほっと胸を撫で下ろす。
「だがな、問題はそこじゃない。加齢の尺度が違うという事は、老いの衰えもまた通常の鎧獣と異なるのが道理。普通、鎧獣は年齢がくれば急激に老いて死ぬが、ザイロウの場合その長さが途轍もないだけに、老いですら通常よりとても緩慢として間延びする。つまり、今のザイロウはまさに老いて力を失っていく真っ最中というわけになる」
「じゃあ……本来の力は出せないって事?」
「そうだ。今のザイロウは全盛期のおよそ十分の一、いやそれよりもっと力を出せてないのかもな」
今でもとんでもない性能を見せているのに、これでもまだ本来の実力には遠く及ばないというのか?
その事実に、これを喜んでいいのやら悔やんでいいのやら、イーリオはにわかにどう反応していいか分からなかった。
「といっても、元の規模や尺度が違いすぎるから、これでも充分以上の性能は出せるだろうし、全盛期でなくとも特級以上の力は発揮出来る。だからまあ、そこは安心しろ」
「それってさ、例えばの話、あえて再生をしたり、それか別のやり方で全盛期のザイロウに戻せたりって出来ないのかな?」
「無理だろうな。再生するには〝調合表〟がいる。だがザイロウの調合表なんて、あるのかどうかすら分からん。仮に見付かっても、別の問題もある。――それにな、そもそも老いで失われたものを取り戻すなんて事は、どうあっても不可能なんだよ。だから通常であればゼロからやり直すために再生をするんだからな。それよりも、さっきも言ったように問題は寿命や緩慢な老いそのものではない。老いていってるという事実、そしてそれを早めてるいるという現状。この二つが問題なんだ」
「早める……? もしかして、僕が早めてるって事?」
「そうだ。いくら全盛期にほど遠く、ゆっくり老いると言っても、酷使すればその限りではなくなる。つまり、強大な力を使えば使うほど、ザイロウの寿命も縮まるという事だ。考えてもみろ、武道の達人でも八〇歳を過ぎれば一番衰えるのは体力だ。そんな老人が一人か二人を相手取るというのなら全力を出せるかもしれない。だが、十人十数人と絶え間なく全力を出しつづければ、肉体は悲鳴をあげ、ポックリ逝く――なんて事だってあり得るだろう?」
「……第二獣能みたいな力は、使えば使うほどザイロウをどんどん衰えさせる――?」
「まあそうなるな」
全盛期には遠く、第二獣能も使えば死期が近付くとなっては、どうすればいいのか。こうなっては寿命が近いのと何ら変わらないとイーリオは愕然となる。
「それが分かったから、ホーラーと奴の弟子は協力してこれを作ったんだ」
ムスタが、ザイロウの頭部に嵌めたばかりの宝石飾り――トレモロ・ユニットを指して言った。
ここで、話が最初に繋がるというのか。
「どういう事……?」
「このトレモロ・ユニットは他と違い、本来あるべきユニットの機能はなく、ザイロウの有り余るエネルギーを制御し、無駄な放出や漏れ出た力を再利用をするために作った、特別製なんだそうだ。いいか、老いるという事は力の無駄、過剰漏出なども増えていくという事でもある。こいつはな、その浪費を防ぎ、それどころか失ったエネルギーを体内に循環させ、少ない消費で最大限の力が発揮出来るようにするというシロモノなんだ」
「そんな事可能なの?」
「ザイロウなら、な」
「ザイロウなら――?」
「ホーラーの調べだと、本来のザイロウはその強大過ぎる力を制御するため、鎧獣術士で言うところの術の体内循環路〝経絡〟に相当する力の流れ道があるそうだ。お前にも覚えがないか? ザイロウに獣理術か獣使術をかけようとしてもが効かなかった、なんて事が」
記憶の襞に思い起こされる日々。
レレケと出会って間もない頃、彼女のかけようとした翼の生える獣使術が、何故かザイロウには効果を発揮しなかった事があった。
「鎧獣術士とやらもそうらしいんだが、体内に術の通り路である〝経絡〟があれば、術がかからない事があるらしい。つまり耐性というわけだな。――で、ザイロウのは強大な力を制御する役割をしてたようなんだが、歳を取ってそれも衰えていったんだな。だからこのトレモロ・ユニットを使って、それの助けにしようてってわけだ。ついでに、そういうエネルギーを循環させるために今の授器〝レヴァディン〟をホーラーは作ったわけだから、それとも連動させて、運動機能や再生機能なんぞの助けにもする」
「それってつまり……ザイロウのトレモロ・ユニットは運動補助器具――例えば老人の杖みたいなものって事?」
「杖どころか馬みたいなもんだな。歩くのにヨボヨボしてた爺さんでも、杖を付けば歩けるが馬に乗れば歩けるどころか誰よりも早く走れるだろう? このちっこい飾りひとつでそれほどの違いが出るんだ。ま、原理はそんな感じだが、傍目に見ればただザイロウが強力になったようにしか見えんだろうな」
そんな凄いものをホーラーが考え、作っていてくれたなんて……。
イーリオは感謝に胸を熱くさせたが、同時にいくつかの疑問も湧いてくる。
「……それ、父さんがホーラー様に言って手配したの?」
このタイミングで都合良くそんな器具が送られてくるとは考え難い。勿論、前々から考えていてくれたのは間違いないだろうが、それにしてもあまりに都合が良過ぎるのではないか。
「いや、向こうから送られてきた」
「え? じゃあ、偶然って事?」
「そうじゃない。お前が困るだろうと見越して、儂に送ってきたんだ。――さっきから言っとるだろう。こいつはホーラーと奴の弟子が作ったと。メルヴィグにいるあいつの一番弟子、確かレナーテ・フォッケンシュタイナーだったな。そいつがお前のゴート行きから何かを察して、こいつの開発を早めるよう手配したんだそうだ」
――レナーテ! レレケが……?!
思わずイーリオの顔に、複雑な感情がさした。
自分はメルヴィグを出る時、彼女の協力や助言を拒んだ。むしろ関わるなとさえ言って、はねつけたようなものだった。
でも、彼女はイーリオの身を未だに案じ、それどころか拒絶した自分にこんな形で助けを差し伸べてくれるなんて……。
感謝も当然だが、申し訳ない、情けないといった感情も混ざり、胸が苦しくなる。
同時に、それで合点もいった。先ほどムスタが残念そうな顔を浮かべたのは、ホーラーの弟子と聞いて気付かなかったイーリオに対し、呆れたのだとここで察しがついたのだ。
「感謝するんだな。普通なら、例え頼んでも、ここまでの事はやってくれんぞ」
「……うん」
頷きはしたものの、内心、イーリオは複雑だった。
――お前一人では何も出来ない。
黒騎士の言葉。
あれが未だに、落ちない水垢のように脳裏にこびりついて離れないでいたからだ。
やはり自分は一人で何も出来ない半端者なのか。
だからシャルロッタを取り戻せないのか。
助けを受けている自分が正しいのかどうか、今は何も分からなかった。