第三部 第二章 第三話(終)『騎婦人』
マリオン・ドレッカー。
現役時代の名をマリオン・グライフェン。
先代のゴゥト騎士団団長である。
彼女は現・副団長アネッテ・ヴァトネの伯母であり、兄にあたるのが総騎士長のリヒャルディス・グライフェン。
また、そのアネッテの駆る〝アウロラ〟の前の主であり、ゴゥト騎士団にその人ありと呼ばれたおそるべき使い手でもあった。
アウロラを駆っていた騎士の頃は、〝獣王殺し〟マグヌス・ロロと並び三獣王に推挙までされた実績もあるほど。最強の女将軍として近隣諸国にその名を知らぬ者はないと言われていた。
だが、ドレッカー伯爵家に嫁いだ後、病いに犯された夫の看病のために騎士団を退団。同時に騎士も廃業し、以来表舞台からは姿を消し、その伝説だけが人々の記憶に残されたはずだったが……。
「まあ儂とは同年代でもあるからな。儂同様、隠棲しながらも腕は錆びないようにしていたってわけだ。あのドールビッグホーンの〝リンド〟も、数年前にあいつの頼みで儂が作ったもんだぞ」
使う騎獣は変わっても、実力はかなりのものだという事が伺い知れる。
ドールビッグホーンの〝リンド〟。
真っ白な体毛に、オオツノヒツジ特有の渦を巻いた太い角。
手にするのはアネッテ=アウロラ同様、通常よりも長い刀身の細剣。
纏う鎧は明るい若芽色の授器。
数年前に作ったという事は、ムスタの新作になるのだろう。だが、戦歴がなくとも相当に高性能な騎獣である事は、イーリオにも見ただけで分かった。
それとは別の意味で、襲撃側も攻撃に二の足を踏んでいた。
あの伝説の女将軍〝北の戦女神〟が表れたのだ。それも王野羊に似た同系種の鎧獣を纏って。
「みんな落ち着きなさい。〝北の戦女神〟といってももう遥か昔の話でしてよ。それに鎧獣騎士は鎧獣と騎士のつがいを指す言葉。そこの鎧獣騎士の駆り手がかつての戦女神でも、今、纏っている獣は違います。つまり同じ〝北の戦女神〟ではないという事。恐れるものなどありません」
グリーフ三獣士・青灰牛を纏うゾラが声を張り上げて仲間に言い放つ。
耳にした残りの三獣士二騎や他の連中も、今の一言でいかばかりか落ち着きを取り戻した。
むしろ感心したのは、マリオンの方だった。
「仰る通り、正解よ。鎧獣騎士とは二つで一つの武力。どちらかが異なれば実力もまるで変わります。その意味では実に正しい分析だわ。――ただし、重要な間違いがあるのに気付いているかしら?」
マリオン=リンドが人獣の動体視力ですら捉えきれぬ華麗さで、細剣をしならせた。
「鎧獣騎士とは、駆り手の身体の延長にあるもの。鎧獣そのものや鎧獣との相性に大きく左右はされますが、基本戦力の素地は中の人間次第」
純白の体が、残滓ひと欠片もなく、突如消え去る――と同時に吹き飛ぶ、三騎のゴゥト騎士達。
敵も味方も呆気に取られた。
早さという類いで括られる動きではない。
それはもはや白い色をした光そのもの。
「使う鎧獣は変わっても、貴方がたを相手取るくらい、私ならそれほど苦ではないのよ」
今ので一番怖じ気づいたのは、他ならぬゴゥト騎士らの部隊であった。
いくら武名を轟かせたのが遥か以前だとしても、同じ騎士団なのだ。かつての団長の話は、皆どこかで耳にしているはずだし、その生ける伝説の本人が、聞かされていた通りの強さを誇り、自分達に牙を剥いているのである。恐れるなという方が無理な話であろう。
「チッ、ウゼぇババアだぜ。ババアはババアらしく茶でも啜ってやがれってんだ。カシュバル、アタシに続きな!」
「え? ちょっ、バルバラさん」
しびれを切らしたように、三獣士の一人、シベリアヒョウの女騎士が軽い足さばきでドールビッグホーンへいきなり突撃をかけた。
声をかけられて戸惑うような声を出しながら、それでも呼吸の合った動きでコーカサスバイソンの人獣騎士も猛進していく。
「いくぜ! 〝守護野霊〟!」
女豹騎士が異能の号令を発すると、北部域の生物ならではの深い体毛が、糸を引くようにぞわりと伸びていった。
一瞬で、豹というより長毛のかたまりのような異形の姿になる。
「豪力波動」
女豹騎士の獣能と同時に、コーカサスバイソンも異能を出す。
野牛騎士の両腿が異常に膨れ上がり、その瘤のような筋肉が絞り出されるように下肢部へと押し出された。
突進に上乗せされる野牛の爆発的な速度と圧力。
それに息を合わせた、猛獣のしなやかで異形な動き。
直線と変幻が交わる重奏突撃。
どちらかと向かい合おうとすればもう片方の攻撃を受けてしまう。しかも異能がどういうものか分からないから、防ぎようがないかに見えた。
だがこの状況にも関わらず、マリオンは泰然としたものだった。
躱せない。
そんな間合いぎりぎりの呼吸の中――
マリオン=リンドは撫でるような柔らかさで、バイソンの頭部に片手を添える。
そこを起点に宙を回転。
更に回転しつつ、横合いから来たシベリアヒョウに向けて、細剣が光の線を走らせる。
バイソンは勢い止まらず流され、女豹騎士は獣能で伸びた体毛ごと、体の数カ所を斬りつけられていた。
一方のドールビッグホーンは、擦り傷ひとつ負っていない。息も上がらず涼しいものだった。
「次は命ごと、斬り取ってさしあげるわ」
「てめえ……」
マリオンの挑発に激高するシベリアヒョウの駆り手であるバルバラだったが、両者の実力差は歴然としたもの。むしろ獣能を出しながら、まるでままごとの相手でもされるように手玉に取られた事実に、戦慄さえ覚える。
「アネッテ、イーリオ達の事は安心なさい。それよりも私の〝アウロラ〟を受け継いだのだから、そんな程度で手こずっては、言われた通り未熟者もいいとこよ。もう一度鍛え直さなきゃいけないわね」
もう既に目の前の敵などものの数ではないかのように、マリオンが姪のアネッテに声を出す。そんな扱いをされつつも、あまりの実力差にバルバラやコーカサスバイソンの駆り手カシュバルも歯向かう事すら躊躇われていた。
それは〝そんな程度〟と言われた青灰牛の女騎士ゾラとて同様だった。
あのドールビッグホーンは、確かに〝北の戦女神〟ではない。だがそれは、悪い意味においても違うという事を示していた。
――北の戦女神とは異なった、とんでもない実力者。
ゾラは標的であるイーリオと、隣りのムスタにチラリと視線を走らせた。
二人は鎧獣を纏う気配すらない。ムスタに至っては騎獣を呼び寄せる事すらしていなかった。
時ここに至って、それはもう油断などでないのは明白。つまり、アネッテとマリオンの二人がいれば、自分達などものの数ではないと見下されているのだ。
悔しいがそれは正しい見積もりだと言えるだろう。
一騎の実力で百騎の戦場を覆す――。
それが鎧獣騎士の戦いというものだから。
だが、元よりイーリオの実力がとんでもない事は知っている。そんな相手を捕縛するのに、この手勢だけで事足りるとも思っていない。実力不足なのは百も承知だ。
悠然としたイーリオら親子の姿。
――それが油断と言えるよう、今から覆してみせる。
「ガルリ・ゴーキー!」
三獣士・ゾラが叫ぶ。
その名が指し示すもの。
彼らが突破してきた天然の迷路。その木々の間の向こうに、敵勢でありながら距離を取った影がひとつ。
くの字に曲がった角のシルエットに、マントと杖らしきものを翳した影。
ゾラの合図と同時に、舞いのような動きを見せた。
その途端、半透明に光る牛科動物が青灰牛の女騎士に向かって突進し、ぶつかると同時に吸収されていく。
「あれは――獣理術! 灰堂術士団か!」
イーリオが唸るように声を漏らす。
「ほうほう、成る程な。今の光るケモノが術そのものという事か。以前ホーラーが言っていた鎧獣の生体を生命たらしめている原理そのものを応用させたという事だな。してみるとあれだな、ネクタル、いやそれを変換している生命エネルギーは、奴の言う粒子の正負を反転させるだけではなく――」
「何感心してるの、父さん! 今のが術だとしたら、敵は獣能をかけたのも同じになるって事だよ。もしそこに獣能を上乗せしたら……」
果たしてイーリオの言葉に思い至らぬ敵ではなかった。
己の騎獣に満ちる力を感じながら、青灰牛の鎧獣〝グレイプ〟の顔でゾラが号令を発する。
「〝生存本能〟」
今までになかった跳躍を見せるゾラ=グレイプ。
まるで足に翼でも生えているかのような動きで身を翻すと、近くの茂みに向かって斧を一閃。飛び散った木の葉を掴んで、それを無造作に口に突っ込んだ。
草食動物が草を食べる――。
至って普通の光景を見せているようだが、違和感が甚だしい。
そもそも鎧獣は肉食草食関係なく、ネクタルという人口加工品しか口に出来ないはずなのだ。何より、戦闘の最中にあって何故食事行為をするのか、意味が分からない。
だが、次の瞬間――
ゾラ=グレイプの姿が消えた。
いや、空中でとんぼ返りのように二回転して方向を曲げたのだ。
まるで跳ねる鞠のような、予測不能な動き。
――まずはゴゥトの副団長からだ!
アネッテは別の方向を見ている。明らかにこちらを目で追えていない。完全な勝機。
長柄の付いた斧を振りかぶった。
同時に、青灰牛の網膜に、王野羊が何かを言うのが焼き付いた。
「〝真珠色の貴婦人〟」
耳に残った乙女の宣告。
言葉の意味も内容も、全ては血飛沫をあげた後に気付いた事。
斧から感じるはずだった手応えは、得体のしれない何かに阻まれ、するはずのなかった着地と共に、両足に刻まれた剣の痕とグレイプ自身の血に、駆り手のゾラが蒼白になる。
振り返った先。
陽光が反射して、眩さが宝石の煌めきを発していた。
「あらあら。こんな程度で出すなんて、ほんとに未熟ね」
呆気に取られる衆目の中、ただ一人残念そうな声で辛辣に評したのは、ドールビッグホーンを纏うマリオンだけ。
イーリオは勿論、敵騎士らも息を呑む。
茶褐色と白の体毛が今やなく、乳白色に近かった薄桃色の鎧すら、その形ごと覆われている。
薄く、だが濃く、角の先から爪先まで、全身を余す所なく覆った、真珠色の体毛。
だが、見た目はいわゆる体毛には見えない。
まるで全身をぴっちりと、衣服か布衣で包み込んだような姿。
それは真珠色の輝きに包まれた、美しき宝石の人獣貴婦人。
「き……北の戦女神……!」
ゴゥト騎士の一騎が呟いた。
かつて戦場にあって、全身を真珠色に輝かせながら縦横に駆けた伝説の女将軍。
その姿こそ、アウロラの獣能。
〝真珠色の貴婦人〟。
ゾラは思わず歯噛みする。
己の足に受けた傷も致命的だったが、それ以上に味方の士気の方が遥かに深刻だった。
ゴゥトの副団長が、かつての戦女神の姿を再現させたのだ。その見た目がただのハッタリではなく、灰堂術士団の助力を借りた己の獣能すら毛程も通じなかったという事実が、何よりも雄弁に物語っている。
味方の戦意は既になく、三獣士と呼ばれるゾラたち三騎も、ただ醜態を晒すだけでしかなかった。
見れば、既に術をかけた灰堂術士団の姿はもういない。
おそらくさっさと見切りをつけて離脱したのだろう。
腹立たしい事このうえないが、それを非難出来る資格が自分にないのも事実だと、ゾラは理解している。悔しいが、ここは理性を総動員させた決断こそが正しいと言わざるを得なかった。
「皆、撤退します! 引き上げなさい!」
指揮官の声にビクリと全身を震わせて硬直するも、全員がすぐに踵を返した。
思わずシベリアヒョウのバルバラが「ハァ?! ンでだよ! 逃げんのかよ!」と抗議を口にしたが、コーカサスバイソンの巨体に羽交い締めされる恰好で、これも引き上げていく。
「お見事でした。完敗です、アネッテ副団長」
最後に敵への賛辞を告げるゾラ=グレイプ。
両足の傷で動きにもうキレはなかったが、それでも見事な挙動で跳び去っていく姿は、誇り高い騎士のものだった。
彼女への敬意だろうか。これに対し構えは解かないものの、アネッテ=アウロラは何もせずに目で追うだけ。
やがて敵の気配が完全になくなった事を受け、アネッテとマリオンもそれぞれ鎧化を解除した。
戦闘を終え、顔に汗の玉を浮かばせているアネッテに対し、遥かに高齢のはずのマリオンは、汗どころか髪の毛の乱れひとつなかった。まるで簡単な家事でもしていたかのような涼しさである。
「副団長になったから少しは形になったのかと思っていたけど、本当にまだまだね、アネッテ。あんな程度で獣能まで出すなんて」
戦闘直後にも関わらずいきなり怖い顔で小言をはじめるマリオンに、二人に近付いたムスタがとりなすように言った。
「まあまあ。あれはあれで良かったんじゃないか。戦女神の象徴みたいなあの姿を見たから、あいつらも思わずビビっちまったんだろうからなぁ。戦力差ってヤツを見せつけて矛を収めさせるってのも、立派な勝ち方だと思うぞ」
「ムスタおじさん……」
優しさなのか格好付けてるのか分からない、にやりとした笑みを浮かべるムスタの助け舟に、アネッテが思わず感謝を言いそうになる。
しかし、元・戦女神の指導はもっと手厳しかった。
「そんな事くらいで何を仰ってるの。矛を収めさせるにしても、普通にあしらうだけでそれをさせるぐらいにならなきゃ、到底立派な勝ち方とは言えないわ。ムスタ、余計なお世辞なんてやめなさい。若い子にはもっと厳しくしなきゃ駄目でしょ。大体貴方がそんなだから、イーリオにも余計な負担をかけるんじゃないの。――ご免なさいねイーリオ、私がこの二人に目を光らせていたら、貴方だってこんな目になってなかったのにね」
「ちょ……っ、分かった、分かったから。何で儂まで小言をもらわんきゃならんのだ……」
「当然ですよ。私とアネッテがいたから、あんな程度の襲撃、大した事ないと貴方は踏んだんでしょう? だからフォルンジュートを呼びさえしなかった」
「い、いや待て。フォルンジュートは呼べば来る。あいつが来るのは早いんだぞう。なあ、イーリオ」
いきなり話を振られて、返答に窮するイーリオ。
だがマリオンはそんな程度で口撃を休めはしない。
「まあ、言い訳なんてみっともない。貴方は私達に甘えて戦おうともしなかった。しかもその間にやるべき事をするならともかく、手を休めてぼうっと見てるだけなんて。家の事を女に任せるのなら、殿方はすべき事をやり遂げるべき。違いません事?」
手に握られたままの輪っか状の器具を睨まれ、顔を引き攣らせるしかないムスタ。
「は、はい……。仰る通りですぅ……」
そう言えば、父とおばさんの力関係ってこんなだったけと、イーリオは半ば呆れた顔を浮かべて苦笑する。
「さあムスタ、貴方は早くザイロウの〝それ〟を仕上げるんでしょう。それとイーリオに伝えるべき事をお伝えなさい。襲撃を受けた以上、もうぐずぐず出来ないわ。――アネッテ、その間貴女の事は私が見ます。貴女は僅かな時間も欠かさず修練なさい。いいですね」
ムスタとアネッテが二人揃って、「はぁい」とどんよりした返事をあげる。
その情けない姿に失笑を浮かべるよりも、イーリオには今マリオンが言った言葉の方が気になった。何より、イーリオ自身も最前から〝それ〟が気になっていたからだ。
一旦場を移した後、イーリオがムスタに尋ねる。
「その手のものって……理鎧獣に着けるものじゃないの?」
ムスタがザイロウの調整にと手にしていた輪っか状のもの。
大きさはそう――丁度真ん中の抜けている部分が、ザイロウの額の宝石〝神之眼〟にぴったりだった。
「その通り。こいつの名前はトレモロ・ユニット」
理鎧獣。
先ほど襲撃者の中にもあった灰堂術士団など、人獣の術士が駆る専用の鎧獣の事。通常の鎧獣と異なり、マント状の布に神之眼には宝石飾りのような器具が嵌められているのが特徴だ。
その宝石飾りの名をトレモロ・ユニットと言った。
「こいつはホーラーとあいつの弟子が、ザイロウ用に作ったトレモロ・ユニットだ」
「ザイロウ用……? 何でザイロウに理鎧獣の器具を……?」
イーリオの反応に、ムスタがほんの少しだけ残念そうな目を向けた。トレモロ・ユニットの意図が分からない息子に察しが悪いと指摘したのではないようだったが、そんな反応をされる理由もイーリオには分からなかった。
「……これはな、ザイロウに制限をかけるためのものだ」
「制限? 制限なんて、どうして」
「制限というのは正しくないかもしれんな。制御というか延命措置というか……」
「延命? 一体どういう事なの?」
「まあ聞け。いいか、今からお前にザイロウについて分かっている事を話す。これはお前がザイロウと共にある以上、聞いておかねばならん話だ」
ムスタの目に、いつものホラ吹きめいた飄けた色はない。焦げ茶の瞳には、まるで裁判官のような父らしからぬ真摯なひたむきさがあった。
この目をイーリオは知っている。
錬獣術師として、育てた鎧獣に辛い決断をする時に向ける眼差しだ。
例えば錬成が失敗した時。
例えば再生処置が間に合わず、最期を看取った時。
そんな時に見せる目だった。
「分かった。聞くよ」
イーリオも覚悟を決めて頷いた。
他ならぬ父が語る言葉だ。
今の騎士としての父はあまり知らない。だが、錬獣術師としての父なら、誰よりも知っている。その父こそ、息子のイーリオは何よりも信頼し、尊敬してきたのだから。
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