第三章 第一話(終)『美洲豹咆哮』
二人の騎馬と、二体の鎧獣が、速足気味のスピードから、猛然と速度を上げる。
馬車は見る見るうちに後方へと引き離され、やがてかなりの距離を取る事になった。そこで、リッキーは騎乗をやめ、大地に降り立つ。
周囲はあつらえたように、荒涼とした剥き出しの大地。樹木も草も動物もなく、爆破させるにはもってこいだ。湿気のない、乾いた風のみが吹き抜ける。幸い、風は追い風。馬車にとっては向かい風。爆風が降り掛かる心配もない。
馬をマテューに預け、ジャガーの鎧獣に合図する。
「いくぜ、〝ジャックロック〟!」
ジャガーの鎧獣、ジャックロックがリッキーの後方に回ると同時に、叫ぶ。
「白化!」
白煙が巻き起こり、たちまちの内にジャガーの人獣が姿を現す。
ただの人獣ではない。授器と呼ばれる形態変化する防具と武器をその身にまとった、人獣の騎士。錬獣術によって作られた、人造の獣であり、生きた鎧。それをまとった、超常の騎士。
即ち、鎧獣騎士。
白地に金縁。オレンジ色の炎の模様が入った授器は、覇獣騎士団独特のもの。まるで軍服にも似たそれは、隊ごとで模様の色が異なる。そして、肩当てに描かれた盾の囲いに剣を持った獅子の紋。二の数字も描かれている。
腰には鎖がまかれ、鎖は長剣と繋がっていた。
鎧獣騎士ジャックロック。
独特なのは、その頭部。
鎧獣騎士になった際、ジャックロックは何故か頭部から後頭部、襟足あたりにかけての毛が逆立つ。それはまるで、装着者であるリッキーの頭髪のようであり、これを制作した錬獣術師によれば、「ちょっとした突然変異」みたいなものであるという。リッキーは、その変化が気に入っていた。
そしてもう一つの独特な容姿が、弐号獣隊では、彼と彼の上官の二人のみ授器に描かれる事を許された、炎のエンブレム。それは、彼が特別であるという証。
近隣諸国に名を知らしめた、メルヴィグ王国国家騎士団〝覇獣騎士団〟の中でも、次席官以上にあたる者は、その証として、隊章を模したエンブレムを描く事を許されている。それは戦場にあって目印となり、味方の旗印となった。エンブレムを背負う彼らは、それだけでかなりの実力者である事を周囲に誇示しており、並みの騎士団なら、普通に頭をはれる力を持っていると言われていた。
鎧化した彼は、その場に仁王立ちになり、足を踏ん張る。そして、大きく息を吸うような素振りを、ゆっくりと行った。
その行為で、マテューは彼が何をしようとしているのかを察した。気付いた彼は、急いで己の両耳を塞ぐ、また、己の鎧獣にも、耳を塞ぐよう、手振りで伝えた。だが、馬はどうしようもない。
「やるんなら、やるって言ってくださいよ、もう……」
ぼやき声は、リッキーには届かない。届いた所で、聞き入れる男ではないのだが。
リッキーは、意識下の声に命じる。
――獣能、と。
閉じた両目を開くと、数十秒後に衝突というところまで迫った馬車が眼前に見えた。
胸郭の奥から喉元に至るまで、熱い血流を感じる。
「俺の叫びにシビれな!」
息を吸い込む。
ヴアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ!!
放たれる、巨大なシャウト。
それは空気を奮わせ、周囲の小石や草花を震動させた。
目の前の景色さえ、歪んでしまうかのような、膨大な声量の叫び声。
馬車の馬は、音圧に弾かれるように速度を落とすと、苦しそうにもがき、やがて高いいななきを残して消滅した。まるで、煙のように。
――その瞬間。
轟音と共に、爆発が生じた。
連鎖する破壊の炎球。
だが、爆発の音も、その勢いも、はたまた先の馬のいななきさえも、ジャックロックの絶え間なく続く叫び声に、まるで無音のように掻き消されてしまう。それどころか、爆発の炎でさえ、大気を奮わす尋常ではない叫び声に勢いを削がれたようだった。
爆発は、ジャックロックの鼻先までにとどまり、やがてその勢いを鎮めていく。それと共に、ジャックロックも叫び声をやめ、声量を絞るように小さくし、声を消していった。
これがジャックロックの獣能。
〝絶叫唱撃〟。
指向性を持った爆音に超音波を発生させ、目標を破壊する獣能。
獣能とは、鎧獣騎士時に発現する特殊能力の事で、鎧獣時には発動しない。また、肉体のどこか一部を極端に強化させて行うものであり、ジャックロックの場合は、〝声〟であった。これは、目標の完全破壊までには及ばないものの、対鎧獣騎士戦においては、相手の三半規管を破壊し、行動不能にさせる事が出来る、強力な獣能で、いわゆる音響兵器というものである。
反面、いくら指向性を持ってはいても、音の波動はある程度拡散してしまうので、周囲への被害も尋常ではない。不思議な事に、〝声〟を出すジャックロック自体には音波による影響がなく、制作した錬獣術師によれば、おそらく音波を相殺する、音の幕のようなものが張られているのだろうと言われていた。
マテューも、余剰の害を被るのに例外ではなく、耳を塞いでいたものの、まだ頭がキンキンと響くような残響が脳内で谺している。頭を左右に何度か振り、耳を叩くような仕草を繰り返す。まるで、分厚いカーテンを耳にかけられているような違和感しか感じない。
「あーっ、あーっ……」
声を出してみるも、自分の声も朧げにしか聞こえなかった。
爆発を食い止めた本人はというと、「蒸解」を唱え、白煙とともに鎧化を解除していた。
白煙が消え去ると、得意げな表情のリッキーが、マテューの方を向いている。
「どうだ。オレにかかればこんなモンよ」
だが、マテューは全く明後日の方向を向いている。聞こえていないのだ。
「おい、聞いてんのか? オレが片付けたんだぞ、おい」
身振りを混じえた言動が視界に映ったのか、「え? 何か言いましたか?」と、マテューは問いかけるも、目は非難に満ちている。
「おま……、この危機を救った英雄サマに対し、なんつー態度だ。信じらんねーな」
自分の行いがもたらした事だと分かっていないのか、リッキーは一方的に憤慨していた。
やがて聴力が回復したマテューが、「何か言ってたみたいですけど、どうせ、俺が止めてやったぞ、すごいだろ。みたいな事を言ってたんじゃないですか?」と見透かしたような口調で指摘した。
「何だよ。悪ィかよ」
「俺がやったじゃないですよ。見てください」
そう言って、マテューは、自分達が騎乗していた馬を指差す。
そこには、泡を吹いて倒れている二頭の馬があった。
「う……」
「獣能するんなら、先に言っといて下さい。馬の耳を塞ぐなんて、すぐに出来る訳ないですからね」
「むむ……」
「むむ、じゃないですよ。歩きですよ、これから」
「え? 歩きって、砦まで歩いて行くってのかよ?!」
「当然でしょう。馬がこの有様で、どうやって乗って行くっていうんですか? 幸い、もうそんなに遠くありません。日が落ちるまでには着くでしょう」
やれやれといった風に、溜め息混じりで答えるマテュー。
「この件の報告もありますし、ぐずぐずしていられませんよ、さぁ、行きましょう」
「何でそんなとこで前向きなんだよ。つーかマジか。マジで歩きか」
「誰のせいでそうなったと思ってんですか」
だがその後も、リッキーは繰り返し、「マジかよ」とぼやき続けていた。マテューはすでに、相手をしていない。
二人がマクデブルクの国境城塞に着いたのは、空が茜色にそまった夕暮れ時であった。




