第三部 第二章 第三話(2)『総司令帰都』
ゴート帝国帝都ノルディックハーゲンに、マグヌス・ロロ総司令官が帰還したのは、皇帝戴冠式以来だった。
マグヌスは戴冠式での皇帝と皇帝の兄を名乗る人物との騒動までは帝都に居たが、その後、隣国から領土侵犯を受けた北西域に軍を連れて出向。その鎮圧に向かったのである。
北西域はまだ政情が不安定なのもあり、一度手痛いほどに潰しておく必要があるという判断からのマグヌス出兵であり、帝都で起きたイーリオの脱走や黒騎士の出現などに彼が関わらなかったのは、そのせいでもあった。もしマグヌスが一連の出来事に直接介入していれば、少なくともイーリオに未来はなかったであろうし、そういう意味で彼の不在は、片方にとっての幸運でもあった。
マグヌスが帰還したのは勿論鎮圧が済んだからでもあるが、それでもこれほど早い戻りになったのには別の理由もある。
それがサビーニ皇太后の訃報であった。
彼がそれを耳にするや否や、総司令らしくない慌てぶりで急ぎ帝都へ戻る準備をし、それどころか軍の指揮は副官に任せ、供回りだけを連れて単身帝都に舞い戻ったのである。
帝城アケルススで皇帝にひと通りの報告のために謁見をし、その後で今回のあらましを尋ねるマグヌス。その顔はいつもの彼らしくなく、悲愴感というか累卵の危うさにも似た切迫したものを感じさせた。
「されば陛下、今回の仕儀、臣も誠に心を痛めておりますが、しかれども主犯がソーラというのはどうにも解せませぬ。決して庇い立てするつもりはございませんが、私はあ奴をよく知っておりますれば、皇帝家に弓引くような行いを――ましてや皇太后陛下を害するなど一番遠い男にございます。何より、そのような行いをする意味が判りませぬ」
「だが、現にそれを目にしたのだ。このエッダがな。それに母上を手にかけたフェリクス・ヤゼルスキの口から、ソーラの名が出たのならば疑いようもあるまい」
ハーラルの表情は固く、瞳は氷の皇太子と渾名されていた時代より寒々しい。マグヌスの言動に、苛立ちさえ滲ませているようだった
「それとも何か。総司令は余が信頼するエッダを疑うというのか。それこそ何の意味がある。エッダが余をたばかる理由などありはせぬ」
「ごもっともでございます。なれど、どうにも腑に落ちぬのも確かな事。国母様を失った悲しみや怒りは重々理解しておりますが、さればこそ慎重なご判断をお願い申し上げます」
「そのためにもソーラを捕縛せよと厳命したのであろうが。いずれにしても彼奴を捕まえねば、全ては詳らかにならん」
「は、出過ぎた発言でございました。しからば陛下、この一件、どうかこの私めに預からせていただけませぬか。私ならばあ奴を捕縛するは勿論、この一件にどのような意図があるか、余すところなく聞き出す事叶いましょう」
「ならぬ」
短い拒絶に、〝獣王殺し〟の最強騎士すら凍り付かせる冷気が籠っていた。
「誠に恐れ入りますが、何故でございましょう」
「恐れ入るなら問うな。ならぬというにはならぬ。この一件は余が直接差配する。マグヌス、貴公はやるべき事をやれ」
氷の目が言葉にせず語っている。
この歪な二人を。
この関係を。
悲劇とも滑稽とも言えぬ隔たりを招いたのは、お前でもあるのだと。
あくまでそれは、マグヌスの勝手な思い過ごしであったかもしれない。ただ即位した以上、ハーラル帝が己の出自を知らぬとも限らないし、そうでないとも考えられる。
どちらにせよ、それを問い質す術がマグヌスにはなかったし、勝手なその憶測が、帝国の武神であり不敗の英雄のこの男をして、それ以上の追求をとどまらせてしまった。
「万が一にも貴公の手を借りる時がくれば、その時は改めて呼び出しをかけよう。それまでこの一件は余のものだ。母上の実の子であり、たった一人の肉親でもあるこの余の」
言葉の意味する重さに気付かぬ、マグヌス・ロロではなかった。
結局、彼は折れる形で皇帝との謁見を後にした。
そこへ、事件のきっかけとなった黒衣の魔女が、恭しく近付いてくる。場所はアケルスス城の回廊での事だ。
「何用か」
マグヌスは、この女をあまり好いてはいない。
胡散臭さもあればどうにも引っ掛かるものを覚えてしまう。それが何かと問われても明文化出来ないのだが、平地に乱を起こす類いの人間であると常々思っているのは確かだった。
しかし、皇帝への忠誠は本物だし、ソーラ以上に皇帝家に徒為すなど考え難いとも思っていた。
ただ、忠義というものが、時に万民にとって正道であるかどうかはまた別の話であろう。
「お帰りのところ申し訳ありませぬ。されど総司令官閣下、先ほど陛下はああ申されはしましたが、ベルサーク騎士団のビョルグ団長を退け、エゼルウルフ卿も撥ね付けた彼奴ら一味を捕まえるには、総司令官閣下のお力が必要になる事は避けられぬでしょう。どうかその時は、お聞き届けのうえ力添えのほど、何卒お願い申し上げます」
「言われんでもそのつもりだ。話はそれだけか」
「いえ、申し上げたいのはそれだけではございません」
見下ろす形のマグヌスが、上目遣いのエッダと目が合った。思わず、歴戦の猛者たるマグヌスですらうそ寒くなる光が、その瞳に灯っていた。
妄執とも呼べる深き想い。
同じ光を、かつてマグヌスは目にしている。
遠い昔、隣国の王女から注がれたものと同じ類いの光だ。
その時は、自分――いや、王女の身に宿った新たな生命に向けられたものだったが、エッダのそれも、自分に向けてでありながら自分ではない別の者に対して注がれている光だと感じた。
そしてそれが、同じ人物である事も、マグヌスは直感した。
「陛下はご自身の生まれをご存知です」
言葉が意味するものを、マグヌスは即座に理解する。
つまりそれは、この女も知っているというだけでなく、自分とハーラル皇帝との関係すら、少なくとも皇帝とエッダの二人は知っているという事に他ならない。さもなくば、わざわざ己にこうして〝事実〟を告げる理由が見当たらない。
「閣下が全てを存じられた上で一人胸に収められたのと同じように、陛下も全てを含みおかれた上で、戴冠式の時、あのイーリオなる若者を排除なされた。それが帝国にとって最上であると判断されたからです。ですから閣下、全てを平らかにするためには貴方様にも我らの指示どおり動いていただかなくてはなりませぬ」
「我ら、だと?」
「左翼大隊司令長官閣下もご存知です。そのうえで、ハーラル様に二心なき忠誠を誓っておられます」
同じヴォルグ六騎士のウルリクも知っているとは――!
自分がひた隠しにしてきた事実。
皇子の誕生にあたってその事実を耳にした時、マグヌスは死んで詫びようと決めた。しかし腹を痛めた〝あの方〟が、それを強く拒んだ。
もし事実を明らかにすれば、ロロの家や一族は勿論の事、私の母国にまで被害は及ぶでしょう。そうなれば貴方と私、二人の命で済む話ではない。平和に事を治めるには、私たちが口を噤むしかないのです。
それは巌のような武人すらも動揺させる甘く蠱惑的なお願いであり、若きマグヌスに正常な判断がつかなかったのは、保身のためであったのか、それとも美貌の姫の潤んだ瞳のせいであったのかは、今でも分からない。分からないが、その過ちが、今になってこんな形で彼を縛り付けるとは――。
黒き魔女が、背を伸ばしてマグヌスの耳元に近付く。魔女の呪いにかけられた英雄は、それを拒む事が出来なかった。
「〝息子〟を助けたくば従うのです。よろしいですね」
不快さが項を逆流していくのを、彼は感じた。
どうしてこうなってしまったのか。どこで間違えたのか。
氷の城の一角で、帝国の英雄は言葉も道も見失い、迷い子のように呆然と立ち尽くしていた。
次回は月曜か火曜の夜に投稿予定です!
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
そんな風に思ってくださった方、そしてまだ評価を入れておられない方がいましたら、是非是非、下の☆☆☆☆☆から作品への応援お願い致します!
面白かったら☆を五ついただけると、創作への励みにもなります!!
ブックマークもまだな方がいましたら、こちらもいただけると更に嬉しいです!
何卒、どうかよろしくお願い致します。