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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第二章『想いと思い出』
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第三部 第二章 第三話(1)『地下闘技場』

 地下――というのは隠語と同じで、本当の地下ではない。

 法の網をかいくぐった人知れぬ場所。社会におけるという意味の地下だ。


 そういった地下社会では、錬獣術(アルゴーラ)にまつわるあやしげな取引や、いわくあり気な品々の売買は勿論の事、日夜、表の世界では見られない様々な非合法行為がされていた。ただ、最近は闇市場の元締たちが、鎧獣(ガルー)関連、特に素体動物の密猟などといった鎧獣(ガルー)の違法行為に厳しく当たっているため、専ら麻薬や抜け荷といった人間向けの密売や取引が中心になっている。





 その場所は、メルヴィグ北部、ダルムシュタット公領より東にあるとある街外れ。

 毎月決まった日の夜に、かつては街の市場だった廃墟を利用し、破落戸ごろつきどもが集まって地下の違法市を開いていた。

 こういった市の中では大規模な部類になり、裏社会における総合卸市とも呼ぶべき場所である。どんな国でもこういう場所はあるし、それを取り締まりきるのは不可能であろう。


 怪盗騎士ゼロ・ゼローラもまた、裏の闇市に出入りする住人の一人である。


 ただ、今は己の愛獣〝オルクス〟を連れず、己の身ひとつでここを訪れていた。いつもの仲間もいない。闇の市場だから鎧獣(ガルー)連れなど別に珍しくもないが、ゼロの鎧獣(ガルー)は紅斑毛のクロヒョウである。珍しいしゅだし、どうしても目立ってしまう以上、それは避けたいとの考えだった。


 見た事のない薬品や抜け荷まがいの品々、中には古生物の骨だという触れ込みの動物の化石や、本物かどうかもあやしい薬品漬けの神之眼(プロヴィデンス)など、雑多な人以上に雑多なもので溢れ返っている。

 それらに気のない素振りで目を走らせつつ、いつもは買い付けよりも盗品を売りさばく立場のゼロだったが、今は別の目的でここに来ていた。


 ゼロが進んだ先は市場の奥。行けば行くほど徐々に暗がりが薄まっていき、同時に喧しい声が空気に混じりつつあった。

 その喧噪の中心地。

 一際明かりのともったそこには巨大な天幕が建てられ、耳をつんざくような声が抑えきれずに漏れ出していた。

 天幕の入口で入場許可の割り符を見せた後、中へと足を踏み入れるゼロ。


 一歩入った途端、むせ返る熱気と共に怒号や喚声が、洪水となって耳に雪崩れ込んでくる。


 天幕の中では人垣が群れとなし、ぐるりと観客席のような形で真ん中を取り囲んでいた。

 ゼロが視線を向けた先――天幕内中央にあったのは、縄で仕切られた円形の舞台。


 そこでは衆目が見つめる中、二人の半裸の男が殴り合っていた。

 片方の拳がもう片方に当たるたび、喚声だけでなく罵声や野次も飛び交っている。


 ――そう、ここは地下社会の闘技場。


 鎧獣騎士(ガルーリッター)ではなく、人間同士が武器も持たず生身で強さを競い合う非合法の場。


 観客は、ただ戦いに沸いているのではなく、闘技者のどちらかに金銭を賭け、一喜一憂をしているのであった。

 やがて闘技者の片方が崩れ落ち、もう片方が拳を突き上げて勝利の雄叫びをあげた。



 鎧獣騎士(ガルーリッター)という超常の武装兵器があるのに、生身の人間による素手の勝負など何の意味があるのかと問われそうだが、人獣の騎士でないからこそ沸き立つ見せ物というのもある。

 理由としては、鎧獣騎士(ガルーリッター)は種別によって性能差が露骨に出てしまうため、賭けが成立しづらいというのがひとつ。だが何よりも問題なのは、戦いの場が設け難いという点だ。

 地を割り、飛ぶように宙を舞う超常の戦士らが戦おうとすると、どうしてもそれなりの広さが必要になってしまう。そして人目を――一応は――忍ぶ闇の市場で、そんな広い空間を提供する事は困難だった。

 勿論、単純に生身による拳の競い合いというのは、いつもの時代であっても人々を熱狂させるものだという理由が、何よりも大きいのだろうが。




 先ほどまでの試合が終わると、どうやら次が今日一番の注目試合らしい。気付けば人いきれでむせ返るほど、観客席にどんどん人が詰めかけているようだった。

 押し寄せる人の群れが齎すざわめきは決壊寸前の静寂を孕み、待望の闘技者が表れるのを、今か今かと待ち構えている。


 やがて――ワァッ、という大きな声。


 闘技場に道化めいた出で立ちの男が表れて、深々と一礼をした。


「皆様、お待たせいたしました! 本日最後にして最高の一戦が幕を開けます! 地下の王者に挑むのはこの男! ブロック〝ギガント〟・ルッテン!!」


 縄で仕切られた暗がりより、鎧獣騎士(ガルーリッター)かと思えるほどの巨漢が、木々を掻き分ける熊のようにのっそりと姿を見せた。


「数多の戦場をその身ひとつで渡り歩き、何と! 鎧獣騎士(ガルーリッター)すらも素手で倒したという人類を超えた人類! それがこのブロックだ!」


 巨人がゴリラのように胸を叩き、気合いの入った吠え声をあげる。

 同時に、客席も大いに沸き返った。


 身長は六・五フィート(約二メートル)どころではない。七・二フィート(約二・二メートル)はあろうか。成人の大人でも子供のように見下ろしてしまうほどの巨大さである。

 しかも背丈だけではない。幅広の両胸。分厚い肉体。鎧獣騎士(ガルーリッター)を素手で倒したというはったりのような触れ込みにも、真実味が増そうというものだった。


「そしていよいよこの男の登場だ! 地下闘技場で無敗の戦士! 前人未踏の四五連勝を達成した最強無敵の王者! ゼルグ・ヴァリ!」


 道化服が叫んだ後、大男とは反対側の暗がりから、これもかなり上背のある男がゆっくりと姿を出した。

 こちらは六・五フィート(約二メートル)ほどだろう。充分に大男の部類なのだが、相手の背があまりにありすぎて、遠近感が狂ってしまう。


 だが何より目を引いたのは、男の姿――顔の部分。


 頭の上から布を巻いているのだが、それが顔の上半分、目の下まですっぽりと覆い隠す恰好になっており、ほぼ目隠しをされているような状態だったのである。


「さあ、いつものように視界を封じた王者に対し、最強最大の挑戦者はどう戦うのか? 賭け金が出揃ったら、試合のはじまりとなります!」


 王者だ、という声。挑戦者のブロックの名前をあげる声。

 観客の声と金貨銀貨が闘技場を飛び交い、やがてそれらが鎮まった頃合いを見て、司会の男が「それでは賭けを締め切ります」と告げた。


 上半身は裸。

 既に臨戦態勢の闘技者二人。


 並ぶと身長だけでなく、横幅の差もかなり歴然としていた。王者が水桶だとすれば、挑戦者はワイン樽ほどの開きと言えようか。もしくはチーターに対してのライオンと言えるかもしれない。

 体重差も相当だろう。しかも挑戦者は巨体に反して筋肉は締まっており、鈍重さはあまり感じさせない。生物の原理原則、いや物理的な理由においても、王者が圧倒的不利なのは間違いなかった。


 熱狂が最高潮に高まったその瞬間――



 ゴングの鐘の音。



 観客が歓声をあげ、同時に挑戦者が雄牛の速度と迫力で王者に突進をかけた。

 それを華麗な足さばきで躱すも、挑戦者の動きも機敏だ。いくら躱そうとも執拗に迫ってくる。

 だが、不思議な事に王者には擦りもしない。

 両目が布で防がれているというのに、目で見えている人間よりも確かな動きで素早い巨人を優雅にいなしていた。


 苛立つのは挑戦者。

 観客は興奮で沸き立っている。


 が、次の瞬間だった――


 突如鈍い音をたて、挑戦者の身体がくの字に折れ曲がった。

 一瞬、何が起こったのか誰も分からず、挑戦者の動きと共に観客の声まで静まり返ってしまう。


 突如の無音。

 天幕の時間が停止したような沈黙。


 やがて苦悶の呻きを吐き出し、挑戦者の巨体が深々と地面に沈んでいった。

 見下ろす王者ゼルグ。


 数拍の沈黙が過ぎ去った後――




 爆発したような歓声が沸き起こった。



 開始わずか十数秒。

 決め手は腹部への拳一撃。

 たったの一撃で、巨漢のブロックは倒されてしまった。


 さすがのゼロもこの光景に唖然となりつつ、思わず全身を身震いさせて苦笑いをしてしまう。

 王者に賭けた者達が歓喜と共に配当金を受け取るのは勿論の事、挑戦者に賭けた者達すら、あまりの凄まじさに満足げな顔を浮かべつつ、天幕を後にしていく。

 ゼロもまた、王者に賭けた事で得た己の配当金を受け取るが、彼は人の流れを避けた隅に佇み、ただ一人この場に残り続けた。


 やがて誰一人天幕内から客がいなくなったのを確認すると、王者ゼルグ・ヴァリが入場に用いた通路の中へと足を踏み入れていく。


 通路の先には、布で仕切られた空間。松明が炊かれ、その中にガウンを羽織った背の高いシルエットがあった。


 地下闘技場の王者ゼルグだ。


 ゼルグは顔の上半分を覆った布を少しずらし、隙間から覗いた片目でゼロの姿を認める。


「へえ」


 呟きが意味するところは分からないが、突然の来訪者に驚いた様子もなければ、どこか見知った人間に対する反応ですらあった。


「驚いたよ。まさかね……。最初話に聞いた時はマジかって思ったけど、ほんとにあんたとはね」


 ゼロの言葉に、ゼルグはほくそ笑む。


「怪盗騎士……だっけか? こんなところに何の用だ?」

「覚えていてくれたとは光栄だ。ちょっとアンタに頼みたい事があってさ」

「頼み? お前が頼みとはねえ。言っておくが悪事の片棒を担ぐ真似だったらお断りだぞ」


 どうやらゼロの話に、興味を示してくれたようだ。真っ向から出て行けと言われない限り、後は自分の語り次第。そしてゼロには、確かな目算があった。


「悪事じゃねえよ。それに頼みたいのは闘技場の王者にじゃねえ。別のアンタにだ」


 覆面をしたゼルグの顔が、少し固いものになる。だが拒絶ではない。そうでなければ大丈夫だろうと、ゼロは肚を決める。

 ゆっくりと伺うように、本題を口にした。


「聞いてくれるかい?」

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