第三部 第二章 第二話(終)『破滅対支配者』
以前、イーリオの父ムスタは、ソーラ・クラッカの駆るスコールの獣能を、一対一で使っても意味がない能力だと断じた。
その理由は、極めて稀な〝他者の身体性に働きかける異能〟だからである。
スコールの獣能〝狼王の狼憑き〟は、特殊な吠え声によって発動する。この声を聞いたとある条件の鎧獣騎士は、事前に仕込んだウイルスが活性化、体内物質の過剰分泌により、対象の全騎士の戦闘力が格段に跳ね上がるというもの。
その上昇振りは、並みの騎士でもスコールと同程度の戦闘力にまで上げてしまう。
条件と言うのは二つ。
一つが〝スコールに咬まれてウイルスが仕込まれた鎧獣騎士〟。もう一つが〝オオカミ種の鎧獣に限る〟というものだった。
また、咬まれる事で戦闘能力が上がるとはいえ、敵がオオカミ種だった場合にもそれが発動してしまう訳ではない。ウイルスの注入はスコール自ら選別可能である。無論、配下のクラッカ団のオオカミ達は、皆スコールに〝咬まれて〟いる。
つまり、吠え声で味方の戦闘力を上げる異能――
それが〝狼王の狼憑き〟。
この時も、速度も力もありとあらゆる身体性を倍増させた人狼の一団は、さながらスコールの群れとなって、一斉にヘリング家軍へと逆襲に出た。
「狼狽えるな。数はこちらが勝っている。一騎が正面、もう一騎が背後を衝く二騎一組であたれ!」
そこへ素早く、エゼルウルフの命令が飛んだ。
エゼルウルフは身に纏うハティの鼻で大きく息を吸い込むと、続けて叫ぶ。
「特に右だ。右側にいる奴らは我らが追いつめていた集団だから、ソーラの力があっても踏ん張りが効かん。足元を中心に確実に削っていくのだ!」
この後も、ソーラと刃を交えながら、自陣や戦況を見もしないで、矢継ぎ早に指令を発するエゼルウルフ。
これが彼の駆るアンデスオオカミ〝ハティ〟の獣能。
〝邪霊嗅覚〟。
嗅覚を超異常発達させ、半径約六・二マイル(約一〇キロ)四方の、ありとあらゆる事象を把握するというもの。
嗅覚による知覚異能はよくあるものだが、ハティのそれは桁が違った。
体調や感情の動きを読み取るなど当たり前。それどころか、範囲内全ての生物の脳内物質や微細なフェロモンなど、本来は知覚出来ぬ深さの情報までも瞬時に読み取るだけでなく、無機物、有機物問わず、その一帯における普く全ての事象と、そこから起こる結果までも的確に感知してしまうほど。
もはやそれは、超嗅覚という言葉では物足りない。
嗅覚を用いた未来予知。
領域内で、彼と彼の騎獣に予測出来ぬものなど皆無だった。
この力があるからこそ、彼の家軍は常勝無敗。
エゼルウルフとハティが〝戦場の支配者〟と呼ばれる所以であった。
互いに、集団戦にこそ本領を発揮する力を惜しげもなく振るい、昨日までの仲間とは思えぬ殺意を相手にぶつける両軍。
ソーラもエゼルウルフも、手心を加えるつもりは微塵もなかった。
そんな余裕が取れるような相手でない事は、百も承知していたからだ。
だがエゼルウルフ=ハティは、未来予知に近い異能を用いながら、目の前のソーラに対してここぞという決め手に欠ける戦いしか出来ていなかった。指揮を揮いながらである以上、どうしても全てを眼前の相手に集中出来ないからである。
しかしそれでも恐ろしいのは、未来を予知出来るほどの異能そのものではなく、戦場という千変万化する場においてその全てに処理をし、的確な判断と読みを行う、駆り手のエゼルウルフその人であろう。相性というなら、これほど騎士と鎧獣の相性が合っている組み合わせもそうあるまい。
とはいえ、ソーラとスコールも負けてはいない。同じ隻眼。同じ視界を共有し、運命を共にすると誓った駆り手と騎獣なのは彼らも同じ。
まさにこの二騎は、ありとあらゆる面で互角であり、同時に相容れぬ存在――そんな風に言えた。
だがこのままでは埒が明かない――
エゼルウルフは、即座に決断する。
味方の被害を考慮に入れつつ、僅かの間、自軍の指揮を己の副官に一任したのだ。
――獣能の全てを目の前の男に集中すれば、勝利を予知出来る。
かつてそれで捕捉しきれなかったのは、マグヌス総司令と黒騎士ぐらいのもの。
瞬間、ハティの〝邪霊嗅覚〟が、ソーラ=スコールの動き全てを明瞭に知覚させた。
――何?
急に動きの変わった白灰色の人狼。
ハティの持つ、片刃が鉤爪上になった剣砕きの剣が、黒狼の身体に傷を量産させはじめる。
動きが変わったというより、どんな動きも完全に読まれている――と言う方が正確だろう。
このままでは数える間もなく押し切られかねないと、ソーラは判断した。しかし、どう動こうとも全て先読みされてしまう以上、手の打ち様もない。
――こうなりゃ、やるしかねえ。
出し惜しみ出来る相手でないのは先にも述べた通り。ならばやるとすれば、ここしかなかった。
ソーラとスコールの変化に、異能の力でエゼルウルフが予知をする。が――
――何かをしようと? ……これは?
ハティは予知で捕捉するも、その詳細を掴みきれない。
攻防の僅かな間隙。
突如スコールが、自身の腕に己の牙を突き立てたのだ。
深い咬み痕。血が、牙から糸を引いてしたたり落ちる。
それは生物の視力では見えざる、極小の領域の変化。
あらゆる事象を予知させていても、ウイルスまでは読み取れないのだろう――
スコールから、ソーラの号令が出された。
「〝狼王の狼憑き〟――〝呪狼憑術〟」
今度は、遠吠えのような声ではない。
唸り声からの威嚇のような短い吠え声。
ドクン。
スコールの全身が、大きく跳ねた。
「何だ?」
ハティの両目が大きく見開かれる。異能が読み解こうとするも、処理が追いきれていない。それほど急激な変わり様。
隻眼の瞳が、深い蒼から血走った紅へと変わっていく。
「奥の手だ」
直後、ハティの目の前にスコールの姿。
――何だとっ。
同時に〝邪霊嗅覚〟が答えを導き出した。
鋭い一撃をかろうじて受け止めつつも、小柄なアンデスオオカミの身体は後方に吹き飛ばされた。
視線の先にある黒狼の姿は、最前よりも猛々しく、息も荒ければまるで別の騎士であるかのよう。
「味方にかける己の獣能を、無理矢理自分に施して強化する……だと。何という破廉恥な――!」
思わずエゼルウルフが吐き捨てた。だが、一瞬とは言え未来予知が追い付けないほどの敏捷性は、驚愕に値するものだろう。
しかし、仕掛けが分かれば、それは予知という手の平の中。
のはずであったが――
嗅覚が〝視〟せた直後の未来は、エゼルウルフですら困惑させるもの。
寸暇も待たず、ソーラ=スコールが吠えた。
「〝狼王の呪言〟」
息を吸い込む、隻眼の黒狼。
そしてひと声――
ヴウォォンッ
スコールの咆哮が、空間をビリビリっと震わせた。
あまりの音圧に、ハティですらも思わずたじろがざるを得ないほど。
次の瞬間。
ガクン――と膝が崩れるエゼルウルフ=ハティ。
「な……何!」
激しい酩酊。
立てずによろめいただけではない。ハティの視界が大波に揺られるように傾いでいる。
それどころか、自軍の騎士達全員までもその場にへたり込んでいた。
「てめえには初めて見せるよな、俺の第二獣能。どうだ? 狼の呪いの味は?」
スコールの第二獣能。
〝狼王の呪言〟。
特殊な音波を混じえた吠え声を周囲に放ち、脳震盪を起こさせるというもの。
これとよく似ているものが、メルヴィグ王国・覇獣騎士団の騎士、リッキーの〝ジャックロック〟の異能である。
ただ、大きく異なっている点があり、スコールに咬まれてウイルスが注入された鎧獣騎士には、これが無効化されてしまうのだ。
つまり、第一の逆。
敵味方関係なく声の届く全ての相手を一時的に戦闘不能にさせるが、ウイルス感染した味方のみ、無害になる。
当然、クラッカ団の面々のみが今の咆哮でもなんら被害は被っていない。しかも音波である以上、空間に拡散されるため、一帯全てが立ち上がれなくなっていた。
――いかん……! このままでは……!
おそらくこの〝揺れた〟状態は、そう長くないはずだ。
しかし己はともかく、全軍が機能麻痺した今、自軍が一瞬で壊滅させられてもおかしくない状況だ。そうなれば目も当てられない。
――おのれっ、こうなれば仕方ない……!
ここから助かる――いや、敵軍に勝利するには、もうこの方法しかないだろう。とはいえ、〝ハティ〟の二つ目の異能は、神域に近い異能である分、代償も大きい。
しかしエゼルウルフは、躊躇う事で被害を大きくするような愚将では決してなかった。
即座に第二獣能の使用を決断する。
が――
目の前にいたはずの――
クラッカ団の姿が煙のようにいなくなっていた――
「なっ……!」
〝邪霊嗅覚〟を全開にして敵の痕跡を突風のように辿るも、既に敵軍は、遠く離れて後退している。
ソーラはスコールが狼王の呪言を放つと同時に、味方に撤退を指示。息の合ったクラッカ団は、申し合わせたような淀みない動きで、瞬時にその場から退いていったのだった。
「おのれ……っ、ソーラ・クラッカ」
エゼルウルフは怒りで別の目眩を起こしてしまいかねないほどに憤慨するも、自軍の状態では追跡も出来得ない。
軍を率いて不敗を誇る〝戦場の支配者〟と〝破滅の声〟の戦いは、最終的に痛み分けという結果に終わった。
とはいえ、一方のソーラ率いるクラッカ団は、あのまま敵軍に致命的な損害を与える事も出来たはずだ。
しかし、それをせずに撤退の道を選んだのは何故か。いくら気に喰わない相手なうえに冤罪にされたとはいえ、やはりあれらは同じ帝国の軍。どうであれくだらない嫌疑で徒に戦力を損なうなど、やはり馬鹿馬鹿しいとソーラは考えたのである。
結局、この戦場において戦を支配していたのは、支配者という渾名を冠した者ではなく、群れの支配者であるソーラ・クラッカであったようだ。
だが、これで事態が終わったわけではない。
冤罪をかけられて逃亡するクラッカ団は果たしてどうするのか。
事態は更に混迷の度合いを深めていく――。
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