第三部 第二章 第二話(4)『幼馴染』
当時は、イーリオよりもアネッテの方が背は大きかった。
女の子の方が男の子より成長は早いもの。とはいえ、成人した今でもイーリオより少し低いぐらいの身長があるのだから、未だに女性としては大柄な部類になるのだろう。
けれども、当時は背の割によく村の子供達から泣かされていて、それをよくイーリオが庇っていたのを覚えている。
イーリオはイーリオで、母のように懐いていたマリオンから「仲良くしてあげてね」と言われていたので、自分がこの娘を守るんだ、と兄のような気持ちになっていたのだ。
泣き虫アネッテは、いつもイーリオって騎士に守られてやがる――
そんな風に悪童どもが囃し立てるたび、青痣を顔にこしらえ、泥だらけになりながらイーリオは喰ってかかったものだった。
「懐かしいなあ……でも、あの泣き虫だったアネッテが、まさか騎士団の副団長になってるなんて。二重の意味でびっくりだよ」
「もう、子供扱いしないでよね。あの時とは違うんだから」
「さっきだって泣きそうになってたじゃない」
「あ、あれはほら、懐かしいのと――その、帝都から逃げ出したって聞いてたから、無事だったんだって……。あたしだって――し、心配してたんだからっ」
頬を膨らませた顔は、幼い頃の彼女と変わらないように思えた。
「ありがとう」
御礼の言葉に、照れ臭そうに微笑みながら、チラチラとイーリオの顔をうかがう彼女。
「何?」
「……背、あたしより伸びたんだなぁって」
「そうかな……。ん、ちょっと、こっちに並んで」
「へ?」
イーリオが、身を寄せて背丈を比べる。
「そうだね。今は僕の方が大きい。でも、アネッテだって高いよ」
言葉の意味もあったが、それよりも正面を向いて顔が間近にあった。
アネッテの顔が耳まで真っ赤になり、「馬鹿っ」と言いながら、叢に座り込んだ。
屋敷の裏庭――といっても野原に等しいのだが――に出て、幼い思い出を語り合う二人。色々聞きたい事は山のようにあったし、尋ねたい事はそれ以上にあるだろう。
実際、イーリオは然程気にせず聞いていたが、アネッテは再会出来た喜びと、それ以上の気恥ずかしさで、どうにも受け答えに二の足を踏んでいるようだった。
そんな初々しい二人を眩しそうに見つめていたのが、屋敷の中のムスタとマリオンである。
「あいつ……天然の女たらしなんじゃないだろうか……」
「でしたら、育ての親からの悪い薫陶なんじゃないかしら」
「おいおい、健康・誠実・真面目がモットーの儂だぞ。今までチャラチャラした事なんぞ一度だってないわ」
皮肉めいた口調のマリオンに、涼しくなった己の顎をさすりながら、ムスタが呆れた溜め息をつく。
「私があんなにお髭を剃った方がいいって言っても剃らなかったのに、どうして今更綺麗に剃り上げたの?」
「何じゃい。どういう意味だ」
「今は私も独り身ですからね。相手に対し身綺麗にするのは紳士の嗜みとして当然ですけれど」
「んん? ――う~ん……こいつぁ困ったな。天国のアイツに謝っておかにゃならんか?」
「あらまあ、冗談も分からないなんて。お互い歳は取りたくないものだわ。それよりも、まずはどうするの?」
屋敷の中で二人だけなのは、のんびりした会話を楽しむためではなかった。二人が、イーリオ達若者に席を外すよう言ったのだ。
別の会話をするために。
「まずはザイロウだな。あれを万全にする。その間、ここで身を潜めて状況をうかがおう。ここの〝結界〟は、ソーラもお墨付きのようだったしな。当分バレる事はあるまい。――で、問題は帝都だ。あのエッダとかいう女官がオグール公国を引き入れ、帝国内のざわつきは日増しに大きくなっとる。この時期に各地の戦線を広げようなぞ、あまりに性急すぎる。放っておけばかなり取り返しのつかん事になるだろうが……ソーラの動き次第で、何か見えてくるかもしれん」
「そうですわね」
「そういや、ソーラはもう行ったか」
「ええ。五人ほど団員を残して。そういう律儀なところは相変わらずだわ。あんな見た目なのに、とても目配りや気配りがお出来になるんですから」
「全くだ。イーリオとやりあった時も、わざと手を抜いて教えをしてやったようなもんだしな」
ヴォルグ六騎士のソーラ・クラッカは、ひと通りの現状と今後の展望について軽く話し終えると、一旦帝都に戻ると告げて屋敷から出て行ったのだ。
彼からすれば団からの報告も聞きたいし、本格的にムスタらに味方するとなっても、リヒャルディスやマグヌスらに対して筋は通しておきたいと考えての事だった。それもソーラらしいと、ムスタやマリオンは、納得して彼を送り出したのである。
さて、そのソーラであるが――。
少ない手勢を率い、表街道を避けてほぼ山の中に等しい道行きを帝都に向けて進んでいると、何やらものものしい気配を察知した。
オオカミ種は感知に長けている。それ故、愛獣の〝スコール〟が奇妙な気配を感じ取り、それをソーラに教えたのだ。
ソーラも同時に気付いていたらしい。スコールの訴えに頷きつつも、嫌な感覚に小首を傾げつつ警戒の水位を上げた。
部下に素早く指示を出し、全員が気付かれないように鎧化をする。
そのまま一斉に散開。互いに距離を取りつつ、気配の方へと音もなく近付いた。
彼らが向かった先に待っていたもの――
――何だこりゃ?!
それはオオカミの鎧獣騎士たちを襲う、オオカミの鎧獣騎士たち。
いや、襲っている方はアカシカやドールシープなども混じっている雑多な群れ。
それよりもだ。
同種同士の戦闘など問題ではない。
襲われているのは自分達クラッカ団の騎士達。
襲っているのはおそらくエゼルウルフの配下、ヘリング家軍の者たちだった。
同じゴート帝国。
同じヴォルグ騎士団の者同士で争っている。
自国軍の同士討ちなど、意味が判らなかった。
しかし、味方が襲われているのだ。見過ごすわけにもいかない。
戸惑いを無理にでも噛み殺しながら、ソーラはヘリング家軍の前に躍り出る。
突如表れた黒毛の狼王に、襲撃側はたちまち混乱を見せた。足並みが乱れたところを、ソーラ=スコールが牽制。
なるべく殺しはしない。
相手を殺す事は容易いが、状況が分からぬ今、それは良くないと判断したからだ。
総隊長の突然の乱入に、クラッカ団は驚きながらも活気づくのは当然だったろう。襲われていた方が、今度はヘリングの側を一気に押し返していった。ヘリング家軍もこれにはたまらず、被害が大きくならない内に、かろうじて統制を取りながら、引き潮のように素早く退いていった。
ソーラが、人狼の隻眼と嗅覚で相手を探る限り、どうやらあのヘリング家軍の集団に、総隊長のエゼルウルフはいないようだった。となれば、話を聞くのはまず部下達からだ。
隊をまとめていた小隊長を捕まえると、彼は礼を述べながら、慌てるように経緯を告げた。
「オレらに謀反の疑いがかけられたんス。フェリクス副長は処刑されちまって――。オレらはその副長の命令で、帝都から何とか逃げ出したんスけど……」
「ああ?! 謀反? 何だ、どういう意味だ。ちょっと落ち着いて、イチから話せ」
皇太后サビーニの殺害。それを為したフェリクスとその事をフェリクスに命じたソーラ――。
話を聞き終えたソーラが、顔をひくつかせながら叫び出しそうになる己の感情を、必死で堪える。
実際は、今すぐにでも大声を上げたいところだが、さっきの今だ。じきにエゼルウルフがくるかもしれない状況で、敵に気付かれる愚は慎まなければとかろうじて自制した。
「ッくしょう! フッザけんな……! 何で俺が皇太后を殺さにゃならん? 何だ? 何がどうなってやがる」
「オレらもさっぱりでさあ。でも、んなハズはねえっていくら言っても、追手の奴ら、まるで耳を貸そうともしないんで」
部下の悲痛な訴えが、ひしひしと伝わってきた。
「ここにいるのはこんだけか? 他のはどうした?」
「フェリクス副長の指示だったんス。もしもの時に逃げ出す時は、全員、バラバラに逃げろ、って。オレらはその後合流した面々で、半分くらいは捕まっちまったんじゃないかな……。あ、でも、さっきまでポウルの野郎の隊と一緒だったんス。襲われた時に二手に別れたから、まだ無事なら、こっから東に向かえば――」
「よし、野郎ども! 動けるヤツは俺に着いて来い。今から仲間を助けに行くぞ」
総隊長の檄に、クラッカ団が「応」と答える。
いくらあらぬ嫌疑をかけられて参っていようと、心服する総隊長の鼓舞に奮い立たぬ者は、この場に一人もいないようだった。
ソーラに率いられた人狼の群れが、森林を縫い付けるように進むと、そこにはやはり、ヘリング家軍に襲われる自軍の姿があった。しかも、倒されている味方の数は相当だ。
それもそのはず。
この場でクラッカ団を襲っていたのは――
「てめえ! エゼルウルフ!」
吠え声を上げながら、ソーラ=スコールは跳躍してヘリング家軍総隊長エゼルウルフに斬り掛かった。
金属音が、衝撃波を響き渡らせる。
スコールが持つ薙刀の刃を、エゼルウルフ=ハティの剣が弾き返したのだ。
「どういうつもりだ?! 何でてめえが俺らを襲ってる?!」
不審と同量の怒りを相手にぶつけたソーラだったが、白灰色の人狼騎士は、むしろ鼻面に皺を寄せ、牙を剥き出しにして怒りの形相を作る。
「何故だと?! よくもそのような事をぬけぬけと……! 主殺しの非道な大罪人が何をほざくっ!」
「てめえ、何言ってやがる。何で俺らが皇太后様を殺さにゃなんねえんだ。んなわけあるか! 頭を冷やしやがれ」
「黙れっ。それ以上戯れ言を言ってみろ。皇帝陛下の御前に引きずり出す前に、私がこの場で貴様の五体を斬り刻んでやるぞ」
エゼルウルフの怒りは本物。
何より、ソーラの言葉にまるで耳を傾けようとしない。
元々、生粋の貴族の生まれであるエゼルウルフは、義賊出身のソーラを毛嫌いしていた。何かにつけ突っかかってくるのは勿論、戦闘中であれば背中を狙ってくるのではないかと思えるほどの仲であった。
それでもエゼルウルフなりに、騎士としてソーラに一目を置いていたのは、彼の実力もさりながら、マグヌスや皇帝家に深い忠心を持っていたように感じていたからで、それだけはエゼルウルフも認めていたところだったのだ。
ところが今やソーラ・クラッカは、皇太后殺害の主犯であり、歴史に名を残す大罪人と成り果てたのだ。
今までの嫌悪と相まって、エゼルウルフの殺気は口で説明して止められるようなものではなさそうだった。
「畜生っ。言ってわかんねえほどの馬鹿とはな――。とことんおめえとは気が合わねえぜ」
ソーラの胸中に苦々しい思いが広がるも、ともあれこの状況から脱するには、目の前の狼将を何とかするしかない。
同時に、周囲の状況にも目を配る。
クラッカ団の数は合流した者達も合わせて、およそ三〇騎ほど。対するヘリング家軍の数は、一〇〇に近い。本気でこちらを潰そうとしているのは明らか。
仮にソーラだけが何とか脱しても、味方が壊滅――などという事すら予想された。
――こうなりゃやるしかねえ。
決意を固めるソーラ。
黒狼の牙を剥き出して、シィィと息を吐き、声を張り上げて告げる。
「野郎共、〝宴〟の時間だ」
ソーラの発言に、場の空気が変わった。
あの台詞。あれはクラッカ団特有の符牒。
それを知らぬ者は、ゴートの軍にはいない。
「〝狼王の狼憑き〟」
異能の号令の後、アームブラスターウルフの人狼が、天高く遠吠えをあげた。
同時に、エゼルウルフもハティに告げる。
「〝邪霊嗅覚〟」
黒と白。
二騎の人狼騎士が、互いの〝群れ〟と誇りをかけ、異能の力を解き放った。