第三部 第二章 第二話(2)『孤狼本能』
明らかに追いつめられているイーリオを見て、ムスタの横に立ったクラッカ団の男、ヤンクは独り言のように呟いた。
「こいつぁ決まりですかね」
ムスタは相変わらずヤンクの方を見ようともせずに言葉だけで返す。
「本人達はそう思ってないようだがな」
「勝負はこれからだと?」
「いや――」
ムスタが初めてヤンクの顔を見た。
その目の光に、ヤンクは背筋を総毛立たせる。
「もう決まる」
圧倒され、追いつめられ、明らかに不利な形勢。
ハーラルと戦った時もそうだ。そして最後の手段として第二獣能を出した挙げ句、それごと屈服させられてしまったのだ。
今度はどうだ? まさかソーラまでハーラルの時と同じではなかろう。
だが、果たしてあの大技をこの黒狼の騎士に当てる事は出来るのか? 速度や威力はあっても躱されたら意味などない。
なら、どうするのか?
「イーリオ!」
耳に飛び込んでくる、父の声。
隙は見せないようにして、イーリオは狼頭をそちらに向けた。
「投げやりになれ! 何もかも忘れて、やぶれかぶれになってみろ! お前の体はもう、お前を超えている。その身に着いたお前の戦い方に、全部委ねてみろ!」
いきなりの助言。
イーリオは意味するところが呑み込めず戸惑い、ムスタの隣りにいたヤンクは助言という行為そのものに驚きを露にした。
「ちょ、ちょっと、そういうのアリなんスか」
「親馬鹿とでも言いたいか? ふん、戦場で声を出すのは当たり前だ。声を出したらいかん戦場などなかろう」
呆れるヤンクはともかく、イーリオはしばし呆然となる。
――やぶれかぶれ? 投げやり?
勝負を諦めろと父は言っているのだろうか?
いや――
心の底。
何か焦げ付くような、チリリと種火に薪をくべたような衝動が、胸の奥に走る。
カイゼルン師匠の言葉。
思考など追い付かない。
そして父の言葉。
――そうか。
どうすればいい、どうしたらいいと、自分は色々考えすぎていたのかもしれない。
鎧獣騎士の戦闘とは、獣の本能と人間の理性との融合した先にあるもの。それはごちゃごちゃ考えながら発するものではない。
数多の戦闘を経て、イーリオは色々と考える余裕が出来てしまっていた。しかしその余裕こそが、理性を強くさせ、〝人間のような〟思考を介入させてしまったのだ。
結果、イーリオは己自身で自分の足元を覚束なくさせ、戦いに躊躇いを生まれさせていたのだと、気付いた。
どうなる。どうしよう。どうすれば。
そんなものは超常の人獣達の前ではまるで意味がない。
躊躇い、後悔、怖れ――それら全てが鎧獣騎士の獣性を薄れさせる枷でしかないのだから。
ハーラルとの戦いの後、ザイロウの声が聞こえなくなっていたと思っていた。
違う。
聞こえなくなっていたのではない。自分が聞こうとしていなかったのだ。
頭で考えず、己の全身で感じろ。ザイロウはもう、自分と同身なのだから。
閉じた両目を、見開くイーリオ=ザイロウ。
ヴォウッ
喉から漏れる、本能の雄叫び。誇り高き孤狼の息吹。
聞こえる。ザイロウの声。
そうだ。ずっとザイロウは語りかけてくれてたんだ。
白銀が、閃光となって駆けた。
ソーラもこれに反応して、駆け出す。
恐ろしい速度同士の衝突。
火花が散った後には、もう何もない。
既に両者の姿は空中へと上がっている。
閃く薙刀。
唸りをあげる聖剣。
膂力は互角。速度も変わらないか。
いや、僅かにザイロウが上回っている。跳ね上げられる薙刀の刃。体勢が崩れそうになったところで着地し、即座にザイロウへ足払いを放つスコール。
だが読んでいた――というより緩めなかった連続攻撃で、これをそのまま躱す恰好になり、黒狼の喉笛へと肉迫するザイロウ。
「何のっ」
ソーラが吠えつつ、右肩の頭骨型の肩当てを前に出して、ザイロウの牙を防ごうとする。
金属音。
肩当てに当てられたのは、牙ではなかった。
炎を刃に刻んだ幅広の曲刀。聖剣レヴァディン。
目を剝くソーラ。
しかも剣で斬りつけたのすら布石。防がれた勢いをそのまま反動に変え、白銀の人狼はまるで小動物さながらに空中で一回転。
ソーラ=スコールのお株を奪うような曲芸めいた動きの果て、遂に黒狼の首筋に牙を突き立てた。
勢いは砂煙を上げるほどの迫力で地を滑り、ねじ切るように相手の巨体を組み伏せた。
さながら野生の狼が、誇りを賭けてボスの座を競い合うように、白銀の大狼が漆黒のアームブラスターウルフの首に深々と牙を喰い込ませている。
その両腕は抑えられ、腹部には膝がしっかりと入っていた。互いの武器は手放した、いや、手放された恰好だ。
ハッハッハッ
短く荒い息が耳朶を打つ。
イーリオが初めて耳にする、ソーラ=スコールの息切れ。
今までの息もつかせぬ目紛しい戦闘が、ほんの一瞬――秒速の攻防で、決着を見せたのだった。
ズブリ、と黒毛の狼王の首に、白銀の牙がめりこもうとする。
「そこまでだ」
場の空気を支配する声を出したのは、こちらに向かって歩みを寄せるムスタだった。
「イーリオ、牙を離せ。ソーラ、お前ももういいな」
父の言葉が冷や水のようになり、ザイロウの逆立った毛が、一瞬で弛緩していく。
「お前らも動くなよ。手出し無用はお前らの頭目の命令だろう」
周囲の警戒をしていたはずのクラッカ団が、思わず矛先を変えんとしていた機先を制し、ムスタが続けて声を張り上げる。ヤンクの方をじろりと睨むと、彼もまた、息を吐いて仕方なさそうに目を閉じた。
「野郎ども、こいつは総隊長の対決だ。手出しすんじゃねえ」
その声を受け、ゆっくりと牙を解くイーリオ=ザイロウ。そのままスコールの身体から身を離す。
ソーラ=スコールの喉には、光る血の濃い痕。だが、致命傷にはなっていない。あくまで組み伏せただけに留まっていたからだ。
「油断したな、ソーラ」
ムスタの方を向くアームブラスターオオカミ。
「ダセぇ言い訳させんでくださいよ、ったく……」
首筋を撫でながら、ソーラ=スコールは上半身を起こした。
「……いや、ダセぇのは変わりねえか。参ったな。完敗だよ、兄ちゃん」
蒼い隻眼が、黄金の瞳を見つめた。
肩で息をするイーリオ。
ムスタの助言にあったやぶれかぶれ、投げやりという言葉。本当にそうなったのではなく、自分の本能が命じるままに、戦いに自分を投じてみろというのがその言葉の本質だったのだ。
カイゼルン師から受けた修行の日々。数多の戦いを経て得たもの。
それら全てが己の血肉となり、糧となった今、自分は誰よりもザイロウとの戦いに実力を出せるのだと、父はあの一言で気付かせてくれたのだった――。
鎧化を解除した後、ザイロウの表情がいくぶんか違うように思えたが、ザイロウは何も答えない。それでも何か言わなきゃとイーリオが一人で思ってると、ムスタが鼻で笑うように言った。
「ザイロウは分かっとるよ。それが本当の鎧獣と騎士ってもんだ」
それに続けたのは、ソーラだった。
「ああ、あんたは間違いなく、本物の鎧獣騎士だ。そんで、運命を託すに足る男だよ」
誰よりも何よりも、敵からの賛辞ほど心を奮い立たせてくれるものはない。
それは見失っていた大切なものを、イーリオが己の手で取り戻した瞬間でもあった。
※※※
その頃、ゴート帝国の帝都ノルディックハーゲンでは、密命を受けた灰堂術士団の手の者が、ソーラをはじめとしたクラッカ団の動向を、逐次エッダに報告していた。
行方を晦ませたイーリオが、父であるムスタのもとへ行き、更にムスタは騎士として復帰したという。そこへ断りもなく向かったのがソーラ・クラッカ率いるクラッカ団の面々だ。
エッダは勿論、ハーラルとてそのような命は出していない。功に逸ったとも見れるが、そもそもイーリオの動きは、ソーラの耳に入れていない。となれば、彼はムスタに会うべく足を運んだのだろう。
ムスタはイーリオの育ての父であり、名のある錬獣術師としてソーラをはじめ、マグヌス総司令やリヒャルディスらと親交があるのは知られている。何か考えがあっての事か、はたまた誰かの密命を受けたのかは分からぬが、エッダの目が行き届かぬ動きに、彼女は不審と疑惑を募らせる。
――放っておいては後々厄介になるかもしれない……。
この時、事態を更に混乱の方向へと加速させたのは、ソーラらの行動を追っていたのが灰堂術士団であったというところだろう。
彼らの術は距離も時間も超え、場合によれば一瞬で最新の情報を齎してしまう。
もしこれが早馬などを用いた既存の伝達方法であったなら、時間差がエッダの動きに待ったをかけたかもしれなかった。少なくとも、ソーラ自身はそういうものだと判断し、行動していた節がある。
だが、ソーラとイーリオの邂逅からはじまる一連の出来事。
即ち、ソーラがイーリオと模擬戦か試合のような戦いを行い、彼に負けた挙げ句、友誼を交わしたような振る舞いを見せた――その報せは、灰堂術士団の放つ超常の術理をもって、時を置かずにエッダの耳へと入ってしまったのだ。
報せを受けたエッダの動きは素早かった。
彼女は帝都に残されたクラッカ団の副官を呼び寄せ、ソーラについて問い質したのだ。
通常、ヴォルグ六騎士がそれぞれ代表を務める〝家軍〟と呼ばれる私家軍は、あくまで六騎士個人に裁量を任されているもの。この時ソーラは、懸念しているウルリクらの動きを探る意味もあって、団を束ねる副官の一人フェリクス・ヤゼルスキを帝都に残していたのだった。
たかが高級女官とはいえ、今や宮廷に冠たる権勢を誇るエッダだ。その召喚を無下にする事など、当然家軍の副官風情に出来るはずもない。
何事か分からぬまま彼は呼び出され、帝城で予期せぬ質疑を受ける事になった。
総隊長のソーラは、何故皇帝への報せもなく勝手に帝都を離れたのか。何処に行ったのか。何の目的か。
フェリクスは可能な限りその全てに答えたが、これがどういうものか読み切れていない。尋問のような長い拘束の後、彼は一旦解放されるが、不審な思いを抱いたのは当然の事であったろう。
「この事を総隊長に報せろ」
と、部下の一人をすぐさま走らせる。
しかしこれもまた、灰堂術士団の置いた〝目〟によって見張られていたのだ。
クラッカ団副官フェリクスの放った報せは、道行きで密かに捕らえられ、それが総隊長のソーラの元に届く事はなかった。
そしてこの後、事件は起きる。
再度、エッダからの緊急の呼び出しを受けたフェリクスは、夜も更けたアケルスス城へと足を運んだ。
緊急と言うから訪れたものの、前に呼び出しを受けてまだ日も浅い。警戒するなという方が無理であったし、鎧獣を連れるなとの命もなければ、己の騎獣を連れて赴いたのは当然の事であったろう。
広い城の中を、己の足音だけ響かせて彼が進む。
今日に限って、やたら人気が少ないようにも思えた。
呼び出されたのはいつものエッダの居室ではなく、別の応接間。
厚い扉の外に鎧獣を待機させ、彼はその部屋へと入っていく。
この時、タイリクオオカミである彼の鎧獣が鼻面に皺を寄せ、警戒した素振りを見せたのだが、フェリクスはそれに気付かず中へ入ってしまった。いや、気付いたところでもうどうしようもなかったのだが――。
武官の彼が、入った事のない応接間。広々とした空間に明かりはなく、蒼い闇で中が満たされている。
まだ、エッダ様は来ていないのか――?
判断がつかないまま、ゆっくりと部屋の中へ進めば、やがて闇の暗さに目が慣れてきた。
輪郭が判然としてくる。
気配――いや、何かがあった。
嫌な予感。
引き返すべきか否か。
フェリクスはクラッカ団の中にあって、貴族出身の由緒ある騎士の家に生まれた者だった。義賊出が多い団の中ではもっとも騎士らしい人間と言え、律儀さや真面目さが団の良心とも呼ばれていたのである。
だから帝都に残る役割を任されたのであり、その真面目さゆえ、彼はこの悲劇の標的に選ばれてしまう。
わずかな逡巡の後、彼は決心した。
己の視界が捉えた〝何か〟に、ゆっくりと歩み寄る。
「エッダ様――ですか?」
返答は当然ない。
何かが足先に触れた。濡れたような音。
そして鼻孔をつく、戦場で嗅ぎ慣れた匂い。違和感が大きくなる。
何か――闇に慣れた目と、長年の感覚で理解した。
――死体か。
素早く目を走らせ、辺りの器具を探し出して部屋に明かりを入れた。
この時はまだ、彼は冷静だった。良からぬ事態である事は一瞬で理解したが、誰の死体かを確認せぬままここを出るのは危険だと判断したのだ。それが誰かを確認すれば、すぐさま鎧獣を連れてここを離れるつもりだったのだ。
死体が誰であるかを目にするまでは――。
灯した明かりは一つだけ。まだ薄暗さが残る部屋の中央に倒れていたそれは、血溜まりの中、うつ伏せで顔を引き攣らせている。
目にしたフェリクスもまた、驚愕で息を呑んだ。
――ま、まさか……!
見間違いか。いや、見間違うはずはない。
そう何度も目にした事はないが、それでも一度見て忘れる事など許されるはずはない。
冷静な彼の思考が、この時混乱と焦燥の中、判断に足止めを起こさせてしまう。
直後だった。
荒々しい音と共に表扉と別口の扉が開かれ、武装した騎士達が雪崩れ込んできたのは。
しまったと思った時はもう遅い。
だが、騎士達もそこに倒れている人物の姿を見て、驚きに身を竦ませる。
「何て事を……」
取り囲んだ騎士の群れから、女の声が聞こえた。
エッダだ。
血の気がひき、顔は青醒めている。だが、どれほど迫真の演技で塗り固めようと、フェリクスは全てを理解した。この状況を作り出した恐るべき主犯が誰であるかを。
「まさか……そんな……」
「おのれ……! エッダ、貴様……!」
歯を剥き出して、怒気も露に一歩踏み出そうとするフェリクスに、騎士らが剣を抜いて牽制した。
「み、皆の者、こ奴を捕らえよ! 恐るべき大罪人であるぞ!」
騎士らが一斉に躍りかかり、無茶苦茶に殴打を受けるフェリクス。
「恐ろしい……なんと恐ろしい……」
エッダの独白が舞台の狂気を彩っていく。
「皇太后陛下が殺された! 犯人はクラッカ団の者ぞ!」
大陸歴一〇九七年四月一日。
ゴート帝国皇太后サビーニが殺害される。
この時、実行犯として史書に記された者の名は、クラッカ団の副隊長フェリクス・ヤゼルスキ。
これを命じた主犯として、総隊長のソーラ・クラッカが残されている。
尚、どのようにしたのかは不明だが、投獄されたフェリクスは、ハーラルからの尋問を受ける前に、牢の中で自死をしてしまった。
検死ではどこかに隠し持っていた毒物によるものだとされたが、全てを目論んだ〝彼女〟に暗殺されたのだという事は、知る人ぞ知る事であった。
「面白い!」
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
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面白かったら☆を五ついただけると、創作への励みにもなります!!
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