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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第二章『想いと思い出』
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第三部 第二章 第一話(終)『幼少記憶』

 髭のせいで知らなかったが、ムスタは意外に精悍な顔つきをしていた。

 それに、年齢の割に若く見える。

 というより、髭が父を老けて見せていたのかもしれない。剃り痕は青々しく、無精髭のようにまだまばらな剃り残しは見えるが、それでも顔だけ見るとまるで別人のようだった。


「ところでさ、父さん」

「おん?」

「どうして髭を剃ったの? 髭もじゃなのが父さんなのにさ」

「……気分転換だよ。しばらくは錬獣術師(アルゴールン)として生活出来んだろうからな。別に深い意味はない」


 気恥ずかしいなら剃らなきゃいいのに、とイーリオは父の態度に思わず噴き出した。

 まだまだ聞きたい事、尋ねたい事は山のようにあった。大雑把にはイーリオも理解したが、これ以上隠し事をされるのはもう嫌だと思ったからだ。


 だが、まずは行き先についてが重要だった。


 父の知り合いで協力者と言ったが、それはどういう人物なのか。自分もその人を知っているのか。イーリオがムスタに尋ねると、彼は言った。


「お前もよく知っとるよ。お前が大きくなってからはかなり会ってなかったが、小さい時には何度も会っとる」

「小さい時……?」


 疑問が記憶の沼をすくいとろうとする。

 しかしその答えを見つけ出す前に、ムスタが歩みを進めていた馬車を、急に停止させた。


 街道とはいえ、人気ひとけの少ない道を選んでいるし、見渡しても誰もいない。獣路のような整備されたものとてないから、利用する者すら少ない道だ。

 だが、その行く手に土煙が上がっている。かなりの数に見えるし、どうにもキナ臭い。


「父さん」

「ああ、ザイロウとフォルンジュートを準備しろ」


 襲撃がないのが不思議だと思っていたくらいだ。

 だから、どこかでこういう事もあるだろうと、親子で覚悟はしていた。

 逃げ出さずに迎え討つという選択をしたのは、ムスタが己の実力に自信があったからだろうし、再び完膚なきまでに撃退すれば、更に続けての襲撃も減るかもしれないという、何も言わずとも理解し合った、親子の目算があったからだ。


 ところが敵襲が近付くにつれ、ムスタの表情がにわかに曇り出す。髭がなくなった分、表情が豊かで分かり易かったから、雰囲気だけでイーリオもその変化に気付いた。

 やがて騎馬の集団が目の前にまで訪れ、それと同数の鎧獣(ガルー)も、くつわを並べるように隊伍をなした。


 見るからに剽悍な騎士達。

 同じ帝国の国家騎士団なのに、ベルサーク騎士団とはまるで毛色が違うように見える。

 中でも、隊を率いる男の姿が、極めて特徴的だった。


 猛々しい無造作な蓬髪。不敵な物腰。

 折り目正しい騎士様、貴族様というより、傭兵集団の頭目というのが似合いそうな見た目で、系統で言えばリッキーなどがまだ近く思えた。だが、リッキーよりも更に野卑さが滲み出ており、それは特徴的なある部分によって強調されていた。

 顔つきではなく、顔に着けたモノ。

 騎士(スプリンガー)としては非常に稀――というより見た事がない。


 片方の目に、眼帯をしている。


 その特徴的な姿が、イーリオの記憶に何かを囁いた。


「見つけましたよ、ムスタ卿」


 隻眼の男が言う。


「ソーラ・クラッカ……。まさか、もうお前が出てくるとはな」


 ムスタの呟きにソーラは笑みを浮かべると、一団に下馬を命じる。


「意外っスか? ま、心配せんでください。俺らは他の奴らと違って、あんたら親子をっちまおうってつもりでここに来たんじゃないんで」

「ほう。では何だ」


 襟足に毛皮のついたマントを脱ぎ、それを乗馬の鞍に載せてから、一歩ソーラは前に出た。それに従うように、彼の騎獣であろう鎧獣(ガルー)も横に並ぶ。

 緊張していたイーリオが、思わず目を見張った。


 狼――


 それもとても大きい。

 黒と灰色の毛並みで、ザイロウと同じかそれ以上の体格だった。

 何より、ソーラと呼ばれた男同様、片目に眼帯を着けているのが奇妙だった。


 だが、そこから更にイーリオを驚かせたのは、引き連れる騎士達と彼らの鎧獣(ガルー)である。

 そのどれもが大型犬科――即ちオオカミ種だったからだ。


 ハイイロオオカミ、シンリンオオカミ、タイリクオオカミ、ホッキョクオオカミ、イベリアオオカミ、アラスカオオカミ、ラブラドールオオカミ……などなど。


 狼種、狼の亜種だけで構成された部隊。


「俺ァね、確かめに来たんスよ。オーラヴ皇子だっつって名乗った、そこのあんたの息子さん。そいつが〝本物〟かどうかをね」


 ムスタは冷たい目で、見下すように言い放つ。


「お前が血筋だの皇帝家だのにこだわる男だったとはな。意外だ」


 ソーラが両手をあげて肩をすくめる。


「まさか。俺の言う〝本物〟ってのはそういうんじゃあないッスよ。あのムスタ・ヴェクセルバルグと、〝百獣王〟カイゼルンに鍛えられたそこの坊主が、どれほどの人物かって値踏みしにきたんスよ」

「帝都で見たんだろう? ハーラル皇帝に負けた。それがこいつの全てだ」

「それこそまさか、ですよ。つーか、俺とあんたの付き合いだ。俺の言いたい事ぐらい、分かるでしょう?」


 ムスタが腕組みをして、太い溜め息をついた。


「知ってどうすると言うんだ? マグヌスか総騎士長にでも何かしてくれるのか?」

「俺の知っているムスタって人は、息子可愛さに助けを出すような男じゃねえ。つまり、あんたもこの妙な状況に気付いているから、わざわざ手助けしたんでしょう? 血の繋がらない息子を」


 最後の言葉に、ムスタは眉根を寄せる。だが、そんな煽りには乗ってこない。


「そういう男だったか、ソーラ・クラッカという男は。儂の知っていたソーラは、そんな下衆な物言いをする奴ではなかったように思うがな。してみるとあれか。貴様の言う妙な状況とやらになるのも、やむを得ないという事かな。今の貴様を見ていると、帝国がどれほど根腐りしているかが分かろうというものだ」

「へっ、まあそんなカッカしないでくださいよ。――いいでしょう、持って回った言い回しはナシだ。こいつはね、勘だ。ただの俺の勘。今、帝国では何やらとんでもなくキナ臭い事態が起こりつつある。で、その鍵になる人間が、そこのイーリオだ。だから俺は、あんたの息子を値踏みしにきた」

「充分持って回った言い方だと思うがな。――ま、言いたい事は分かった。で、どうする? 仮に値踏みして、お前は何をするつもりだ?」


 また、ソーラは肩をすくめた。


「分かりません。リヒャルディスのじいさんにも、出たとこ勝負ですっつってここに来たんスから」


 呆れたように頭を掻くムスタ。イーリオは話の行方が読めていないので、口出しが出来なかった。


「なら、どうやって値踏みする? ここで質疑応答でもするか?」

「言わんでも分かってるでしょ。おい、野郎共!」


 急に鋭い声を出したかと思えば、引き連れた狼の配下達が、一斉に周囲に散らばった。

 即座に鎧化(ガルアン)する構え。イーリオも警戒しようとするが、囲んだ敵の集団が、おもむろにこちらに向かって背を向ける。


「こいつらには手出しさせません。辺りに何もないかの見張りですよ。あの黒母教とかっていう、妙ちきりんな野郎どもにも邪魔されたくないんでね」


 どういう事かとイーリオが訝しんだ。

 溜め息を吐いてムスタが息子に振り返る。


「こいつはな、お前と一騎討ちをしたいんだそうだ。どうする?」

「え? 一騎討ち?」

「気が乗らんか? だがこいつは強引にでもするつもりだぞ」


 乗るとか乗らないとかの話ではなかった。話の流れからそういう結論なのは理解したが、そもそも何のためにそんな事をするのかが、いまいちイーリオには呑み込めていない。

 すると眼帯の視線が、ムスタからイーリオへと狙いを変えて睨んでくる。


「嫌でも受けてもらうぜ。てか、あの時の坊主が、すっかりデカくなったよなぁ。俺も老けるわけだぜ」

「……?」


 言葉の意味が分からず、イーリオは怪訝な表情を浮かべた。


「覚えてねえのも無理はねえな。俺ァな、随分昔、お前と会ってるんだ」


 昔――。その言葉に何かが引っ掛かった。


「まだお前がこんなチビスケだった頃だぜ。戦場から逃げ出したヒグマの野郎がよ、ガキのお前を襲おうとしたんだ。そこを俺が助けた。どうだ? 覚えてるか?」


 記憶の底。

 幼年期。

 遥か幼い頃の、鮮烈な出来事――それは閃きのように脳裏を駆ける。




 父に連れられた〝捕獲場〟。迷子になった自分。


 突然表れたヒグマの鎧獣騎士(ガルーリッター)に、それを斬り倒した巨大な黒い狼の人獣騎士。


 ――済まねえな、坊主。ビビらせるつもりはなかったんだがよ。


 そう言った人狼は、片方だけの青い瞳。


 眼帯をした黒い人狼――




「あ……! あの、時の……!」


 思わず絶句するイーリオ。


「お? 覚えていたか。そいつぁ嬉しいじゃねえか。ますますやる気が出てくるぜ。さて、それじゃあ準備しろ」


 ムスタの方を見ると、父はやれやれと言った顔で頷くだけ。

 どうしてこんな事をしなければならないのかまるで分からなかったが、これはどうやら避けて通れないものらしいと、イーリオは理解した。

 そして、肚を括る。


「いい目をしてるじゃねえか。俺達と同じ、オオカミの目だ」

「まだ、僕は貴方が誰なのか知りません」

「ん? ああ、そうだな。お前さんは何も知らねえよな。俺の名はソーラ・クラッカ」

「それはさっき聞きました」

「へっクチバシの黄色いクセに言うねえ。――俺は北央四大騎士団ノルディック・フィーラ・リッダーナの第一騎士団・ヴォルグ騎士団の一人。第一外征獣騎総長のソーラだ。こいつらは俺の手下のクラッカ団だ」


 まさかという名に、またイーリオが息を呑む。


 父がベルサーク騎士団の元団長だと聞かされたら、今度は幼い日の命の恩人がヴォルグ六騎士の一人。


 何より、あの助けてくれた姿を目にして、イーリオは騎士(スプリンガー)というものを意識したのだから、言わば憧れの人とも呼べる存在。

 その人と今、一騎討ちをしようとしているなんて、誰が予想出来ただろう?


「さあ、本気でかかってこい。俺も手を抜かずに相手してやる」


 不敵な笑みを浮かべるソーラ。

 だが、纏う空気は、獰猛な野獣のそれへと色を変える。



 狼対狼。



 北の大地で、白銀と蒼黒の牙が向かい合う――。

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