第三部 第二章 第一話(5)『親子』
「父さんが、ベルサーク騎士団の元団長?!」
声が上擦ったのは、予想してた答えがその通りだったからだ。
大抵の場合、回答が予想通りならば、人は驚いたりしないもの。ただし、この時のイーリオは違った。
イーリオとムスタの親子は、鎧獣運搬用馬車に乗っている。ムスタの言う〝知り合い〟とやらに会いに行く為だ。何でその人に会うのかと言えば、ムスタ曰く――今のこの国で数少ない二人が頼れる協力者、だからだそうだ。
「元と言ってもお前の生まれる前だぞ。今の団長の前の前、先々代だ。しかも団長職に就いていたのはほんのちょっとの期間だ。今となっては儂が騎士だった事など、帝国の中でも覚えとる人間はかなり減っただろうな」
「息子の僕だってそんな事、初耳だし……」
「言う必要のない事だったしな」
「いや、あるでしょ」
半ば憤慨混じりにイーリオは非難の目を向けた。
しかし――同時に思い当たるところもある。
錬獣術師が、自ら野生の〝神之眼持ち〟を捕獲するというのは聞いた事のある話だが、ムスタのようにヒグマやヘラジカといった猛獣を、自分だけで捕獲する人間はきわめて珍しい。ひと一人で野生の猛獣を無傷で捕まえるなどまず不可能だし、まず人手がいる。ほとんどは獣猟団に依頼するものだし、その獣猟団とて、役割を分担して捕獲にあたる。
以前、とある獣狩猟士が、父の捕獲の腕を絶賛していたが、実は元・騎士、それも凄腕のというのなら、納得のいく話であった。
でも――
「何だか、まだ信じられないよ……」
「さっきの戦いだけではないぞ。お前なら身に覚えがあるはずだ」
「僕に?」
「そうだ。お前、初めてザイロウを鎧化した時、いきなりゴゥト騎士団を数騎相手に倒しただろう。どれだけザイロウが強力でとてつもない性能を秘めていたとしても、それがどれだけ有り得ない事か、今なら分かるんじゃないか? しかもその後に至っては、〝氷の貴公子〟ティンガル・ザ・コーネと戦って生き延びたと聞いたぞ」
「あれは、生き延びたって言うより、ザイロウにとんでもない力が眠ってて――」
「にしてもだ。そのとんでもない力とやらは、剣を交えた最初から使えていたのか? 違うだろう? おそらくは戦いの内に発現されたものではないのか? ……あのハーラル皇子――今は皇帝か――と、いくらお前の歳が変わらなくても、相手は戦場も潜り抜けてきたうえ、鍛えに鍛えられ一流に育てられた騎士。それを相手にズブの素人が、かろうじてでも生き延びれると思うか? 言っておくがな、世の中そんなに甘くない」
最前、山賊団〝山の牙〟の連中は、ベルサーク騎士に手も足も出ず倒されていた。
彼らは全くの初心者ではないだろうが、騎士になりたての人間とは、あれに等しい。
「狩りを通じての身体の操作、使い方……。逃走限界で間合いの詰め方や取り方を覚え、他にも野生動物に襲われた時の対処方法と言い、剣なんかも教えたよな」
「え……ちょっと待って。そういうのってもしかして」
「そうだ。儂は狩りを利用して、お前に騎士――というより、鎧獣騎士としての身体の動かし方を教えていたのさ」
声にならないイーリオ。
「納得いかんか? なら、もっとはっきり言うとだ――優れた剣がある。斬れ味も頑丈さも軽さも、何もかも絶品、世界一の剣だ。じゃあ武器が世界一なら、使い手が素人でも戦いに勝てるか? そんなわけはない。それは鎧獣だって同じだ。いいか、いくらザイロウが特別でも、お前は人生で初めて鎧化をして、いきなり国家騎士団の騎士を相手に勝ったんだぞ」
「それだけ、ザイロウが特別すぎるって事だと……」
「化け物じゃないんだ。いや、化け物じみた潜在能力はあるかもしれんが、少なくともあの時はそうじゃなかった。それはいくら集団戦に特化したゴゥト騎士団が相手であっても変わるもんではない。大人の狼が、生まれたてで目も開かん赤子の狼に負けるなんて事は、天地がひっくり返っても有り得んだろう。何せ赤子には牙も爪も生え揃っておらんからな。つまりお前は、人生で初めて鎧化したあの時、既に牙も爪も立派に研いだものを我知らず持っていたという事だ」
過去の戦いを思い起こす。
自分は何もなっちゃない。ただの無力な子供、無知な素人。イーリオはそう思っていた。
過去、敵であれ味方であれ、素人同然だが非常に手強い騎士というのもいた。しかしそれはいわゆる才能というもので、翻って自分を省みたとき、同じような天賦の才なるものがあったかと言えば、それはないだろう。自分で断言して悲しくなるが、努力して頑張って掴み取る、いわば秀才にはなれても天才では決してない。
となれば、父の指摘は真に的を得ているのか――何だか頭の中が、混乱しそうだった。
「ひょっとしてだが、覚えがないか? お前、カイゼルンの弟子になって、今はすっかりレーヴェン流が馴染んでいるが、以前にレーヴェン流に向いてないとか、相性が良くないとか言われた事が」
過去の戦いを思い起こしていたので、すぐに思い当たった。
ずっと前の事。
十三使徒でヨーロッパバイソンを駆るラフとかいう名の灰堂騎士団の騎士と戦った時だ。
ひどい吃音の男で聞き取り辛かったが、確かに言われたのを覚えている。
――お前はレーヴェン流と相性が良くない。
そんな風に。
「思い当たるようだな。それはな、お前に鎧獣騎士に近い技能を教えたのが儂だった、それが原因だ」
「え? どういう事?」
「儂はレーヴェン流を習っておらん。グライフェン流が半分と、もう半分は我流だ。そんな儂が骨形のはしりみたいなものや、つまみ食いのような技術を、刷り込ませるような形で教えたんだ。だから最初の内はレーヴェン流と噛み合わせが良くなかったんだろう」
「で、でも……獣騎術を教えてくれたリッキーさんや師匠は、一言もそんな事……」
「リッキーというのは覇獣騎士団のか。そ奴は何故か分からんが、カイゼルンは分かっていて言わんかっただけだろうな」
「は? 何で?」
「別に言うべき事でもないと思ったんだろうな。儂が元・騎士だという事は、あいつも知っている。だったら、息子に多少の基礎は教えている事くらい、察しがつくのは当然だ」
知らなかったのは自分一人という事なのか――。
何だか誰も彼もが自分をたばかっているんじゃないかと、疑心暗鬼になりそうだった。
「――儂もそうだが、そういう事に触れるのはお前自身の手ですべきだと、皆も考えてくれたのかもしれん。儂が騎士であったと知れば、それは当然、お前の出自にも関係してくる。そうなればお前は否応なく自分の生まれについて触れねばならん。だがそれは、お前自身分かっている通り、厄介な話だ。だからお前の意志を尊重したんだろう。お前自らがこれと向き合う決心がつくまで、伏せていようと」
理屈では分かるが、あまりの展開にまだ心の整理が追い付かないイーリオ。
「まあつまりだ、儂が元・騎士だという事は、お前自身の今までが何よりの証拠という事だ。さっきの戦い以外で言えばな」
「父さんは……父さんはやっぱり、僕が皇子なんて生まれだったから、僕に騎士としての訓練を……?」
ムスタは馬の手綱を操りながら、髭のほとんどなくなった自分の顎をさする。長年の特徴とも言える髭がなくて、顔が寂しいのか寒いのか。
「万が一というのを考えてな。教えたのはあくまで最低限。本格的な獣騎術ではない事くらい、お前がよく分かっとろう。それなら生きていく上でも役に立つと思っただけだ。……出来れば本格的な獣騎術を学ぶようにはならんでほしいと、真剣に思っていたさ」
たばかろうがどうであろうが、父は自分を守るために己の技術を教え、今度も自分を守るため、秘していた騎士という姿に戻ったのだ。
それだけは間違いのない事だった――。
「父さんが、騎士の身分を捨てたのって、ひょっとして僕のため……?」
「半分はな」
「半分?」
「お前の母さんがお前を連れてきた時、儂はまだ半分騎士、半分錬獣術師の半端者だった。だが、当時既にベルサーク騎士団の団長は、後任のオルヴェに譲っていた。そこへお前がやってきた。母さんは何も聞かないでこの子を守ってと言った。だから儂はホーラーに協力してもらい、お前を匿う手立てを講じた。で、丁度錬獣術師にも片足以上突っ込んどったから、本格的にこちらで生きていくと言って、あの村に籠ったのよ。なぁに、お前が気にする事は何もない。むしろ、お前が来てくれたから、儂は母さんと一緒に過ごす時間を少しでも作れたんだ。そういう意味では、お前は文字通り天からの授かりもの。つまり儂の子だって事だ」
言ってから、ムスタはハハハと笑い声をあげる。
申し訳ないような切ないような――。
それでいながら胸が暖かくなるような、優しい感情。
けれども何故か「ありがとう」の言葉は喉につかえて出て来なかった。