第三部 第二章 第一話(4)『黒飛爪』
名付けるならばクロヒグマとでも言おうか。
元来はクロクマにおける天敵でもあるヒグマと、そのアメリカクロクマの混合種。
それがムスタが纏う鎧獣、黒羆の〝フォルンジュート〟である。
この鎧獣と彼の事を、表れたベルサーク騎士団を率いる副団長のゼニアは知っていた。
イーリオ達が屋敷の中から父の姿を見ていた時、彼女は、ムスタとこんなやり取りをしている――。
「ヴェクセルバルグと聞いた時、気付くべきでした……。あのムスタ様の息子であると」
「分かっとるんなら、儂んとこの馬鹿息子を捕らえようなど、無駄な事だと理解しろ。悪い事は言わん。怪我をしたくなくば、とっととここを去れい」
「いえ、そうもいきません。――それに、いくら貴方でもこの数ならどうでしょう? たった一騎で十三騎のベルサーク騎士を相手に戦えるとでも? 貴方が〝黒飛爪〟と呼ばれていたのは遥か昔。私ですら名前しか知りません。そんな腕も鈍った貴方がたった一騎ですよ? 最前、ビョルグ団長が遅れをとったのは、あくまで団長が驚いて油断したから。不運だった――それだけです」
「鈍った? 何を言っとる。一度目はともかく、後の方はがっつりここで儂にやられただろうが。油断も何もなかろう。数だろうがカビの生えた名前だろうが関係あるか。例え先代のオルヴェの娘であっても、歯向かってくるなら容赦せんと警告しとるんだ」
「……ええ、望むところです。先々代の実力、我らにも見せてもらいましょう!」
――と、ここでイーリオが飛び出してきたのである。
そして今、一騎と十三騎が向かい合っていた。
目紛しい上に予想外の展開に、イーリオはただ何も言えず、固唾を飲むばかり。
――まず、黒紫の騎士・ムスタ=フォルンジュートが先に動いた。
数で押し包まれる前に綻びを衝こうというのだろう。
が、相手はホッキョクグマにして手練のベルサーク騎士。体格もフォルンジュートとそう変わらない。すぐさま散開してこれを迎え撃とうとする。
しかし――
黒紫は残像だけを残し、陣形で言えば両翼の端を、ひと息で斬り倒す。
鮮血を吹き上げ、強制解除される両端のホッキョクグマ。
そう、両端なのだ。手近なところをまずは二騎ではなく、端と端の二騎を目にも止まらぬ速度で瞬殺してしまう。
驚きに声も出ない敵集団。
が、そんな程度で取り乱したりしないのがベルサーク騎士。
白の猛獣騎士達は一瞬でクロヒグマを包囲した。迫る二又槍の槍襖。前後左右、全てが死角の状態。躱せまい! と思った矢先――
フォルンジュートの曲刀が旋風をあげて円を描く。
クロヒグマから見て十二時から三時の方向の騎士達が、何も分からず崩れ落ちた。しかし、槍の勢いは止まらない。包囲網からは逃がさんと、仲間が倒れるのも構わず、残りの包囲網からそのまま槍が繰り出された。
一騎一騎が特級か一級以上の強者揃い。その突き出す槍の破壊力、貫通力はゾウやサイですら貫き通すかもしれない。
だが、槍の穂先はどれも空を突いていた。
既に先ほどまでクロヒグマがいた空間には、何もない。
気付いた時には、包囲の一角が、背中から黒紫の巨躯に斬り倒されている。
「すごい……」
ザイロウを纏っていないのでちゃんと視認出来ているわけではないが、鎧獣騎士となった父の実力に、イーリオは思わず感嘆の声を漏らした。
今やイーリオも、広く名の知られた一流の騎士である。その彼をして、父の動きがどれほどのものであるかは容易に分かる。何より、あのフォルンジュートという騎獣の動きが信じられなかった。
ヒグマ――というよりクマ系は、見た目通り力押しの場合が多い。鎧獣騎士として発揮される膂力は随一で、更に分厚い毛皮と皮下脂肪が硬質の鎧へと変じ、防御力も他を寄せ付けない。
その分、多くが想像する通り、敏捷さや速力では他の鎧獣騎士と比べて一段劣ってしまい、あくまでパワーファイターとしての戦い方にならざるを得なかった。
ところが、ムスタの駆るクロヒグマ――フォルンジュートはまるで違う。
動きはまるで、猫科猛獣のトップスピードかと思えるほど。挙動の鋭さは研ぎすまされた刃物のようで、一挙手一投足に無駄がなく、何より速かった。
しかもそれに輪をかけて恐ろしいのは、一撃の威力も尋常ではないところだった。
敵を倒す踏み込みの時、大地が揺れるほどの衝撃が一帯に響く。
鎧獣を纏っていない今のイーリオでは、その都度身体が宙に浮くほど。だからわずか一撃で、あのホッキョクグマの騎士達を倒せているのだろう。
簡単に言えば、固く、速く、パワーもあるという事。
それを自在に操る父もまた、強く、鋭く、隙がなかった。
手も足も出ず、手玉に取られる北央最強騎士団の一角だったが、だからといってこのまま引き退がる彼らではない。むしろ、ここまでが彼らの〝戦術〟だった。
包囲し、数で圧倒しようとするやり方に、どうも雑さを感じるムスタ。
本来、ベルサーク騎士はそんな戦い方をする部隊ではなかった。少なくとも、ムスタが知っているベルサーク騎士団は、そうではないはず。
そう、この数瞬の攻防の合間に、密かに姿を消していた者がいた。
副団長ゼニアである。
彼女の駆るホッキョクグマ〝ボルトゥクヴァ〟の獣能は、〝無色透明〟。
以前も説明したように、ホッキョクグマの体毛は実は白ではなく透明である。しかも毛の一本一本がストロー状の空洞になっている。
ボルトゥクヴァはその体毛の空洞部分に無数の色素を発生させ、巨体の姿を消してしまうというもの。カメレオンの如き異能である。
メルヴィグの覇獣騎士団にも姿を消す人獣騎士がいるが、それとよく似ていた。何より、色素変化に伴って授器の色まで変わるのだから、周りからすれば文字通り忽然と姿が消えるに等しい。
ゼニア副団長はそれを使い、配下の騎士がフォルンジュートを引きつけている間に密かに移動し、イーリオ達の背後にまわっていたのである。
――目的はあくまでイーリオ・ヴェクセルバルグの捕獲、または殺害。
ムスタの相手は任務ではないのだから、イーリオさえどうにかしてしまえばいいだけの事。
ベルサーク騎士団としての矜持というものもあるが、相手があの〝黒飛爪〟ならば、多少強引な手段でも周りから後ろ指をさされる事もないだろう。むしろ、肝心の任務に失敗する方が、騎士団と自分の沽券にかかわるというものだ。
それが、ゼニアの考えであり、目算でもあった。
普段ならば、イーリオも敵が一騎だけいなくなった事に気付いていたであろうが、病み上がりなうえ、父の信じられない姿に思考が追い付かず、まるでこれに気付いていなかった。
無論、鎧獣騎士でもない人間の知覚であれば、気付けなくて当然だったかもしれないが。
部下への感謝と謝罪の思いを心の内に押し殺しながら、ゼニア=ボルトクヴァが捕獲の腕を伸ばしかける。
そこへ戦闘の最中、不意にイーリオ達に向かい、ムスタ=フォルンジュートが拳を振りかぶった。
何をしようと――?
敵もイーリオらも、ゼニアですらも眉をしかめる。
彼我の距離は八二フィート(約二五メートル)にはなろうか。
爪も剣も届くはずがない、と思っていたら――
「〝飛天槍士〟」
衝撃が空気の壁を破った。
空を突いたクロヒグマの拳が、矢のように飛ぶ――!
切り離された拳。
それが姿の見えないはずのボルトゥクヴァに直撃。
凄まじい威力で、屋敷を半壊させるほどに巨体を吹き飛ばしてしまう。
一瞬――起こった事象が何であるか理解出来なかったイーリオは、瓦礫の中に埋もれるホッキョクグマの巨体を見て、初めて自分が狙われていた事に気付いた。
そして〝拳を飛ばす〟などという信じられない異能を放った父を見れば、その拳は既に元の腕に戻っているではないか。
残された騎士団員が、思わず後じさった。
「さて、副団長もあの有り様。お前達は手も足も出ない。それでもまだ――やるかい?」
刀身の長い曲刀を肩に担ぎ、不敵な構えのムスタ=フォルンジュート。
その挑発に触発されたとばかりに、一騎のホッキョクグマが飛びかかろうと宙に躍りかけたその瞬間――
黒紫の巨体が、目にも止まらぬ踏み込みで大地を砕き、再び拳が一直線に放たれた。
そのまま、彼方に吹き飛ばされる白い巨人。よく見れば、放たれたのに近い速度で、フォルンジュートの拳は元の腕へと宙を飛んで戻っていく。
もう、誰も彼もが呆気に取られるしかなかった。
「もっかい聞くぜ。まだ――やるかい?」
瓦礫からホッキョクグマの身をよろよろと起こし、ゼニアが油断ない素振りで仲間の方へと近寄る。ベルサーク騎士団らも、明らかに恐慌をきたす寸前で踏みとどまりつつ、徐々に後じさっていた。
「おい、仲間の死体やらは持ってけよ。儂は始末せんぞ」
皮肉めいた追い打ちをかける言葉だが、襲撃者の側はそれに歯向かう余力もない。
副団長のゼニアに至っては、全身からうっすらと白い煙すら漏れ出ているほどだ。その腹部はすり鉢状に抉れており、たったの一撃で戦闘不能にさせた異能の凄まじさを物語っていた。
「やれやれ。屋敷は無傷で出て行きたかったんだがなぁ……」
ベルサーク騎士らがいなくなった後で、ムスタが己の住まいを眺めつつ、一人ぼやく。
クロヒグマの鎧化を解くと、イーリオらの方に近寄っていった。
「みんな無事だな。さて、こうなったからにはさっさと行くぞ」
「旦那の言う通りだ。ピカレ、スモレット、俺らも行こうぜ」
まるで今の襲撃など虫に刺された程度の出来事であるかのような父とゼロに、思わずイーリオが声を荒げた。
「ちょ、ちょっと待って! 何?! 一体何なの?」
目を合わせるムスタとゼロ。
「何って……何が?」
「何がじゃないだろう! ……もう、何が何やらわかんないよ。そもそも父さん、騎士だったの?」
「見りゃ分かる。教会の坊主にでも見えたか?」
「ふざけないでよ。父さんが騎士なんて、聞いた事ないよ。それにその鎧獣、どういう事?」
「どうって言われてもなあ。こいつは儂の相棒だ。ま、お前が知らんのも無理はない。何せお前が出て行った後で再生したんだからな。騎士っていうのもそうだぞ。儂は現役の騎士ではない。元・騎士だ。さっきのベルサークどもも言っとったろうが、剣を振るのも獣を纏うのも二〇年以上振りだからな。驚いて当然だ」
腕が鈍る云々のくだりをイーリオは耳にしていないから、意味が分からなかった。
それに、二〇年以上振りというのも実は間違いで、ムスタはフォルンジュートを再生後、密かにこれの訓練をし、かつての動きを取り戻す準備はしていたのだった。
開いた口が塞がらないイーリオに、ゼロが肩を叩いてにやにやと笑う。
「あんな、敵の襲撃はこれだけじゃなかったんだぜ。お前が寝てる間、さっきのよりもさらにデカい団長ってのが来てよぉ。そいつらをムスタの旦那は、一人で退がらせたんだぜ。いや、あん時も凄かったね」
「団長? あのビョルグさんや他のを一人で倒したの?」
言った後、イーリオは自分の台詞で目眩を起こしそうだった。
「おいおい、目くじら立ててるけどな、その親父さんのお蔭でその時も今も、みんな無事でいられたんだぜ。色々言う前にまずは感謝しとけよ。息子だったらな」
ゼロの言葉はもっともだったが、とてもそんな気分にはなれないイーリオだった。
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