第三部 第一章 第五話(3)『山牙壊滅』
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「白化」と唱えて表れた姿は、他のホッキョクグマの騎士達よりひとまわり大きな、十八フィート(約五・五メートル)にもなろうかというもの。低木など遥か下に見下ろす様は、まさに人獣の巨人。
一見するとザイロウの倍ほどにも見える。
これが帝国最大の破壊力を持つと恐れられる、ベルサーク騎士団の団長ビョルグ・スキョルと、彼の駆る暴帝北極熊の〝ヴェレス〟。
ベルサーク騎士団は、他の四大騎士団同様、専属の役割があり、通常の騎士団とは異なった特殊な運用方法をされた。詳細は割愛するがひとつだけ、誰もが知っている事実がある。
それは、構成される主要鎧獣騎士が、全てホッキョクグマで占められているという事。
ホッキョクグマ以上に大きな鎧獣というのは存在する。
神之眼から復活させた、今や現存しない古代絶滅種がそれだ。しかしそれらは一騎一騎が特殊仕様であり、ある種別格の扱いになった。言わば単騎のみの存在。つまり武力集団としてはこのベルサーク騎士団こそ、この世で最大最強の補食獣の騎士団であると言えるだろう。
ある意味、ヴォルグ騎士団を凌ぐと言っても過言ではないほどの武力を有し、団長のビョルグ=ヴェレスもまた、六騎士に何らひけをとらない豪の者なのだ。
「僕に協力してくれた、貴方まで……」
その一方で向かい合うイーリオの心中はと言えば、戦いに臨むというより、動揺の方が勝っていたと言える。傍で見て取れるほど、ありありと。
……仕方がないのかもしれない。ここまで彼は、何度となく裏切りやそれに近しい絶望を味わってきたのだから。
しかも今度は、よりにもよって帝都での一件で自分に協力をしてくれたビョルグが、追手として表れたのだ。状況だけではなく、彼は精神的にも窮地にまで追い込まれかけていた。
「それがどうした。あの時はトルステン公の言に惑わされただけ。私が誇りある帝国騎士には変わりない。故に、帝国に害をなす者は、容赦なくこの槍の錆にしよう」
先端が〝返し〟と呼ばれるギザギザになった、五又に分かれた槍。
農具で言うピッチフォーク、いわゆる悪魔が手に持つ武器に酷似したそれは、今のイーリオにとってまさに死神の処刑道具にさえ見えた。
「僕も戦う」
動揺するイーリオの横に、巨大洞穴ハイエナを纏ったガボールが並んだ。
ガボール=アーヴァンクの右手の篭手から、実体のない光の聖剣アンサラーが出されている。
――そうだ。僕はまだ一人じゃない。
獰猛そのものといった剥き出しの牙。零れる唾液に血走った目。駆り手の落ち着いた言葉とは真逆の凶暴な補食獣は、吐息も激しくその身を沈め――そのまま疾走した。
川辺の石を蹴り飛ばし、ヴェレスに向かうガボール=アーヴァンク。
だが、ビョルグは二騎を前に動じない。クイ、と顎で指すと、飛びかかったアーヴァンクの突撃を、別のホッキョクグマが跳躍して受け止めたのだ。
更に別の一騎が、横から二又槍の連続突きで襲いかかる。
脇腹に被撃を受けるアーヴァンク。血の糸をひきながら、空中で身を捩って致命傷を避けた。
ガボール=アーヴァンクには、二騎のホッキョクグマ。
イーリオには、ビョルグが隙のない構えで狙いを定めていた。
逃げる――。
イーリオらにとって、もっとも現実的なのが戦わずに脱するという事だが、それを許してくれそうもない相手だと、己の勘が告げていた。そもそも、こんな南の山間に突如追い付いて表れたのだ。
見つけられた原因は、あの灰堂術士団という術士の仕業だと想像出来るが、追い付いた足はベルサーク騎士自身によるもの。
移動速度を考えると、ホッキョクグマの鎧獣がこれほどの長距離での追跡に向いているとは考え難い。なのに敵は、息も乱さず悠然とここにいる。
――つまりそれは、逃げようにも逃げ切れないという事。
先に仕掛けたのは、ビョルグ=ヴェレス。
あの巨体からは信じられない速度で、真っ直ぐにザイロウへ突進をかける。擦るだけでも致命傷になりそうな、純白の暴威。
イーリオ=ザイロウは躱しざま剣で斬りつけるが、五又槍の巧みな操作でこれを受け止める。
「む?」
ザイロウの一撃で柄の一部が欠けた事に気付き、ビョルグは怪訝な声を漏らした。
ザイロウが持つのは聖剣・炎風剣レヴァディン。威力だけなら並ぶ者のないと言われる、武器授器なのだ。
だが今の一瞬で、イーリオは直感した。やはりこの人と騎獣は、途轍もない力を持っている。余力を考えて戦える相手ではないという事に。
恐ろしい強敵に、その部下達。
それに加え、摩耗しきった心身と相棒。
視野が狭くなっていたのは当然の事かもしれない――。
イーリオ、ガボールとは別のところから悲鳴が聞こえたのは、次の瞬間だった。
「みんなっ」
叫んだのはグレタ。
見れば山の牙の面々が、一騎のベルサーク騎士の餌食になっていた。
逃げ出そうとした者は追い付かれて背を貫かれ、足をすくませながらも鎧化をして剣を向けた者は、雑草を斬る容易さで身体を両断された。
纏わぬ人間であろうと、鎧獣騎士であっても関係ない。アリを潰す無造作な動きで、またたきもせぬ間に、山賊たちは全員仕留められていた。
イーリオは驚愕し、ガボールはたちまち激高する。
巨大洞穴ハイエナの人獣は怒りの叫びをあげ、骨ごと砕き千切る牙を剥き出しに、ホッキョクグマの群れへと身体を踊らせる。
あの牙で噛み付く事さえ出来れば、ガボールに勝機はあるだろう。アーヴァンクの獣能は、相手の身体の自由を奪うというもの。仕組みは駆り手のガボール自身にも分かってなかったが、恐ろしい異能なのは間違いない。
しかし、寸でのところで牙は防がれる。
それどころか、明らかにアーヴァンクの牙を警戒した動きだ。
おそらくあの灰堂術士団らが伝えたのだろう。だが、警戒をしたとしてもこれを防ぐ事は決して易しいとも言い難いはず。イーリオから見ても、それほどにアーヴァンクの動きは変則的で鋭い。
だが、敵騎士は最強の補食獣を駆るに、相応しい技倆を有していた。
危うげなく、冷静に巨大洞穴ハイエナの動きを読み、巧みな動きで攻撃を外す。
それだけではない。鎧獣騎士の剣を、野菜を切る包丁のように真っ二つにしたあの光の剣にも、一度も刃を合わせず、ひたすら回避だけに徹していたのだ。
そうこうしてると、他の二騎もアーヴァンクに攻撃を仕掛けた。
「ガボール!」
思わずグレタが悲鳴をあげる。
三対一で、敵は全員手練れ。纏う騎獣は最強級。
だが、今のイーリオにも助けにいける余裕などなかった。
「余所見か」
十八フィート(約五・五メートル)の巨体が、滑るように音もなく、ザイロウへと肉迫していた。
五又槍が、捻りながら人狼の腹部を狙う。
――躱せないっ!
レヴァディンを下げ、両手を突き出すように攻撃を防ごうとした。
だが、五又だから殺傷範囲は広い。刃先が滑って五又に絡めとられると、槍の先のいくつかが白銀の身体に喰い込んだ。
暴帝北極熊は、見た目通りの膂力を振るい、腕力にまかせてザイロウの聖剣を巻き込んで吹き飛ばす。同時に、ザイロウも肉をえぐられながら、同じ方向に飛ばされた。
かろうじて着地の姿勢を取りつつ、そのまま疾風のように地を蹴って駆けると、イーリオ=ザイロウは手離された剣を拾い上げた。
武器も厄介だが、そもそも本気を出さずにどうにかなる相手ではない。
幸い、山の牙の連中と共にいたお蔭で、イーリオもザイロウもそこそこ身体を休める事が出来ていたし、ネクタルも充分に摂っていた。なのでサイモン、エドガーの時とは違い、全力を出し切る事も可能だった。
けれど、その山の牙の山賊達は、巻き込まれて命を落としてしまった――。
後悔がイーリオの胸を掻きむしる。
敵の数を見れば、どうなるかなど分かっていた事。山賊達は戦闘になれば隠れてもらうのが一番なのも分かっていたし、彼らを守る事は、ザイロウならば出来たはずなのだ。
襲撃続きで疲弊していたから? そんなのは言い訳だ。
かつてない敵襲に判断が遅れ、冷静な対処が出来なかった事が最大の原因――いや、そうじゃない。己の事ばかり考え、周りが見えなかった結果、自分に巻き込まれてあたら命が奪われてしまった。
――もう、これ以上の犠牲は出さない。
覚悟が両目に宿り、決意の力を発動させる。
「千疋狼――騎士団」
青味がかった霧状の物質が、人狼の全身から放たれる。霧を払って出てきたのは、数十騎にもなる霧と同色の擬似人狼騎士。
一個の部隊にもなるザイロウの分身体。
敵も味方も誰しも、目を見張った。分身を発生させる獣能など、見た事がないからだ。
擬似ザイロウ達は即座に散ると、ほとんどがガボール=アーヴァンクの助けに入った。
ホッキョクグマの内、二騎までを擬似ザイロウらが防ぎ、アーヴァンクの相手を一騎のみに集中させる。
「僕の獣能が手助けする! 一騎一騎相手にするんだ!」
イーリオがガボールに向かって叫んだ。
数瞬だけ考え込むように固まったガボールだったが、イーリオの意図を汲み取ると、激しい勢いで一騎のホッキョクグマへ猛進していった。
それを横目で察っし、イーリオもザイロウに語りかけながら、己の状態を確認。
「千疋狼――炎身罪狼」
全身から白い炎を噴き出し、全力を解放した。
連続で千疋狼を使うという事は、かなりの体力を消費する。長時間の戦闘など出来なくなるのは当たり前だし、下手をすれば戦っている途中でこちらが息切れを起こす可能性すらあった。
だがそれを躊躇ったからこそ、山賊達は命を奪われてしまったのだし、ガボールとて追いつめられそうになったのだ。だったら後の事は視野に入れず、今は全力で目の前の恐ろしい強敵を倒す事にのみ、全てを出す。
そのための二連続獣能。
「何と……。その白い炎の姿だけではなく、このような獣能まで持っているとは」
ビョルグは、感嘆に似たうめき声をあげた。
初見だと、分身体の異能は常識はずれにしか見えないだろう。だったら、戸惑っている今こそ反撃の好機。
炎が白い軌跡を描き、大狼とは思えない速度で疾走するザイロウ。
「!!」
ハーラルとの戦いで一度目にしているとはいえ、実際に相手をするのとは違う。狩猟豹さながらの速度で勢いをつけ、イーリオ=ザイロウがビョルグ=ヴェレスに襲いかかった。
長引く事は許されないし、長引かせるつもりもない。
激しい連続攻撃。実力は今のところ拮抗しているのか、どれもが決定的にはなり得ていない。しかし、あのヴェレスを防戦一方にさせていた。あまりの激しさで、一瞬ごとに川岸が形を変えていくようだった。
そしてガボール=アーヴァンクもまた、戸惑う敵の虚を衝いてホッキョクグマに噛み付く事を成功させる。
「しまった!」
吠えるベルサークの騎士。
力任せに振りほどくが、中の騎士は青ざめていただろう。
話に聞かされた、相手を操る異能を出されてしまえば、如何にベルサーク騎士団でも混乱を引き起こされるのは必至。
その傍ら、ベルサークのもう二騎も、擬似ザイロウの包囲網を突破出来ていなかった。
一気に彼我の形勢を逆転させるとは、さすが〝恐炎公子〟といったところか、とビョルグも舌を巻く。
精鋭たる北央四大騎士団の彼らですら、こんなにあっさり追いつめられるとは。
巨大洞穴ハイエナが、牙の血を舐めとった。
その時だった。
この状況を察したビョルグが、ザイロウとの攻防の最中、あいた片腕で空を斬ると、目に見えない衝撃を受け、ザイロウの巨躯が吹き飛ばされたのだ。同時に、かつてない速度でもって、味方のホッキョクグマ騎士とアーヴァンクの間に着地。驚くガボールが躊躇った隙に一言――
「〝白撃の渦潮〟」
言葉と同期して全身を大きく仰け反らせると、両腕を突き出すように空を撃つ。
その瞬間――
空間を歪ませるほどの圧力が巻き起こり、目に見えない衝撃波がヴェレスの前方に発生した。
岸辺の土砂が吹き上がり、岩石までも粉々に砕けながら宙を舞う。
まるで地上に発生した不可視の竜巻。
ガボール=アーヴァンクは身体を支えきれず吹き飛ばされ、離れていたグレタまでも破壊の渦に巻き込まれる。
「ガボール! グレタ!」
イーリオが叫んだのは、何もかもが飛ばされた後だった。
衝撃波が止んだ後の惨状を見て、イーリオの背筋が戦慄に震える。
地形が変わったのもさる事ながら、数十騎いた千疋狼の擬似ザイロウが、皆消し飛ばされて消滅していたのだ。
人智を超えた異能なのか。
逆転させたはずの形勢を、一瞬で覆させられてしまった。
「今だ」
そのうえ、ビョルグの動きは早かった。
部下に素早く指示を出すと、二騎のホッキョクグマ騎士がアーヴァンクの方に向かった。残った一騎が下流の側に飛ばされたグレタを襲おうとする。
ガボールは強く全身を打ちつけて朦朧としながらも、鎧獣騎士のお蔭でさしたる外傷はない。
だが、下流に飛ばされたグレタは打ち所が悪かったのか、気絶して倒れているようだった。幸い、岩に引っ掛かっていたので川の水に流されずには済んでいたが、無事なのかどうか分からない。
しかも、ホッキョクグマの人獣騎士が目の前に迫っていた。
ガボールが目を剝いて叫ぶ。
「グレタ!」
だが、彼女は目覚めない。
グレタの前に立つ騎士の姿に、咬み傷の痕が見えた。
それはアーヴァンクが着けたあの一騎だと、ガボールが気付く。
――間違いない。今、目の前にいる二騎は違う。なら!
二騎からの攻撃を避け、視界にグレタの前にいる一騎をおさめた。
「完全無法!」
両目の周囲に血管が浮かび、目が血走る。
直後、アーヴァンクが上半身を仰け反るように大きく動かすと、グレタの前にいたホッキョクグマが、自らバランスを崩すように不自然な動きで倒れ込んだ。
安堵の息をつくガボール。
その瞬間――
鈍い音をたて、強い衝撃がガボールの身体を叩いた。
中央から広がる違和感。
腹部を覗き込み、広がる血と有り得ない形で突き出ている二又槍の先端を確認し、己が刺し貫かれている事に気付いた。
血の吐瀉物がせり上がり、それが巨大洞穴ハイエナのものと混ざって、人獣の口吻から吐き出される。
「ガボール!」
イーリオが悲痛な声で彼の名を呼んだ。
だが、ガボールにとって絶望的なのは腹部の傷ではなく、先ほど獣能で吹き飛ばしたホッキョクグマの騎士が、もう既に立ち上がっている事だった。
駄目だ。駄目だ。
そんな祈りが痛みを忘れさせたのか。
光の聖剣アンサラーを振るって、己を貫く二又槍を、けら首の部分で切断するガボール=アーヴァンク。
武器を失った一騎が唖然となった。しかし別の一騎が腕から衝撃波のようなものを出し、アーヴァンクの身体を吹き飛ばしてしまう。
ヴェレスの放ったものの縮小版といったところか。
その間に、グレタに迫ったベルサーク騎士は、彼女の足を掴んで宙づりにしていた。
どうするつもりか――
しかしイーリオは助けに行けない。ヴェレスが相手で動こうに動けないのだ。ましてや擬似ザイロウは、これ以上出せなかった。
振りかぶるホッキョクグマ。イーリオからは随分と下流だから、滝壺に近いはず。
痩せたグレタの身体が、枯れ枝のように放り投げられた。
そこへ、閃光の速さをもってガボール=アーヴァンクが跳躍し、彼女を空中で抱きとめた。
「!」
ここにいる全員が、驚きで息を呑んだ。
鮮血が弧を描く。
ガボールとアーヴァンク、双方からこぼれる血液だ。
グレタもろともガボール=アーヴァンクは、そのまま吸い込まれるように滝の底へと落ちていった。