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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第一章『希望と絶望』
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第三部 第一章 第五話(1)『叙任』

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 かれこれ数時間も、ヒランダル大聖院の客間で待つ二人。

 その間、さすがに不平や文句も大量に垂れ流されたが、元々の目当てであった金銭だけでなく、温かで豪勢な食事まで出されていたので、サイモンとエドガーは、一応大人しく従う事にしていた。


 やがてこの状況にも飽きがきて、さすがに言いつけを守る時間も終わりだなどと、勝手に約束を反故にしようとしかけた時――客間の扉が開いて、数人の人物が訪れた。


「いやいや、待たせて済まない。色々立て込んでいてねえ」


 黒と黒灰色の僧形をした男が、やたらと大仰な仕草で開口一番言い訳を述べた。


 いつもはもっと簡素な司祭服をしている彼が、今は刺繍や仕立ても異なる高級な誂えを着ている。そのうえ、手に持つ杖さえも何やら儀杖めいた形をしていた。


「お二方、こちら、我が教団で新たに司祭枢機卿を叙任されました、スヴェイン・ブク様です」


 スヴェインの横に控えるタマラが説明する。

 そう言う彼女もまた、今回の叙任では正式に黒母教ナーデ派の司祭長となっていた。

 スヴェインの枢機卿に伴う繰り上げだが、元々彼は大司教派でもなければゴーダン総長ら灰堂騎士団(ヘクサニア)の派閥でもなかったので、これを機に大司教側が一気に彼らを自陣に取り込もうというのだろう。


 ただ、スヴェインは現在、灰堂騎士団(ヘクサニア)の総長代理と灰堂術士団(ヘクサー)の団長も兼ねている。

 ここで更に枢機卿になったという事は、実は教団内の権力はかなりのものとなっているのである。


 しかし、今のところスヴェインに権力を専横するような素振りは見えない。それが今のところなのか未来でもそうなのかは、いずれ分かる事であろう。ただし大方の想像は、まるで外れる事になるのであるが。


「ほんとにスゲぇ待たされましたよ。いやまあ、お代を貰った身で、こんな事言えたもんじゃないかもしれませんけどね」

「おいエドガー、いきなり失礼すぎだろ」

「え? そうかな?」

「まぁまぁ、待たせたのは事実ですし、そう気を使わないでも結構。ここは忌憚なくいきましょう。ところで例の件、気持ちは決まったかな?」


 スヴェインが芝居じみた声でにこやかに尋ねると、サイモンとエドガーは顔を見合わせた後、確かめるように頷いた。


「ふむふむ……まあ、そうだなあ……いいぜ。入るよ、灰堂騎士団(ヘクサニア)に」


 サイモンの答えに、スヴェインが底の見えない笑顔を浮かべる。


「いやあ、良かった。灰堂騎士団(ヘクサニア)・十三使徒も席次が空いていてね。お二人のような実力者が入団してくれると我々も心強い。いずれ近い内に、他の十三使徒とも引き合わせよう。それまではこちらのジュリオに、大聖院やゼムンの案内などをさせるので」


 タマラとは反対側の位置にいる、灰堂騎士団(ヘクサニア)の団員服を着た中性的な男性が会釈した。

 彼――いや、()・彼女だった()は、ジュリオ・ジョルジーノ。今は十三使徒の第六使徒になっている。



 サイモンとエドガーらが何故スヴェインと一緒にいるかと言えば、それはタマラに連れられたからであった。

 イーリオを追いつめながらもあと一歩で邪魔が入って退いた彼らは、その足でオグール公国にある黒母教のヒランダル大聖院に向かったのである。

 そこで二人は、灰堂騎士団(ヘクサニア)への入団を勧められ、報酬と好条件に釣られてそのまま今に至るというわけだった。


「さて、それではゴートの事は任せたよタマラ」

「は。猊下はもう行かれませんので?」

「充分に種は撒いた。エッダ殿の事はウルリク卿と君に任せれば充分だろう。そこのところ、アンカラ帝国とは違ってウルリク卿は弁えているからね」


 何がそれほど面白いのか。スヴェインの浮かべるとても愉快そうな笑みは、何故だかサイモンとエドガーの背筋に薄ら寒いものを感じさせた。


 本当にこれで良かったのか? そんな疑問が頭をよぎったかもしれない。

 それでも、騎士団でありながら行動にかなりの自由と彼らの流儀を許すという条件は、二人にとってはとても魅力的だったのである。

 勿論、先に二人を雇ったゼロが、この事を知る由もない。まさか二人が自分達を裏切り、それどころか黒母教の教団騎士になっているとは。


 それはスヴェインと協力関係にあったエッダも同じであった。


 イーリオの捕獲に向かった灰堂術士団(ヘクサー)の指揮をしていたはずのスヴェインが、よもや教会からの呼び出しで、オグール公国に戻っているなど。




 その頃、枢機卿叙任の一件を聞かされたエッダは、彼女らしくない苛立ちを露にしていた。


 そもそも逃亡したイーリオは、既に処刑していたはずだったのだ。

 それをスヴェインらの横槍で今のような結果になったのであるから、むしろこの場を去った事は彼女にとって歓迎すべき事のように思うかもしれない。

 しかし実際はそうではなく、今も彼らスヴェイン一派らの介入は、ありありと感じられる。むしろ自分が居ずとも、己の配下だけで充分と言わんばかりのスヴェインの行動が、エッダを苛立たせていたのだった。


 また、それだけではない。

 イーリオの逃亡はかなりの大事おおごとだっただけに、現在、ゴートの宮廷内はにわかにざわついている。まさか皇帝に楯突いた者が逃げ出し、これを未だに捕まえられないとは――という事だ。

 しかも国家騎士団を投入しているのにも関わらず、である。

 当然、ハーラル皇帝の機嫌も、かなりよろしくない。

 責めの矛先が自分には向かないと知っていても、何か歯車のようなものが狂いはじめているようで、エッダはどこか不快だったのだ。



 高級女官にしては破格すぎる高位の居室には、彼女以外に黒母教の司祭服の男と、別のローブを着た男女が一人ずつ。

 司祭はスヴェイン率いる灰堂術士団(ヘクサー)の者で、名をヘンリク・タルボ。歳は三十代後半か四十代くらいか。

 短く癖の強い黒髪に、太い眉。彫りの深い面長な顔立ちは、人当たりの良さげな印象と胡散臭さを、相手に同時に感じさせた。


 彼は元々名の知れた錬獣術師(アルゴールン)だったのだが、様々な犯罪行為に手を染め、現在はスヴェインの下で術士になった人物である。

 ヘンリクは言った。


「スヴェイン様からの言伝ことづてです。あくまで目的は〝追いつめる〟事。やりすぎぬよう、くれぐれもお気をつけ下さい、と」


 エッダは昏い瞳で凝と見据えると「分かっている」と男性騎士のような口振りで返した。


「だが、貴殿らスヴェインご自慢の灰堂術士団(ヘクサー)とて、大口を叩いて何も為しえていないではないか。ただただ獲物を追い立てているだけ。それでよくも指図が出来ますね」

「獲物はたった一匹だけですからね。あくまで我らの役目は監視。疲弊させる為に我らも手は出しますが、帝国の皆様を差し置いて狩ってしまってはご不興にもなりましょう」

「ぬけぬけと、よくも言う。……まあ構いません。我らも手は打ってあります」


 吐き捨ててから、挙措だけならば冷静に、エッダは部屋を後にした。

 一礼をしてヘンリクもそれに倣って退出すると、玉座に向かう魔女を白々しい笑みで見送った。



 玉座には、既にハーラル皇帝が座っている。儀式的な謁見と報告を終えたところだろう。


「遅いぞ、エッダ」


 エッダは謝罪の言葉を述べ、ハーラルの近くに寄る。


「他国の使者からの報告を聞いておりました。申し訳ございません、陛下」

「オグールか。役に立つのか、そ奴らは」

「今の所は。それより陛下、例の若者を捕らえる任でございますが、お任せいただきたい者がございます」


 例の若者――イーリオの事だ。

 兄君、と口に出してしまえば風聞が良くないと配慮しての伏せ字だろう。


「誰を派遣するというのだ」


 ハーラルが尋ねると、エッダは官吏の一人に、玉座の間の外で待機している者を呼ぶように指示する。

 しばらくして、大柄の体格の男が姿を見せた。

 褐色の髪に、オレンジの瞳。顔だけだと繊弱な貴公子だが、体型も輪郭も不似合いすぎるほど厳めしい。

 思わずハーラルが、疑いの目をエッダに向ける。


「本気か」

「はい」


 オレンジの目をした男性が、恭しく膝をついた。

 北央四大騎士団の一角、ベルサーク騎士団団長ビョルグ・スキョルだ。


「四大騎士団の団長――それもベルサークを派遣するなど、前代未聞だぞ」


 かつてハーラル自身が、同じ相手に対し自ら赴いたのであるが、その事は棚上げにした発言らしい。


「さようには思いませぬ。何故ならイーリオなる者は、帝国随一の騎士でもある陛下がその実力をお認めになり、本気をだしてくだされたほどの手だれ。むしろ今まで捕縛出来なかったのは、そんなつわものに生半可な戦力で対処なさろうとしたからではございませんか」

「……」

「そしてビョルグ殿は、トルステンに騙されたとはいえ、陛下を害する一派に加担した、という汚名もございます。彼がこれを雪辱したいと考えるのは至極尤もな事」

「もう良い」

「は、出過ぎた発言でした」


 ハーラルが恭しく控えるビョルグに声をかける。


「ではビョルグよ、今からお前とお前の配下に命をくだす。やってくれるか」

「は、喜んでお受け仕ります」


 深く一礼したビョルグの後ろ姿に、妖しい微笑を口元に浮かべるエッダ。


 形式的にはイーリオの捕縛だが、場合によっては殺しても構わない――そう、ビョルグには事前に言い含めてある。むしろ、殺すという方を強調さえしていた。だからこその人選なのだ。


 彼と彼の騎獣、そしてベルサーク騎士団ならば、イーリオにどれほどの協力者がいようと関係ない。ベルサーク騎士団は、ある意味において帝国最強の武力集団とも呼べる一団なのだ。やりすぎてしまう事こそあれど、遅れを取るなど有り得ない。

 ヴォルグ六騎士か、ベルサーク騎士団そのものが相手でなくば、抗うのは不可能だろう。そしてそのどちらも有り得ないのは、言わずとも知れている。


 ――スヴェインや〝奴ら〟がどう言おうと、やってしまえばこちらのもの。


 エッダにとっては、ハーラルと彼の未来こそが全て。

 そのためならば如何様な手も打とうと、彼女は考えていた。


 人知れずこぼしたはずの魔女の微笑み。


 だがハーラルはそれを感じ取りつつ、気付かぬ振りをして何も言わなかった。

 エッダが暗躍するのはいつもの事だったし、それによって今まで彼は影から支えられてきたのだ。だから事後報告になろうと勝手な動きであろうと、彼はそれを咎めた事などなかったし、全幅の信頼を寄せていたとも言えるだろう。


 だがこのところの動きは、ハーラルにも読み切れない。いや、引っ掛かりさえ覚えていた。

 無論、この腹心が余計な事などするはずもないと分かってはいるのだが。


 銀の聖女との結婚を推し進めたり、その聖女をかつての想い人であるイーリオと対面させたり――。


 どこか彼の思惑を無視して事を進めているきらいがある。


 ――では、実際自分はどうなのか?


 あの銀の聖女の事をどう思っているのか。

 馬鹿馬鹿しい。

 思うも何もない。皇帝にとって婚儀とは政治以外の何物でもないのだ。あれをどのように思おうと、皇帝という自分には何ら影響を及ぼすものではないのだ。いや、そうでなくてはならない。


 ――つまり嫌っていても構わぬし、その反対でも問題ない……そうとも言える。


 水槽に浮かんでいた時は、聖女に対し神秘性よりもどこか恐ろしいものを感じた。

 外に出た姿は、ありふれた一人の娘に見えた。ありふれたと言うには、可憐で人目を引きすぎるほど愛らしさに溢れていたが。


 そして今は――。


 以前にはない美しさと、宮廷のどの美人にもない儚げなたおやかさがあった。

 そうだ。

 美しい、と自分は思ったのだ。

 いくらでも美女や美形は目にしているし、正直そちらの方にはまるで興味が向かない朴念仁な己が、シャルロッタを目にした時、素直に美しい、と感じたのを覚えている。


 それがどういう感情なのか、他でもないハーラル自身がはかりかねていた。


 そう考えると、エッダの行動が読めないなどと言う資格は、自分にはないのかもしれない。己の心の内さえ御しきれていないのだから。

 自嘲気味にそんな事を考えていると、それが我知らず顔に出たのであろう。

 さっきとは反対に、不思議そうにこちらを見つめるエッダに気付き、彼は「何でもない」と答えた。

 誰よりも弁えているエッダは、それ以上、何も言わなかった。




 玉座の間から退出したビョルグは、すぐさま副団長を呼び寄せ任務の指示を出す。

 騎士団から出すのは数騎。それ以上は出せないし出す必要もなかった。

 いずれにしても自分が先行するのは決定事項だ。


白晶部隊クリステラーは同行されませんので?」


 副団長の女性騎士が尋ねる。

 名前はゼニア・ナエヴダル。

 彼女にも後追いで来るように指示をした。


白晶部隊クリステラーは必要ない。あの(・・)陛下が本気を出しただけでなく、帝都から逃げおおせ、未だに捕縛出来ない相手だぞ。勝手の違う部隊を派遣しても意味がない。〝川〟を使うにしても、私と同系だけで充分だ」


 氷というより、無機質な鉄面皮といった顔で、ビョルグは答える。

 血の繋がらない姉、インゲボーの前とは違い、普段の彼は無感情で氷のような男だと言われていた。淡々と任務をこなし、冷酷に戦果をあげる。それが世間から見たビョルグという男の姿なのだ。

 とはいえ、出立の前にその姉に一度会っておきたかった、というのが彼の本音なのだったが。

 感情的な意味は勿論だが、それ以外の意味においても姉の意見を聞きたかった、というのもある。


 ――エッダ殿は暗に始末するよう命じられたが、果たしてそれでいいのか。


 皇帝の心象を著しく損ねた自分に、よもや反論する権利などない。

 けれども彼にとってあのイーリオという青年は、どこか憎めない、いや好感さえ持てる人物だったからだ。おそらく同じ感想を姉も持っているに違いない。そんな彼をこの手にかけてしまっていいものかどうか。


 しかしその答えを聞けぬまま、早々にビョルグは帝都を発ってしまったのであった。

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