第三部 第一章 第四話(3)『灰堂術士団』
帝都より逃亡して十日が過ぎた。
はぐれてしまったゼロ達の行方はまるで分からなかったし、十日の間に襲撃は八度もあった。
中には、一日に二度襲われる事すらあったほどだ。
当然、イーリオ、サイモン、エドガー三人と、彼ら三名の騎獣の消耗は相当なもの。何より、いつ襲われるか分からない状況に、おちおち寝てもいられなかったから、精神的な摩耗が限界に近い。
サイモンとエドガーは、相変わらず目を離せば強盗まがいの事をしようとするし、それを止めようにも今となってはイーリオも制止する元気がなかった。一方で、逃亡のためにやっていると割り切っているサイモン、エドガーの両名からすれば、イーリオの小言はただただ煩いだけ。
蓄積された肉体的な疲弊に精神的な疲れ、そして飢えや渇きも重なれば、自然と関係は悪化していった。
ましてや初対面に等しい間柄なのだ。お互いを知る間もないのだから、仲良くしろと言われて上手くいくとも限らないだろう。
今日も屋根のある場所で寝る事も叶わず、焚き火を囲んで野宿をしていた。
今はイーリオ一人だ。
二人はそれぞれ食料の調達に行ったが、強盗をしようにも近くに人里はないからそこは安心出来るとイーリオは思っていた。
実際、二人は野山の草を掻き分け、野ウサギの一羽でも獲れないかと考えていたのだが、上手くいかない時は何をやっても悪い方に転がるもの。獲物らしい獲物が見つからない苛立ちに、いつもの軽口すら二人からは発せられなかった。
お互いにくたびれた恰好で、木々の中に座り込む。
「なあ、サイモン」
「何だ、エドガー」
「もうさ、いっそバックれねえか? これはさすがにキチぃわ」
「バッカ。そんな事してみろ。今までの苦労はどうすんだよ。ゼロと合流さえすりゃあ金は貰えるんだぜ。ここまできてそれを放棄すんのかよ。バカじゃねーの」
「んな事言ったってよお。もう限界に近いぜぇ」
そんな事は言われなくとも分かっていたが、投げ出すふんぎりがつかないのも確かだった。相棒のエドガーは、もうその見切りをつけたという事だろうか。
だが、確かに限界は限界だ。
今日という日を過ごせても、明日になれば捕まっているかもしれない。
南へ南へと逃げているのも追い立てられているようで、計画性などまるでない。それどころか肝心のゼロの行方さえ、全く分からなかった。いや、もしかするとゼロも既に捕まえられているのかもしれない。
「なあ」
「ああ、分かってる。〝ガイトラッシュ〟」
「〝パッドフット〟」
お互いの鎧獣を呼び寄せたのは、露骨に近付く気配があったからだ。
こうまで無造作だと害を及ぼす存在である可能性は低かったが、それでも警戒にこした事はないと思った。
やがて叢を掻き分けて、女性が一人、姿を見せる。
薄い色のローブから垣間見える、豊かな曲線美の肢体。
目をひくのは南の大陸人らしい褐色の肌と、ドレッドロックと呼ばれる髪束を垂らした特徴的な髪型。
こんな北方で南の大陸の、それも女性が一人で姿を見せるのは珍しい。いや、明らかに不審だ。ましてやこれまでの追手からの襲撃を考えれば、何よりも警戒すべきだろう。
もしここにイーリオがいれば、当然、サイモンとエドガーもそうするものと思ったに違いない。
「おおぅ、こりゃまた魅力的な美人さんじゃないですかぁ」
「ちょ、おいおい、俺が先に気付いたんだぞ、何勝手に話しはじめてんだよ」
「どっちが先に気付いたかどーか、ンなもんわかんのかよ、何時何分何秒の時点ですかぁ?」
「知るか!」
けれども二人はアホだった。
ムスペル女性は感情の見えない笑みを浮かべると、害意のないように両手を広げる。
「騎士様お二人がこんな所でいかがいたしました? 何かお困り事でも?」
二人が顔を見合わせる。
「その、食べ物に困っててさ」
「あと、寝床も」
「おま――まずは水と食いモンだろうが」
「あ、着替えもあると助かりマス」
二人の発言に、女性は手を口元に当ててくすりと微笑んだ。
年齢は三十の手前、二十代後半だろうか。出身や人種とは別に、妙な艶やかさを感じさせる。
「まあ、それはそれは。よろしければ食べ物も飲み物も、差し上げてよろしいですよ」
普通なら、警戒を強くするところだろう。
何もかもが怪しいと考えるべきだ。
「ほんと?! 助かるわ〜!」
でもやっぱり、二人はアホだった。
「ええ。……ただ少しだけ、私のお願いを聞いていただきたいのですが」
「お願い? 何かな? 美人の頼みならこのサイモン・ベック、出来る限り叶えてみせるぜ」
「うわぉ、ブサイクが言うとムカつく台詞第一位」
「雑なツッコみすんな!」
「まずは私の自己紹介をさせて貰いますね。私の名前はタマラ・タタンジェロ」
女性が名を告げると、彼女の後方から一頭の牛が表れた。
途端にサイモンとエドガー両名の表情が変わる。
「大丈夫、敵意はありませんよ。今のところは」
牛の胴体には、長衣が被せてあり、ところどころに鎧が覗いている。何より、額に輝くのは神秘の結石、神之眼。
「とてもお強い貴方がたに、是非お願いしたいのです。聞いていただけたら、食料や飲み物だけではなく、貴方達お二人が一番欲しがっているものも差し上げますよ」
誰がどう聞いても罠。
いくら彼ら二人がお調子者でも、これが罠かどうかの見分けぐらいはつく。
ただ、タマラと名乗る女性は、あまりに無防備で、隙だらけだった。もしこちらがその気になれば、一瞬でどうにか出来るのは確実である。
僅かに逡巡を見せるが、二人の結論はお互い尋ねなくとも分かりきっていた。
「んじゃあ、聞かせてもらおうかな」
※※※
サイモン、エドガー二人の戻りが遅い事に、イーリオは嫌な予感を覚える。
何か獲物を仕留めに行くといっても、もう既に陽も落ち、とても狩りなど出来る時間ではない。
イーリオは火の弱くなった焚き火に土をかけ、ザイロウに手招きをした。
目印になる焚き火を消すのは躊躇われたが、連日の襲撃を考えればこれは異変としか思えなかった。
この段階で鎧化すべきかどうか――。
鎧化すれば知覚感度が人間の比ではないから、敵が迫っているかどうかが分かるだろう。だが、ネクタルを摂っていても疲れはザイロウにも相当に溜まっている。無闇に鎧化して後の道行きに障りがあってはいけない。
その躊躇が、結果として直後の危機を招いてしまう。
不自然な物音が重なり、気配が急に膨れ上がった。
「ザイロウ! ――白化」
白銀の人狼騎士になるや否や、四方から体の透けた馬と牛が生物ばなれした速度と勢いで突進をしてくる。
ぎりぎりで感知したイーリオ=ザイロウはこれを跳躍で躱すと、森の茂みに身を踊らせた。
躱された牛馬たちは、互いに衝突すると同時に光の粒子となって砕け消えてしまう。
間違いない。
鎧獣術士の出す獣理術だ。
となれば、襲ってきたのは灰堂術士団と名乗る集団だろう。
鎧獣騎士をも脅かす強力な術は厄介だし、万が一にもその鎧獣騎士と連携を取られれば、極めて危うい状況になってしまう。
あの二人が戻ってきてくれれば何とか出来るかもしれないが、まだ戻ってくる気配がない。となると、もしかして二人は既に――。そんな嫌な予感すら思い浮かぶ。
その時だった――
先ほどとは別種の殺意を、ザイロウが感知。
咄嗟に剣を構えると、火花を散らす手応えを残し、何かが疾走った。
それが何なのか、瞬間の閃光で目にした時、驚く前に別の攻撃がイーリオを襲い、不意を衝かれて背中に一撃を貰ってしまう。
大地に吹き飛ばされるが、何とかすぐ体勢を持ち直して、続く追い撃ちを防いだ。
「な……何で……!」
暗闇でも夜目の効く大狼には、襲撃者の姿がはっきりと見えていた。
節棍のように鎖のついた打撃性の武器を持つ者と、両手剣を構える者。
見間違えるはずがない、丸い輪郭と巨大な痩躯。
「どうして、貴方がたが……」
サイモンとエドガー。
イーリオを襲ったのは、共に逃走を続けてきた二人だった。
饕餮犬――絶滅種である古代の野生犬の鎧獣を纏うのがエドガー。
そのエドガーが後頭部を掻きながら、まるで気の抜けた声で応える。
「悪いけどさ、アンタと逃げるの、ここまでにさせてもらうわ」
「は? 何を、言って――」
イーリオが激する前に、サイモン、エドガー両名の後ろにある茂みから、牛種と馬種の鎧獣術士が表れ、更にイーリオの後方にもピューマの鎧獣術士が姿を見せた。
囲まれている。
いや、それよりも二人が何故、灰堂術士団と並んでいるのか……!
「ゼロさんとの約束を破る気ですか」
「破るも何も、しくじったのはゼロの方だぞ。違うか? 帝都を脱出してすぐ合流するって手筈だったのに、この体たらくだぜ。メシもない。鎧獣ももう限界寸前。終わりだろ、どう考えても。――だからな、もうこっちにつく事にしたわ」
飄々とした口振りのエドガー。
「裏切る……って言うんですか……!」
大狼の両目の間に、怒りが刻まれる。
「んな事言ったって、なぁ?」
「ん? おお。仕方ないじゃん。背に腹は、ってヤツだよ。あとな、あんたに対しても限界なんだよ」
「僕に……?」
「そうだぜぇ。あれはするなこれはするな。人に迷惑なんかかけるな、人様を襲うな、ってさぁ、マジでうっせーんだよ」
「なっ……それは当たり前でしょう。それに、そういう軽率な行いで、何度も見つかってるじゃないですか。それがなきゃ、ここまで追いつめられる事だってなかったかもしれないのに!」
「じゃなくってさぁ、マジでウザいんだよ、そういうの」
今度はサイモンが、古代巨大アライグマの愛嬌のある顔で返事をする。
「あんな、何度も言ってっけど、俺達は悪党なの。強盗、追い剥ぎ、場合によったら殺しもする。弱い者はイジめねえってだけでどこまで言っても悪党なんだよ。〝健康優良悪党稼業〟って言ってるだろ? んな俺達に、悪事はすんな? ――ハッ! そりゃもうあれだ。生きてる世界が違うってヤツだよ。あんたと俺達は合わねえ。どこまでいっても、どうやってもな」
「そ、それじゃあ報酬は? ゼロさんから貰うはずの報酬、ここまできてフイにするって言うんですか?」
「それも心配ない。ゼロから頂くはずだった以上の報酬を、この人達が払ってくれるってさ」
幾分か上擦った声で、饕餮犬の顔をしたエドガーが言った。
次の言葉を失うイーリオ。
まさか、ここまで逃げ切ったのに、こんなところで逃亡を助けてくれた人間に裏切られるなんて、思いもよらなかった。
信頼していたというより、一緒に死地を乗り越えた、あのゼロの仲間だと聞いたから、安心していたのだ。少なくとも報酬があり、雇われたという契約がある内は大丈夫だろうと高を括っていた部分もある。
――でも、そんな……!
だがそれよりも、今の状況だ。
灰堂術士団の鎧獣術士が三騎。
そして鎧獣騎士としての腕は、イーリオですら一目も二目も置くほどの二人。
体力も限界に近い自分が、この包囲から、どう切り抜けられるのか。
仮に巨大化を応用した、あの第二獣能を出して全員を薙ぎ倒したとしても、その後でこちらも強制解除になってしまうのは明らかだ。それほどに疲弊は溜まっている。
しかし四の五の考えてる余裕はなかった。
イーリオと受け答えをしたのは、襲う側の余裕もあっただろうが、こちらを心理的に嬲る意味もあったのだろう。
絶望的――そう思う間もなく、馬頭の鎧獣術士が舞の動きを見せ、口腔から二頭の光の馬を吐き出した。
攻撃か? そう思ったが、光る馬はサイモンとエドガーの方へと吸い込まれる。
「お? おお?!」
「何だ? 身体が軽ぃぞ」
二人が獣身になった己の身体を見つめ、驚きに総毛立たせている。
「〝脚部筋強化〟という術だ。いつもより速く動けるぞ」
人馬の術士が告げると、二人は顔を見合わせる。一方でイーリオは顔色を失いそうになった。
レレケが見せてくれたのと同じ、鎧獣騎士を強化する術。
ただでさえ抜き差しならぬ状況なのに、厄介さが更に増した。
思うや否や、速度を増強させたエドガーが、豪風の勢いを込めて両手剣で斬り掛かってきた。
聖剣でこれを受け流すも、もう背後には古代巨大アライグマの人獣が迫っている。
変則的な動きの節棍武器、ホースマンズフレイルが旋回して死角から打撃を放つ。
足さばきと篭手を使いかろうじて重傷は防いだが、被撃の全ては殺せていない。しかもエドガーの方を見失っていた。
どこから攻撃が来るのか。危機的状況に頭の警戒音が鳴り響く。
しかし、全く予期せぬ方向からの激しい衝撃。
知覚の外にあった右脇腹。身体が歪な横向きのくの字に折れる。
吹き飛ばされる瞬間、それがピューマの形をした閃光だと知るも、続け様にきた両手剣の斬り下げを躱すのが精一杯だった。
「炎身罪狼!」
同時に、ザイロウにも白炎を纏わせた。
いや、そうするしかなかった。
もう、後の事を考える余裕などありはしない。それほどの窮地。
「おぉ、あの白い炎だぜ、サイモン」
「気を引き締めねえとな。ま、今の俺達なら全然怖かねえけどよ」
脇腹の再生が遅い。制御してそうしているわけではなく、ザイロウの限界が近いという事だろう。
――駄目だ。本当にもう……。
もしここで追手が更に増えでもしたら、どうなるか。
策――何も浮かばない。
頭がまわらないのだ。思考が鈍り、視界さえ霞みはじめる。ザイロウよりもイーリオ自身の体力が、涸れた井戸より渇いていた。
術士が身構える。サイモンとエドガーも体勢を低くした。
――万事休す……なのか。
何も、何一つ光りが見えない。
希望の光は暗闇と同じく闇夜には灯らないのか――
騎士と術士、それぞれが閃光の動きを見せた。
絶望へ導く殺意の光。
死の刃が踊り、イーリオは諦めと抵抗の狭間で、目眩を起こしそうになる。
眼前に凄まじい光が迸った。
斬られた――
そう思った。
だが、光は比喩的なそれではなく、物理的なの意味で〝光〟だった。
「何ィ……?!」
弾き飛ばされている、サイモンとエドガー。
術士達も動きを止めていた。
イーリオの目の前には、月明かりよりも眩しい、煌々と輝く発光する刃が翳されていた。
目を見張るイーリオ。
まるで神話の輝きのような光る剣を持つ先には、ザイロウ並みに巨大な背中。
「大丈夫、ですか?」
抑揚に乏しい、若い男の声。
助けに入ったのは、古代絶滅種・巨大洞穴ハイエナの鎧獣騎士。
〝アーヴァンク〟を纏う、ガボールだった。
「面白い!」
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
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面白かったら☆五つ、つまらなかったら☆一つ、正直に感じた感想で大丈夫です。
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