第三部 第一章 第四話(1)『悲望逃路』
ザイロウが顔を上げた事で、イーリオは二人が戻って来た事に気付いた。
珍しく何も喋らずに帰ってきたのは、それだけ差し迫った状況なのだろう――などと思っていた矢先。
「お前さ、何でそんな後ろ向きなの? 何でもかんでもすぐ後ろ向きに考えるよな」
「まあそうだな。失敗したらどうしよう、とかすぐ考えるわな」
「だな」
イーリオの心配などまるでどこ吹く風。いつものような二人が、いつものように喋りはじめた。
「他にも、盗みに入ろうとしたらうっかりウ○コ踏んじゃったらどうしよう、とか、イカした台詞言おうとしたら逆にドン引かれたりとか」
「うん?」
「あの人みたいにブサイクでチンチクリンな丸顔に生まれたらどうしよう、とか考えるわな」
「それ、俺の事言ってねえ?」
「う〜ん、やっぱ後ろ向きに考えちゃうかも」
「いやだから、俺の事言ってねえ? さっきから」
「いやいや、言ってないよ。気のせい気のせい。後はそうだな、黒っぽい服に青いスカーフでカッコつけようとしてんのに壊滅的に似合わなかったらどうしようとかも考えちゃうよね」
「それ俺の事だろ! 俺の方ガン見して言ってんじゃねえか!」
「すまんすまん。えと……まあその……悪気しかないわ」
「最低だな!」
相も変わらない喧しい二人に、イーリオは疲れた苦笑いを浮かべるしかない。けれども、こんな状況なのに明るい(?)振る舞いを絶やさないでいてくれるのは、どこか気が軽くなるようなところがあるのも確かだった。
そんな陽気にも見える二人だったが、彼らと彼らの鎧獣が背負った荷物が視界に入ると、イーリオの苦笑はそのままの形で凍り付いてしまう。
「サイモンさん、その……荷物は?」
「ん? ああ、ちょっとそこの屋敷からかっぱらってきたんだよ。シケた土地の割に随分貯め込んでたからなぁ。お蔭でホラ、売ればかなりの足しになるぜ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。かっぱらうって、泥棒しに行ってたんですか? この状況で? いや、それよりも泥棒だなんて」
イーリオは窶れた蒼白いの顔色のまま、眉間に皺を寄せて抗議した。
サイモンとエドガーは別として、彼がくたびれているのも無理のない事だ。
怪盗騎士ゼロの助けで帝都ノルディックハーゲンを脱したのは、つい昨日の事。そのままゼロの仲間とも合流し、イーリオもザイロウと再会出来たところまでは良かったのだが、上手くいったのはそこまでだった。
最強軍事国家からの脱獄、逃亡である。
当然、帝国がそのまま黙って見過ごす訳もなく、すぐさま放たれた追手らにより、イーリオら一行はバラバラに分断されてしまったのだ。
結果、ゼロ、ピカレ、スモレットといった見知った連中とははぐれ、イーリオはこの奇妙な二人組の騎士サイモン・ベックとエドガー・フロストと行動を共にする事になったのである。
「それがどうしたんだ? 何か問題でもある?」
イーリオの非難に、二人は珍妙な呪文でも聞かされたような顔になった。
「いや、駄目でしょ。そんな、人のものを盗むだなんて」
「は?」
二人にとって、耳慣れない種類の言葉。
「俺たちゃそういう人間だぜ? あんた、ゼロの旦那の知り合いじゃねえのかよ?」
「知ってますよ。あの人も泥棒って事は。でもそうじゃなくって、こんな状況下で物を盗んだりしちゃ駄目でしょう」
「……ん? あれか? アシが着くとかそういう心配か? そりゃあ大丈夫。そういうところはよ、俺達ぬかりはねえから。な、エドガー」
「そうそう。俺達が侵入ったのは、上流貴族の屋敷。しかも業突くで貯め込みまくってるようなタチの悪いヤツだから、上に報告するなんて事ぁまずないな。そんな事すりゃ、自分の悪事がバレちまうのと同じだからさ。だからバレる心配はな〜んもいらないって。ま、何せ俺達のモットーは〝健康優良悪党稼業〟。悪は悪でも世間に迷惑はかけない、立派な小悪党だぜ」
「自分で〝小〟悪党って言うなよ。てか、立派な小悪党って何だよ」
また何か言い合いをしはじめそうな二人に、思わずイーリオが待ったをかける。
「いや、そうじゃなくて。追手にばれる心配も大きいですけど、例えどんな状況でも、無闇に人のモノを盗んでおきながら見過ごすなんて、僕には出来ないですよ」
サイモンとエドガー、二人が互いの顔を見合わせた。
丸い目をして失笑で噴き出すと、そのまま小馬鹿にするように顔を歪ませる。
その態度は予想していたが、それでもイーリオはムッとする。
「お、おいおい。兄ちゃん、アンタ本気か? どんな状況でも? それ、マジで言ってる?」
「ウケるな。さすがにウケる。てか、ひくなー。ドンびきだわ」
「何ですか、それ?」
「ソレもコレもねーよ。さっきも言ったけど、俺達ゃ悪党だぜ。悪事を働いてなんぼなの。俺達が生きてくって事は、悪ぃ事をするって意味なの。わかる? それとも何か? 〝ワルいことはいけません〜〟ってマジメぶって言うつもりか、兄ちゃん?」
今度はイーリオが鼻白んだ顔をした。
倫理がどうの、善悪がどうのと説法めいた事を言うつもりではない。けれどもして〝いい〟か〝悪い〟かで言えば、サイモンとエドガーの行いは〝許されるものではない〟、というのがイーリオの感覚だったから、互いに噛み合ないのは当然だった。
「あんな、もう一つ言っておくが、俺達ゃゼロに雇われた身だ。今回もゼロが引き受けた依頼で俺達も協力する事になったんだ。で、今そのゼロはいない。離ればなれになっちまってるからな。分かるか? お前さんを助けたのはいいが、その見返りは手元にないって事だ。つまり、俺ら二人のフトコロ具合はきわめて寂しいんだよ。つか、もう空っケツだ。ちなみに脱獄したてのお前さんだってすかんぴんだろう? でも、何とかかんとか逃げきって――まあそのつもりだけどよ――ゼロと合流するまで、逃げるためのカネだって入り用になってくる。だからこいつぁ、悪事っていうより必要悪なんだよ。俺らがあんたを連れて逃げるため、生きるために必要な事。それとも道義を語って飢え死にでもするか? そんな教会の坊主のようなマネ、俺達はゴメンだね」
言っている理屈は分かる。
そもそも、逃亡を助けて貰っている以上、イーリオに指図をする権利などどこにもないだろう。
だが、どこか納得しきれない。
行いそのものというより、いくら自分達のためとはいえ、何の罪悪感も抱いてなさそうな二人そのものが、イーリオには完全に受け付けられなかった。
無論、あのゼロも同じ類いの人間だろう。盗人であり表街道は歩けぬ身。それどころか最初の旅の仲間であるドグとて盗賊だったのだから、いまさら道義など問うつもりもなかった。
でも――。
「……例え通報されなくても、目立つ行いは控えてください。どこに追手の目が光っているか分からないですから」
絞り出したのはそんな言葉だけだった。
「はっはーん。それこそいらねえ心配だ。俺達サイモン&エドガーは、そんなヘタれた失敗なんかしねえよ」
得意げに笑うサイモンだったが、しかしこの直後、イーリオの不安は良くない方に的中してしまう。
小休止もそこそこに、三人が街道はずれの道なき林道を進んでいた時だった。
初春の曇り空が景色の色彩を奪う中、雨の気配もないのに翳りが妙に濃さを増している。
嫌な空だな、とイーリオは思うものの、目立つのを避けたい現状では、却って好都合な天気だとも言えた。
しかし――足早に歩みを進める中、三騎の鎧獣の中、ザイロウだけがいち早く敏感に何かを察知し、「ヴォウ」と低い吠え声を放った。
まるで呼び止められたように感じたイーリオがザイロウに振り返った瞬間――
ザクリ
三人の前方に、鋭利な塊が突き刺さる。
異変に気付いた三者が、すぐさま警戒心を跳ね上げて臨戦態勢に構えをとった。
だが――
それ以上何も起きない。
さっき足元に刺さったものは、氷柱のように尖った細長い円錐状のモノ。渦を巻いた彫りが見えるそれは、さながら動物のツノだけが空から落ちてきたかのようだった。
明らかに不自然。
人為的な攻撃にしか思えない。
けれども、数秒、数十秒、数分待てど、それだけ。イーリオ達三人が、互いの顔を見合わせる。
暗がりだけが足元の影を濃くしていく。天候までも不穏なのに――
ザクリ
今度はエドガーの鼻先を掠め、さっきの円錐状が地面に突き刺さった。
ザクリ
ザクリ
立て続け。
曇り空が宵闇のような暗さとなったせいで、視界も悪い。空から降る明らかな攻撃。
――空?
イーリオが真上に目を凝らした。
広がる鈍色の雲が空を覆っていると思いきや、それは雲ではなかった。
視界いっぱいに広がる、巨大な――あまりに巨大な獣の胴体。
黒っぽい半透明。
これが暗闇を作っていたのかと気付く。
「二人とも、上です!」
かけられた注意に二人も見上げるが、あまりに非常識な光景にいつもの減らず口すら忘れてしまう。
「白化!」
イーリオがザイロウを鎧化すると、続けてサイモン、エドガーも己の騎獣を纏った。
敵――追手からの攻撃。それもただの攻撃ではない。
――多分これは、獣理術……!
獣能にしては原理が不明すぎるし、何より空を覆うほど巨大とはいえ、半透明な獣というのはレレケの使った術とよく似ていた。
となれば、イーリオの判断は早い。
「二人とも、これは鎧獣術士という術士の使う術です。おそらく鎧獣騎士によく似た姿の術者自身が、この近くにいるはず。それを叩けばこの術は消えます」
サイモンとエドガーが、鎧獣騎士の顔で頷き合う。
三騎が別々の方向に散ると、空から降るツノは次々にその数を増していった。
まるで雨滴か雹のように降り注ぐものだから、全てを防ぎきるのは不可能だった。
しかもツノの威力は、高硬度な鎧獣騎士の皮膚ですら傷付けるほどのもの。致命傷にはならないが、直上から無数に狙われては、開けようとするはずの埒も開かない。
イーリオ=ザイロウ、それに古代の巨大犬種である饕餮犬を纏うエドガー、二人の感知能力が異質な臭気を探した。
鎧獣はネクタルを食しているから、体臭がほぼない。少なくとも強い臭気は発しない。
だが、犬科の嗅覚は人間の数千万倍から億倍とも言われている。生き物の体内で消化された食べ物すらはっきり嗅ぎ分けるほどなのだ。いくら体臭を殺そうとしても、なかった事になど出来はしないもの。
林の奥の奥に、感知するものがあった。ここかからだと一マイルもないだろう。
ザイロウの速度なら、炎身罪狼を使うまでもない距離だった。
全速で疾走れば、そこにはレイヨウなど細身の牛科であるハーテビーストの一種ブレスボックの人獣術士が、杖をかざして祈るように手を動かしていた。
こちらが見つけたと敵が気付く前に、ひと息で仕留めようとイーリオは決める。
エドガーも同じ考えだろう。
二騎が踊りかかるその瞬間、
「〝飛び来る牙〟」
ブレスボックの術士の横から、別の声。
イーリオ=ザイロウの巨体が、横向きに吹き飛ばされる。
巻き込まれる形で、エドガーもそれの下敷きになった。
「っ痛……! おい、何だよ」
エドガーの声に、イーリオがすぐさま身体を起こすと、術士の影が更に二体も増えている。
「待ち伏せ……」
「見りゃ分かる。てか、気付かなかったのか。まったくよォ」
イーリオの呟きにエドガーがぼやきで返すと、そこに丸い輪郭をした、愛嬌のある人獣騎士が駆け寄った。
古代巨大アライグマを纏うサイモンだ。
「おいおい、二人してやられてんじゃねえぞ」
「違うって。こっちの兄ちゃんに俺が巻き込まれただけだっつーの」
「慣れねえ相手と連携しようとするからだろ。フッ、ここは俺と二人、サイモン&エドガーの腕の見せ所だな。いくぜ、エドガー」
「おう、行って来い、サイモン」
「って、何で俺一人行かそうとすんだよ! アホか?! アホなのか?」
かまびすしいいつもの二人だが、今はどうでもいい。
さっきの攻撃に対し、イーリオの意識は向かっていたからだ。
超速の鎧獣騎士に当てる事もそうだが、あの威力。何より、ザイロウがまるで感知出来なかった謎の攻撃。
新たに増えた術者二騎は、それぞれ馬とピューマの鎧獣術士だ。
そして三騎とも、ローブの色や刺繍、纏う鎧が酷似している。そこに印された紋様も、見間違えようがなかった。
「黒母教……オグール公国が何故……?」
つい先だって、メルヴィグとの戦で大敗を喫したオグールが、どうしてゴート帝国に協力しているのか?
あのスヴェインが暗躍している事、エッダとスヴェインの関係など知るはずもないイーリオは、この襲撃者たちに戸惑いを覚えざるを得ない。
「お? 兄ちゃん、あのヘンテコな鎧獣騎士知ってんのか?」
「さっきも言いましたが鎧獣騎士じゃなく、鎧獣術士です。それより気を付けて下さい。あれに騎士のような運動能力はないですが、予測不能の術を使ってきます。協力して一気にやっつけましょう」
「お前サイモン、さっき兄ちゃんが言ってたろう、鎧獣術士って。覚えとけよなー」
「うっせえなぁ、お前こそさっきみたいなヘタこくんじゃねえぞ」
「だからさっきのは巻き込まれただけだって」
二人が緊張感のない応酬をしている最中だった。
急激に膨れ上がった殺気の量に、ザイロウの触覚が逆立ち、イーリオの肌が粟立つ。
林の向こうに見える丘の上。
ザイロウの黄金の瞳が捉えたものに、慌てて二人の声を遮って呼び止める。
「ちょ、ちょっと二人とも! あ、あれ」
「何だよ、慌てちゃってどうした――」
振り返ったサイモンとエドガーも言葉を途切れさせた。
丘の上には、横並びの隊列。
弓なりに反った逞しい二本角の群れ。手に持つは短槍。
「ゴゥト騎士団……!」
数にして五〇騎はあるだろうか。
「お前ら馬鹿だろ」
顔色を青くしていた三騎に、ブレスボックの術士が嘲りの声を放った。
「ああ?」
反応したのはサイモン。エドガーも饕餮犬の顔で顰めた表情を浮かべる。
「逃げてるってのに、わざわざ痕跡を残すなんてよ。クソダリぃ馬鹿じゃねえか」
術士の声は男。
しかし痕跡とは何か。二人が互いを横目でうかがうと、気付いたイーリオがジロリと二人を睨み据えた。
「逃げてる最中に盗みを働くなんてな。しかもご丁寧に姿もさらした強盗まがいときてる。これが馬鹿と言わずなんて言うんだよ」
睨むイーリオの目が「だから言ったのに」と批判の色を強めている。
二人はバツが悪いのを丸出しで、イーリオから視線をそらした。だが、そんな事も言ってられない。
「さて、俺ら〝灰堂術士団〟だけでなくゴゥト騎士団も相手だぞ。このクソダリぃ鬼ごっこも、ここいらで仕舞いにするぜ」
皮肉のひとつも返してやりたいが、多勢に無勢だ。
ここで全力を出すのは得策でないとイーリオ自身分かっていたが、もうそんな事も言ってられなかった。サイモンとエドガーにも色々言いたい事はあったが、それもこれもここを切り抜けた後。
とにかく何とかするしかないと、イーリオが改めて臨戦態勢をとると、サイモン&エドガーも肩をすくめて互いの武器を構える。
果たしてこの状況は窮地なのか、ただの途中経過のひとつでしかないのか。それともこここそが逃亡の正念場なのか――。
今のイーリオには何も分からなかった。
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
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