第三部 第一章 第三話(終)『脱出』
黒毛。黒の神之眼。黒い鎧に黒の刀身。
通常の黒豹よりもより深い漆黒。緑味がかった瞳の黄金だけが、涅色の中で妖しく光る。
三獣王・黒騎士。
あらゆる鎧獣騎士の頂点に立つ、謎多き暗黒の戦士。
それが何故ここに――?
いや、それよりもエゼルウルフが驚愕したのは、攻撃を受けた後まで、その気配に気付かなかった事だ。
戦闘状態になれば、辺りのあらゆる事象を察知し、どのような事態も把握するアンデスオオカミの〝ハティ〟が、まるで気付かずにいたなんて。
それも、かつてジョルトを取り逃がした時とは違う。今はハティの獣能も発動しているのだ。つまり、六二マイル (約百キロメートル)四方のあらゆる事柄――それこそ対象であれば感情の波に至るまで感知しているというのに、黒騎士の襲撃に全く気付かなかったなど……! 信じられなかった。
いや、気付けぬほどの速度で襲ってきたというのか?
それも有り得ない。
覇獣騎士団の〝疾風ゼフュロス〟でもあるまいに、そんな事など他に出来る者がいるはずがない。
地に崩れ落ちる、或いは吹き飛んだ者が悶える姿を見て、帝国の包囲網はにわかに大きな綻びを生んだ。
「き、貴様ッ……! 何故、貴様がここに」
攻撃の意識を黒騎士に向け、エゼルウルフ=ハティは隙のない構えを見せた。
戦場支配の予知めいた力ばかりが、ハティの全てではない。
鎧獣騎士としての性能や、エゼルウルフ自身の実力も他を圧するほどのものがあるのだ。
だからこそのヴォルグ六騎士。
それでも、目の前の敵は相手が悪かった。悪すぎた。
「仲間意識だ」
ぽつり、と呟く年齢不詳の声。
「は?」
「俺の〝レラジェ〟はクロヒョウ。その逃げている奴も同じクロヒョウ。同種の動物だからな。つい肩入れしてしまった」
「――は? ……はぁ?!」
冷静沈着を信条とするエゼルウルフが、思わず盛大に声を出す。
同じ種別の鎧獣騎士だから味方をするなど、聞いた事がない。
「で、では何か。貴公はもし戦っている者同士のどちらかに加勢するとして、同じ剣使いがいれば、そちらの方を味方すると、そういう事か。……馬鹿なっ」
エゼルウルフが激昂するのも無理はない。完全に人をおちょくっているとしか言いようがない返答だったからだ。
「まあ、そういう事になるかな」
嘲られていると分かっていても、下手に手は出せない。いくら頭に血が上っていようが、彼我の実力差を見誤るエゼルウルフではないと言う事だが――。
体格等級なら下級に位置するのに、存在感はここの誰よりも巨大な黒騎士。
そこへ――
唸りをあげて飛来した、とてつもない巨体。まるで夜空を裂いて巨石が降ってきたかのような激しい轟音。
大通りの路面が盛大に砕け、辺りに石くれが礫になって飛散する。
そのすぐ後。
今度は蹄が路面を蹴る音を響かせ、別の巨影もここに追い付いた。
飛来した巨大な影の方は、純白の体毛の巨人。
身に纏う鎧は、白いもやのようなものが浮かぶ、アクアグリーンの鎧。宝石で言えばラリマーに酷似した鮮やかな水色。そして同色の巨大な決闘楯を持っている。
古代絶滅種別・暴帝北極熊の鎧獣騎士。
帝都防衛最大にして最高の要。
ヴォルグ六騎士リヒャルディス・グライフェンと〝ヤロヴィト〟。
「黒騎士……?! 何故、黒騎士がここにおる?」
リヒャルディスが言うのも当然だったが、姿を見せたもう一騎で事態は更に変化を見せる。
体高だけでも六・六フィート (約二メートル)。体長も十一・五フィート (約三・五メートル)を越え、何より目を引くのが頭部を飾る巨大過ぎる両角。左右の端から端までが、なんと体長と同じだけあるのだ。
これも古代絶滅種。
シカ類最大の巨獣・ギガンテウスオオツノジカ。
まだ鎧化はしておらず、背には駆り手が乗馬のように跨がっている。
この巨大鹿にも驚くが、実際にこの場の人の目を奪うのは、実は騎士の方であったろう。
金糸のように繊細なプラチナブロンドの髪と、水晶のように透明度のある瞳。白磁器ですら及ばない、触れれば壊れそうな白雪の肌と、この世のものとは思えない整った顔立ちは、さながら妖精の女王のよう。
人をして、彼女はこう呼ばれている。
〝妖精女侯爵〟――と。
彼女の名は、ヴェロニカ・ベロヴァ。
ヴォルグ六騎士の紅一点にして右翼大隊司令長官。見た目の美貌にばかり目がいくが、その実力は最強騎士団の一角に相応しいものを持っていた。
「ヴェロニカ」
「は」
リヒャルディスが北部最大の猛獣の顔で言えば、ヴェロニカも即座に鎧化をする。
巨大ツノを持った、最大級の巨人人獣が並び立つ。
本来、シカ類であれば雌型にツノはないのだが、鎧獣の場合、錬成過程でメスにでもオス同様のツノが生えるように作られている。ヴェロニカの駆るギガンテウスオオツノジカ――〝イアリロ〟もそれと同じであった。
ゼロとイーリオを挟み、対峙する黒騎士とヴォルグ六騎士たち。
ヤロヴィトとイアリロが表れたのがゼロたちの後方だから、位置関係で言えば次のようになる。
黒騎士――エゼルウルフ――ゼロたち――ヤロヴィトとイアリロ
無論、ゼロが向かおうとしたいのは黒騎士がいる方向だ。しかし六騎士の三騎以外にも、まだ幾重もの包囲網がある。もう陣の形を為していなかったが、それでもこの混乱の極地とも呼べる状況で、身動きの取れる隙はまるでなかった。
かに思えた瞬間――
誰もが何の挙動も感じ取れず、光を奪う影より早く、漆黒の獣王がアンデスオオカミのエゼルウルフ=ハティに肉迫。
咄嗟に防御をするも、凄まじい勢いの剣撃は、彼の〝戦場の支配者〟の体を大きく吹き飛ばすほど。
「!!」
息が詰まり、声にならないエゼルウルフ。
何とか体勢を崩す事だけは免れたが、着地したのは同じ六騎士二騎のいる更に後方。
それどころか、黒騎士はそのままの勢いで一気に巨大熊と巨大鹿の懐にまで接近。
「〝改変・黒〟」
完全に虚を衝かれた恰好の二騎の前に、巨大な黒い物体が〝壁〟となって表れ、共に体を押し退けられた。
――!!
イーリオのみ、気付いた。
あれを見るのは二回目。四年前であれ、忘れようはずもなかったからだ。
――あれはメギスティの寺院で見た、爪を巨大化させた獣能……!
異能の威力も規模も、共に桁外れ。ヴォルグ騎士を三騎――いや、ここにいる帝国騎士数十騎も合わせて相手取りながら、まるで赤子を相手にするような圧倒的な力の差。
つい先だって、クルテェトニクの戦いで常識はずれの強さを見せつけられたばかりだというのに、今目の前で繰り広げている武力は、その時すら上回っている。
何せあの暴帝北極熊とギガンテウスオオツノジカの二騎は、かつて三獣王の称号を冠した騎獣であるのだから。
いくら今が三獣王でないとはいえ、この実力差は何だ。
底などまるで見えない。
「今だぞ」
助けられたゼロたちでさえ呆気に取られていた最中、ぽつりと呟く黒騎士の声。
咄嗟に我に返るゼロ。
――そう……だ! 今だ! 今しかねえ!
竦んでいた足に力を込め、逃げる体勢に移る。
しかしこの綻びをゼロが気付いたように、歴戦の猛者たるリヒャルディスやヴェロニカが気付かぬはずもない。
「黒騎士には構うな! 賊を取り押さえよ!」
老将の激しい下知は、金縛りにあっていた騎士達の戒めを一瞬で解き放つ。解き放たれた騎士達もまた、ただの兵卒騎士ではないという証拠だろう。
駆け出すゼロに対し、即座に連携の取れた動きをしようとしたその矢先。
「改変・灰」
黒騎士が剣を左に持ち替え、振り向きもせずそれを後ろに突き出した。
すると刀身が、ぎゅん! と引き延ばされたアメのように伸びたかと思えば、剣先が枝分かれして包囲網の騎士達をまとめて串刺しにしていった。
絶命させたのも一瞬であれば、漆黒の刀が戻るのも一瞬。
もう、何が起こっているのかすら分からない。
敵だけでなく、助けられているはずのゼロやイーリオですら、声を出す事も出来なかった。
「おい、好意を無駄にするな」
唯一人、化け物としか言い様がない力を振るう当人だけが、ゼロたちに早く行けと促した。
内臓から水分を絞り出されてしまったかのような引き攣れを覚えながら、ゼロは後じさりつつ脱兎の勢いでこの場から離脱する。
助けてもらったのに、今感じた思いは感謝や礼にはほど遠いもの。
まるで自分も捕食者に狙われた無力な小動物であるかのような、あまりにか細い心持ち――いや、この場の誰も、あのヴォルグ六騎士三騎でさえも、黒騎士の前では憐れで儚い〝獲物〟でしかないのかもしれない。
そんな思いを抱きながら、ゼロはひたすら夜の帝都を駆け抜けていった。
「さて――折角だ。大層な騎士がこうも揃っているのだから、もう少し遊んでもらおうか。ああ、勿論一騎ずつではないぞ。全員まとめてかかってくるがいい」
老人とも若者ともつかない声。
普通ならば嘲笑うような挑発。
そうでなければ、舐められたと怒髪天を衝かすような、嘲り。
だが、今この場の誰もが感じているのは、あまりに底の知れない力の差から湧き出る感情――恐怖。
「フフ……そう、構えんでもいい。今逃がした孺子の時とは違い、貴様ら相手なら多少はさっきのように〝力〟も使って相手をしてやろう。そうよな、〝三獣王〟程度で良かろうか?」
蛇に睨まれた蛙――ではない。
ドラゴンに睨まれた子羊のような無力感。
それでも誇りあるヴォルグ騎士であったからか。この後、部隊は全滅だけはかろうじて免れ、半数が生き残る結果となった。だが、それは黒騎士相手に奮闘したからではない。
ただただ黒騎士に弄ばれるだけ遊ばれた結果、たまたま半数だけが生き残る事が出来た。
それだけの事だった。
後にヴェロニカは、そんな風にこの時の事を振り返っている。
それはもう二人も同じ感想であっただろう。
※※※
黒騎士の乱入のお蔭で、何とか最大の危地を乗り越える事が出来たゼロとイーリオ。だが、行く手には最後の難関、先回りで配置された都市の見張りにある騎士たちが待ち構えている。
ましてやこの事態を聞きつけ、向かう先一帯には蟻の子一匹逃がすまいと都市を囲むような配備がなされてあった。
実はこれを突破する事自体は、難しい事ではなかった。
しかし抜けたとて、気付かれてしまえば追手を引き連れる事になってしまう。最良なのは気付かれずに包囲網を抜ける事だが、さりとてここまで脱出に時間がかかった今では、至難の技だと言えた。
さてどうするかと、考えてるヒマも当然ない。
追ってくるのは大陸最強にして、最大の騎士頭数を誇るゴート帝国軍なのだ。行方を晦まして逃げなければ、いずれは物量で捕まってしまいかねない。
――こうなりゃイチかバチかだ。
肚を括って、ゼロが都市の外へと抜けようとした時だった。
都市の外から、にわかに別の騒がしさが谺する。
――何だ?
どうやら別の誰かが、この機に乗じてひと騒動起こしているらしい。包囲の網が、吸い寄せられるようにそちらの方へと群がるのを見て、ゼロは「しめた!」とほくそ笑む。
こうして、まんまと帝都を脱出する事に成功したゼロ=オルクス。
――ピカレ達か? それともサイモン達のどっちか分かんねえが、いい仕事をしてくれたぜ。
最後の包囲を抜ける手助けとなった今の騒動が、自分の仲間達によるものだと思ったゼロは、人獣の中で笑みをこぼしながら、闇夜を縫ってひた走っていく。
一方で、最後の騒ぎを起こした当人は、次々に襲ってきた帝国騎士達のほとんどをその爪と牙にかけ、全身を赤黒く染めて立ち尽くしていた。
生存しているアイベックスの騎士も、あまりの獰猛な戦いぶりに、思わず腰を抜かしてしまう。
「ひ、ひぃぃっ」
断末魔の悲鳴。
グシャリという音を立ててその悲鳴が途切れると、頭部を失ったアイベックスの騎士の遺体だけが転がされる。
戦意を喪失したその騎士ですら、血腥い牙は、容赦なく一息で頭蓋ごと噛み潰したのだ。
「ね、ねえ……もう、全滅させたよ……」
後ろの茂みに隠れていた女性がおそるおそる姿を見せると、凶気に満ちた牙は息を荒げて頷いた。
「うん……」
血走った瞳。
黒いはずの眼球は興奮の色に染まり、戒めのような鎧ですら噛み千切ってしまいそうに見えた。
「あの皇子って名乗った兄さんなら、きっと逃げ出せたんじゃないかな……。あの変な黒いヒョウみたいなのが連れ去ってくれたはずだよ。だからね? もう、アタイらもズラかろう? ね? ガボール」
〝山の牙〟の女頭目グレタの言葉に、再度牙の持ち主は頷きで返すと、その身を鎧化の戒めから解除した。
よろよろとした足取りでグレタの方へ近寄るガボール。
「大丈夫?」
「うん」
目一杯の不安を押し殺し、力ない足取りのガボールに肩を貸しながら尋ねるグレタ。
「記憶は……どう?」
「うん。今は大丈夫」
ゼロの起こした騒ぎに気付いたグレタやガボール達は、咄嗟にこの逃亡劇の手助けをしようと判断。急いで都市の外縁部に向かい、ゼロが近付くのを待ってガボールが行動を起こしたのだった。
それは、彼が鎧獣騎士となって、包囲を崩すために帝国騎士と戦い注意を引き着けるというもの。
最初その話を聞いた時、山の牙の連中だけでなく、グレタも無茶が過ぎると止めたのだが、ガボールの意思は変わらず、結局彼のやりたいようにやらせる事となった。
ガボールの騎士としての実力はよく分からなかったが、彼の連れる騎獣がかなりのものだという事は、素人騎士同前の山賊達にすら分かっていた。だがそれでも、あのゴート帝国の騎士を複数騎相手に立ち回れるなど到底思えず、いざという時の覚悟はしていたのだったが――。
目の前に広がる血の河を見て、グレタは戦慄する。
「アンタ、すごいんだね……」
凄まじい戦い振りだった。
狂気に取り憑かれた戦士の如く、人間――いや、鎧獣騎士とも思えない動きで次々に死体の山を築いていった人獣騎士のガボール。
いや、凄いのはやはり彼ではなく、彼の騎獣だろうか。
獣に戻った今は、身体の各所だけでなく口の枷という奇妙な授器を着けられた、ライオンほどの巨大な補食獣。
かつてそれは、地下深くに封印され、狂気の獣と呼ばれた一体だった。
ディノクロクタ。
または巨大洞穴ハイエナ。
「行こうか〝アーヴァンク〟」
血と狂気に取り憑かれているのか。それともまだ暴れ足りないと思っているのか。
アーヴァンクが奇妙な鳴き声を漏らしている。
まるで禍々しい攻撃性を持て余しているかのようだった。
その狂気の獣を従え、彼らもまた帝都の外へと向かっていった。
「面白い!」
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
そんな風に思ってくださった方、そしてまだ評価を入れておられない方がいましたら、是非是非、下の☆☆☆☆☆から作品への応援お願い致します!
面白かったら☆を五ついただけると、創作への励みにもなります!!
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