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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第一章『希望と絶望』
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第三部 第一章 第三話(2)『悲涙』

「シャルロッタ……」


 牢屋越しに想い人が表れた時、イーリオは名状し難い感情の奔流と共に、鉄格子を掴んで彼女の側に寄った。

 四年の間に少し背が伸びただろうか。顔も体も大人びた曲線を持つようになり、目を奪う銀色の髪も肩を超えて伸びている。

 何より、イーリオが目にした事のない気品に満ちたドレス姿は、これがあのシャルロッタかと目を疑うほどに、品格と高貴さに溢れているようだった。


 それでも、イーリオが彼女を見間違うはずがない。


 例えどんなに姿形を繕っても、必ず彼女を見つけ出すだすという確信が、彼にはあった。


「僕だ、イーリオだ。シャルロッタ、迎えに来たよ」


 捕らえられたその身で何を言うのかと思われそうだが、イーリオの偽らざる無垢な言葉が、剥き身のままで思わず発せられた。


「……」

「シャルロッタ」


 目を伏せ、以前にはない豊かな表情をしている。

 悲しみの表情を。


「シャルロッタ」


 呼ぶ声が大きくなる。

 彼女の背後に〝黒衣の魔女〟エッダが控えている事にすら、今のイーリオの視界には入っていない。


「シャルロッタ。ねえ、シャルロッタ。何か言ってよ」


「おねがい……」


「?」


「もう、あたしの事は忘れて……」


「――え?」


「あたしの事は、忘れて。そしてもう、あたしとは関わらないで」


「何を言って……」


「もう、貴方とはいられないの。貴方はもう、過去の人なの」


「何言ってんだよ、シャルロッタ。僕だよ、イーリオだよ。僕たち、一緒に旅をしたじゃないか。色んなところに行って、色んな人に会って……。僕が君を見つけて、君が僕を選んでくれた。ザイロウと一緒に、僕を選んでくれた」



「やめて」



「――」


「お願いだから……もう……」


「……どうして……」


「貴方と私は、違うの」


「違う? 違うって一体……」


「……」


「シャルロッタ、答えてよ。どういう意味なんだ。違うって何? 過去の人ってどうしてそんな――」


「あたしは――イーリオ、貴方たちとは違う。一緒にはなれないの。違うから。違う存在だから」


「違う存在……? わけがわかんないよ。君は言ってくれたじゃないか。僕と一緒になるって。僕と――」


「違うの」


 声を荒げ、激しく動揺を見せながら否定するシャルロッタ。

 瞳から落ちるもの。

 それがどういう感情であれ、拒絶の意思を示しているのだけは疑いようがなかった。



「あたしは……貴方たち人間とは違うの」



 絞り出した言葉の最後、後ろに控えていたエッダが腕を掴み、厳しい目でシャルロッタを睨んだ。


「待ちなさい」


 首を小さく振り、それ以上を遮るエッダ。

 怯えているのか、シャルロッタは唇を噛み、肯定も否定もしない。


「何……? 人間じゃない……? それってどういう――」


 エッダの手を振りほどき、シャルロッタは真剣なまなざしでイーリオに向き合う。

 悲しさと、決意を振り絞った顔で。



「あたしは〝器〟。何もない、ただの〝器〟。あたしはそう――鎧獣(ガルー)と同じ。人間じゃなく鎧獣(ガルー)なの。だから貴方と一緒になってはいけないの」



 次の瞬間、エッダの平手がシャルロッタの頬を激しく打った。


 よろめき、シャルロッタは鉄格子に背を打ちつける。


「血迷ったの〝シエル〟。話はここまでよ」


 エッダの眉間に怒気が滲んでいる。叩かれるのを覚悟していたのか、シャルロッタは反抗も見せなかったが絶望も表さなかった。

 一方で、イーリオは混乱の極地にいた。

 鎧獣(ガルー)と同じ? 人間じゃなく鎧獣(ガルー)

 まるで意味が判らない。理解が出来ない。彼女の言っている意味も。言葉の真意も。


「さようなら、イーリオ」


 エッダに引っ張られ、シャルロッタは引きずられるように牢獄を後にした。

 イーリオは叫んだ。何度も何度も彼女の名を。

 けれども暗闇に閉ざされた深い檻の中では、その声は到底届くはずもなかった。




 イーリオが監禁されている牢獄から出たシャルロッタらは、直後に黒灰色のローブ数名に取り囲まれ、まるでその身を隠すようにして別の場所へと身柄を移された。

 物々しい様子ではあったので、目にした人間の注意はどうしてもひいてしまうが、集団をしきっているのがあの〝黒衣の魔女〟だと分かると、誰もが見ざる聞かざるで目を逸らしてしまう。


 〝魔女〟の名は、宮廷内において知らぬ者など今や誰一人いない。

 特段、何か悪名を轟かせたわけでもなければ、英名を響かせたわけでもない。だが、宮廷内における権力と影響力は絶大で、彼女の思惑ひとつで皇帝へのとりなしは如何様にも変わると知られている。


 そんな魔女に対して好奇の視線をまじまじと向けているのが知られでもしたら、後でどのような目に合わされるか知れたものではない。無論、このような考えは、いらぬ配慮以外の何物でもなかったが、むしろエッダにとっては都合のいい評判だったので、彼女はこの状況を特に咎めもしなかった。

 それ故、シャルロッタを連れたエッダに対し、誰もが目を伏せて〝見なかった〟事にしたのだ。


 だが、皆が暗黙の了解で勝手な忖度している中、唯一人、これを凝と見つめる女性の目が一人。


 年齢の割に幼く見える丸顔に反し、理知が漏れ出ているほどの才気走った瞳の輝き。


 国家最高錬獣術師グロース・ライヒ・アルゴールンのインゲボー・スキョルである。


 彼女はイーリオが閉じ込められた牢屋へと視線を移し、弟と共に初めて会った時の事を思い出す。

 トルステン大公が、オーラヴ皇子として引き合わせた、あの青年。

 珍しい緑金の髪と瞳は、確かにゴート皇帝家の血筋の特徴であるかもしれない。立ち居振る舞いにも、そこはかとない気品が感じ取れた。

 とはいえ、そんな証拠にもならない特徴で、あの若者を皇子だと認識したのではない。いや、皇帝家の証〝ホルス・ハルヤ〟を見せられても、彼を〝本物〟か〝騙り〟のどちらなのかは、正直判断がつかなかった。

 ただ、インゲボーは直感したのだ。


 あのイーリオ・ヴェクセルバルグという若者は――とても真っ直ぐな青年だと。


 嘘や陰謀を、自ら行う類いの人種でもなければ、策を巡らして悪事を講ずる人間でもない。無論、そんなものこそ何の根拠もない表面的な感想なのだが、それでも彼女は、この青年には人に信頼を感じさせる、そんな無垢で純朴なものがあると確信をした。


 だから余計に、この顛末がどこまでも腑に落ちなかったのだ。

 あの若者が欲したのは、帝位ではない。無論、金や何かの地位、権利ですらなかった。

 つまりそれは、醜い欲望が動機にはないという事を表していた。


 彼が欲したのは、皇帝と婚約した〝銀の聖女〟。


 あの地下に眠っていた少女だけを、彼は欲した。女性への愛欲に聞こえなくもないが、彼の目にあったのは、まるで青臭い子供のような痛々しさだけ。

 それに彼は、連れ去られた、とも言っていた。

 どこまでがどういう意味を持っているのか。

 今のインゲボーの持つ情報では判断材料が少なすぎる。どうしようもない。

 しかし、ここで手を引いて大人しくする――というのも、彼女の性分ではなかった。いや、本来ならそうすべきだろう。このまま全てを呑み込んでいつもの自分に戻りさえすれば一番安泰なのだから。


 でも――


 それを黙認出来るほど、彼女の知的好奇心は、飼いならせるような大人しさを持ち合わせてはいなかったのだった。


 インゲボーは考える。


 次に自分が、何をどうすべきかを。何をするのが最も最良の手筋であるかを。

 浮かんだ答えは一つ。


 ――聖女に会う。


 会ってどうなるかは分からない。だが、現実的な手段と答えへの近道として、それが最も最適な方法だと、再び彼女の直感が告げていた。それは科学者としての計算ではない。


 一人の女性としての閃き。


 女の勘、というやつだった。



※※※



 居室に戻ったエッダを待っていたのは、黒灰色のローブを着た男。


 黒母教司祭スヴェイン。


 そしてヴォルグ騎士団六騎士の一人、ウルリク・ブーゲンハーゲンだった。


 本来なら、ウルリクこそがこの場で最も位の高い人間であるはずなのに、上座に座って両名を睥睨するのは、高級女官のエッダであった。

 ただ、着席したままでエッダに会釈しかしなかったところから察すれば、三者の微妙な力関係もうかがえるというものだった。


「何かありましたか、エッダ殿」


 スヴェインの質問に、大した事ではないわと素っ気ない言葉で返すエッダ。


 牢屋での出来事を言うつもりはなかったが、抜け目ないこの男の事だ。獣使術(クンスト)でも使って既に知っている可能性は充分あった。それでも、銀の聖女の行いに動じているなど思われたら、どこで足元を掬われるかもしれない。時に虚勢は、威嚇以上の手段となるという事だ。


「まぁ、シエルが何を口走ろうと、もうあの不適合者には何も出来ませんよ。体だけではない。心までも完全に堕ちたようでしょうし。ね? エッダ殿。それにです、まだ時間はかかりますが、真の〝罪狼〟と適合者が目覚めれば、扉についても問題ないでしょう」


 エッダの目頭に、人間臭い感情の皺が浮かんだ。

 やはり知っていて、この道化者は尋ねてきた。こちらの反応を知る――いや、嬲るつもりで問いかけたのだろう。


「それだがな、このままあの皇帝で認証がなされてしまうと、残りの〝扉〟はどうなる? 最新の計測では、やはり先に封印を解き〝星の城(ステルンボルグ)〟をこちらのものにせねば、人類の救済は遠のくと出たではないか」


 スヴェインの上調子じみた言葉に反し、ウルリクが無感情な声で疑問を投げかけた。

 彼ら両名がどういう間柄であるか。知っているエッダからすれば、頼もしさよりも別の感情が沸き上がる。


「順序を気にしては物事は停滞する。……とはいえ、それはそれで問題ではありますな。ま、そのために〝エッダ〟、貴女がいる。頼みますよ」

「何を勝手な。そもそも、貴方達がこれだけ時間をかけておきながら、何の成果も出せずにいた事が最大の問題でしょう。都合のいい時だけ私を頼ろうとしないで。大体、ここまで事態を進展させたのは私なのよ」

「まあまあ。それを言うなら、ここまで事態をこじれさせたのは誰でしょうかね? ん?」


 浮薄で芝居じみた言動。しかし滲み出る暗黒は、いつもの彼よりも深く濃い。


「お前はいちいちからかうな。それよりも、エッダだけに任せるのも確かに心もとない。何せシエルは覚醒したと言っても、ラーニングだけ済ませたようなもの。不安定な状態にあるのだからどういう不測の事態になるのか吾輩らでも読み切れん」


 ウルリクがスヴェインを再び嗜めた時だった。

 言葉の終わりと共に、物陰から別の気配が蠢いた。

 靴音もコツリと響く。


 いつの間にそこに――

 いや、今まで気付かなかったというのか――


 驚きの目で、エッダは戦慄した。


「何故……ここに……」


 黒い影は姿を見せずとも、存在感だけで己が誰であるかを雄弁に物語っていた。

 判らぬはずがない。誰よりも知っている。忘れようはずもない。

 気配が消されていたから――そんな言い訳も、彼女に限って有り得るはずがないのに……。


「処刑は中止だ」


 男とも女とも、若者とも老人ともつかない声で、影は告げた。


「は……?」

「こ奴らの言った通りだ。不安要素が大きい以上、今消してしまうのは得策ではない。あの不適格は、もうしばらく泳がせる。――いや、あれはあれで利用価値がある。それが我らの結論だ」

「な……? 始末するな、ですって? 馬鹿な。あれは複製体がエラーで認識しただけの何の価値もない存在よ。これ以上生かしておく意味も必要もない」


 影に対し、エッダがむきになって声を荒げる。

 その様子に、スヴェインはにやついた顔で、ウルリクは冷ややかに瞑目しているだけだった。


「それが最良だという計測結果だ。お前が分かるはずもなかろう。いいか、細かい手筈は二人に聞け。お前も同じ目的を持つのなら、こちらの言う事に従うのだ。分かったな」


 一方的と言えるほどの高圧的な物言いに、エッダはその場で絶句する。

 予想もしていなかった者の出現と、それ以上に予想外な影の語った内容。

 まるで理解が出来なかった。

 何故そんな事を言うのか?


「そういうわけだ。吾輩らがわざわざ来ているのもそのためだし、あ奴がここにいるのも〝そのため〟だと察しろ。でだ、丁度いいところに使えそうな手駒がいるのを、スヴェインが見つけてくれた。エッダ、貴女にはそいつらに直接接触して貰う」


 ウリリクの声はどこか遠くに聞こえているように、エッダには感じられた。

 彼らの事は誰よりも分かっていたはず。読めていたはず。

 だが、これはどういう事だ?

 予測がつかない。

 いや、それよりも、語られた内容などすればどうなるか。

 無機質で俯瞰的な視線など、とうの昔に失われてしまった事実を、未だ黒衣の魔女は気付かぬまま、ただただ近視眼的に若き主の姿を思い起こそうとしていた――。

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