第三部 第一章 第二話(終)『拒絶』
残りの力を全て吸い尽くされた事で、灰色虎が牙を離すと同時に、ザイロウの全身から強制鎧化解除の白煙が吹き出した。
まるで息が絶えたように、ぐったりとした大狼と、放心状態の青年が、そこにはいた。
魂さえも抜けたように、目の焦点もあっていない。それでも、一縷の望みに縋る想いで、イーリオは鈍々と視線を彼方に向ける。
いる。シャルロッタだ。
僕が探していた、シャルロッタだ。
「シャルロッタ……」
視線が合った。そんな風に思えた。けれども彼女は、こちらに向かって拒むように首を振ると、顔を伏せてその身を退がらせてしまう。
「あ――」
あれは見間違い、聴き間違いじゃなかったのか。
何かの間違いでは――そんな風に信じたかった。でも、ザイロウが感知した彼女の〝言葉〟は、紛れもなく現実だった。
五年前とは真逆。
無力に項垂れるイーリオと、それを見下ろすハーラル。実際はそうでもなく、あの時もイーリオは倒れていたに等しかったが、ハーラルにとっては忘れられぬ屈辱を味合わされたと記憶されていたのだ。
それが今度は逆の立場になっている。
――遂に余は、この男との因縁を終わらせた。
感慨無量と言えるかもしれない。父帝との確執や出自への葛藤など、彼を苦しめるものは他にも数えきれぬほどあったが、中でもイーリオとの因縁は、彼にとって最も払拭せねばならぬものだったのだ。
噛み締めるように虎頭の顔を上げると、ハーラルは大音声で周囲に宣言した。
「見よ! ここに決着はついた! 誰が皇帝に相応しいか。大公の娘、聖女を娶るのに相応しいのが誰か! 問わずとも明らかであろう!」
言葉の後、感極まった群衆や騎士達から「ハーラル! ハーラル!」と大合唱が沸き起こった。
「この者とトルステンの申し様が正しければ、この者は余の血縁となる。それが真実であれば、あたら命を奪うというのも忍びなかろう。だが、真実か虚偽か、そんな事はどうでもいい! この者らが、今日というハレの日を汚した罪は見過ごせるものではない! 騎士団よ、トルステンとこの者を捕らえよ!」
たちまち、周囲を囲んでいた騎士たちによって羽交い締めにされるトルステン大公。
それに、ベルサーク騎士団のビョルグ団長と国家最高錬獣術師のインゲボーも、きつくではないものの手を後ろにまわされた。トルステンに協力しておきながら何もなかったのは、グリーフ騎士団団長のギオルだけである。
その姿を見てトルステンは、愕然と暗い瞳を向けるのみ。
そしてイーリオは――
ハーラルが告げた後も、微動だにしていない。動く気配すらない。
ただ惚けたようになっているだけで、その姿は憐れですらあった。
こうなればもう、立ち上がれぬだろう。そうハーラルは思い、興味をなくしたように背を向けて己の鎧化を解除した。
だがその瞬間――
この機を狙っていた男が、叫ぶと共に、動きを封じた騎士に当て身を喰らわせて、駆け出す。
「アリオン!」
騎士を振りほどいたのは、ジョルト。
そして彼の後ろで、他の鎧獣に混じってその身を潜ませていた彼の愛騎が、いななきと共に駆け出した。
「白化!」
真紅の体毛をした馬斑馬が、白煙を噴き上げつつ主に覆い被さり、人馬の闘士に姿を変える。
初速から全速で駆け出す、ジョルト=アリオン。
彼の決断は早かった。
自分が出来る事は限られている。立ち向かうなんて出来るわけがない。
だが、イーリオとザイロウを逃がすのなら、出来るかもしれない。今は駄目でも、逃げ出しさえすれば――生き延びる事さえ出来れば――まだ終わりってわけじゃない。
ジョルトのこの考えは、実に建設的だし合理的だと言えるかもしれなかった。彼らしく、諦めない不屈の熱さに満ちているとも言えただろう。
だが、ここは彼がヴォルグ六騎士の一人、エゼルウルフから逃げ切った、あの雪原の時と同じではなかった。
最強最古の六騎士とはいえ、一人ならば逃げきれる可能性もあったかもしれない。例え周囲が囲まれていても。
しかしここは、帝国の最深部、帝城アケルスス。そしてこの場には、帝国最強が勢揃いしているのだ。
ジョルトが鎧化をすると同時に、即座に四つの白煙もあがった。
ジョルト=アリオンが、イーリオに向けて手を伸ばそうとした間際。
疾風が全身を叩き、無数の鋭利なモノが足を穿ち、巨影が行く手を阻んだ。
人馬に立ち塞がる四騎。
或いは上に乗り、或いは刃を突き立て、或いは両足を踏みしだき、或いは鼻先に巨刀をかざしている。
アームブラスターオオカミ
アンデスオオカミ
ギガンテウスオオツノジカ
アルクトテリウム
全て古代絶滅種。それぞれが青系の、輝きに満ちた美麗な授器を身に着けていた。
四騎の内、アリオンの上に乗っている巨大な人狼――アームブラスターオオカミが言った。
「オレ達のいる中でこんなマネをするなんざ、やるじゃねえか、兄ちゃん」
アームブラスターオオカミは、片目に眼帯をしている、とても珍しい風貌だった。
「賊を褒めてどうする、愚か者」
眼帯の人狼に、アンデスオオカミを纏う騎士、エゼルウルフが忌々しそうな呟きで返した。するとアリオンを踏みつけたまま、片目人狼も牙を剥き出して吐き捨てる。
「度胸があるっつってんだよ。てめえみてぇな貴族サマにゃあねえもんな、コイツみてえな度胸」
「これは度胸ではない。愚挙というのだ。言葉を知らぬ下賎な奴め」
「あぁ?!」
そこへ、三角刃槍の穂先が、両者の間に突きつけられる。
「六騎士同士でみっともない。ここには総司令閣下や皇帝陛下だけではない。帝国騎士達や多くの臣民も見ているのだぞ。場を弁えろ」
槍を持つギガンテウスオオツノジカの巨体から出された声は、凛冽な響きの女性のもの。逞しい巨体であるのは鎧獣騎士だからだが、輪郭は女性らしい曲線を描いている。
「ヴェロニカ殿の言う通りだ、ソーラ、エゼルウルフ。吾輩らは帝国の象徴たるヴォルグ六騎士。皆の模範となる振る舞いをせねばいかんな」
アルクトテリウムからの言葉で、二騎の狼は押し黙った。
同じ六将でも、格というのはある。それでいけば、彼ら二騎はこの巨熊と巨大鹿の下になるのだろう。
「さて――」
アルクトテリウムの巨人が、片腕でアリオンの身体を持ち上げた。馬斑馬とて相当の大きさがあるのに、まるで赤子を手に取るような軽々しさである。
その瞬間。
まだ諦めていなかったジョルトは、なけなしの力を振るってアルクトテリウムの巨体に拳の連打を叩き込む。
至近距離。虚を衝いた全身全霊の連撃。
特級の鎧獣騎士でも吹き飛ばせる威力はある。
「ほほう。この期に及んでまだ抗うか」
それでも、アルクトテリウムの巨躯には、傷一つ、体毛一本すら落とせていなかった。小揺るぎしないどころではない。素手で石壁を叩くのと何ら変わらないほどの無力感。殴った当人すら、あまりの手応えのなさに愕然とする。
「孺子よ、さっきそのオオカミのがお前を愚かと笑ったが、やはりそれは間違いではない。吾輩の駆る〝ジェイロン〟が何であるか知らぬ時点で、お前は愚かなのだ」
アルクトテリウム。
古代絶滅種にして史上最大級のクマの一種。ヒグマよりもメガネグマの近縁種だが、目を見張るのはその巨大さ。動物時ですら全長十五フィート (約四・六メートル)になり、鎧獣騎士の今、身長は二一フィート (約六・五メートル)にもなる。
単純な大きさなら、マグヌス・ロロのウェルーンやリヒャルディスのヤロヴィトよりも大きい。
だが問題は、大きさなどではなかった。
「このジェイロンは、三獣王〝怪神騎〟と呼ばれた鎧獣」
「三獣王……!」
「そうだ。そしてこのジェイロンを含め、ここには三騎の元・三獣王に、三獣王を殺した〝獣王殺し〟もいる。分かるか? それらに抵抗しようとするのが、愚かを通り越してどれだけ憐れであるか」
〝獣王殺し〟。
言わずれとも分かっている。
帝国総司令マグヌス・ロロと〝ウェルーン〟。
かつてメルヴィグ王国の三獣王であった〝五代目・獣剣公〟を殺し、三獣王に推挙されるもこれを固辞した逸話はあまりにも有名だ。その実力は三獣王に並ぶのは間違いなく、それ以上ではないかと囁く者すらいた。
「ウルリク卿」
ギガンテウスオオツノジカの女性六騎士が、咎める声をあげた。
「おお、すまん。つい舌がまわりすぎてしまったようだ」
「そうではありません。ここにはもう一騎、元・三獣王がいらっしゃる」
「――ん? おお、そうであったな。六騎士だけで考えるとは、吾輩とした事が、間が抜けたうえに不敬な発言をしてしまった。――そうだ孺子。元・三獣王はもう一騎おられる。我らが主君ハーラル陛下よ。〝人虎帝〟ティンガルボーグ。つまり三獣王に並ぶ騎士がここには五騎もいるというわけだ。どうだ? それでもまだ抵抗するか?」
抗うとかどうこうするとかの問題ではない。三獣王だろうが獣王殺しだろうが、そんな〝名前〟如きで怯むジョルトでもない。
そんな事よりも、今この瞬間だった。
正に現在進行形で、ジョルト=アリオンは身動きがとれずに宙に浮かされている。さっきからまだ立て続けに拳も放っているのだ。もう何十発出したか分からない。それでもこの巨大熊は、微動だにしていなかった。
「ふむ……愚直も時には道を拓く事もあろうが、これはただの愚者だな」
声に無感情な響きがこもり、ほんの僅か、ジェイロンの腕が揺らいだ。武器を持った方の腕ではない。ジョルト=アリオンを吊るし上げている方の腕だ。
その揺らぎと同時に、紅き人馬の身体が、大きな〝く〟の字を描いて折れる。
目から火花が出る――ではない。息が潰され、意識が真っ黒に消された。
そのままジョルトは意識を失い、強制解除の煙を上げる事となった。
こうして、例のない戴冠式となった一連の騒動は、皇帝派の首魁トルステン大公を含めた実行犯の逮捕という結末で、幕を閉じた。この後、トルステンに加担していた皇帝派と呼ばれた一派も根こそぎ逮捕になり、まさにスヴェイン司祭がエッダに献じた策の通りになる。
虚ろげな目で、まるで魂すらもなくしたかのような無表情で連れ去られるイーリオ。
それを帝城の陰で、悲しく瞳を揺らして見つめるシャルロッタ。
空を飛ぶのは、冬空を後にした鳩ではなく、悪食に目を光らすカラスたち。
そうだ。もう共に飛べる空はないのだ――。
そう言い聞かせる以外、彼女に何が出来ただろう。
そんなシャルロッタの側に、カラスと同じ色の魔女が近寄ってくる。
「さすが聖女様。貴女があの坊やにひと声仰ってくれたから、坊やはあれ以上傷付かずに済みましたわ」
エッダの言葉に、シャルロッタは悲しみとやり切れなさを込めた瞳で睨み返す。
「いいえ。あの人はとても深い傷を負ったの。生涯治らないかもしれない、とても深い心の傷を」
「だとしても、それを負わせたのは私でも皇帝陛下でもないわ。貴女があの坊やを傷付けたのよ」
魔女の呪文は、聖女の心をも暗く濁らす。
ここにはもう、救いはない。
救いのない事が、彼にとっての救いなのだから、どれだけ心が汚辱に塗れても、シャルロッタには耐える他、道はなかった。
「面白い!」
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