第三部 第一章 第二話(3)『公開決闘』
イーリオの名前を耳にした瞬間、壇上の袖に身を潜めていたシャルロッタは、飛び出そうとした。
それが、イーリオに何かを訴えようとしたからなのか。または、イーリオを選ぼうとしての行いか。ただ会うためだけなのか。それとも別の何かなのか。それは分からない。
ただ、彼女の身を即座に拘束したのは、エッダの命を受けたスヴェインの手の者ら。
どういう形にせよ、全ては台本どおりに事を運んでもらわなくてはならない。
エッダがスヴェインの献策を入れた結果、トルステン大公はまんまとギオルや他の騎士団に接触を試み、この場にイーリオを潜り込ませてくれた。網の目をかいくぐって潜ませたとトルステンは思っているだろうが、実際はエッダの指示を受けて通したに過ぎない。
想定通りの行動を彼らがとったのはともかく、それ以上に素晴らしかったのは演目の主演であるハーラル皇子である。皇子本人はこの事を何も知らない。知っていたら別の行動をとるかもしれなかったから、全てはエッダを黒幕にして密かに行われた。
そして予想以上に、ハーラルは舞台の主演よろしく、見事な振る舞いをしてくれたのだ。
ハーラルがイーリオとの実力による決着を望んでいたのは、問われなくとも分かっていた。ならばこそ、それを最も劇的かつ効果的に行うには、誰の目も欺けぬ衆人環視のもとで行う事である。
勿論、保険もかけてある。
イーリオは今や恐炎公子などと呼ばれるほどの騎士にまで成長していると聞く。それにザイロウには、五年前に見せたあの巨大化な化け物じみた力があった。
ハーラルとティンガルボーグの実力も知ってはいるが、もしもの時というのも考えておかねばならなかった。
だからスヴェインと彼の率いる〝灰堂術士団〟も潜り込ませ、いざとなれば彼らの用いる獣理術なる〝術〟で結果を捩じ曲げようという事まで手配していた。更にそれ以上の万が一にも備え、ヴォルグ六騎士のウルリクとエゼルウルフにも根回しを済ませてある。
それどころか、トルステン大公の手引きをしたギオルも同様であった。
彼にはウルリクが命を授け、トルステンがここに来るよう導く役割を担ってもらったのだ。
これが、決闘の皮を被った公開処刑だという事を知らぬのは、舞台で踊る役者たちのみ。
イーリオに与えられたのは、そのための生贄役。
哀れと言えばそうだが、そもそも事の発端は、あの若者自身なのだ。
ただの偶然の成り行きで聖女と狼に選ばれただけかと思っていた子供が、よもや皇帝家の血筋であり、こんな局面にまで重要な立ち回りをする事になるなど、エッダですらも予想のしていなかった事。だがよくよく考えれば、これは必然だった可能性もある。何の理由もなしに〝銀の聖女〟が守護狼の相手を選ぶはずもなく、確かな〝嗅覚〟であの孺子を嗅ぎ取って選んだに違いなかった。
だがそれは同時に、彼らがもう使い古しの存在である事の証左でもあった。
だからこそ、正しく自分たちのために働いてもらわねばならないのだ。
そのためにも聖女の不要な介入は、エッダにとって邪魔なだけでしかなかった。
「公女殿下――いえ、聖女様。貴女はただ見ているだけにしてくださいませ。ここから先は殿方が主役の場。どうぞ貴女は主賓として、ここで大人しく黙って見ているのですよ」
拘束されたシャルロッタに、エッダは無機質な口調でつくろい、慈悲のない耳打ちをする。その声音に微かな感情を滲ませていたのを、言った本人は気付いていなかった。
城の前に群れをなす帝都民たちが、ざわめいていた。
アケルスス城から騎士達が出て民衆を押し退けたと思ったら、今度は新皇帝であるハーラルが姿を見せたからだ。通例であれば即位宣言があるはずなのに、それすらまだない。
表に姿を見せたハーラルは、よく通る声で民衆に告げる。
「聞け。ゴート帝国のハーラルである。今より余はある者と決闘を行う」
既にヴォルグ六将が手配をし、集まる群衆を払って、広大な空間を城の前にもうけていた。
更に人垣の前には、鎧獣騎士の巨体がズラリと並んでいた。空間を囲む彼らは、壁代わりの安全柵の役割であった。
「本日の余の戴冠を前に、不逞にも皇帝位に相応しいのは余ではなく自分だと名乗り出る者が表れた。愚かな事だ。相手をするのも馬鹿げた話である。だが、これも余を未熟な若輩と侮る輩がいたから起こった事であろう。ましてや神聖な儀式を汚されてこれを見過ごしては、愚か者の申す通り、余に皇帝たる資格がないと自ら認める事にさえなってしまう。よって、誰が武門の誉れたる帝国皇帝に最も相応しいか、本日皆の前で、実力をもって世に知らしめたい!」
群衆を見下ろす大階段から、ハーラルが後ろを振り返った。城の中からイーリオとザイロウが姿を見せる。
ハーラルの側にはティンガルボーグ。
皆に聞こえぬ声で小さく言う。
「いらぬ小細工などいらぬ。勝った方があの娘を迎え入れる。それだけだ」
「皇帝の位なんていらない」
「ふ、分かっておる。貴様がどうしようとそれは自由だ。互いに欲しいもののために獣を纏う。貴様はあの娘を。余は娘だけでなくこの帝国全てを手に入れるためだ。なに、勝てば誰にも手は出させんよ。余とティンガルボーグに勝てれば、な」
両者が同時に階段を降りた。
向かい合う二組の若者と人造騎獣。
ともすれば、兄弟と呼び合う仲だったかもしれない二人である。
奇縁にまみれ、宿運に翻弄された兄と弟は、遂に衆人の目が注がれる満天下のもとで、再び戦い合う事になってしまった。
四年と数ヶ月、年数ならば五年の時を経ての再戦。
全てが息を殺して見守る中、宿命の二人は同時に叫んだ。
「白化!」
間欠泉の勢いで噴き上がる白煙。主と定めたそれぞれの身を包み込んだ獣は、煙が晴れると共に姿を変えて薄い陽光を仄かに受けた。
狼頭人身。
光がこぼれる白銀の体毛。白い炎の紋様が刻印された銀の鎧でその身を覆う、人獣の騎士。
手に持つのは肉厚幅広の曲刀。この世でただ一振りだけ残された聖剣。
大狼のザイロウ。
虎頭人身。
銀ではなく青味がかった灰色の体毛。その身を覆うは、僅かに白く濁り、氷そのものといった鎧。
手に持つ円月刀も、鎧と同じく、氷の彫刻のような美麗さ。
灰色虎のティンガルボーグ。
伝説の二騎が、互いの全てを賭けて構えをとった。
審判はいない。はじまりを告げる声もない。
機が熟した瞬間――それが決闘開始の合図となる。
人獣の巨躯が、徐々に闘争の気配を濃密に膨れ上がらせていき、それと比例して静寂が重苦しさを増した。帝国騎士や諸侯たち、それに臣民たちの誰もが、うめき声ひとつ漏らさない。
足を大きめに開き、低い姿勢となって剣を後ろにひいているのがザイロウ。
反対にティンガルボーグは、足幅を肩の広さほどにして、武器を前に突き出している。
レーヴェン流とグライフェン流、それぞれの代表的な構え方であった。
誰もがしわぶきひとつ出せず、かつてない張り詰めた空気で沈黙が続く。
一体どれだけの時が経ったろう。
一分か。数分か。それとももっと何十分もか。
突如起こる――はばたきの音。
一羽のカラスが、鳴き声と共に静寂を裂いた。
はじかれたように飛び出したのは――
意外にもティンガルボーグ。
どっしりと鷹揚にすら見えた体勢だったのに、踏み込みの速度は誰もが視認を逃してしまうほど。
しかしザイロウの反応も負けてはいない。人虎の動きに合わせ、反撃の一刀が翻る。当たれば鎧獣騎士の防御力ですら物ともしない、聖剣のひと振りだ。
しかし反撃を放ったはずのザイロウの剣閃に対し、ティンガルボーグの円月刀が申し合わせたような軌跡を描いて弾き返した。
凍てつく炎がはじける。
衝撃に吹き飛ばされる事なく、すかさず両者は、空いた片腕で爪撃による二撃目を繰り出した。
寸分違わず同時。
だがザイロウは腰と腕を捻って回転を加えている。
一方のティンガルボーグは、直線的で矢のように鋭い。
肉の裂かれる音。
距離をとって着地し、二騎の人獣が再び膠着する。
両者の爪が血に濡れていた。
ザイロウは左腕。ティンガルボーグも同じく左腕。
互角の被撃。だが、傷の深さはザイロウの方がより大きい。それでも回復能力の早さでザイロウは勝っている。
ここで広場の空気が、一斉に息を吐いたようなたわみを見せた。
あまりの攻防。とてつもない高次元の戦闘に、誰もが息をするのさえ忘れていたのだ。
「見違えたな。さすがにあの時とは比べ物にならんか。だが、余も五年前とは違うと思え」
ティンガルボーグからハーラルが言った。声に気負いはない。押し殺した笑みの色さえうかがえる。
「悪いけど容赦はしない。僕とザイロウで、シャルロッタを取り戻す」
反対にザイロウから響くイーリオの声色は、気負いすぎるほどに執念じみていた。
同じ帝国の帝家鎧獣を駆り、実力は伯仲。けれども対照的なまでの二人。
イーリオにとっても、あまりに因縁めいた相手と言えた。自分の運命を変えた相手がシャルロッタとザイロウならば、ハーラルもまたその一人と言えるかもしれない。
いつか剣を交える宿命であり、それが今日と言うのならば、そんな運命などこの日を最期にしてみせる。
その想いもまた、両者に共通するものであったろう。
「では本気でくるが良い。小手調べは終わりだ。今より全力でもって、貴様をひざまずかせる」
ハーラルの言葉。緊張感すら、一瞬で凍てつく。
気温が一気に冷え込んだ闘気の変化を、帝国総司令マグヌス・ロロが即座に察知した。
「総騎士長、ヤロヴィトだ! グスターヴ! 〝ファランクス〟で壁を作れ!」
総司令の鋭い指令に、ヴォルグ六騎士の一人、総騎士長リヒャルディス・グライフェン、そしてゴゥト騎士団団長グスターヴ・ノギンが「はっ!」と応じた。
「白化」
リヒャルディスの背後に控える白い巨体が、白煙を噴き上げて人獣の巨人となる。
純白の巨躯。史上最大級の捕食生物であり、マグヌス・ロロの〝ウェルーン〟にも並ぶほどの巨大さ。
古代絶滅種・暴帝北極熊の鎧獣騎士。
〝ヤロヴィト〟が姿を見せた。
マグヌスの意図を理解したリヒャルディス=ヤロヴィトは、鎧化をするや否やそのまま自身の異能を発動させる。
「〝城塞〟」
十八フィート (約五・五メートル)の巨体を突き破り、突如白い棒状のものがいくつも放出された。出されたのは掌から。
それだけではない。背中の中央も、甲虫の羽根のようにばくりと裂け、巨大な牙の如き白い湾曲物が、天を覆うような大きさで巨体から生み出されていく。
目にした者が、普く目を見張る。
それは骨。
骨を超異常増殖・超過剰発達させて体外に放つのが、ヤロヴィトの獣能。
背中から出された背骨や肋を媒介にした骨は、建築物をも超える巨大化を施され、広場をすっぽりと包むほど。掌から出された骨は、天蓋に対しての支柱であり、円形に大地に突き刺さり、天蓋を固定させた。即席かつとてつもない速度で生み出された異能の城壁。
そもそも生物の骨は、鉄などに並ぶ硬度を持つ。これが歯ともなれば、水晶と同じ硬さがあるという。この骨の城壁の硬度はそれ以上となり、十段階の硬度で九。金剛石の次の硬さが備わっていた。
臣民が呆気に取られる中、同時にグスターヴの下知で高山山羊の騎士団も動いていた。骨のドームに立つ柱の間を埋める形で、人獣騎士が壁となって密集に並んだ。
指揮官格にあたる山羊騎士が発令をする。
「ゴゥト・ファランクス!」
アイベックスたちの体毛がにわかに逆立った。
これがゴゥト騎士団ならではの戦形、ゴゥト・ファランクスである。
詳細は省くが、ようはゴゥト騎士団のみに発動出来る戦闘形態で、全ての能力値、特に防御や硬化を数段跳ね上げさせるのがこれの特徴であった。
ヤロヴィトとゴゥト騎士団による異形・異能の〝壁〟。
何故それを発動するよう、総司令マグヌスは命じたのか。
答えはすぐ目の前にあった。
「千疋狼――〝炎身罪狼〟」
ザイロウが、全身から白い炎を吹き出させる。
五年前にはなかった姿。
ハーラル=ティンガルボーグもまた、異能の号令を発した。
「修羅死王――〝戦神姿〟」
灰色虎の肩甲骨部分が盛り上がり、新たに腕が表れた。
だが、以前とは違う。
肩の上から覗く二本の腕。そして左右下部分に見える――もう二本。
ティンガルボーグの腕が、六本になっていた。
両者の姿が異形のそれへと変じ、それを境に、戦いも別次元のものになろうとしていたのだ。
鎧獣騎士が戦えば地形が変わる――。
ここから先は比喩で語られるように、戦闘の凄まじさだけで破壊の余波を被るかもしれない。当然、距離をとっていても巻き込まれる可能性さえある。それから周囲を守るため、マグヌス総司令は異能の壁を作り出すよう命じたのだった。
臣民や武装していない人々は勿論の事、守るべきはこの帝都そのもの。
ティンガルボーグを纏うハーラルが本気を出せば、背後に聳えるアケルスス城と帝都ノルディックハーゲンすら、どうなるか分からない。
それほどの相手なのかと、マグヌス・ロロはいつにない厳しい目で、戦いの趨勢を見守っていた。
「面白い!」
「これからどうなるの?! 続きが気になる」
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