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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第一章『希望と絶望』
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第三部 第一章 第二話(1)『冬鳩』

 襞付きのレースに、幾何学的な紋様の銀糸が気品の高さを際立たせている。

 四年の歳月と共に長く伸びた髪は、自分も年を重ねる存在なんだと教えてくれているようだったが、どこか重くて煩わしい。花を模した髪飾りで邪魔にならないように結わえていても、それでも旅をしていた頃の軽快さはもうなかった。

 ドレスも髪も、自分にとっては足枷と同じ。

 重く、身体を縛り付けるだけ。


 ――ううん。あたしにとっての枷は、自分の存在そのもの……。


 気鬱な瞳が暖炉の揺らめきと同じように波立つと、シャルロッタの気持ちも同調して沈んでいく。

 部屋を彩る無駄に華美な内装や調度品も、多くの女性(にょしょう)が羨みの目を向けそうな衣服も、どれもが彼女の心を慰んではくれなかった。



 この四年間、彼女はゴート帝国の貴族であるリューリク侯爵家の養女として過ごしてきた。だが、つい先だって三皇家のひとつホルグソン家の養女として新たに籍を移し替え、大公の娘となる事が決まったのである。


 それもこれも、(きた)るべき婚儀に向けての準備。


 貴賤結婚とならぬよう、彼女を皇帝の妻として相応しい身分にさせるための準備であった。

 今や彼女は、ただのシャルロッタではない。ゴート帝国の皇族に連なる公女。シャルロッタ・ホルグソンとなったのである。


 望んだものではないし、望みたくもない。


 四年間、暖かく見守っていてくれたリューリク家の養父母の悲しみ様も辛かった。

 けれども自分にそれを拒む事は許されない。

 許されるはずもない。

 幸せなどは〝人間〟が望む言葉。人並みと呼ばれる数多の人間たちが抱く希望。

 彼女はそうではない。

 四年前のあの時、彼女は思い出したのだ。



 ――自分は、人間ではない(・・・・・・)、と。



 暖炉の揺らめきが、あの破壊の光景を思い起こさせ、彼女は何度となく浮かんでは消えた記憶を、また反復する。



 四年前――

 ヴォロミティ山脈にある黒母教メギスティ黒灰院での出来事。

 ザイロウの暴走と共に解かれた、〝情報〟と〝役割〟。

 人間一人では到底抱えきれない、世界そのものの記憶とも言える膨大な〝記録〟に晒された時、シャルロッタは遂に自己を形成させるに至ったのである。

 それは同時に、この世界を決定づける全てが、彼女に委ねられたという事も意味していた。つまり〝エポス〟らの宿願が、遂に為されたという事でもあった。


 目覚めるべきではなかった。目覚めてはいけなかった。


 でも、あの人と出会ってしまった。あの人が――あの雪山の中――私を見つけ、私と約束を交わしてくれたから。


『君の事は、僕が守るよ』


 そして彼は、その言葉を果たしてくれた。

 彼は私を、ずっと守ってくれた。

 私が目覚めるまで(・・・・・・・・)、ずっと……。

 ずっと守ってくれたからこそ、私はもう――

 あの私はもう――


 だから今度は、自分が守る番だった。

 あの人を守る。私があの人を守らなきゃいけない。

 あの人は私に全てをくれて、私を私にしてくれた人だから。

 だから守り抜く。どれだけこの身が引き裂かれるような想いをしても。



「〝シエル〟、選ぶのはどちらかだ。どちらであれ、生命(いのち)――いや、魂は同じ本物。もしお前があの紛い物を大切に思うのなら、尚の事お前は選ばなければならない。お前の〝愛〟は、救済と破壊そのもの。齎される祝福と呪詛を受けるべきが誰であればいいのか。生贄になるのが誰であるべきか。それは既に決められた事であり、お前が決断すべき事なのだ」



 黒衣の悪魔たちは言った。

 勿論、そんな事は分かっている。

 間違えるために生まれたのではない。自分はその為に〝生み出された〟のだから。


 悪魔は神。この世の理。


 逆らうとか逆らわないとかじゃない。違えてしまえば、その先にあるのは、億万を超える破滅。

 自分の決断が、〝世界〟と〝世界〟を救うのなら、答えなど決まっている。



 

 暖炉から離れ、曇ったガラス窓に近寄って外の景色を見つめた。

 屋敷に続く通路は凍り、うずくまる鳩がいる。もうすぐ寒さが去っていくと信じているかのように。

 そんなものは幻だと知りながら、それでもあの鳩は、耐え抜こうとしているのだろうか。

 時は冷たく過ぎ、冬は春を置き去りにして何度も巡るというのに。

 でもまだ空が――飛べるはずの空があると願わずにはおれないのだろう。

 だって、この空のどこかであの人も生きているのだから。

 けれども自分にはもう、供に飛ぶ日は来ないのだろう。

 分け合える日は、もう二度と。

 翼を持たぬ私には、やって来ない――



 扉を叩く音がして、女中の一人が入室した。

 深々と礼をした後、迎えの馬車が来た事を告げる。


「おめでとうございます」


 それがどこまでも喜ばしい事だと信じて疑わない声に、シャルロッタは優しげに微笑みで返した。その笑顔で、女中も蕩けるように頬を上気させる。

 自分がこの国に〝聖女〟として半ば崇められているのは知っている。そんなものではないし、だからと言って否定する気もシャルロッタにはなかった。だから屋敷の人間が向ける恭しいまでの視線や気遣いにも、申し訳なさしか浮かばない。


 天上から降りた女神のようだと言われる姿態を起こし、シャルロッタは部屋から立ち去ろうとした。


 最後にもう一度だけ、窓の外に目を向ける。

 そこにはもう、あの鳩はいなかった。



挿絵(By みてみん)





※※※



 皇帝ゴスフレズⅢ世崩御。


 その報せが帝都ノルディックハーゲンを駆け巡り、教会の鐘が打ち鳴らされた。

 北の大帝国において、長年に渡りその覇を諸国に知らしめ、歴代最大の版図を獲得した偉大な武帝が、遂に身まかったのである。晩年は病床にあり、妻を二人、皇子を三人も失い、言動におかしな点も多く見られたという。

 決して幸福のうちに逝去出来た訳ではなかったが、それでも多くの帝国貴族たちが、その死を惜しんだ。


 しかし数年前から親政を担い、事実上の皇帝位であったハーラル皇太子が帝国にはいる。国が揺れる心配もないし、今まで以上にハーラルの地盤が固まるだけの話だろうと臣民の誰もに不安をこぼす者はいなかった。

 一方でハーラルは、身の内から何も沸き上がらない己の渇いた感情に、少しだけ驚きを覚えていた。


 自分の命を狙った黒幕。その父がやっと死んだ――


 喜びとはいかぬものの、多少なりとも安堵ぐらいはすると思っていたが、ひと粒の雪片ほどの感慨も湧いてこない。

 むしろ帝国の至る所から駆けつけた百官たちの衣装と肉の壁に取り囲まれ、形なりとも悲しみの演技をするのに気疲れすら感じる有り様だった。


「皇太子殿下、その心中いかばかりか、お察し申し上げます。悲しみの深き事、もっともかと存じ上げますれど、陛下の御霊(みたま)天上(ヴァルハラ)に送らねばなりませぬ。これよりご葬儀を執り行いますれば、どうか気持ちを強くお持ちあそばしませ」


 百官を代表してギヨーム宰相が告げると、ハーラルも己の虚無を押し隠し、それに頷いて答える。


「つつがなきよう頼む」

「御意」


 やる事は山のようにあった。

 葬儀に関する事はもとより、自身の皇帝位への戴冠やそれにまつわる諸侯への挨拶、その他諸々の政務。そしてエッダらより以前から献策のあった、婚礼の準備。


 話は既に聞いている。


 あの〝銀の聖女〟が大公家の養女となり、自分に()すのだという。


 先だって聖女が大公家に迎え入れられる際、一度目通りもしていた。その時は随分と驚いたものだ。父帝が亡くなった時とは比べ物にならないくらいに。

 それより前に目にしたとなれば、養母のサリと会ったメルヴィグのロワール城での一瞥以来になる。帝国の地下から脱した後は、変わらずイーリオにべったりとくっついていたし、もうそのままなのだろうとハーラルでさえ思っていた。少なくとも、どこをどうすれば自分の元に嫁ぐなどとなるのか。まるで謎掛けでもされているようだとエッダに問いつめると、黒衣の女官は涼しげな顔で滔々と述べた。


「帝国の地下に眠りし時は、物知らぬ赤子の如きものだったのです。それが外に出て諸国を見聞きし、そして神々の息吹を感じ取る事で、聖女は己の役割に気付いたのだと聞いております」

「よく分からん。役割とは何だ」

「聖女の役割とは、帝国に安寧を齎す事。そのために必要な皇帝陛下を見出す事。それがハーラル殿下であると、気付いたのです」

「……血筋ならば、貴様も知っていよう。だからあの娘は、イーリオと共にある事を望んだはずだ」


 ハーラルの出自に関し、エッダはこれを知る数少ない人間の一人だった。後は母であるサビーニと、亡くなったゴスフレズⅢ世の言葉を信じるなら、知っている可能性があるのはマグヌス・ロロ総司令ぐらいのものか。


「だからこそ聖女は外の世界の見聞で、心変わりされたのでしょう。次期皇帝を選ぶに際し重要なのは、血筋ではないという事を。誰がその責務に相応しいか、誰がこの国にとって重要かという事に気付かれたのです。例え血筋の上で正しくとも、あの若者に国を治める事が出来ましょうか? いいえ、出来ませぬ。それをお出来になるのはハーラル殿下をおいて他にございません」

「だからといってそれが何故、嫁ぐまでになるのだ。役目とそんな心は違うものだろう」

「殿下のご聡明さは今更言うまでもございません。しかし誠に失礼ながら、女性の扱いについて、殿下は女心の何たるかを分かっておりますまい」


 白い顔に薄い笑みを浮かべ、エッダは恭しく(こうべ)を垂れる。

 普段は色恋沙汰などまるで無縁のような彼女だが、それでもハーラルより長く生きた分だけそれらしい経験はあるのかもしれない。むしろこの側仕えの女性の過去を、自分はほとんど知らない事に今更ながらハーラルは気付いた。


「あの娘……いや、〝銀の聖女〟が心変わりしたとでも?」

「御意」

「……なれど理由はあろう。あの娘がイーリオを好いていたのは余でも分かる。反対に余があの娘に好かれる理由など何もないぞ。いくら余が女心に疎かろうが、それくらいは分かる」

「全くもってその通りでございます」

「おい」

「ですから殿下個人を慕われての決意ではないという事です。全ては帝国のため。個人の感情より大義を重んじるは、生まれに宿命(さだめ)を持ったものの(つね)。聖女は己が殿下に嫁ぐ事で、帝国に千年の繁栄を齎すと信じ、これを決断したのです」


 好悪で伴侶を求めるなど、(たっとう)き者に許される事ではない――そういう事かとハーラルは頷く。だがそれでも、あの緑金の髪をした若者の顔が脳裏にちらついた。果たしてこれで済む話なのかと。


「それにご案じ召されますな。女は一度決断したならば、男よりも意思は固うございます。今は殿下に心寄せておらずとも、共に過ごせば慕う心も自然と芽生えてくるでしょう。聖女といえども女である事は変わりありますまい。むしろ外の世界に出た事で、余計にその事に気付いたのではないでしょうか。男であれ女であれ、初恋などというものは、子供の罹るはしか(・・・)のようなものでしかないと」

「初めて恋を知った、か。余には分からんな」

「そうして誰もが成長していくものです。いずれ殿下も知る事は出来ましょう。その時の相手が、例えあの聖女でなくとも良いのです。皇帝陛下にお成りあそばす殿下には、それくらいの器量はお持ち下さいませんと」


 最初の妻が皇太后である必然はなく、聖女は側妾扱いで娶り、いずれそれに相応しき身分の皇太后を他国より迎え入れてはどうか。エッダが言ったのはそういう事だし、酷薄であってもそれは珍しい話ではない。

 仮にハーラルが聖女をただ一人の妻とするならば、世継ぎさえ作る事さえ出来れば何も問題はないわけで、どちらにしても皇帝の結婚など、国事のひとつでしかないという事だった。


 納得出来る話かどうかはさておき、置かれた現状についてハーラルは彼なりに理解をした。

 この事を、あのイーリオが知っているのかどうかは分からない。同時に、此度の婚約が奴との結びつきに大きな意味を持つのは間違いないという予感も、はっきりと感じる。


 どのような形であれ、再び巡り会う事は決定付けられたのだと――。


 その時こそ、因縁に決着をつける時だと、ハーラルは新たな確信を胸に刻んでいた。

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