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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第三部 第一章『希望と絶望』
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第三部 第一章 第一話(3)『赤馬随行』

 蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ去っていく山賊たちを尻目に、ウマとシマウマの混合種(ハイブリット)馬斑馬(ゾース)の人馬闘士は周囲の気配を細かく探った。

 他に伏せた手勢はいやしないか。

 別の危険はないか。

 そういった危機感知に、馬という種は実に長けているものだ。

 だが、気配を十全に探る前に、別の角度からの声が彼の意識を中断させる。


「ジョルトさん、どうしてここに」


 ジョルト=アリオンの振り返った先に、馬車の荷台に乗るイーリオ。

 その顔色は、おかしな汗をかいた面貌と共に、いつもより土気色を帯びていた。何か一服もられたのは、一目でわかる。

 しかし顔色とは裏腹に、目つきは疑問というよりも批難の色に満ちていた。


「もう、関わらないで下さい、そう言ったじゃないですか」


 ジョルトはその言葉に応えようとせず、しばらく周囲をうかがった後、鎧化(ガルアン)状態を解除した。そしてイーリオの周囲に視線を走らせると、彼の足元に落ちている齧りかけの干しリンゴを手にする。


「これか」


 匂いを嗅ぎ、少しだけ口に含んだ後、ジョルトはリンゴをぷっと吐き出す。


「痺れ薬の類いだな。ちょっとの間そのままだろうが、明日になりゃあ元に戻るさ」

「御礼は言いませんよ。僕は一人で帝都に行くんですから、貴方は故国(くに)に帰ってください」


 睨む緑金の瞳。その目をジョルトの黒い瞳が真っ直ぐに見返す。


「お前に謝って済む問題じゃねえってのは分かってる。けどな、俺はジョルト・ジャルマトだ」

「……?」

「友と決めた人間を見捨てるなんて真似、世界中の人間が許しても俺が許さねえ。この俺自身が俺を許さねえ。だから俺は、お前に着いて行く。お前がシャルロッタちゃんを助け出す。それを俺が手伝う。罪滅ぼしかと聞かれりゃあそうかもしれねえ――いや、そうだろうな、きっと。でも罪滅ぼしだろうが身勝手だろうがそんな事知るか。何があっても友は見捨てねえ。それがジェジェン人の――俺のやり方だ」

「意味が分かりません……。迷惑ですから帰ってください」

「いいや、帰らねえ」

「帰ってください! これは僕とシャルロッタの問題なんだ」

「ああそうだ。お前の問題だ。そんでお前を勝手に助けるって決めたのは、俺の問題だ。邪魔だってんでお前が俺を斬ろうとするなら、それも仕方ねえ。それもこれも全部、俺の問題。だからお前が何て言おうと、俺は勝手に着いて行く。分かったな」

「無茶苦茶だ……」


 呆れて、それ以上の言葉にならないイーリオ。

 それでも、迷惑だとか気を使うとかそんなものなど何処吹く風のジョルトの行いは、固く閉じたイーリオの心の氷壁を、ひと蹴りで崩していくような強い光に溢れていた。


 力強く、真っ直ぐで、人を熱くさせる。


 出会った時からずっと、ジョルト・ジャルマトはイーリオに希望の道を示してくれていた。


「それによ、お前、帝都に行くってのにこの道を来てるって事はトルステン大公に会うつもりなんだろ?」


 眉根を寄せた顔で、イーリオは情報源を推察する。


「カイ様ですか……」

「誰だっていいじゃねえか。それよりな、お前がいくら名の売れた騎士だからって、それですんなり三皇家の大公殿下に会えるのか? 無理だろ、そりゃ。お前に何かツテがあるんなら別だが」


 そんな事は言われなくても、イーリオ自身が一番よく分かっている。だからどうすればいいか、最前まで悩んでいたのだから。


「でもよ、俺ならトルステン大公にお前を会わせられるぜ」

「え?」

「俺の親父はジェジェンの大首長(ジュラ)だぜ。ゴートにだって何度か来てるし、何よりここ、西方のシュタイエルスカにはそこそこ馴染みがある。それに最も重要なのはな、俺はトルステンのおっさんとも面識があるって事だ」


 鈍い意識の中、イーリオは驚きに続く言葉を失った。

 それが本当なら、悩む必要などもうない。とにかく会いさえすれば、あとは一か八かの勝負にしかならないのだから。


「どうだ? 何より早くシャルロッタちゃんを――ってんなら、つまんねえ意地を張ってるのはどっちになるんだ? 俺か? お前か? 答えは聞いてねえぞ。俺がお前に着いて行くってのは決まりだからな。つまり問題はないって事だ」


 強引を通り越して無茶苦茶にすぎる問答無用さだった。


 イーリオが溜め息をつくと、傍らのザイロウが不意に彼の後ろに体を向ける。

 「何?」と思う間もなく、無造作な動きでそのままイーリオの背にがぶり、と噛み付いて背中を前足で押した。


 害意や敵意のある噛みつきではないが、厚手の服を貫く程度には力強い牙。

 驚いたのはジョルトだったが、イーリオには相棒の行為の意味がありありと分かった。

 狼にとって噛む事は、コミュニケーションの一種になる。時に儀式になり、命令にもなる噛む行為は、この時、イーリオを荒々しく叱咤していたのだった。


 これ以上くだらぬ言い訳は止せ――と。


 黄金の瞳は、どこまでも高潔にイーリオを見つめている。

 もう、否やを言い出せるはずもなかった。


「……分かりました」


 途端、ジョルトの駆るアリオンが小さくいななきをあげ、主人の顔も柔らかく破顔した。


 鎧獣(ガルー)騎士(スプリンガー)


 それはどこまでも駆り手とともにあり、駆り手を正しい道へといざなってくれているのかも……。

 そんな風に思える自分は、まだ少しだけ、希望に見放されていないのかもしれない。

 そう思えるイーリオだった。



※※※



 みっともなく退却した山賊〝山の牙〟の連中が、ひとつところに集まって項垂れている。

 突然表れた赤い人馬騎士の強さを前に慌てて逃げてきたから、という実力と根性、双方の情けない問題もあったが、精神的敗北のいたたまれなさの方が大きかっただろう。鎧獣騎士(ガルーリッター)だった者も、今は全員鎧化(ガルアン)を解除して、輪の中心にいる二人の若者に謝罪をするような恰好だ。


「済まねえ……お(かしら)。途中までは完璧だったんだ。こりゃあ上手くいったと思ったんだ。でもよう、まさかあんな邪魔が入るなんて、思ってなかったからさ……」

「いつまでしょげてんだよ。そういう時もあるさ。過ぎた事は仕方ない。ね、そうだろう?」


 若者の内の一人、華奢で締まりのある体つきの少女が、もう一人に問いかけた。

 もう一人の若者は無言で頷くが、その横に侍っている巨体は、納得しかねるようにぶるる、と体を揺らす。思わず山賊連中がか細い悲鳴を喉から漏らすも、若者が「駄目だよ」と制すると、巨体は渋々とそれに従う素振りを見せた。


 この若者こそ、先ほど離れた場所でイーリオを凝と見つめていた人物、その人であった。


「ごめん、グレタ」

「いいよ。そりゃあ〝アーヴァンク〟だって唸りたくもなるさ。アンタらがもっとちゃんとしなきゃなのに、ここぞって時に駄目なんだから」


 謝る若者に、グレタと呼ばれた少女が優しく返す。


「で、でもよう、その、もし〝アーヴァンク〟が俺らの手勢に加わってくれたらさ、さっきのだって……」


 おずおずと意見を述べる賊の一人に、グレタがきつい視線を投げた。


「だから何度言ったら分かるんだよ。ガボールも〝アーヴァンク〟もアタイの大事な人なの! それにガボールは記憶を失って苦しんでるってのに、アタイらのような仕事を手伝わせれるもんかい。今日だってアタイに気を使って着いてきてくれたんだよ。ほんと、何て優しい人なんだろう……。そんなガボールに無理をさせようっての?」


 凄まじい剣幕の少女に、ひとまわりもふたまわりも年上の山賊連中が、たじたじと腰をひく。

 それも仕方ない。

 このグレタは、彼ら賊のかつての頭目ゲーザの忘れ形見であり、まだ十代にして山の牙の(かしら)になった若き女賊長なのだから。


「でもさ、いいの?」


 グレタがガボールと呼んだ若者が、虚ろげな声で彼女に尋ねる。


「何が?」

「さっきの獲物。君のお父さんの仇も、あんな銀色の大きな狼の騎士だったんでしょ。もしかしたらあれがその本人だったのかも」

「もしそうなら、余計に良かったよ。アタイら程度じゃ、親父を倒したって相手に勝てるはずもないし。それにアタイ、正直親父の仇なんてこれっぽっちも考えてないからね」


 いつものグレタの発言に、部下たちが情けない声で抗議をあげる。


「だからそんなぁ……。やめてくださいよ、お頭ぁ」

「うっさいなあ、いいのよ。仇討ちだの何だのって、アタイらは騎士でも貴族でもないんだからね。大体、山賊なんて人様に迷惑をかける生業をしてるんだから、そりゃあ殺されたって仕方ないじゃない。それがイヤなら真っ当に働きゃいいのに出来ないんだから、逆恨みする方がどうかしてるって」


 山賊らしらからぬ至極真っ当な反論に、部下の誰もがぐうの音も出ない。

 そもそも、おそらくこの少女だけなら、市井にあってそれなりの幸せを掴めるくらいの器量はあるのだ。それを、自分の父親がやらかした尻拭いだと言って、生き残りの連中を束ねて面倒をみてくれているのだから、部下の誰もが自分の娘くらいのグレタには頭が上がらないのである。


「アタイはね、ガボールとの将来が約束されたら、後は何にもいらないわ。ね、ガボール?」


 痩せ気味で服装も粗野なものだが、よく見れば造作も整った少女である。

 そんな彼女に言い寄られているものの、ガボールの反応は鈍い。傍らの大型の獣を見つめ、その下顎を撫でていた。


 奇妙だったのは、獣の口吻部分が、枷のようなもので封じられている事だった。

 まるで気性の荒い猛犬の口枷のような覆いである。


「ね、聞いてる、ガボール?」

「え? うん。そうだね」


 心のこもってない返答だが、グレタには充分の答えに聞こえたらしい。

 ニヤニヤしながら若者の肩に手をまわすも、ガボールはやはり虚ろげなままだった。


「何か気になるの?」


 頬に口づけをしようとして、あまりに味気ない態度なものだから思わずグレタが問いかける。


「うん……。あの、赤い、ツノ飾りをつけた馬の……。何か見覚えがあるような気がして」

「え、それってもしかして、ガボールの記憶に関わりある事? ひょっとして、何か思い出したの?」

「どうだろう……。わからない。でも、何か引っ掛かるような気がして……」


 黒髪を握るような仕草で頭を抱えるガボールに、グレタが勢い込んで言った。


「だったら大変だ。ガボールの事、何か分かるかもしれない。――みんな、予定変更だ。このままアタイたち二人は、あの緑頭の騎士と馬の騎士を追いかける」


「え? ちょっと、何スかお(かしら)、そんな事……」

「うっさいなあ。着いてきたくなきゃ着いて来なくていい。アタイはガボールのためにそうする。一人でもそうする。いいね」

「そんなぁ」


 情けない声をあげるむさ苦しい大人達だったが、それでもグレタの事は放っておけない。

 少女は大人達を助けてくれただけでなく、大人達全員の娘のようなもの――互いが互いを見捨ててはおけない、そんな両者だったからだ。


 そんな皆を、ガボールは獣の顎を撫でたまま虚ろに見つめるだけであった。

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