第二部 第五章 第八話(4)『王都帰還』
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戦の爪痕は様々な禍根や傷痕を残すものであるが、何も重苦しい結末ばかりではない。
それはあくまで戦争後の一側面でしかなく、何よりメルヴィグ大連合軍は、勝つ事など到底不可能と言われた、あのアンカラ帝国の大軍団相手に勝利をおさめたのである。
国中が勝利の報せに沸き立ち、連合軍が凱旋した際には、お祭り騒ぎ以上の興奮と熱狂で王都中が喜びに溢れかえった。
壱号獣隊から漆号獣隊までの覇獣騎士団全部隊が帰還の隊列で都に入ると、王都のあらゆる建物や路地という路地に人々が押し寄せ、花吹雪や祝いの音楽で彼らを讃えた。
その後、当然の如く戦勝祝いの宴会も開かれ、獅子王宮は、かつてない賑わいを見せる事となる。勿論イーリオをはじめとした傷付き倒れた者も多くあり、それらの人間は祝勝の席に出る事は叶わなかったが、それでも勝利の宴が盛り上がったのは言うまでもない。
中でも、鍛えられた肉体を神への奉仕とするトクサンドリアの東方幻霊騎士団らと、弐号獣隊・主席官のジルヴェスターをはじめとした一部の人間らの意気投合ぶりは異常な盛り上がりを見せた。
気付けば宴席の一角で、幾人もの筋肉たちが互いの肉体を裸になって披露しはじめ、暑苦しさ億倍の一種異様な光景に、大多数の人間がドン引きしたとかしないとか。やがて両者は、互いを兄弟部隊とまで呼び合う仲になっていったという。
後にその事を耳にしたイーリオは、
「ほらやっぱり、僕じゃなくジルヴェスターさんやリッキーさんの方が適任だったじゃないですか」
と、カイをなじったというが、それはまた別の話。
そのカイであったが、宴の途中、皆と離れて一人バルコニーで夜風に当たっているアクティウム部隊の副指揮官ブランド・ヴァンを目にとめ、近付いて声をかけた。
ブランドの顔は仮面で覆われ表情はわからないが、どうやら酒は飲んでいないらしい。
「お口にあいませんか?」
「いえ、酒を入れると顔の傷が痛むので、嗜まないようにしているのです。どうかご勘弁を」
「左様で。ところでブランド殿、貴方はこれからの事、どうお考えになりますか?」
「どう、とは?」
「我らは戦に勝ちました。結果、アンカラは皇帝が代わるでしょうし、南に対し我が国も貴国も今後の不安はなくなるでしょう。しかし多くの国が力を失いました。それは我が国についても変わりありません」
四公領の各騎士団があるとはいえ、主要戦力である覇獣騎士団は戦力が半減したも同じ。その事は隠さずとも周知の事実である。
「そうですね……アンカラの撤退でジェジェンは国土を取り戻すでしょうが、国としては一度壊滅したも同じ。それは我がアクティウムも同様です。国を元に戻すのに、これから何年、場合によっては何十年かかるか。ベルニクやシレジア、ベーメンといった王家ごと完全に滅んでしまった国は言わずもがなですが、敗れたオグール公国も軍事力が壊滅したに等しいはずですから、当面の脅威にはなり得ないと思いたいです」
「思いたい、ですか?」
含みを持ったブランドの言葉を、カイは聞き逃さなかった。
「普通であれば、そうです。しかし、あのオグールという国は――いえ、灰堂騎士団や母体となる教団は、果たしてそのようになるかどうか……」
「……貴方の知っている限りで結構なので、どうでしょう? 貴方から見られてかの国はどう思われます?」
「私などが言わずとも、カイ様の方がよくご存知かと思いますが、そうですね……。私はこの戦、本当に我らが勝ったと言えるのかどうか……少し疑うところもございます」
「ほう」
「勿論、勝利そのものは間違いございません。しかしこの戦の結果、大半の国はその国力を大幅に減らす事となった。けれどもおそらくですが、オグールや彼の国の灰堂騎士団は、どこよりも早く、国力や軍事力を回復するのではないか――そう、私は懸念しております」
「敗戦したのに、ですか。いや、それは私も同感です。あの組織の恐ろしいところは、異常なまでの戦力確保の早さにあると、私も睨んでおりました。特に中核たる十三使徒は、倒しても倒しても、次から次に新しい人間と入れ替わってしまう。教会騎士と呼ばれる騎士団員も同じです」
「それは、教団の仕組みによるものでしょう。奴らは大陸どころか世界中にまで網を広げ、至るところから新たな人間を雇い入れているようです。そして厄介なのは、あの教団に入るのは、誰もがこの社会に馴染めずはじかれた、爪弾き者ばかりだという事です」
「この世に何らかの遺恨がある、という事ですか」
かつての自分がそうであったように――
その台詞は、両者とも口に出さず呑み込んだ。
仮に言ったとしても、きっと互いの事情は既に分かっているだろうと、それぞれ察していたが。
「もしその想像通り、オグールが早々に国力を取り戻したら、果たしてどうなるでしょうかね? いえ、彼らは何を行うか……」
カイの言葉に、ブランドは首を左右に振った。
あの組織が何を目的にしているのか。支配なのか布教なのか。
まるで自分の仮面のように、表情が見えないのが黒母教ナーデ教団という組織である。
「そこから先は私も読めません。彼らの教義を学んでもみましたが、一体、何が目的なのかは……」
「結婚の自由、階級の撤廃、男女の別のない権利に、性の解放……そして、人間こそが万物の霊長であるという主張」
カイが告げたのは、黒母教の教義の一部である。彼は続けた。
「正直、どの教えもとても興味深い――いえ、むしろそのほとんどに感銘すら覚えるほど、とても優れた考え方だと、私個人は思っております」
意外な言葉を聞いたように、ブランドはカイを見つめた。
「ただ分からないのは、この教えが一体いつ、どうやって生まれたのかという事です。エール教であれ他の神々であれ、それが学問になる以上、必ず教えは変遷していくもの。時代や環境に合わせ、徐々に教義は整えられ、完成に近付いていきます。ところが黒母教の教えは、ある日突然、何の前触れもなく神女ヘスティアという巫女によって齎され、世に出た最初から今の形とほぼ変わらない状態であったといいます」
「お調べになったのですか?」
「はい。彼らの歴史を知れば、その考えが分かるかもと思い。けれども彼らの発生した由来も何も分からず、分かったのは、ある日こつ然と歴史に姿を表したという事実のみ。そして私が優れていると思いつつも彼らを受け容れ難いのは、全ての教えの中核にある思想――即ち、人間こそが神の子であり、この世界の頂点であるという考え方なのです。私はそこに、彼らの謎を解く鍵があるのではと思っていますが……」
しかし分かったからといって何か出来るのか。その確証はカイにも持てなかった。
「もしも……です。もしこの後、大陸で唯一無傷とも言えるあの北の帝国にも、何か国を揺るがすような変事があれば――」
おもむろに告げたブランドに、カイも頷いて返す。
「そしてオグールだけが、国の力を何故か取り戻し――いえ、強大にさえしていったとしたら……」
そこから先は、知恵者である彼ら二名にも予測のつかない、真っ黒な未来でしかなかった。しかしその言葉に、何故かカイは笑顔を浮かべた。
「――何ですか?」
「いえ、やはり貴方は優れた目筋をお持ちの人だ。私などより、よっぽど深い見識があると思います。きっとこの先、貴方はアクティウム王国になくてはならない人間になっていくでしょう。いやもしかすると、この世界にとって、なくてはならない人間にまでなるやもしれませんね」
「そのような……買い被りです。覇獣の軍師であるカイ様にそこまで言って頂けただけでも、畏れ多い事でございます」
不意に、宴席会場から大きな声が上がった。
どうやらカイゼルンが女性に手を出そうとして暴力的な方法で拒まれた様子に、皆が大笑いをしたらしい。どの女性に手を出そうとしたかは、既に定かではなかったが。
それを潮にして、ブランドは己の主に従い、ひと足先に宴席場から席を外す事となった。
彼らとて戦勝の喜びに浸りたくもあったが、クリスティオ率いるアクティウムの部隊は母国の建て直しもあり、出来れば早々に帰国をしたいと考えたからで、レオポルト王もそれを承認した。
それは先述したパラティーナ宮殿の悲劇を止めるきっかけになった事からも、分かる通りである。
そして母国に戻る際、クリスティオは戦争前にも寄ったあの場所へと足を運んだ。
何より真っ先に行きたかったし行くべきだったのだが、彼は今や一国の主になろうかという人間である。せねばならぬ雑事は山のようにあり、結果、出立前にやっと出向く時間が作れたのであった。
供も連れず、一人アクティウム避難民の住む仮宅の前に立つクリスティオ。
ここまで来る時は気もそぞろで足早になったというのに、扉を前にした途端、急に何と言うべきか、答えに迷って固まってしまったのだ。
戻ったぞというのも変だし、約束を果たしたというのも固い。
何と言うのがいいか――などと彼らしからぬ悩みで悶々としていると、扉の方が先に開いて彼を出迎えた。
「おや、殿下」
扉を開いたフランカ・アラゴンは一瞬目を開いた後、喜びも安堵も浮かべず、それどころか不躾にまじまじと、クリスティオの全身を舐め回すように見つめた。
「な、何だ、フランカ。その……戻ったぞ」
結局、何の味気もない第一声を出したのだが、クリスティオ自身、その事に気付いてはいなかった。
「何だい、扉の前で通せんぼして。まあいいさ――ジョルジャ! ジョルジャ!」
声を張り上げて呼ぶ老主人の声に、奥から使用人の娘がぱたぱたとやって来る。
黒髪に浅黒い肌。十代後半だと言うが、素朴な身なりであっても人目を奪う整った容姿は、そこらの貴族の子女にもない美しさと可憐さのある少女。
しかしその性格は狷介で無機質。
無礼の塊のような老主人に対し、使用人の彼女はミケーラのようであるとクリスティオは思っていたのだが――。
「……殿下」
ジョルジャはクリスティオの姿を認め、一瞬、身体を強張らせた後、おずおずとした足取りでフランカの横に並ぶ。
「その……あれだ。約束だ」
「はい?」
「戦の前だ。言ったろう、必ず無事で戻ってくると。少し怪我はしたが、まあどうという事はない」
「はあ」
「だからその、何だ。約束は守ったぞ。それを言いに来た」
一番伝えるべき人に対し、一番これはないなと思っていた台詞しか出なかった事に、後ほどクリスティオは何度も思い出し後悔をしたという。だが彼がどうしてそんな風になったか。この時それを分かっていたのは、三人の中でフランカだけであった。
老婆は呆れたような溜め息を漏らし、手にした杖でおもむろにクリスティオの足を軽くはたいた。
そこは負傷したところだったので、思わず小さな叫び声をあげて跳ね上がるクリスティオ。
「――っ! こ、ここはお前! 怪我のッ……!」
「大の男が怪我の一つや二つで情けない声出すんじゃないよ。亡くなったあたしの亭主なんざ、腹を裂かれたような大怪我をしてんのに、酒を飲んだ挙げ句倒れたくらいだったんだからね。あんたも騎士なら、これくらい我慢しな。それに何だよ、今の。それでも女泣かせの色男王子って言われた殿下かい。未通女娘を相手に、全くもう」
「な、何を……」
「もっとしゃっきりしな。戦場から帰ってきたんなら、他に何か言う事があるだろう」
「いや……その……俺はこれからアクティウムに戻る。お前達もいつでも戻ってくるがいい。――まあ、ジョルジャ、お前の戻るべきは、また別の場所かもしれんが、それでも気が向いたらいつでも来るがいい」
言われて、ジョルジャは思わずクリスティオの顔を見つめた。
自分の出自の事。
口止めしたはずだが、あのジェジェンの御曹司が喋ったのかと、一瞬だけ勘繰った。
しかしクリスティオなら、とっくに彼女の素性について知っていたかもしれない。そんな風に彼女は想いを巡らした。
ところがそんな二人のやり取りに、フランカはまたも溜め息を漏らして、さっきと同じ箇所を杖で小突く。
当然、クリスティオはまたも痛みで顔を青くし、今度は涙目になって抗議の声をあげた。
「お前ッ……! 何度もっ!」
「全くもう、そうじゃないだろう。戦争から戻った騎士が言う台詞は何だい?」
「はあ?」
「やれやれ、ミケーラはそんな事も教えてなかったのかねえ。亡くなった陛下も草葉の陰で泣いてるよ。――いいかい、こういう時は私の妻になってくれないかとか、そういう台詞を言うもんだろうが」
フランカの言葉を耳にした途端、二人は同時に「はあ?!」と大声を出して呆れた。
次いで声が重なった事に互いを見て、顔を赤く染めるクリスティオとジョルジャ。
「おや、違うのかい? 何のかんのと二人はそうなのかとあたしゃ思ってたんだがねえ」
「いや待て、何でそうなる。どこをどうなったらそんな考えに行き着くんだ」
「そ、そうですよ。私はそんなつもりで戻ってきて下さいと言ったんじゃあ――」
言っている途中で、冷静になって考えたらあれはそう受け取れる言葉なのかもと思い、ジョルジャは語尾を有耶無耶にして俯いてしまう。
それでも、二人は同時に「いやいやそんな事はない」と再度言い直したので、結局この時は、これ以上の話にはならずに終わる事となった。
それでもフランカは、最後まで「つまんないねえ」とボヤき続けていたのだが。
さて、結局この後色々あって、ジョルジャ・キュルトはアクティウムの新たな王の妃になるのであるが、それにはこんな馴れ初めと口の悪い老婦人のお節介があったとは、あまり知られていない歴史的事実である。
ちなみにそのフランカ・アラゴンはと言えば、アクティウム王都に帰還後、クリスティオから王家相談役を請われ、いやいやながらもそれを受諾。天寿を全うするまで国政を影から支え続けた。
肩書きは大層であったが、ようはただのご意見番で、クリスティオ王が何かに悩んだ時には、常に老婆の叱咤が、彼を導いたと言われていた。
尚、後世まで残るトレント市はずれのフランカ灯台は、彼女の死を悼んでクリスティオがその名をつけたと言われている。しかし船に乗る事を死ぬほど嫌がった彼女の名前を、よりによって灯台につけるなど、ある意味嫌がらせのようにも思えるが、それにはどういう意味がこめられていたのか。
クリスティオは子供のように悪戯っぽく笑うだけで、その理由を最後まで話さなかったという。