第二部 第五章 第八話(3)『終戦後』
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大連合軍が勝利の喜びに湧く中、決着の着かないままの戦いも一方で存在した。
その一つが、連合左翼のジェジェン部隊指揮官ジョルトと灰堂騎士団・十三使徒の怪女オリンピアとの一騎討ちである。終盤、トクサンドリアの援軍からの加勢もあって、あともう少しで仕留められるというところまで追いつめたのだが、結局、奇怪きわまりないこの怪女騎士は常識はずれな動きを見せて包囲網を突破。
「をーっほっほっほ!」
と高笑いを残しながら逃げ切ってしまったのだ。
無論、オリンピアが味方の灰堂騎士団を全て見捨てた事は、言うまでもない。
しかし倒せなかったのとは別に、ジョルトのこの結果を評価する声も少なからずあった。
ジョルト・ジャルマトは新しい鎧獣〝アリオン〟に変えて日も浅い。いくら性能が高かろうが、アリオンを駆って初めての大戦での相手が、あの〝吸血〟オリンピアである。相手とするには色々と非常識なだけに、むしろよく持ち堪えたと言うべきであろう。
実際、数時間も激闘をしてまだ悔しがっているジョルト=アリオンの姿に、肆号獣隊・主席官のギルベルトは「大したもんだ」と賛辞を贈ったくらいだった。
後に彼があの伝説の〝十騎士〟の一人になるなど、この時は誰も、神すらも想像していなかったに違いない。
それとは別に、同盟左翼の後方に退がっていたオリンピアと同じ十三使徒の一人ビルジニア・ピサーロは、味方の騎士に守られつつ、何とか追手を振り切る位置にまで辿り着いていた。ところが肝心の本人が戦闘不能状態であったため、ユキヒメ率いる肆号獣隊とマルガら陸号獣隊数騎に追いつかれる事となってしまう。
当然、多勢に無勢で勝てるはずもなく、アクティウムの傀儡女王もここまでか――となりかけたその矢先、覇獣騎士団きっての女傑二騎の目の前に、見た事のないトラの鎧獣騎士が割って入り、これを阻止。この隙にビルジニアは戦場よりの脱出を果たす事となった。
敵を逃がした事もさりながら、いきなり表れた謎の人虎騎士の存在に、二人は慄然とする。
いくら疲弊しているとはいえ、彼女ら二名を謎の闖入者はいとも易々とあしらってみせたからだ。
しかもいつどうやって奪ったのか、人虎の腕には捕縛したはずの十三使徒グノームが担がれており、そいつはそれを腕にしたまま二騎と二部隊をまとめて相手どったのである。
いや、正確には少し違った。
この時ユキヒメだけは、この人虎を見るや否や動きに精彩を欠き、いつもの鋭い剣捌きを発揮出来なくなっていたからだ。
彼女らしからぬ狼狽した姿に、人虎は一言だけ「久しいな」と声をかけた事を、マルガは耳にしている。
結局、この人虎騎士からは圧倒的な強さを見せつけられるだけ見せつけられただけとなり、まんまと取り逃がしてしまう。後でマルガがどういう事かとユキヒメに尋ねると、彼女はかぶりをふってこう呟いた。
「あれは〝渾沌〟……槃の国で出会うた悪魔じゃ」
その意味するところを覇獣騎士団らが詳しく知るのは、まだ先の話である。
ともあれ、アンカラ・オグール同盟軍は事実上の壊滅。
特にジャラール大帝こと〝獣帝〟が敗れた後は見るにたえない遁走ぶりを見せ、軍隊の統制などどこへやら、文字通り味方を踏み台にし、生き延びた騎士たちは四方八方に逃げ散っていった。
ところが、問題だったのは戦後処理である。
イノシシが主体の猛猪騎士衆やコモドオオトカゲの地竜騎士団などはまだマシな方で、ゾウやサイといった巨大鎧獣は、その大きさゆえ逃げたところで身の隠しようがないのは明らか。
彼らこそ、まさに軍の兵器たるべき騎獣であるのは間違いなく、アンカラが鎧獣を国家の完全管理にしたのはある意味当然だったのだろう。
結果、ニフィルヘムの各地に潜伏しようにも隠れきれない彼らは、各地のならず者と結託し、略奪行為をしはじめるという事件が頻発したのである。
戦争に端を発したこれらの事件は、メルヴィグのみならず各国において非常に頭を悩ます問題となってしまう。ましてや勝利をもたらした覇獣騎士団も戦力を大幅に減らし、すぐに動ける状態ではなくなっていたから、尚の事この事案はしばらく尾を引いた。
とはいえ幸いだったのは、各隊を率いる主席官、次席官に誰も戦死者が出なかった事であろう。やがて状況にひと段落がつくと、彼らは早々に各地へ向かい、このアンカラの残党を残らず片付けていく事となった。
つまり覇獣騎士団の面々は、戦争の後も身動きの取れる状態にはならなかったという事だ。
ちなみにこの終戦の混乱の中、夥しい死体を晒す事になったクルテェトニク平原で不審な人物を何度も見かけたという報告が、後になって連合軍側に齎される事になる。その不審な人物は黒母教の司祭らしき恰好をしていたというが、何をしていたのかまでは、最後まで不明のままであった。
またこれらと同時に、別の場所ではもう一つの事件も起こっていた。
大陸歴一〇九七年初頭に起こった、いわゆるパラティーナ宮殿の事変である。
※※※
会戦から何とか逃げ切ったアクティウムの現女王ビルジニア・ピサーロは、母国に戻ってこれからをどうするか、考えていた。
彼女が元々席を置いていたのはオグールの灰堂騎士団だったから、この時、律儀にもアクティウムなどに戻らずオグールを頼るべきであったが、彼女の内心には複雑な思いがあった。
彼女は己の出生を明かす前、ずっとジュリオという名の男として育てられていた。
彼女自身、見た目は女らしくないしお世辞にも美形とは言えないと自分を見て思う。それに人一倍武芸や武術などの荒事が好きだった。だから武骨な男として生きる事が、彼女にとってはむしろ誇りですらあったのだが、灰堂騎士団の連中は彼女の出自を利用し、女王ビルジニアとして祭り上げたのである。
それがどれだけ彼女の自尊心を傷付けたか。
それでも諾々と従ったのは、ひとえに女王になるのが育ての親であるジョルダノ御師の願いだったからであった。
だが、そのジョルダノ老も会戦で討ち死にし、今はもういない。
となれば、自分を政治の道具にしようとしたオグールを頼ろうとしなかったのも、当然であろう。
だがこの判断が、直後の悲劇を招く事になる。
かつてアクティウムでは、旧王朝ピサーロ家の圧政の捌け口として、旧王家にまつわる様々なものや人々に怒りの矛先を向けたという過去がある。その事を、奴隷制を強いたアンカラの圧政により民衆は思い起こしていたのであるが、当のビルジニアはただの傀儡であり、政治も何も現状を知りはしなかったし、興味もなかった。
ところが、既に民衆の不満の沸点は頂点を超えようとしていたのだが、それでもまだ爆発を起こしていなかったのは、アンカラ軍の敗北がこの時点で知られてなかった、ただそれだけの理由でしかない。
そしてここに、ある男が登場する。
歴史上名も残していない彼は、帝国のいなくなった王都のあちこちに出没し、密かに民衆を煽動していった。
彼はアンカラが壊滅した事を触れ回り、アクティウムのビルジニア女王は、今や何の後ろ盾もない無力な存在になったのだと言いふらしたのだ。「ほれ、怒りを向けるなら今だ」とそそのかせ、道化じみたその男は、顔の見えない火種となってアクティウムの王都中に怒りの付け火を次々と行っていった。
そしてビルジニアが王都に帰還した三日後の夜、事件は起こった。
暴徒と化した王都民が、一斉に女王のいるパラティーナ宮殿に押し掛けていったのだ。
群衆を何とか抑えようと城の憲兵も出るが、何ぶん支配者たるアンカラ軍はもういない。それにアクティウムの主だった騎士や兵とて、かつての王都戦で壊滅させられ、今や王宮は丸裸も同然。
騒ぎを耳にしたビルジニアは急いで脱出をしようとするが、逃げる途中で裏切った憲兵の通告により暴徒らに見つかってしまう。
彼女の鎧獣でもいれば逃げるどころか暴徒を鎮圧する事さえ出来たかもしれないが、大戦後の戦疲れで厩舎に預けたままになっており、それもまた重なった不運のひとつだった。
引きずられ、あちこちを殴られた彼女は、興奮しきった暴徒に囲まれ、纏っていた夜着すらボロボロに引き千切られてしまう。
恐怖に引き攣った彼女が「止めろ」と叫ぶも、怒りで我を忘れた暴徒の群れには届かない。
しかもこの時、怒り狂った民衆の一人が無関係で罪のない女官を犯しはじめたのである。
これが引き金となり、暴徒の誰かが不意にビルジニアに覆い被さった。押さえつけられ、羽交い締めにされた彼女は、次々に怒り狂った男どもの欲望に晒され――犯され続けた。
だが、ビルジニアの悲鳴が途切れ途切れで聞こえなくなった時、不意に群衆の誰かが叫び声をあげた。
「王弟殿下だ! クリスティオ殿下が戻られたぞ!」
と。この声を聞きつけた暴徒らは、我に返って慌てふためき、我先にと一斉に逃げ出しはじめていった。王弟が戻った喜びと、こんな姿を見られてはいけないという罪の意識からであるが、かくも人間とは醜く愚かな行動をするものであるらしい。
津波が引くような慌ただしさで暴徒が王宮を去った後、残されたのはボロ布のように汚れ、傷付き、虚ろになったビルジニアの姿だけであった。
史書によれば、この暴徒の叛乱でビルジニアは殺されて遺骸も捨てられてしまったとあるが、ここから記録にない真実がある。
ボロボロになったビルジニアの前に、白塗りの不気味な男が姿を見せたのだ。
「愚民どもは去りました、さあ、今のうちです」
心を潰され、身体も痛めつけられた彼女は、裸のままで胡乱な目を男に向ける。
「私は味方です、ビルジニア殿下――いえ、ジュリオ殿」
彼女の名前。
いや、彼女ではなく〝彼〟の真実の名前。
〝彼女〟にとってのあるべき名前で呼ばれた事に、〝彼〟は感情を蘇らせた。
「貴方は……」
「私は灰堂騎士団のドン・ファン・デ・ロレンツォと申す者。貴方をお救いするよう、新たな団長の命で罷り越した次第です」
「灰堂騎士団……。また、私を利用しようというのか」
白塗りの男は、道化そのもののように顔中に奇妙な化粧をしていた。身なりが上流貴族のものであるから、余計にその顔が滑稽に映る。
「いえいえ、そうではありません。貴方はまだ、こんなところで死すべき方ではございません。ですから救出に参ったのです。それにもう貴方は、女王ではないでしょう?」
その一言に、ビルジニアと名乗っていた最後のひと欠片が、彼女の表面から剥がれ落ちていったような気がした。
「そうだ……〝俺〟はもう、女ではない。俺はもとより……男だ……!」
「ええ、まさに。唯一神たる女神オプスは、人が性の軛より解き放たれ、あるがままの姿で生きる事を良しとされております。貴方はまさに、女という呪いから解放され、女神の祝福によって真実の姿となった、我らの同胞なのです」
ドン・ファンが恭しく手を差し出す。
痣だらけ、傷だらけの見るも無惨な元・女王は、虚ろな思いのままその手を掴み取った。
悪辣な瞳に、道化の笑みを浮かべるドン・ファン。
よもや群衆を焚き付け、王宮を襲うように吹聴したのがこの白塗りの男自身であるなど、ビルジニア――ジュリオは知る由もなく。
大戦後すぐにアクティウムに帰還したクリスティオは、王宮の惨状を見てしばし言葉を失ったという。
それがアンカラによってのものならともかく、自らの王都民によって為されたものであると知った時、かつての悲劇を知るブランド・ヴァンと共に暗澹たる思いに駆られたのは言うまでもなかった。
だがそれも含めて、彼は根本からアクティウム王国を再建するため、玉座に着く事となった。
復活したピサーロ王朝の期間は半年にも満たない。
後に続くアクティウム王国フェルディナンド王朝のはじまりと共に、このパラティーナの悲劇は幕を閉じたのであった。