第二部 第五章 第八話(2)『三獣王』
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〈第二次クルテェトニク会戦――八戦図――〉
挑発ともとれるカイゼルンの言葉を嘲笑うように、帝王巨象のドゥルガは、全てを消し去る灼熱の巨拳を叩き込まんと跳躍した。
マンモスの巨体では不可能な動き。三九・五フィート (約十二メートル)を超えるこの巨体で、どうしてこれほどの速度と運動性をだせるのか。
答えは一つ目の異能〝破壊神〟によるもの。
その名は誇張でも威圧でもなく、まさに名のとおり、挙動のたびに平原の地形がえぐられ、ひび割れ、形を変えさせられるのである。
対してカイゼルン=ヴィングトールは防戦一方にしか見えない。
しかもドゥルガは、この速度でありながら鼻からの熱波すら巻き散らしているのだ。浴びれば瞬時に焦げ付く、あの灼ける猛風を。
当然、ヴィングトールとて躱しきれも出来ず、その身に傷が増えていく。
戦いの神髄を見せると言ったものの、それがただの虚勢なのかどうか――味方はただ見守る事しか出来ない。
「よく躱す! ならば!」
ドゥルガが鼻で巨杖を巻き付け、リーチを無視した遠間からの連続攻撃を繰り出す。レーヴェン流の幻惑的な動きでそれを躱しながら距離を詰めようとするも、鋭く湾曲した牙が眼前に迫り、容易に距離が縮まらない。
「それが貴様の言う神髄とやらか?!」
ジャラール大帝の嘲る声。
そこで一閃――
黄金の超巨大剣が斜め上に斬り上げられ、牙を無理矢理はじき返すと、反動をつけて距離をとるヴィングトール。
超常の破壊力が超常の速度で巻き散らされる攻防の中、僅かに生じた一瞬の空白。
カイゼルンはこの機を逃さずに言った。
「んじゃあ見せてやろう。鎧獣騎士戦の神髄をな」
見開かれる、黄金の瞳。深みを帯びたその眼光が、不意に赫々たる光に沈む。
「〝赤化〟」
誰も聞き慣れぬ号令。
よもや第三獣能なのか――?
耳にした全員が刮目する。
次の瞬間、黄金の体毛がにわかに赤味を帯びて輝く。――いや、赤い蒸気が間欠泉の勢いになって全身から吹き出しているのだ。ヴィングトールの巨体から。
この時、意識を取り戻したイーリオが戦場に噴き上がる赤い蒸気の柱を目にし、それが己の師匠によるものだとすぐに気付いた。
彼は師匠から直接聞いた事があったからだ。
鎧獣騎士には鎧化のその先があるという事を。
鎧化とは鎧獣が駆り手に合わせて人型に変異し、超常の力を持った姿に変わる事をさす。そして獣能は、局所的に過剰な鎧化を施した状態だと言う。
ならばそもそも、鎧化とは一体どういうものなのか。
カイゼルンは言った。
生物の情報を上書きし、構成している物質から可能な限りの即時的な進化を促す事。それが鎧化であると。
では進化とは?
進化の概念は色々あるし、適応進化や自然選択、ウイルス進化など論じ出せばキリがない。だがひとつ言えるのは、生物がその姿形・中身を変化させていく事が進化なのは間違いない事だろう。
つまり鎧化の先とは、〝今ある〟即時的進化のその先の事。
より〝完成型〟に近付いた鎧獣騎士になるという事を、物語っていた。
ヴィングトールの全身に、無数の文字の象形が浮かび上がる。
それは何によるものか。何を示しているのかはわからない。
だが浮かんだ文字は刺青のように深く刻印され、赤い光を放っていた。
真紅の間欠泉も、それと共に消え去る。
胸には、ひときわ目立つ位置に〝L.E.C.T.〟と読める文字列。
未だ全身から、赤い蒸気が立ち昇っているかのようだった。
「……何だ? その姿は……」
目を見開くドゥルガ。
これがただの虚仮威しでない事を、彼は瞬時に見抜いたようだ。
「進化の先。〝本当の鎧化〟ってヤツだよ」
黄金の全身に刻まれた、異形の刺青。
目を凝らせば、浮かび上がった字列がグラデーションになって明滅している。
――あの文字のようなものは何だ? 能力が上がったとでもいうのか?
警戒するドゥルガを前に、カイゼルン=ヴィングトールは片手でチョイチョイ、と挑発する指先をした。
そんな程度の煽りで感情を昂らせるジャラールではないが、臆するという選択肢も彼にはなかった。
「ならば見せてみろ! 本当の力とやらを!」
ドゥルガの巨体が跳躍する。大地にはじける、激しい衝撃の激風。
全員が信じられないものを見た。飛燕の如き素早さで、小山のような巨体が宙を舞って躍りかかったのだから。連合の誰もが、最早絶句するしかなかった。
が、ヴィングトールは動じない。
いや、そこにあるのは巨大な盾のみ。
――!
着地と同時に砕かれる巨大盾。
衝撃波が津波となって平原を駆け抜けた。吹き飛ばされる連合の騎士たち。
気配を察したジャラールがドゥルガの首を上に向けると、遥か高みの上空に黄金の巨体。
跳躍したヴィングトールが大剣を背中に背負い、両腕を前にかざす。
「左に〝創大〟」
左腕の文字が赤く輝いた。
「右に〝終獣〟」
右腕の文字も輝く。
両腕を閉じ、羽根のように開いた瞬間、光と共に巨大な〝何か〟が直上からドゥルガを襲う。
マンモスの皇帝は鼻で〝それ〟をはじくも、直後にヴィングトールも飛来。雷光の速さと化した百獣王は、片方の耳と左胸の一部を抉る爪の斬り下ろしを放った。
仰け反るジャラール=ドゥルガ。
アンカラで最大硬度を誇る――即ち全鎧獣騎士で最高の硬さを持つこの身が、易々と斬り裂かれた。何より、今のが爪撃ではなくもし剣の一撃だったらどうなっていたか?
冷静なジャラールに、この日はじめて別の昂る感情が沸き上がった。
が、彼もまた三獣王と呼ばれる一人。超速の反応で、あらゆるものを灼き消す〝太陽神の指尖〟を、返してみせた。
直撃。ヴィングトールの左腕。一瞬で灼き消されてしまうはず――が、消えない。
消えも焦げもしない。
――!
驚愕に目を見開くジャラールが見たそれは、刻印された文字が、激しく明滅をするのみ。まるで全身を覆うこの刺青のような字列が、獅子王を守る障壁となっているかのような姿である。
防御をした反動か、巨体をまた翻らせて距離を取る両騎。
振り返ったジャラールが目にした姿に、大帝は更なる驚きを覚える。
獅子の頭部に人の身であるヴィングトールが――
自身より遥かに巨大な真紅のライオンに跨がっているではないか――
「何だ……それは。いや、それが貴様の三つ目の力か」
「だから違うって言ってんだろ。これはただの創大。細胞分化で作り出しただけのハリボテさ」
「ただの……だと?」
「そうさ」
刹那、目に見えぬ衝撃がドゥルガを叩く。
巨杖を持つ右腕、その二の腕の下から全部が吹き飛ばされていたのだ。
驚愕に目を見開くジャラール=ドゥルガ。
鼻先すれすれの位置に立つ黄金の獅子王。いつの間に握られていつの間に振るわれていたのか。黄金の大剣が斬り裂いた後だった。
――!!
二つの牙で掬い上げるように反撃しようとするも、当たったのは真紅の超巨大ライオンに対してだけ。そのライオンは、続けて放った〝太陽神の指尖〟の熱により、光の粒子となって消えていく。
「真の力だと……?!」
片腕を押さえ、ドゥルガの、いやジャラール大帝の目は、生涯で初めての血走った表情を見せていた。
しかし彼もまた三獣王。沸騰しそうになる己の気を鎮め、冷静に分析をする。
おそらくだが、ただでさえ尋常でなかった身体性が、更に桁外れな底上げをされているのだろうと、獣帝は推察した。攻撃力も防御力も、速度も俊敏さも。何もかもが爆発的に飛躍しているのだろう。
「身体能力が上がってる――なんて考えてるだろうな、きっと。だがそうじゃねえぜ」
再びヴィングトールが両手を閉じて開くと、今度は先ほどよりも小振りではあるものの、十頭以上もの超巨大ライオンが手品のように姿を見せてドゥルガの全身に襲いかかった。その内三頭ほどは倒すものの、残りは全てマンモス騎士の巨体に噛み付いて離さない。
「右、左。今のオレ様にとって獣能なんてのはただの一部ってコトさ」
あれほどに圧倒的だったドゥルガが、今や手も足も出ない。何より、超常の領域が理解の及ばぬ次元にまで達しているようだった。
だが――
「なるほどな。獣能までも底上げするのが実力の真価という事か。だがな、例え貴様がどれほどの力を示そうと、この獣帝ドゥルガの破壊は、万物を覆滅せしめるもの!」
宣言と共に、ドゥルガの全身が再び血色を帯び、にわかに膨張する。
「〝太陽神召喚〟!」
その瞬間、ドゥルガの全身に噛み付いていた超巨大ライオン全てが、放出された熱波で一瞬にして灼き消えた。
同時に、カイゼルンも神速の動きを見せて反応する。
「右に〝極大〟!」
ヴィングトールの動きが、あらゆる騎士の知覚全てを超えた。
誰も視認出来ず、誰も理解出来ない動き。
だがイーリオとその他数名のみ、カイゼルンが何をしたのかを後になってから理解する。
再びドゥルガの間近まで肉迫したカイゼルン=ヴィングトール。
右腕を凄まじく膨張させながら巨体を握力だけで掴むと、そのまま無造作に――
放り投げたのだ。
まるで、少し重めの砲丸でも投擲するような塩梅で。
あの――あの三九・五フィート (約十二メートル)もの巨人の体を。
投げた反動ではなく、巨象騎士の全身から発する熱波により、掴んだだけでヴィングトールの右腕は炭化していたが、その腕は巨大のうえに更に巨大化しており、しかもすぐさま再生までしている。
そして宙高く放り投げられたマンモスの巨体は、遥か数百フィート先の上空まで飛ばされていた。
その先で、爆発のような熱風を放射。
赤く輝くそれは、曇天の中に表れた死神の太陽のような熱波であった。しかし、遥か高い空の上のため、地上にまで完全な熱が届き切らない。
一方で、何が起きたのか分からないまま、ジャラールは己の最後の技が不発に終わった事だけは悟っていた。そして、かつてない怒りと憎悪を込め、それを為さしめた者の名を叫ぶ。
「カァイゼルンンンン!!」
地上のカイゼルン=ヴィングトールは、何も変わらないいつもの口振りで、これに応えた。
「これが本物の〝三獣王〟ってヤツだ。ヒヨっ子どもも見とけよ」
ヴィングトールの腰が沈む。
イーリオはこの瞬間、かつて師匠が言っていた言葉の続きを思い出していた。
鎧獣騎士の鎧化にはまだ先がある。真の鎧化とは、騎士が鎧獣に纏われるのではなく、騎士と鎧獣が完全に一つになる事。鎧獣の全てが自分であり、自分そのものと完全な融合状態にまで達する事。
それこそが〝真の鎧化〟であると。
とするなら、今カイゼルンはヴィングトールそのものであり、ヴィングトールの全てを余すところなく自在に制御出来ているのかもしれない。
――これが師匠の……三獣王の真の実力!
黄金の獅子王が、爆発するように直上へ跳躍をする。
弓なりに沿った身体が覆い被さるように――さながら巨大な顎が巨象を喰い千切らんとするように。
その動きにイーリオだけでなく、レオポルトや覇獣騎士団の席官全てが息を呑んだ。
レーヴェン流の奥義のひとつにして最大攻撃技。
――雷動閃。
信じられない巨体でもって、信じられない角度に向かい放たれた、全身を使う体当たりを伴った剣技。
凄まじい衝撃音が、平原全てに広がった。
空中で粉々に砕かれ、吹き飛ばされるマンモスの巨体。
たちまち無数の肉片が戦場の至る所に雨となって降り注ぐが、先ほどの熱波のためか、そのほとんどが炭化していた。
何も言えず、ただただ呆然となる連合軍。
バラバラと落ちる肉片が止むと、皆と離れた遠い位置に一人佇む影があった。
ずっと曇天だった空に、この日初めて一条の光が差し込んだ。地平に消え入らんとするため、空の翳りの隙間をぬって、西日が僅かに顔を見せたのだろう。
光は影に当たり、黄金の姿を眩い輝きで彩っていた。
その姿は既に巨大でもなければ全身の刻印もない。
いつもの大きさの、しかし何者よりも偉大な、数多の人獣騎士の王者たる姿。
「やった……」
誰かがこぼす声。
「やったんだ……!」
激情は疾風よりも速く戦場を埋め尽くし、
「勝った! 百獣王が勝ったぞ!」
歓喜の爆発となって谺した。
「百獣王、万歳! カイゼルン万歳!」
埋め尽くす勝利の叫び。
しかしカイゼルンはと言えば、一人うっとうしそうな顔をヴィングトールの中で顰め「うええ、やかましい」と呟くだけだった。
そして……
史上稀に見る大国間戦争として行われた第二次クルテェトニク会戦。
それは僅か一日もかからず、両軍の最高戦力同士の勝敗をもって、遂に決着となった。
メルヴィグ大連合軍の大勝という、大多数の人間には予想もしなかった結末となって。
アンカラ帝国皇帝サヴジ・ジャラール・アンカラ
帝王巨象の鎧獣ドゥルガ
三獣王〝獣帝〟
――死亡
長く続いたクルテェトニク会戦も遂に決着です。
明日公開の話からは三話ほど戦後のエピソードを。
そしてエピローグで第二部が終わります……!