第二部 第五章 第八話(1)『太陽神』
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〈第二次クルテェトニク会戦――八戦図――〉
日が傾きはじめたようだ。
厚い雲に覆われた空はそのままだったが、夕刻に近付きつつある事は、乾燥した空気に混じる湿り気や植物の匂いなどで誰しもが気付いていた。そして次々に敗走をはじめるアンカラ・オグール同盟軍の姿と日没が重なり、この戦いもいよいよ終わりに近付きつつある事を物語っているようだった。
しかし味方の敗走を知りつつ尚、同盟軍総大将であり大帝国の支配者であるジャラール大帝は、まるで動じる気配もなく、未だに嬉々として百獣王との一騎討ちに興じていた。その理由は、言わずとも明らかだ。
百獣王
獣帝
どちらかが勝った瞬間、それでこの会戦の勝敗が決するからである。
いや、既にアンカラ・オグールの同盟軍は潰走したも同じ。今更、獣帝が勝とうとも、自軍が敗退していればそれは敗北ではないのか? そんな問いもあるかもしれない。
なるほど、人間同士の戦ならそうだろう。だがこれは、鎧獣騎士の戦争。
獣帝一騎。
帝王巨象のドゥルガ一騎あれば、残り全ての連合軍を全滅させる事は、不可能どころか容易いとさえ言えた。
そんな馬鹿なと思うだろうが、これは事実である。だからこそジャラール大帝は自軍の敗走を毛程も気にかけていなかったのだ。
いやいや、一騎の勝敗で戦争が決するなら、他のあらゆる戦いは無駄と言えるのでは? という疑問もあるだろうが、残念ながらそれは正しかった。とかく鎧獣騎士の戦争にそのような側面があるのは、珍しい話ではない。
しかしそれでも、万が一百獣王が敗北した場合に備え、なるべく連合の戦力に余力を残し、残りの力でドゥルガを倒す――。
カイはそう考え、あらゆる策を講じてこの戦に臨んでいたのであった。
しかし――
「百獣王よ。貴様は既に手を出し尽くしたようだな」
マンモスとは思えない、全身の輪郭を逆三角に隆起させた筋肉の巨体。更に頭の先から足先までが、黒いまだら模様で濡れたように色づいている。
身体を覆う授器も、巨体に合わせて形状を変えているようだったが、それでもはちきれそうなほどに肉体の変化が著しい。この見た目が虚仮威しでない事は、災害並みに凄まじい一撃一撃が雄弁に物語っている。
巨大な戦杖が大地を叩けば、轟音と共に地面に亀裂が走り、薙ぎ払う余波だけで、周囲に竜巻のような風圧が巻き起こるほど。一挙手一投足が天変地異にも等しい災害の塊。
鎧獣騎士が戦えば地形が変わる――のではない。
獣帝が戦えば世界の形が変えられる――そんな言葉が相応しく思えた。
遠巻きに見るレオポルトやクラウス、カイら覇獣の騎士たちですら、あまりの凄まじさに、まるで次元が違うと実感していた。それは援軍に来たトクサンドリアの面々ですら同じである。
彼ら全員、自分達は弱者ではなく、むしろ強者だという自負がある。
だが獣帝の前では象の前の羽虫にも等しいのではないか――。
しかしその獣帝を相手に、百獣王は互角に渡り合っている。その身を神話のような巨大な姿に変えて。
それでも――
「巨大になったその力の事よ。貴様は既に二つ目の獣能まで使って、やっとここだ。だが、余は違う」
「あぁん?」
そうだ。百獣王ヴィングトールは既に獣能を二つ出して戦っている。しかし獣帝は、まだ一つしか異能を出していない。無論、獣能は必殺技でもなければ数が多ければいいというわけではない。実力とそれは別のもの。それでも、あの獣帝を前に同じような事が言えるだろうか……?
連合の騎士たちが皆、そのように思っていたところを見抜くように、ジャラール大帝は言い放ったのだ。
「とはいえだ、情けない事に我が帝国軍は実にみっともない惨状だ。となれば貴様との遊びももう潮時だろう。よって、今より貴様を始末する」
「第二獣能でキメるってか? ったく、どいつもこいつも……」
「虚勢をはり続けるその姿勢は買ってやろう。だがもう仕舞いだ」
「これだから今時のヤツは馬鹿だってんだよ。どいつもこいつも獣能、獣能言いやがって。んなモンの数や能力で鎧獣騎士の優劣が測れるかっての」
「確かにその言、一理あるだろう。しかしこれを前にしても、同じ言葉が言えるか――?」
ジャラール=ドゥルガの巨体が、にわかに硬直した。
攻撃や防御のためではない。内側から沸き起こる力の奔流を制御するための、肉体の停止。さりとて隙もなかった。
「〝太陽神〟」
号令一下、巨象の全身から湯気のようなものが立ち昇る。
まるで鎧化時の白煙のようだが、それとは著しく異なっていた。
にわかに広がる暖気。いや、熱波に等しい熱さ。ドゥルガを中心に、寒空では有り得ない熱量が周囲の空気を暖め、景色すらも歪ませる熱気を放ちはじめたのだ。
既に帝王巨象の全身は、灰褐色から赤味さえも帯びはじめていた。
「〝太陽神の息吹〟」
大きな息を吸い込む仕草をするドゥルガ。次いで出た一言に、カイゼルンは咄嗟に後方の気配を見て反応する。彼の後ろには多くの連合軍。避ければどうなるか、それを瞬時に判断したのだ。
「!!――〝創大〟・〝双連門楯〟」
ドゥルガの大蛇のような荒々しい鼻から、台風のような突風が吐き出される。
同時にカイゼルン=ヴィングトールは、巨大化した腕から自身すらも覆い隠すほどの巨大な楯を二枚、創出してこれを防ごうとした。
が、突風はただの暴風ではなかった。それは凄まじい熱量を持った熱波であり、直撃を浴びた周囲の鎧獣騎士たちは全身が黒く焦がされるくらいの熱気があった。楯にはじかれた空気を身に浴びただけでも、一瞬で表皮がただれる熱傷を負わされるほど。
そしてヴィングトールが出した巨大盾も、既に前にある一枚目が溶けはじめている。
まさに太陽から放たれたような熱風。
暴風は勢いを変えず、たちまち盾の一枚目は完全に溶け、二枚目も既に危うい。
「ちっ」
カイゼルンが舌打ちをして更に盾を出そうとするが、猛風の勢いはそれすら追い付かせなかった。
溶けた二枚目の盾を突き破った熱波は、出しかけの三枚目を即座に融解させ、ヴィングトールの全身を焦がしていった。
しかし、ここで長い息が一旦途切れる。
とはいえ威力もさりながら、肺活量も神の息吹と呼ぶに相応しいものだろう。
わずかに浴びただけで、ヴィングトールの両腕すら、水ぶくれがあちこちではじけ、肉が溶けていた。
「第二獣能〝太陽神〟は、我が部下の駆る〝ガンパティ〟の異能を更に強大に、万能に、そして無敵にしたもの。即ち、全身に蓄積した熱を放つ技だが、見せた通りガンパティのものとは何もかもが違う。威力も、その他もな」
ジャラール大帝の言葉に、遠巻きで聞こえたクラウスやホーラーは戦慄する。彼ら両名がそのガンパティを倒した本人であるが、確かにあれとは比べ物にならない威力であった。
いや、それどころか、あの百獣王が――。
未だ傷を負ったところを見せた事もないヴィングトールが――。
両腕が使い物にならないほどの熱傷を負っているなど。
だが、傷を負った本人は狼狽えもなければ慌てもしない。「ふん」と鼻を鳴らして自身の両腕に目を落とした後、再び「創大」と言い放つ。
すると、腕の焦げた部分が膨れ上がり、カサブタのように黒ずんだかと思えば、枯れた落ち葉のように傷が剥がれていくではないか。
「再生も出来るか」
「あぁ? 違ぇよ。創大は細胞を操る獣能だ。ダメになったんなら交換しちまえばいいだけって事だよ」
「多少の手傷など問題ないという事か。さすがだな」
能力も威力も尋常でなければ、異能ですらも想像を絶するものを見せつける両者。
とはいえ、状況は百獣王が劣勢にしか見えなかった。むしろ味方が足手まといにすらなっている。その事にクラウスらは気付き、自軍を更に後退させるが、それでもドゥルガは余裕でほくそ笑む。
「しかしいかな再生能力とて、一撃で命を溶かせばそれも叶うまい」
「もっと鼻息を荒げるってか? 勘弁してくれ。ただでさえオッサンの息は臭ぇってのに、それ以上キツい匂いはたまんねえぞ、オイ」
片手で払うような仕草をして、黄金獅子は顔をしかめる。これだけの状況で未だ余裕の姿勢は変わっていない事に、頼もしいというよりむしろ周囲は呆れた。
一体どこまでが本気なのかどうか――
突然――
前触れもなく、大爆発が巻き起こった。
いや違う。ドゥルガが全力で突進の跳躍をかけたのだ。
あれほどの巨体――しかもマンモス――なのに、まるでチーターかヒョウ並みの速度を出しての猛撃。
しかしヘラヘラとしているようで、カイゼルンはこれを冷静に迎撃する構え。黄金の巨大剣を流れるように回し、撃ち落としの一刀を振るう。
これに対し、ドゥルガも巨杖で剣をはじくと、空いた片腕で伸びるように拳を放った。
見れば巨杖を支えているのは左腕と鼻である。まさに第三の手として今の一撃をいなしたというべきか。
そして――
「〝太陽神の指尖〟」
突き出した拳から、灼熱が吹き出す。
放たれた瞬間、輻射熱が周囲に溢れ、ヴィングトールの体毛が焦げ付く。拳は吸い込まれるように黄金獅子の腹部に当たり――
ジュッ
嫌な音と共に、巨大化した獅子王の腹部を、一瞬で溶かした。
身をよじるように体を捻ると、巨体とは思えない俊敏さでヴィングトールは距離をとってこれを躱す。
だが――
黄金の身体に、有り得ベからざる深い傷跡。
左脇腹の一部が、ぽっかりと穿たれた穴のように消え去っていた。
ジャラール=ドゥルガが、打拳を放った拳を掲げて言った。
「これは、太陽神の熱を指先に圧縮して出す技だ。触れずとも焦げ、触れれば溶ける間もなく熱で消し飛ばされる。さて、貴様の再生もあとどれほどが限度かな?」
ゾウの爪の付け根には、〝あまづめ〟と呼ばれる唯一の汗腺部位があった。〝太陽神の指尖〟は、その〝あまづめ〟から熱の全てを凝縮して放出する技である。
これを見て分かる通り、獣能というのは、ただ使うだけでなく応用を効かせ、様々な技に昇華してこそ超一流の騎士と呼べるのであるが、獣帝はまさにそれを易々と実現させていると言えよう。
これほどの鎧獣。
これだけの騎士。
付け入る隙どころの話ではない。鎧獣騎士としてあまりに次元が違いすぎる。全てにおいて人智を超えた、まさに生きた破壊兵器。
「獣能が戦いの全てではないと言ったな、百獣王。だがどうだ? 今でも同じ事が言えるか?」
あのヴィングトールでさえ為す術のない、破壊の権化。
獣帝――これこそが三獣王の頂点と言うべき存在なのか?
連合軍の騎士たちに絶望という言葉が浮かんだ時、破壊の太陽神は更なる一言を放った。
「さあ、これで仕舞いと言った通り、次は本気でいかせてもらうぞ」
――あれで……! 今ので本気でなかったというのか?!
クラウスやカイ、レオポルトですら戦慄のあまり言葉が出ない。
もしもカイゼルンが敗北をすれば、残りの全軍で獣帝に立ち向かうつもりであったが――。例え幾千の騎士を集めようとも、いや、全軍が十全な状態であっても、勝てる要素がひと欠片も見当たらない。
「ったく……。ちっとばっか腹を掠めたぐらいで随分調子に乗ってんな」
カイゼルンの声。
全軍がハッとなる。
声の調子。この場において、まるで変わっていない。
「なにが獣能だよ。一個が駄目なら二個。二個で足らなきゃ三個目ってか。んな、数を増やせばいいってモンじゃねえっつってんだろ」
「……ほう。その言だと、貴様は三つ目も使えるとでも言いたげだな」
三つ目。
既に敵のオグール軍総大将や、自軍でもアクティウムの王弟クリスティオがそれを実現して見せている。となれば、カイゼルンもまだあると言うのか。
皆が期待に熱くなる。
「だから、数じゃねえっつってんだろう。三つ四つと増やせる事なんて意味ねえっての。あんな、オレ様は百獣王だぜ。それぐらい出来なきゃどうするってんだよ」
「ならば出してみるか? 三つ目とやらを」
ジャラールはそれでも余裕であった。獣帝もまだ本気でないのなら、〝先〟があるという事なのか。
「つーかおめえ、皇帝なんて偉そうな割に、さっきから物覚えが悪ぃな。何度も言わせんな。んなものは戦いに関係ねえって言ったろうが」
ヴィングトールの消し飛ばされた腹部は、もう元に戻っている。
一度はいくつかの傷を負いはしたものの、既に見た目だけなら、まるで無傷そのもののカイゼルン=ヴィングトール。
「ったく、ヒヨっ子どももすっかりビビっちまって情けねえなあ。何のためにオレ様がデカくなってんだかまるで分かってねえでやんの。――しゃあねえ」
「何だ?」
黄金の巨大獅子騎士が、おもむろに巨大剣を突きつけた。
「ここにいる全員に見せてやろう。本当の鎧獣騎士の戦い――その神髄ってヤツをよ」
黄金の獅子が不敵に笑った。