第二部 第五章 第七話(3)『黒影』
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〈第二次クルテェトニク会戦――七戦図(3)――〉
生身の少女が、白い炎に包まれながらノイズヘッグに接吻をしている。
「何を……何をして?」
レレケでさえも理解が追い付かない、異様な光景。
口づけと同時に、白い炎は勢いを弱めていった――かに思えたが、そうではなかった。
モニカはノイズヘッグから体を離すと、マーザドゥと共によろよろと後ずさっていく。全身に白い炎が巻き付き、既に衣服さえも焦げてなくなっている。
そして先ほどまで灼かれていたファウスト=ノイズヘッグの体からは、白い炎の一切がなくなっていた。
が、全身が焦がされた身だ。煙をあげてその場に膝をつくファウスト。
「良かった」
白い炎の中、モニカの声がした。
対象となる相手に起きた被害を、自分に移す謎の結石。
〝エポス〟の力で生み出されたそれをゴーダンから託され、彼女はノイズヘッグを灼いた炎の身代わりとなったのだ。
何が起きたのか理解出来ぬファウストは、目の前で灼かれる少女と犬の鎧獣に、手を伸ばす。
「あ……あ……う……」
喉までも炎に焦がされ、声が出ない。何を言わんとしているのか、誰にも分からなかった。おそらくファウスト自身にも。
「最期に、ファウスト様のお役に立てて――」
その言葉と共に、白の火勢は一際大きな柱となって天を衝く。
モニカは幼い頃よりずっと一緒だった最愛の愛犬を抱きしめながら崩れていった。
炎の中、モニカはマーザドゥに顔を舐められているような気がしていた。
彼女とマーザドゥはずっと一緒だった。
幼女趣味の娼館で売られていた時から、ずっと。
だから分かっていた。マーザドゥもまた、彼女と運命を共にする事を、望んでいるのだと。
火柱が最期の炎を吹き上げ、後には黒く煤けた大地だけが残された。
「そんな……」
予想外の結末に、イーリオもレレケも何をどうすべきか、判断に迷う。
一方でファウストはと言えば、既に強制鎧化解除を受け、戦闘不能の状態になっていた。
ノイズヘッグは授器も煤け、体毛の全てがなくなって四肢を投げ出して横たわっている。誰がどう見ても、絶命していた。
そしてファウストの方も似たようなものだった。
だが、全身に火傷を負いながらも、僅かに息はしている。失った左手首の傷も焦げ、命がそう長くないのは明らかだった。
何とも言えない結末――。
ただでさえ惨い最後を与えてしまう技なのに、予期せぬ人を巻き込み、本来の相手は死の苦しみに喘いでいる。ここはひと思いにとどめを刺すべきか。
どうするべきかイーリオが逡巡していると、そこへ叫ぶ声。
「イーリオ君!」
レレケの声で意識を戻して躱すと、別の黒い影が彼の頭上を掠めていった。
それはしかし再度襲ってくる事なく、そのまま高く空へと舞い上がっていく。
そう、空へ――
「あれは――?!」
バサバサと激しくはためかせる翼。
両足の先には、ファウストの体を捕まえていた。
――しまった! ファウストが!
そう思うも、黒い影は皮肉な声を残して大空高く逃げ去っていった。
「見事だったよ、さすが恐炎公子。しかし我らが王の命までは奪わせんよ」
男の声は、そのまま遠い彼方へ飛び去っていく。
人型よりも大きな空を飛ぶ姿。
鳥ではない。勿論、鳥類の鎧獣騎士でもない。
あれはまるでそう――
「コウモリ……? コウモリの鎧獣騎士……?」
イーリオが呟く。そんな大きさのコウモリがいるのかと訝しむ彼であったが、答えを尋ねるべき相手は、別の事実に気付き、戦慄していた。
「今の声は……スヴェイン……?」
レレケがよく知る、そしてかつては恋人であり、今は敵対する者同士でもある、師匠ホーラー・ブクの息子。そのスヴェインの声が、あのコウモリからしていたのだった。
オグール公国十三使徒・第四使徒ファウスト・ゼラーティ
ブラック・ジャングリオンの鎧獣ノイズヘッグ
――ファウスト、戦闘不能のため離脱
――ノイズヘッグ、死亡
オグール公国十三使徒・第十使徒モニカ・ナヴィ
チベタン・マスティフの鎧獣マーザドゥ
――死亡
※※※
さて、〝覇剛獣〟ノイズヘッグを退けた事により、遂に戦場の情勢は連合軍側へと一気に傾いていった。
特に援軍のトクサンドリア王国の活躍は目覚ましく、中でも王国最強、東方幻霊騎士団団長のヤン・ヴァン・リンヴルフ王子と彼の駆るエアレは、次々にアフリカゾウやインドゾウの騎士を打ち倒していき、たった一騎で死体の山を築いていった。
ここから見ても分かる通り、個の戦力で戦を決めるのではなく、集団による最初の戦争――などと言っても、まだまだ過渡期にすぎないという事だ。
無論、エアレらトクサンドリアが来ないなら来ないで、カイは次後の策を用意していたのも事実だったが、彼にとっての最良が今の形であった事は間違いなかった。
そしてカイの目論見通り、ヤンらの活躍のみならず、最強と自負してやまない二大大将軍が敗れた事により、遂にアンカラ軍の内部で崩壊が起きはじめたのである。
まるで敵わないヤン=エアレの力におののきを見せ、数騎のゾウ騎士達が逃走を見せはじめたのだ。
元々、アンカラの騎士達は、本人にそこまでの実力と才能があるわけではない。
例えば覇獣騎士団のように、騎士が修練に修練を重ねた選りすぐりの精鋭というわけではなく、騎士としての実力は凡庸な者がほとんど。あくまでゾウやサイに相性がいいというだけの理由で選ばれたに過ぎず、実力のほぼ全てが鎧獣頼み。自ら勝ち得た才ではなく、与えられた最強の力で戦っていた者たちであったにすぎないのだ。獣能ですら、錬獣術師大長官のアベティスによって無理矢理発動出来るよう作られたものである。
つまり、精神的にも厳しく鍛えられた者ではない以上、彼らが恐怖に屈するのはそれほどおかしな話でもないという事だ。むしろここにきて、地金がさらされただけとも言えた。
だが予想外だったのは、逃走という行為ではなく、逃げた方向にあった。
臆病という病魔に取り憑かれて混乱した彼らは、後ろに退がるのではなく、戦場の横側へと逃走経路を図ったのだ。
そこに居たのは、疲弊しきった白銀の人狼騎士、イーリオ=ザイロウ。
ザイロウが十全な状態であれば、ゾウであってもみすみすやられてしまうような結果にはならないだろう。だが今の彼に、混乱し我先に逃げ惑うゾウ騎士たちの暴走から回避出来る余力は、残されていなかった。
巨人の津波さながらに、みるみるこちらへ迫るインドゾウの騎士たち。
だが、イーリオ=ザイロウの動きは鈍い。分かっていても動けないのだ。
「イーリオ君!」
今日何度目かの、レレケの声。
分かっている。こんなところで、こんな形で終わりはしない。
だけど――
目の前に、ゾウの巨体。
駄目だ。潰される――
その瞬間――
黒い影が踊った。
三度目の、予期せぬ存在。
そう、誰も――
カイもカイゼルンも――
あらゆる人間たちが予想もしなかった黒い影。
黒い影がゾウ騎士の目の前を掠めると、たちまち血飛沫をあげて、あの巨体が絶命していた。
一刀。
僅か一刀の元に、最強騎士団を斬り伏せたのだ。
しかも三騎も同時に。
「ひっ……!」
恐慌を来す紫象騎士団たち。
イーリオも絶句する。
何故。
どうして。
どうしてここに。
「黒騎士――!」
因縁にして最大の宿敵が、目の前に立っていた。