第二部 第五章 第七話(2)『憑狼身』
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〈第二次クルテェトニク会戦――七戦図(2)――〉
〝血閃深化〟の速度で、黒い閃光となるファウスト=ノイズヘッグ。
しかし研ぎすまされたイーリオの意識は、レレケからの補助もあり、これを冷静に捕捉。
いつの間にやら消失させた巨大な左腕に代わって、今度は右腕から巨大な腕部を放出。さらにこれへ、剣の形をとった半透明のエネルギー体も握らせていた。
「え――?」
あまりの剣速、破壊の威力に、はっきりと認知出来ていた者が幾人いたであろうか。被撃を受けた本人でさえ、気付かなかったほど。
突如起こる、壁のような土砂の津波。
それはザイロウの右巨腕が見せた、大地ごと叩き斬る斬撃の余波。
土砂が雨となって降り注いだ後、目標のザイロウにまるで届かない距離で地に伏せられたノイズヘッグの姿があった。
苦悶の呻きをこぼし、のろのろと片膝をついて起き上がろうとする黒の人獣。だが、重い。体が重い? 何故だ?
何かを引きずるような感覚。
左側に視線を向けて、ファウストは己の視界に映ったものを疑った。
自分の――ノイズヘッグの左腕。
肘から下が血の糸をひいてダラリとぶら下がっていたからだ。
「な……何だとぉぉぉっっ?!」
絶叫が谺した。
目の前で落ちそうになる片腕。
〝狂神ノ刻〟の力で、何とか腕を繋ぎ止めようとするも、駆り手であるファウストの腕ごと手首から斬り落とされ、皮一枚でぶら下がっているような状態だ。当然元に戻るはずもなく、やがて左腕はずるり、と自重に耐えかねて地に落ちてしまった。
信じられなかった。
自分が奥の手である〝狂神ノ刻〟まで出し尚且つ最高速度で斬り掛かったというのに、反撃をするどころか、これほどの重傷を負わせるなど。
今やファウストの脳内は混乱の極地にあった。
怒りや屈辱が激しい吐息となり、痛みがそれに拍車をかける。それよりもあまりの昂りゆえか、全身を震えが走っていた。
いや、そうではない。
ファウストは自分の身に起きつつある事に、尚の事息を荒げた。
この震えの正体は――まさか……恐怖?
自分が今、あの格下の孺子に恐怖しているだと?
許される事ではなかった。耐えられるものでもなかった。自分は王となるべき男。覇王となり、この大陸すら手中におさめるべき者。それがこんな孺子一人に苦杯を飲まされ、あまつさえ恐ろしさに震えているなど――!
人獣の口から血の混じった涎を垂らし、ファウストは剣を構える。人生で初めて覚えた恐怖の感情に戸惑いながら、それでも心の中に巣食う魔物は、彼の足が止まる事を許さなかった。
――こんな事で……! こんな奴に……!
一方で、対するイーリオに油断はなかった。彼はレレケに告げる。
――あいつはまだ止まらない。多分、今の攻撃を繰り返しても止まらないと思う。このままだと……。
それ以上は言わなくとも、レレケにも分かっていた。
ザイロウの新たな力、第二獣能〝巨狼化〟。
その全てを解放するのではなく、出力を制御して放ったのが、レレケと共に編み出した〝憑狼身〟という技だった。
全解放していないにもかかわらず、威力は言うに及ばず。消耗も当然ながら激しい。
しかもレレケと協力してこの力を解き放った、それだけでも、ザイロウはかなり憔悴をしていた。つまり、敵がこちらの攻撃を耐え切れば、先に力尽きるのはイーリオとザイロウの方であるという事だ。
――ええ。あんな状態になっても、敵の悪意はまるで衰えてません。いえ、むしろ傷付けられた事で凶暴さは増しています。場合によってはザイロウのこの力を相手にしても、耐え切る可能性すらあるでしょう。
――だから、あれを使う。この状態でも使えると思うし、あれならきっと……。
イーリオの脳内に浮かんだイメージを受け、レレケは彼の覚悟の重さに少なからず驚いた。同時に、この青年をしてここまで決意させるファウストという男。その存在にも。
――分かりました。
イーリオ=ザイロウが、剣を頭上に掲げる。
同時に、消えていた右の巨腕が、巨大な幻の剣ごと再度現出した。
天高く突き上げられた巨腕から、白い発光が起きる。
やがて光は炎の形となり――
「ファウスト……これで最期だ」
イーリオの放った一言に、ファウストの中にある魔物が凶々しい意思を示した。恐れさえも喰らい尽くす、混じり気のない殺意。それが彼の肉体を衝き動かした。
だが、白銀に輝く人狼の剣は、破邪の聖剣。
目にも止まらぬ跳躍を見せたノイズヘッグを、正確に捉える。
「〝憑狼身〟――〝炎身罪狼〟」
巨腕が一際輝きを見せる。その光は、自軍の右翼全体を包むほど。
「〝炎狼剣〟」
言葉と共に表れる、白く輝く炎の剣と、巨大な白炎の右腕。
それは地に着く前に狼の顎となり、ファウスト=ノイズヘッグの全身へと叩きつけられた。
衝撃は火勢となって全身を包み、白い業火は火柱を噴き上げる。
「ぐおおおおっ!」
黒の覇獣騎士が、白い炎で灼かれる。
それは傷口から内部に広がり、中のファウストをも灼いた。
中の駆り手を確実に死に至らしめる必殺必死の最終手段。隙も溜めも大きかったこの技も、第二獣能との併用ならば、もう弱点を補ったも同じだった。
白い炎の中、ファウストの断末魔が響いた。
間違いなく助からない。これの直撃を受け、助かるはずがない。
力を使い果たした事、そして勝利を確信した事。それらがイーリオの全身を僅かに弛緩させてしまったとしても、この時の彼を責める事など出来ないだろう。
その時、イーリオの、そしてレレケの視界を掠め、黒い影が走った。
「ファウスト様!」
叫び声は女性のもの。しかし姿は長い体毛に覆われた狗頭人身の騎士。
武器である突戦鎚を投げ出し、白く灼かれる黒獣へと飛び込んだ。
灰堂騎士団・十三使徒の一人。
モニカ・ナヴィと彼女の纏う虎殺犬のマーザドゥだった。
アンカラ・オグール同盟軍の右翼にいたはずの彼女は、混乱に乗じて姿を消した後、ただ一騎戦場を横断してここに辿り着いたのだ。ゴーダン総長から命じられた役割を全うするため。
――その身を挺してでも、我らが未来の教王を助けるのだぞ。
だが、例えゴーダンにそう言われなくとも、彼女はファウストを救うためなら、命など惜しくなかったであろう。
ファウスト様! ファウスト様!
声にならぬ声。モニカ=マーザドゥは炎などお構いなしに、彼女が敬愛を傾ける未来の王を抱きしめた。
そして、ゴーダンより託された〝モノ〟を、マーザドゥの口から呑み込む。
もしレレケ=フリッカが近くで視認していたら、今呑み込んだモノが、神之眼に似た宝石のようなものだと気付いたであろう。
そしてこの場の全員が目を剝く、信じられない行動を彼女は行った。
「蒸解」
白煙が上がり、人狗騎士は少女とチベタン・マスティフに変じる。
「まさか!」
「何?!」
イーリオとレレケもいきなりの状況について行けず、その場で固まってしまう。
人間の姿になったモニカは、白い炎に包まれながら、ノイズヘッグの首にぶらさがるように両腕をまわしてしがみついた。
そのまま黒獣の騎士の口吻に――口づけをした。