第二部 第五章 第七話(1)『深淵』
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〈第二次クルテェトニク会戦――七戦図(1)――〉
歴史上、この第二次クルテェトニク会戦は、個の性能のみで勝敗の決していた鎧獣騎士戦が、集団戦へと移行していった、その転換点となった戦争だと言われている。
戦場全体を俯瞰で見ると、それがよく分かる。それぞれの対決に決着がつきつつあるとはいえ、それら個々の戦いは今のところ大きな流れになり得ていない。
そんな中、決定打となったのは、やはりトクサンドリア王国の加勢であった。中でも連合左翼へ齎した影響は大きい。
レオノール王とその息子ヤン王子率いる東方幻霊騎士団は十騎足らずの部隊であったが、一騎一騎が精鋭揃いである。無敵の堅固さを誇るサイ騎士たちを後背から襲い、力比べで真っ向から立ち向かうだけでなく、これを拮抗、あるいは平らげていく。そこへ正面からは、勢いづいた覇獣騎士団が来るものだから、完璧なまでの挟撃になっていた。
これは当然、灰堂騎士団の部隊も他人事で済ませられる状況ではなかった。
頼みの綱であった紅犀騎士団が次々に倒されていき、優勢だったはずの自軍が一気に形勢不利になってしまったのだから。しかし冷静になれば、まだトクサンドリアが連合に合流した時点では、アンカラ・オグール同盟軍の方が総合的な戦力において上回っていたのである。もしこの時の同盟右翼のオグール軍灰堂騎士団部隊を率いる者が機を見るに敏であり、すぐさま陣をトクサンドリアに向かわせ側背を衝くなどすれば、状況は変わっていたかもしれない。
だが残念な事に、右翼の灰堂騎士団を率いていたのは、〝吸血〟オリンピアとモニカである。共に将帥としてこのような苦境を踏ん張るには、あまりにその能力に欠如した二人であった。
その能力とはつまり、責任感。
オリンピアは味方がどうなろうと自分の戦いのみに没頭していたし、モニカに至っては陸号獣隊のマルガと一騎討ちしていたかと思えば、混戦の中、いつの間にやら姿がいなくなっていたのだ。そうなれば味方は放置されたに等しい。当然、各騎士は各々の判断で戦わざるを得ず、冷静さなど浮き足立った軍隊に保てるはずもない。
一方で、姿を消した十三使徒のモニカをマルガは追おうとするが、彼女は敵の身勝手な二騎と違い、人を率いる責任感を持っている。ここで部隊の指揮を離れるわけにもいかず、結果、その姿を見失ってしまう。
戦場全体から見れば、指揮を放棄したモニカの功罪は大きく、明らかに失態と言えただろう。だが、運命という観点において、それは別の意味を持つ事になる。
言わばそれは、大きな流れに投じられた、小石の一投に過ぎなかったのかもしれない。
だが、時に小さな揺らめきは波紋となって広がる事もある。
やがて波紋は波紋を呼び、流れそのものにも影響を及ぼす事があるのも、事実だった――。
※※※
メルヴィグ王国に〝覇獣〟あり――
王家鎧獣でもあるそれらの強さは、百年前から生ける伝説となっており、この戦場でも伝説は真実であったと、敵味方問わず知らしめていた。
アンカラの二大大将軍が――
魔王のような灰堂騎士団の第一使徒が――
それぞれ〝覇獣〟の名を冠する鎧獣騎士たちによって討ち倒されている。
まさに勝利の獣。
だがイーリオの戦っている相手こそ、そんな勝利を名に刻んだ〝覇獣〟の一騎であるのだ。
東西朝の乱の折、東朝側の旗騎として生み出されるも、日の目を見る事はなく一度は表舞台から消えた王家鎧獣。
しかし再び姿を見せ、今度こそ王国を奪わんと牙を剥いた叛逆の覇獣。
〝覇剛獣〟ノイズヘッグ。
格も実力も、明らかに段違いだ。
その身の至るところに浮かんだ血流の管と膨れ上がった筋肉。そして全身を覆う、血液により形作られた異形の武装。
イーリオ=ザイロウは、既に致命傷を何度も喰らっている。その度にザイロウの超回復によって命を繋ぎ止めてはいるが、限界は目の前だった。
敵の攻撃は言うに及ばず、凌いでいると言うのすらおこがましい状況だ。また、隙を衝いてこちらが攻勢に転じようとしても、血の鎧があらゆる攻撃を阻み、それどころか武器となってこちらを斬りつけ返してくる。
――イーリオ君!
思念で響く、レレケの声。
自分達のいる戦闘領域より、かなり距離を取った後方にいる。おそらく彼女は、全体を〝紐付け〟する術式の維持に手一杯だろう。それでも身を案じてくれている事は有り難かったし、励ましの声はイーリオにとって心強かった。
だがこの時彼女が告げた言葉は、そうではなかった。
――ホーラー師から報せが入りました。もう、私は術式から離れていいと。
連合全体を網羅する術を、もうしなくていいという事は……。
――はい。敵の大将軍二騎に、灰堂騎士団の総長を討ち取ったという事です。
レオポルト陛下やクラウス閣下が勝利したという事だ。それはイーリオにとって、もう一つの意味も含んでいた。
――これで私も、イーリオ君に集中出来るという事です!
イーリオの目の奥にあった熾き火が、火勢を強くした。
失いかけた希望は、まだ消えていなかったという事だ。
――レレケ!
――はい! 準備は出来ています!
イーリオ=ザイロウは後方に跳躍し、ノイズヘッグから距離を取った。
構えは解いてないが、全身から吹き出していた白い炎は、ここにきてロウソクの火が尽きるように萎んでいき、完全に消えてしまう。
「限界か? 恐炎公子」
ファウストの嘲りは間違いではなかった。だがもう一つの意味の方が大きかった。
このまま白い炎――炎身罪狼――を出し続けては、邪魔になるだけだから。
これから為そうとしている事に。
イーリオ=ザイロウは間を空けず、腰の装備具から回復薬〝極上薬箋〟を出してひと飲みにして投げ捨てる。彼の持っている最後の分だ。後はもうない。つまり、ここが覚悟を決める時。
敵への集中は維持したまま、心を穏やかに――別の緊張を高めていく――。
同時に、直接紐付けをしているレレケも、同じ感覚を共有する。
深く――
深く――
吸い込まれるように、潜るように――
ザイロウへと意識を向ける。その奥へと――
イーリオがザイロウの深奥へと潜っていく様を、まるで激しい渦潮の中を掻き分けて泳ぐようだと、彼女は知覚した。
かつてティンガル・ザ・コーネと戦った時。
メギスティ黒灰院で黒騎士と剣を交えた時。
それぞれ、沸き上がる力というより、何か得体の知れない〝モノ〟に押し流されるような感覚で、気付けばイーリオは意識を失っていた。そして彼は、巨大な狼や巨大な人狼になっていたと後で知ったのだ。
おそらく、あの得体の知れないモノこそがザイロウの二つ目の異能の根源。それに流されず意識を保ち、深く深く奥へと辿り着く事が出来れば、あの力を己の制御下に置く事が出来るのではないだろうか。
レレケにはそれを為すための道標、そして守り手になってもらう。
そうする事で、己を見失わずにあのモノの最深部に辿り着く事が出来るのではないか。イーリオはそう考えた。
一方のレレケはと言えば、イーリオの精神内部なのか、それともザイロウの無意識下なのか分からないこの途轍もない〝情報〟の渦に、まるで自分が呑み込まれそうにさえ思えていた。
鎧獣術士として様々な意識を覗いてきた彼女であったが、こんな〝情報〟の津波は初めてだった。こんなものに晒されて、イーリオは意識を繋いできたというのか? それも一度ではなく二度も。
獣理術による環重空間の接続に使う自己分身の応用で、自分の周りに〝膜〟をはって防いでいるものの、気を抜けばあっという間に自身の精神が持っていかれるだろう。
レレケは必死でイーリオごと膜を広げて庇いながら、徐々に奥へ奥へと進んでいった。
たまに膜を突き破りそうになるほど勢いのある流れが襲ってくる。それで少し分かるが、これはザイロウだけの何かではなく、もっと広がりのあるモノだった。
いや、数――種類、と言うべきか。
数多の動物、数多の生き物、数多の魂――。
そんな数限りないモノが、この流れを作っているのだ。
――そうか。これは多分、この世界そのものと繋がっている巨大な流れなのかもしれない。
父・イーヴォが求め、スヴェインが欲した世界の深奥。
そんなものの中に、自分はいるのかもしれない。
やがてイーリオは、レレケの導きにより最も深いところにまで辿り着いていた。
そこにあるのは扉。扉の形ではないが、扉とでもいうべきもの。
――ここ、知っている。
イーリオは意識の声で呟く。
前はここを開く事が出来なかった。鍵がなかったからだ。鍵はそう――シャルロッタ。
だが、今は――
そっと、扉に手をかざすイーリオ。
光に包まれた扉は、音もなく開いていき、そこにあったのは――
――ザイ……ロウ……?
狼の姿。
ザイロウ。
だが違う。
ザイロウであってザイロウでない何か。
ザイロウではないのにザイロウそのものの何か。
それが声を放つ。
……〝外〟なる魂の者よ。六つ目の扉を開くか。
――六つ目?
……そうだ。ここに至りしは真人のみ。お前は違う。
――僕は……違う?
……お前はここに至れる者ではない。だが……そうか。それが神々の意思というべきか。青き花を咲かせよというのだな。
――花? 貴方は一体……?
……ともすればお前の歩む道は、地獄よりも苦しい道になるかもしれぬぞ。それでもお前は、巫女と共に歩む道を選ぶか。〝外〟なる魂よ。
――巫女……シャルロッタの事? ああ。僕は必ず、シャルロッタを取り戻す。それが僕が彼女に誓った、約束だから。
声は「良かろう」と言うと、急速にイーリオとレレケの意識は引っ張られるように引き戻されていった。
気が付く。
目の前にある、戦場の風景。意識が戻った。どれくらいの時間が経った?
――大丈夫、実際には数秒も経ってませんから。
レレケの声が響く。安堵と共に、何か別のものも感じた。その身に帯びた、確かな力の約束。
――イーリオ君。あれを、いきますよ。〝憑狼身〟を。
――ああ。頼む、レレケ!
――はい!
「巨狼化!」
イーリオが自らの意思で、あの号令を発した。
溢れ出す力の奔流。
レレケが紐付けの意識で、この流れに道を作ろうと試みる。同時に、イーリオも力の制御を思い描く。
さっき見た、師匠カイゼルンの巨大な姿。
あれはそう、本来この形だったはず――!
「〝憑狼身〟――!」
叫びと共に、巨大な何か――いや、半透明に包まれた巨大な腕がイーリオ=ザイロウの左腕から迸った。
「な……っ!」
思わず言葉を失うファウスト。
片腕だけが人象騎士よりも巨大になった、歪な姿の人狼騎士。
正確には、巨大な腕のようなエネルギーの塊が、片腕から放出されているようだった。
巨腕は唸りをあげる事さえない速度で、ファウスト=ノイズヘッグの全身を叩いた。
血の鎧などまるで意味をなさない。全身に漲る力さえまるで無力な、圧倒的な〝力〟。
遥か数十フィートも大地に溝を作り、己の味方をも巻き込んで転げ回る覇剛獣。
あまりの衝撃に息が詰まるが、全身を覆う第二獣能の鎧もあって、それほどの傷にはなっていなかった。だがそれよりも、彼の心が乱れていた。
驚き。衝撃。
何よりも屈辱。
信じられない。見た事のない獣能の形だ。
いやそれよりも、あれが振るわれた時、自分は身を守る事さえ出来なかった。
――油断? この俺が? いやそうだ。あんな不細工な力など見た事がない。だから驚いて当てられた。それだけだ。
自分に言い聞かせるも、すぐさま別の事実が彼の心に沸々とした激情の溶岩を滾らせる。
――油断はしたが、それでもこの俺が、あの孺子の一撃で、吹き飛ばされた、だと?
ドス黒い昂りと共に、溶岩が吹き出しはじめる。怒りという噴火になって。
「う、ウオオォォッッ!!」
ファウストらしからぬ雄叫びが発せられた。
持てる力の全てを注いだ最高速度で、覇剛獣ノイズヘッグは白銀の人狼へと斬り掛かっていく――。