第二部 第五章 第六話(終)『半獣神』
〈第二次クルテェトニク会戦――六戦図(終)――〉
「ゴーダン・オラル、だったね。貴方は獣能の原理を知っているかい?」
仰向けに地に転がった状態。身動き一つ取れず、攻撃どころか防御さえ出来ない。何も出来ない無様な姿で、レオポルト=リングヴルムは語りかけた。
ゴーダン=バロールに。
「何?」
「鎧獣騎士の出す獣能の原理だよ」
いきなり口にした意味の分からぬ発言の意図が何なのか、ゴーダンは僅かに眉をひそめる。
時間稼ぎか?
それとも別の目的か?
時間稼ぎならば想像はつく。動けぬ自分に代わって仲間がここに来るのを待っているのだろう。連合軍は獣理術を使って思念共有しているようだから。だが仮にそうであっても無駄な事。来た瞬間に動けなくさせる事くらい、今の俺には容易い。
そう、ゴーダンは判断した。
だからレオポルトの発言に警戒はしつつも、あえてそれに乗ろうと考えたのだ。
つまりはエサだ。この王をエサにして、来る者全てを平らげていく。
「過剰変異による鎧獣の肉体の特異化だ。それがどうした」
「そうだ。――と言っても、ボクの知識もギルベルトの受け売りだけどね。しかし追加の鎧化とも言うべき過剰変異はどのように行われているか。問題はそこにある。元来、鎧獣のネクタルは血流によって運ばれているが、ネクタル自体は全身に行き渡るから、部分的に過剰に働きかけようにも、それは血流によって散らされてしまう」
だから鎧獣騎士は獣能を出す時、血流を抑制してネクタルの流れのみを遮断するように働きかけているのだ。レオポルトがそう言うと、彼は更に続けた。
今度はいきなり話が飛んだが。
「ところで貴方は、このリングヴルムを全天候に優れていると評したが、最も優れているのはそこじゃあない」
「ほう」
「リングヴルムの最も驚異的なのは、備蓄されているネクタルの容量にある。その量は、同一程度の大きさの個体の、およそ百倍」
意味不明な語りではあるが、内容は興味深いとゴーダンは感じた。これがどんな罠であっても、恐れなどもうなかったからだ。
「けどこの備蓄ネクタルは、体力に使われる事はほとんどない。別の目的のため、莫大なネクタルを溜め込んでいるんだ」
「時間稼ぎにしては面白いな。いいぞ、続けろ」
この言葉に、レオポルトはほくそ笑んだ。
「貴方はリングヴルムの獣能を、〝獣能を封じる獣能〟だと言ったね。確かにその通り、あれは敵に当たれば獣能を封じる。その仕組みこそ、まさにさっき言った獣能の原理に則ったもの。つまり、遮断するはずのネクタルの流れを開放して、全身に散らしてしまう。それが獣能〝王の誓約指輪〟の正体だ」
成る程、輪っか状のアザは血流に浸透するためのものだし、部分で封じられるのもそのためかと、ゴーダンは納得した。
それならばどうあっても、リングヴルムは第二獣能を出せない。何故なら、全身の至る所に、奪った力による血の輪っかが浮かんでいるからだ。
「けどね、王の誓約指輪とは、本来そのためのものじゃないんだ。これは獣能封じのためにあるのではなく、全身にネクタルを行き渡らせるためのもの」
「だからそれが獣能封じになるのであろう。局所的に遮断し過剰供給しなければ、獣能は出せない」
「ええ。リングヴルム以外ならばそうでしょう。けど、さっきも言いましたよね。リングヴルムのネクタル備蓄量は、通常の百倍だと。これは体力のためにあるんじゃない。本能的に遮断しそうになる供給の流れを超えて、極限までネクタルを行き渡らせるために必要な量。つまり局所的ではなく、全身の至る所にまで過剰供給をさせる事が〝王の誓約指輪〟の能力」
「……どういう意味だ?」
ゴーダンの脳裏に嫌な予感が浮かんだ。だが〝エポス〟としての彼が持つ、本能にも似た知的好奇心が警戒をも上回ってしまう。
「貴方はボクに、〝第二獣能は発動出来ない〟と言った。一つ目は奪ったのに二つ目は奪わず、そんな事を。何故か? 奪わなかったんじゃない。奪えなかったんだ」
「……」
「魔牛将の新たな力は、発動された獣能のみ、奪う事が出来るもの。だから貴方はリングヴルムの第二獣能を奪えず、封じるだけにした。違いますか?」
「だったらどうした。奪わずとも封じてしまえば同じ事。それが分かったところで貴様に勝ちはない」
「もう一度言います。王の誓約指輪とはネクタルの遮断を解放し、超過剰なまでに備蓄されたネクタルを行き渡らせる事が目的。それは何のためにか?」
百倍以上のエネルギーが体内を駆け巡ったらどうなる? いや、そんなものが何のためにいるのか?
そんな量があれば、部分の特異化などで済まない、肉体の維持さえ出来ないほどの変容が――
そこでゴーダンは気付く。
まさか、もしかして、と。
「礼を言います。貴方の力が、発動したものだけを奪う力だった事に。そしてボクの獣能を全身に施してくれた事に」
何かがおかしかった。さっきまでと様子が違う。
倒れて動けないはずのリングヴルム。
指先一本動かせない――そのはずなのに。
突然、跳ね上がるようにホワイトライオンの人獣騎士が、体を起こす。
「〝王の半獣神〟」
号令と共に、高く跳躍する白き巨体。
その足はもう、人型のそれをしていなかった。
下半身全体がボコリボコリと肉の蠕動を見せる。それも途轍もない速度で。
大地に足をつけた時、あまりの異形にゴーダンですら声を失った。
リングヴルムの下半身。
それが人間の形ではなく、ライオンに似た四足の形状に変化していたからだ。
見た目はそう――お伽噺に聞く人馬に酷似している。
ただし下が馬ではなくライオンのような形をしており、上半身も優雅な人間のそれではなかった。さっきまでとは打って変わった長く伸びて筋肉質になった凶暴な両腕。頭部は当然、ライオンとトラ、二つの特長を備えているが、タテガミが雄々しいまでに長く伸びている。
「それは……!」
「リングヴルムの第二獣能は、全身に王の誓約指輪をかけて、それでやっと発動出来る面倒なものなんだよ。百倍もあるエネルギーを一気に開放し、文字通り第二の鎧化とも言うべき姿に、己を超常変化させる能力。それがこの〝王の半獣神〟」
姿が異形になった事も驚きだが、問題はそこではなかった。
「何故、動ける?」
言った瞬間、半獣形態のリングヴルムの姿が消えていた。
気配を察して後ろを向くと、落としたはずの槍を構える、リングヴルムの姿があった。
――更に速度が上がっているだと?
既視感のような瞬速。この早さはまるで、疾風ゼフュロスと同じか。
「おそらく貴方の力――強制的な催眠は、鎧獣騎士の内部、自律神経などに働きかけるもの。非常に強力で強制的な力だ。でも、今のリングヴルムは肉体の構造そのものが全く異なっている。見ての通り、別種の生物と呼べるほどにね」
「肉体が変わったから、催眠も解けたと……? 随意運動さえも別物という事か……! だが!」
解除されたと言うなら、もう一度かければいいだけの事。
そう言わんばかりに全身から発光をしかけたその直後――
ドスン!
感じた事のない衝撃が、ゴーダン=バロールの全身を叩いた。
何かが零れた。
血――。
口から血を吐いている?
何故だ?
いや、こぼれたのはそれだけではない。
粉々に砕けた結石のような欠片たち。それがぽろぽろと落ちているのだ。そしてもう一つ。
でろり
と覗いた奇妙な物体。
「何だ……これは……」
また、衝撃。
一度目は胸。今度は腹部。
バロールの体に、二つの大きな穴が空いていた。
でろりとこぼれたそれは、バロールの肉の一部――ではなく。
――俺の……頭蓋の……。
眼前に立つ、白き異形の半獣神。
「この姿は伊達じゃない。力はヴィングトール並み。最高速度はゼフュロスを超える。そして知覚は、目を瞑っていても、貴方の僅かな動きすら感知出来るほど」
槍を持たない片方の腕が閃くと、バロールの右腕が千切れていた。筋繊維ひとつ分の挙動すら、感じ取ったというのか。
文字通り、反撃すらさせてもらえない。
そしてリングヴルムの両目は、固く閉じられたままだった。
「この姿になるには、手間もかかる。でもそれ以上に時間もかかるから、戦闘中においそれと発動出来ないんだけど……貴方のお蔭でなれたよ。本当に礼を言う。ありがとう」
「う――うおおおっ!」
殺意だけが残された中、ゴーダン=バロールは狂気に染まった一撃を出そうとした。
ジャイアント・バイソンらしい、巨大なツノによる角突撃。
最後に残された人獣の武器。
だが絶叫が掻き消えると共に、そのツノは首から上ごと、弾け飛んだ。
頭部のあったそこには、巨大な槍の穂先があるのみ。
レオポルトがホワイトライガーの両目を開くと、巨牛の体が大地に崩れ落ちるのと同時だった。
やがて術者本体の死亡がきっかけになったのか、敵味方共に動けなかった両軍の硬直が、あれよあれよと解けていく。
その後にくるのは、連合軍による勝利の歓声。
「万歳! レオポルト陛下、万歳!」
「覇王獣、万歳!」
そして敵軍は悲鳴と共に、一気に後退の兆しを見せはじめていた。
ただ一人、レオポルトのみは、この勝利に酔う事なく、全軍の状況に思いを馳せるのみ。
それに、彼の気がかりはそれだけではなかった。
軍師のカイ・アレクサンドルが、戦の趨勢を決める事になると考えた、一騎討ちのひとつ。
隣りの戦場で行われている人狼と覇獣の戦い。その行方であった。
オグール公国十三使徒
第一使徒ゴーダン・オラル
ジャイアント・バイソンの鎧獣バロール
――死亡