第二部 第五章 第六話(4)『英雄末路』
〈第二次クルテェトニク会戦――六戦図(4)――〉
長柄斧刀が振るわれるたび、地軸が揺らぎ、大気が裂け、死神が今か今かと顔を覗かせているようだった。
それほどの暴威にして脅威。
こちらが有利に攻めていた先ほどとは打って変わった変容振りに、レオポルトですら焦りを覚える。いや、恐ろしいのはそれだけではない。
白色獅子虎の手から伝う血の玉が飛び、また古代巨大野牛の身体に付着するも、〝魔牛将〟バロールの勢いは止まらない。
今度は右腕。手の平に浮かんだ神之眼の光は失われたようだ。
しかし右腕の別の箇所――今度は手の甲――から、再び神之眼の光が放たれる。
リングヴルムの獣能〝王の誓約指輪〟の輪っかの状のアザは出来ているというのに、バロールのあらゆるところから、神之眼の発光が後を絶たないのだ。
「どうした? もう仕舞いか?」
筋肉量を増した全身は、最初の頃よりひと周りも大きい。既にゾウをも超えているのではなかろうか。
だが何より厄介なのは、次から次に発せられる神之眼の緑光。
額と両の手の平だけではない。全身が不規則に明滅するので、リングヴルムはろくに目も開ける事が出来ないのだ。
視覚が絶たれたこの状態でそれでも戦えているのだから、むしろそれは驚嘆に値する事であろう。実際、〝魔牛将〟バロールを纏うゴーダン・オラルはかつてない興奮を覚えていた。
――この俺が。〝エポス〟である俺が戦いに快楽を感じれるなど、千年以上振りだ。
〝同一体〟たちが聞けば、何と言うであろうか。
いや、奴らならもうとっくに〝感知〟しているだろう。エポスは皆にして一つ。一つにして皆なのだから。
一方で、リングヴルムの中のレオポルトは、圧し込められている現状に、未だ打開策を見出す事が出来ずにいる。それを感じ取ったゴーダンは、やがて徐々に快楽を薄れさせていった。
ようは飽きてきたという事だ。
「どうやらここまでのようだな。人の王が一人よ」
急に攻撃の手を止めた事に、レオポルトは警戒の構えを強くする。
ゴーダン=バロールの胸。
神話にある巨人の如き胸筋の厚みに、耳慣れない音が漏れた。
レオポルトは見る事が出来ないが、胸の中央に、巨大な緑玉にも似た神之眼がせり出していた。
「〝亡き英雄の末路〟」
胸の巨石だけではなく、ありとあらゆるところから緑の発光が出された。全身が光っているのではなく、五体の部分部分で光の放射が為されている感じだ。
当然、リングヴルムは顔を腕で覆い、固く瞼を閉じている。あの光を目にすれば、こちらは動けなくなると知っているからだ。
やがて発光が止んだ事を、閉じたままでも感じる明るさの加減で察知するレオポルト。
今のはどういうつもりの光か。
敵の意図が読めないでいると、急な違和感に襲われている事に気付く。
身体が重い――。
白色獅子虎の全身が深い水の中にいるかのように、いや、それよりももっと重苦しく、ぎこちなく痺れていた。
――これは一体?
地面に落としたリングヴルムの瞳に、影が映った。
目の前にいる。
ジャイアント・バイソンの魔王が。
だが自分の動きが鈍い。あまりにも鈍すぎた。
「改造を施した〝亡き英雄の末路〟はな、漏れ出る光を皮膚が感じるだけで、軽度であるが催眠にかかってしまうのだよ」
ゴーダン=バロールの声。
――光を浴びるだけでだと?
青ざめるレオポルトの俯いた視界に――
ぬっ――
巨牛の顔が下から覗き込んでいた。
全身から汗が吹き出る。
だが遅かった。
両目からの緑の光は、既にライガーの視界を埋め尽くしていたからだ。
身体が――
全身が――
指先一本動かなくなっていた。
わしっ
覚えた事のない巨大な力で、リングヴルムの頭部が掴まれ、持ち上げられる。
目線の高さに並ぶ、獰猛に歪んだバロールの顔。それでもリングヴルムは、指一本動かせなかった。
――これが強制催眠……! 手も足も出ないか。
音をたて、リングヴルムの持っていた槍が地に落ちた。握る事さえ出来はしない。
「よくここまで楽しませてくれたものよ。とはいえ貴様はまだ、二つ目を出していなかったな。まあ、こうなっては発動も出来んだろうが、念には念を入れてだ」
ホワイトライガーの額にある神之眼に、同じような硬さのものが押し付けられた。バロールの手の平にある神之眼だ。
正確には機能を失った一つ目ではなく、新たに生えたもう一つだった。
「〝終わりの世界〟」
巨牛の手から光が溢れた。
リングヴルムには――レオポルトには分からない。何が起こっているかが。しかし起きた事実は理解していた。それが何を意味しているのかも。
続いて巨牛は、別の号令を告げる。
「〝暴かれる世界〟」
長柄斧刀の刃先で空いた手に傷をつけると、絶望が言葉となった。
「そら、自分で味わうがいい。これが貴様の力――〝王の誓約指輪〟だ」
バロールの血が飛び散り、リングヴルムの白い身体を赤く汚していく。
腕に。肩に。胸に。腹に。足に。首に。
何度も、何度も。
何度も血は振るわれた。
「――!」
動けぬものの、レオポルトの目は見開かれる。それが希望の欠片もない色だと読み取り、ゴーダンは嗜虐的な愉悦に笑みをこぼした。
五体のいたるところに、巨牛の血による飛沫が着いていた。おぞましい標のように汚された純白の王。
血による刻印は鈍い発光をしたかと思うと、輪っか状になってホワイトライガーの体を戒めていく。奪われた獣能、王の誓約指輪が発動した証だった。
「クククッ……。ここまで全身にかけておけば、例え何があっても第二獣能は発動出来まい」
全身に輪っか状の光。
血の色をした発光。
それはまるで奴隷に対する拘束具のようでさえあった。いや、そうかもしれない。今まさに覇王獣は、かつてない屈辱に汚されていたのだから。
「さて……ここまで俺を楽しませてくれた礼だ。ひと思いに殺すなどせず、たっぷりと嬲ってやろう」
リングヴルムは、そしてレオポルトは連合軍の総大将というだけではない。メルヴィグの王であり、この国の希望。彼と彼の騎獣を失う事は、連合軍にとって事実上の敗北にも等しい。
だが、ここで助けに入る者は、誰一人としていなかった。
恐れたのではない。躊躇ったのでもない。
周囲にいる誰もが、動けないのだ。
そう、バロールの放った強制動物催眠の光を浴び、または直接目にし、敵味方問わず微動だに出来ていなかった。この一帯だけが、さながら静寂に包まれたような趣きさえあった。
ホワイトライガーの巨躯を、大地に放り投げるバロール。
土埃をあげても、ゴミのように捨てられた当人は、むせる事さえ出来ない。
しかし――
――今、確かに奴は言った。
身動き一つ取れない中、獅子群王の瞳には、まだ光が消えていなかった。
――全身に獣能をかけた、と。
肉体のどこかを増強するのが獣能だから、全てを封じるなら当然だった。実際、身動きも取れず、獣能も出せないなら、こちらはただの肉の塊でしかない。
しかし、そこにこそまだ希望は残されていた。
――まだだ。まだ、終わっていない。
活動報告にも載せましたが、次回より年末年始SP 毎日最新話投稿を行います!
次回12/25のクリスマスの投稿からはじまり、年明け1/3までの計10日間となります。
どうぞお読み下さいませ!