第二部 第五章 第六話(3)『雷神電撃』
〈第二次クルテェトニク会戦――六戦図(3)――〉
超高熱の水蒸気が、平原の一部を死の熱気で覆った。
熱そのものも凄まじいが、熱波の勢いが暴風の威力を秘めているため、近付く事さえままならない。
「チッ」
クラウス・フォッケンシュタイナーから、思わず舌打ちがこぼれる。彼の〝覇雷獣〟ガルグリムは、雷撃かと見紛うような毒針を放って敵を倒す異能を持つ。しかしこの熱波を前にしては、タテガミを変容させた毒針も、まるで届かない。
「いくら鎧獣騎士が暑さ寒さに左右されずとも、このまま過熱すればいずれ茹であがってしまうぞ、覇雷獣よ」
熱波の元凶である一際巨大なアフリカゾウの人獣騎士が、嘲弄混じりの挑発を言い放つ。しかし言い返せない。
この異能〝死食水王〟を前にしては。
巨体に溜め込んだ熱を使い、過剰供給した水――鼻から吸い込んだ水――と混ぜる事で過熱水蒸気にして放つ驚異の超常技。
アクティウムの王都で、貴族達を一瞬で皆殺しにした異能だ。あの時は王都広場の噴水を使っていた。
では、今はどこから水を得ている?
熱波を吹き終えると、〝闘神〟ガンパティが鼻を大地に突き刺した。
微細な震動。
ズゴゴゴ――
という音が示すものは今や言うまでもない。
突き刺した鼻を引き抜くと、その先端が濡れていた。そう、ガンパティは地下に巡る水脈から、水を供給していたのだ。
ゾウの嗅覚は、イヌ科のそれを遥かに凌ぐと言われている。特に地下にある水源を探し当てる能力は、サバンナでは必須なだけに、どこに水があるかなど人獣となった今なら、容易に探り当てる事が出来た。
ましてやこのクルテェトニク平原には、南に大きな河川が流れているだけに、水源はどこにでもあると言えた。
「ふむ、そろそろ頃合いか」
すぐにあの熱波を出すかと思われたが、今度は動かない。
――好機か? それとも誘い?
いずれにしても逡巡してる時ではないと、クラウスは判断した。
躊躇わず、獅子豹の両足で大地を蹴った。
獅子豹の鎧獣騎士ガルグリムの初速は、大陸最速と言われる疾風ゼフュロスにひけをとらない。しかも軌道の変則性は、ヒョウ科特有の機敏さも持っている。
左右の激しい揺さぶりも加わったそれに、視覚で劣ったアフリカゾウでは捕らえられるわけがない。
斧剣〝雷斧〟アグルシュを斜めから斬り上げようとした、その矢先――
「〝風精衣霊〟」
ゾウ騎士の鼻から、熱波ではない突風が巻き散らされた。
それは人為的に竜巻を起こし、ゾウの巨体を中心に風の衣となって吹き荒れる。
体勢を攻撃にしていたガルグリムが、思わず姿勢を崩しかけるほどの勢い。後退を余儀なくされるどころか、彼方に吹き飛ばされないようにするのが精一杯だった。
ひとしきり風が止むと、ガルグリムの全身がずぶ濡れになっている事に気付く。
「今のがガンパティの第二獣能だ。分かるか? 今のはただの風。ただ冷風を起こしただけだ」
「……」
「このガンパティは、運動性能が他の紫象騎士団どもと図抜けて違う。それ故、すぐに熱が溜まりやすくてな。〝死食水王〟で出しても、それでも追い付かんほどだ。だからこうして全身を濡らして冷やせば、いつでも全力を出せるというわけだ」
ただの冷却の異能――。
確かにそうかもしれないが、ガルグリムが吹き飛ばされるほどの突風だ。
それはもはや、風による防御結界とも呼べるほどのものがあった。
離れては熱波。
近付けばあの杖と豊富な運動量での巧みな攻め。
それすら躱しても、最後には風による目に見えぬ鎧。
全天候。ありとあらゆる角度から、全く隙のない強者。
――さて、レオの相手と俺の相手、どちらが上かな。
己の王が戦っている敵と値踏みして、どちらがより困難な敵か。自分の方がより強い相手だったなら、後であいつに自慢してやろうと、子供じみた競争心を燃やす連合軍総司令官。しかし余裕ぶろうとも突破口が見えなかった。
「どうした? 覇雷獣よ。来ないならこちらから行くぞ」
ぐん――とこちらに肉迫する、アフリカゾウの巨体。
走ってはなかったが、もはや疾走よりも速度のある〝歩み〟だと言えた。
巨杖が巨神の怒りの如く、万物を圧壊せしめる威力で墜ちてくる。
かろうじて躱した直後、すぐさま横薙ぎの軌道に変わった一撃。
いや、杖ではない。
凄まじい鼻による鞭打。
届かないはずの距離が、伸びた鼻は彼我の距離をものともせずにガルグリムの身体を強打する。
吹き飛ばされる、獅子豹の人獣騎士。
覇獣騎士団最強の一騎が、地面に叩き付けられて跳ねるように宙に浮く。
そこへ駄目押しの追撃。再び鼻が伸び、粉々に砕かんと一撃を放つ。
「〝雷神電撃〟」
ガルグリムが発する、第二の能力。
短いタテガミが光を帯びて逆立った。同時に、光は全身を走る。
瞬間――
鞭になったゾウの鼻は虚しく空を裂き、ガルグリムの姿は霞と消えていた。
と、ガンパティの左腕に鈍い衝撃。
斬りつけられた後なのは、ガルグリムの爪撃が斬撃の軌跡を描いたからだった。
しかし絶後の硬皮は、致命傷にも至らないどころか、擦り傷にさえなっていなかった。
距離を取る両者。
「速度を高める――いや、運動能力を上げる獣能か……。ふん、大して珍しくもない」
血流なのか神経網なのか。僅かな発光がガルグリムの身体を網目状に広がっている。
「違うな。運動能力は元々のものだ。〝雷神電撃〟の異能はこうだ」
ガンパティが被撃した左腕。
ガルグリムが指を鳴らすと同時に、凄まじい光が弾ける。
人象騎士の巨体が、思わず振るえを起こすほど。まるで雷撃をその身に受けたようだった。
「これは……?」
左腕の光った箇所が焦げたように黒ずみ、みるみる膨張をしていく。水ぶくれを起こした患部にも似ていたが、悪化の速度が尋常ではない。膨張は有り得ぬ大きさにまで達し――
パンッ
血飛沫をあげて左腕の肉を吹き飛ばした。
大きくはない。それほどの傷ではなかったが、受けた箇所の周囲までまだ黒ずんでいる。
驚きに目を見開いたサッファーフ=ガンパティは、左腕を動かしてみようとするが反応が鈍かった。動かせぬほどではなかったが、人間で言えば痺れているかのような違和感がある。
「〝雷神電撃〟を発動したガルグリムは、全身の体毛に雷の猛毒が宿る。触れるもの、ありとあらゆるものを、今のように破壊する」
言いつつ、神経網の形に発光していた獅子豹の全身から、光が消えていった。逆立ったタテガミも、元に戻る。
「貴様が大き過ぎるので、毒が巡らなんだようだがな。他であれば、今のだけで全身が光って破裂していただろう」
「成る程。凄まじい威力だが、どうやら持続は出来ぬようだな」
さすがは歴戦の大将軍。サッファーフの推察は正しかった。
〝雷神電撃〟は強力すぎるが故、発動時間は一分が限度。
しかもクラウスはガンパティが巨体だから毒が巡らなかったと言ったが、実はそうではない。確かに毒には致死量があり、キングコブラはゾウをも倒すと言われているが、現実的にはゾウの巨体にコブラであってもその毒量では足らない事が知られている。しかしガルグリムの放つ神経毒の威力は、その比ではなかった。
実際、先ほど他の紫象騎士団たちには、ガルグリムのタテガミが突き刺さって即死していたのだから、どれほど強力な神経毒であるかは明白だろう。では何故、腕だけなのか?
これは単純に、ガンパティは毒の耐性が高いというのもあったが、実は二つ目の異能にこそ、その答えがあった。
〝風精衣霊〟。
それにはある種の浄化作用もあり、全身に浴びる事で、体内を巡る毒が流されてしまっているのであった。
クラウスも歴戦の強者。敵が己の異能の制限時間に気付いたように、彼もまた、無毒化された仕組み、その正体に気付いている。
何より毒への浄化もあるが、そもそも近接攻撃が風の防壁で阻まれてしまう。一度は当てられたが、二度目はおそらく無理だろう。
――奴の獣能さえ、何とか出来れば……。
そんな都合のいい手があるかどうか。
――獣能がなければ倒せるか、総騎士長よ。
突然、クラウスの思考に割って入る男の声。
思わず視線を背後に飛ばし、かなり離れたその先に立つ、ローブを纏った人獣の姿を確認した。
――大術士長……! ホーラー殿……!
巨大な水晶を嵌めた杖を持ち、全身には天衣と呼ばれる鎧獣術士固有のローブ状の装備。
人獣の魔法使いさながらの姿。ならばあの術士は、大魔法使いと呼ぶべきか。
〝覇導獣〟レンアームならば。
――全軍への術は?
――それなら心配はいらん。今は他のが肩代わりしてくれとるし、私もこうしながら、実は術を継続しとる。それより先の質問だ。私があのゾウの獣能を使えなくすれば、倒せるのだな。
――そんな事が、可能なのですか?
思念の会話を続けながら、クラウスはガンパティと戦闘を続けていた。
隙は見せないし、後ろのホーラー=レンアームを、敵に勘付かせるわけにはいかないからだ。
――覇を導く獣。だから〝覇導獣〟だ。
クラウスが僅かに身震いを覚えた。
これほど――。
これほどとは――!
――ならばいくぞ、総司令官よ!
言うや否や、レンアームの杖にある水晶を、透明のものから腰に吊るした黒色のものに付け替える。
ホーラーは鎧獣術士の特殊な視覚の中、術の一つを選択。杖を大地に突き立て、舞踊のような動きを見せた。踊りと共に、腕から光が駆け巡り、獅子の喉へと達する。
ここでガンパティは、後ろで妙な動きを見せるレンアームの姿に気付いた。何をしているのかまるで分からぬものの、戦場には似つかわしくない動きに、戦士の勘が働く。
放置してはいけぬものだと。
「〝死食水王〟!」
ガンパティの鼻が膨れ上がり、強烈な熱波が吹き荒れた。
風速は台風にも等しい。とてもガルグリムでは庇いきれない。
――いかん! この直撃を喰らっては。
レンアームはあくまで鎧獣術士。術の能力は凄まじくとも、鎧獣騎士のような身体性はなかった。
防御など間に合わない。
その目の前に。
巨大な影が躍り出る。
「イングリット!」
クラウスの副官、壱号獣隊の次席官が、ヨーロッパ・ホラアナライオン〝スクルド〟の巨体をレンアームの前に立たせ、熱波を全身に浴びた。
うだるように全身から湯気あげるイングリット=スクルド。やがて蒸気は白煙と混じり合う。
――すまん! ピャスト家の娘よ!
ホーラーからの激しい礼は、答えるより先に放たれた術の偉容に遮られてしまう。
レンアームの口から光が飛び出し、それは黒い水晶を通って黒々とした六体のライオンとなった。
半透明な黒色の獅子に、ホーラーが命じる。
――黒の極大獣理術〝絶対強制終了〟。
黒色のライオン達が、鎧獣騎士もかくやといわん速度でガンパティを取り囲んだ。その位置は六芒星の陣。
「何だ? これは?」
ガンパティにも視認出来るほど実体化した擬獣。
直後、六体は霧のような粒となり、十重二十重にアフリカゾウを包み込む。
「おのれっ」
煩わしげに長い鼻から息を噴き出すガンパティ。
だが、息はただの息。熱波ではない。
「なっ……?! 〝死食水王〟!」
号令を発するも、しかし熱波は放たれない。ならばとばかりに第二の力、風と水の衣を放とうとするも、それも出て来なかった。
「これは……これの黒い靄の仕業か?!」
――さあ今だ、総司令。五代ドレが原種を生み出し、イーヴォが育て、このホーラーが授器を作りし騎獣の力! 今こそ見せつける時ぞ!
アダム・ドレ、イーヴォ・フォッケンシュタイナー、ホーラー・ブクという稀代の三博士の手による覇獣。
覇雷獣ガルグリム。
その一撃が神罰と化して落雷する。
「〝雷神電撃〟」
逆立つタテガミ。光る全身。
雷光はかつてない輝きを見せ、戸惑う闘神の直上から全身で叩き付けられる。
戦場に、再度輝く稲妻の光。
発光が止むと、そこには全身を黒々と膨れ上がらせた、巨大な肉塊が残されていた。
直後――
人象騎士だった肉塊は、内部から押し上げられるように、血と肉片を一帯に飛び散らせる。
どしゃどしゃと降り注ぎ、辺りは血の泥濘と化した。当然、中のサッファーフ大将軍も生きてはいない。
何とか勝利を拾えたクラウス=ガルグリム。
だが微塵もその余韻に浸りはせず、敵将の死を確かめるとすぐに、彼は後ろで座り込む副官のもとへと走った。
「大事ないか、イングリット」
ヨーロッパ・ホラアナライオンの鎧獣と小柄な短髪の女性は、血の気の引いた顔で座り込んでいる。先ほどの熱波が強制解除になった直接の原因だろうが、何度もガルグリムの雷撃から味方を庇っていた事も、蓄積された要因だろう。
「大丈夫です、クラウス様……。それより、どうですか?」
「何がだ?」
彼女の愛らしい顔も、幾分かやつれたようで、見ていて痛ましい。それでも、騎士団での男性人気の一、二を争う彼女なだけに、可憐さはむしろ増しているように思えた。
「私です。見直しましたか?」
「ああ、勿論だとも。よくやった」
「本当ですか? では、惚れ直しました?」
「は? 何を言っている?」
「見直してくれましたよね? でしたら惚れ直してくれたのと同じではないですか? 閣下、戦争が終わったら私との婚約を――むぎゅっ」
台詞の途中で無理矢理頭を押さえつけ、クラウスは立ち上がる。
残念な声で抗議をあげる愛くるしい副官を無視し、クラウスはホーラーの方にも礼を言った。
「ホーラー閣下。貴方とその覇導獣のおかげです」
レンアームが放った〝絶対強制終了〟とは、本来、強制解除をかけるものだが、この時の術では出力をかなり抑え、獣能を出せないようにするだけでとどめたのだ。でなければ、レンアームもしばらくは動けなくなっていただろう。
「礼は後で良い。それより今は戦よ。どうやらあちこちで決着がついたようだしの」
レオポンとリリガー、二騎の混合種ライオンが、戦場へと視線を向けた。
つい今しがた、紅犀騎士団の破将が討たれたと聞こえた。
そして連合右翼のレオポルト王も、勝敗が決したようだったが、それは果たして――
アンカラ帝国・紫象騎士団大将軍サッファーフ・ハイレディン
アフリカゾウの鎧獣ガンパティ
――死亡
メルヴィグ連合王国・覇獣騎士団・壱号獣隊・次席官
イングリット・ピャスト
ヨーロッパ・ホラアナライオンの鎧獣スクルド
――戦闘不能のため戦線離脱