第二部 第五章 第五話(3)『神聖告知』
〈第二次クルテェトニク会戦――五戦図(3)――〉
「絶恐唱撃!」
大気と大地が震えて裂ける――
それが誇張でないほどの超轟音の咆哮が、古代巨大ライオンの鎧獣騎士レクス・エクス・ベスティアⅡ世から放たれた。音の圧力と皮膚さえも引き剥がされかねない震動で、肉迫していたゾウの人獣騎士たちはその場で巨体を戦慄かせながら硬直する。
いや、中には仰け反るように倒れる者や、泡を吹いて崩れる者さえいるほど。
味方の弐号獣隊すら、両耳を固く塞ぎ、音の周囲から離れてその場に蹲っている。
R.E.B.Ⅱの第二獣能〝絶恐唱撃〟とは、第一の強化版である。
破壊的なまでの超低音の音響を放つのが第一であり、肺と喉の発声の部位に更なる異常強化を施したのがこの第二の力。
音の圧力だけで、大小関係なくあらゆる敵を気絶昏倒せしめ、場合によっては一撃で葬る事さえある強大な異能。
リッキーのジャックロックと同じく指向性はあるので直接的な効果範囲は限定されている。しかしそれでも音圧が尋常でないため、周囲すべて敵味方関係なく被害を受けるので、混戦で使う事はほとんどない。今のようにインドゾウの人獣騎士が集団でかたまっている状況だから放ったのだが、同時に今使わねば、麾下の弐号獣隊は蹂躙されていたかもしれなかった。
泡を吹きつつ倒れ、強制鎧化解除になっているゾウさえいる。だがそれでも、全てを遮る事は不可能だった。倒れた者の中には、覚束ない足取りながらも、既に体を起こそうとしている人獣さえも見受けられた。
大咆哮を終息させ、厳しい顔で敵軍を睨むジルヴェスター=R.E.B.Ⅱ。進撃を食い止めるのが精一杯だったのにそれを押し返し、それどころか一撃で幾体もの鎧獣騎士を撃退したにも関わらず、そこに喜びの色は欠片もなかった。
横に立った副官であり娘婿でもあるリッキーも、いつにない張り詰めた佇まいである。
「主席官」
「うむ」
二人は分かっていた。
次の総突撃があれば、弐号獣隊はもう保たない事を。R.E.B.Ⅱの第二獣能は逆転の一手ではなく、窮余の足掻きだった事を。
本人達が何よりも、その事を理解していた。
同じ頃、連合左翼の肆号獣隊も、敵勢の前に綻びが目に見えて明らかになりつつあった。
既に主席官のギルベルトはクヴァシルを復活させ、陣頭に立ち戦っている。当然、次席官のユキヒメもである。しかし今や相手にしているのは、コモドオオトカゲの人獣ではない。
敵するは、紅犀騎士団の第二部隊。
いかにクヴァシルや真達羅が強力と言っても、それは彼らのみに限った話。個々の隊員達ではサイの人獣騎士を相手にするにはやはり困難で、かろうじて踏ん張っているのにも限界が見えはじめたというところか。しかも連戦に次ぐ連戦で、疲労や消耗も極限に達している。
「せめてみぃんな元気になってくれたら、もうちょっと持ち堪えられるんだけどねぇ」
などとギルベルトがボヤこうとも、体力はともかく肉体の損耗までもすぐには元に戻るわけがない。それに、カラトラバの三姫騎士が提供してくれた極上薬箋とて、もうそのほとんどを使い切っているのが現状だ。体力すら回復の見込みは薄いと言わざるを得なかった。
これら右翼、左翼の状況を常に把握していた連合軍軍師カイは、ここで大きな賭けに出る。
漆号獣隊の指揮を次席官のバルタザールに一旦預け、彼は後方にいる〝彼〟にあるお願いをした。
〝彼〟は若干の躊躇いを見せながらも、カイの指示に従う。
――今で良いのだな?
一言、それだけを確認したうえで。
彼――ホーラー・ブクは全鎧獣術士に向けて意思感応による通信を行った。
――覇賢術士団よ、今よりレンアームの〝白の水晶〟を使う。全術士は伝環路の維持と同期術式を展開しろ。
これに真っ先に反応したのは、右翼最後方にいる弟子のレレケであった。
――ホーラー師、もう極大獣理術を使うのですか?
――カイ殿の命だ。時間がない。今より術式組み立てに入るぞ。
予定より早いのではないか。そうレレケが案じたからこその疑問だったが、軍師の判断ならば信じるしかない。
ホーラーと彼のレンアームが一手に担ってきた全軍の思念共有を一時的に他の覇賢術士団に預け、ホーラーは術を開始した。
まずはレンアームの環重空間から術を選択。
同時に、手に持つ杖の上部にある水晶に似た球体を外し、代わりに腰に吊るされた四つの球体の一つと交換をする。
白亜に輝くそれは白水晶に酷似した完全な球形。
杖に嵌められると、水晶奥にいくつもの光がはじけ、煌めき、チカチカと明滅を繰り返しだした。
ホーラー=レンアームは白水晶の杖を高々と掲げて、次にゆっくりと舞いのような動きをはじめる。鎧獣術士の術、獣理術発動時に行う環舞陣法という動きだ。幻想的な話に置き換えれば、魔法における呪文詠唱にあたるものだと思えばいい。
舞いは徐々に速さを増し、やがて大きく息を吸い込む動作で、目を閉じながら停止をする。
瞼の奥。
閉じられた暗闇の視界の中、クルテェトニク平野全域に張り巡らされた全ての感知網を余すところなく捕捉。息絶えた者を除く連合全ての鎧獣騎士が今、ホーラー=レンアームと〝繋がった〟。
――白の極大獣理術〝神聖告知〟
杖の白水晶に向かい、獅子の口から光が放たれた。
光は水晶をレンズのようにして通り、巨大な――とてつもなく巨大なライオンとライガーの混合種リリガーとなってレンアームの前に悠然とそそり立つ。
巨大な光の獅子が全身を露にした直後、レンアームは杖を前方に振りかざした。同時に、光の獅子は無数の粒子になってパっと姿を消したが、これは目に見えないだけで、張り巡らされた感知網を伝い、数限りない透明の獅子が駆けていったのである。
中央にも、左翼にも、右翼にも。
戦場にいるありとあらゆる味方の鎧獣騎士の元へ、何百という数の透明の獅子たちが超常の速度で向かったのだ。
右翼、左翼。
みな限界が迫った連合の騎士たち。
そこへいきなり、妙な異変が起こった。
僅かな時間差こそあれ、ほとんど同時に彼ら全員の身に生じた異変。
いや――奇跡。
身に纏う鎧獣の限界が中の人間の心身をも崩折れさせようとしていた矢先の事。彼らの身の内から、見た事のない光の粒が放出されはじめたのだ。
それは目を凝らせば分かる程度のほんのりとした粒子の発光。獣能を出す時にうっすらと表れる白煙よりも微かな幽けき輝き。普通であれば本人達ですら気付かなかったかもしれないほどの、ごく些細なものだったが、その身に漲る力が驚異の技を視認させていた。
「な……何だ、これは……!」
誰ともなしに呟く。
指揮官も平騎士も関係ない。連合軍全騎士に、噴き上がるような精気の充足と、生力の迸りが内から沸き上がってくる。極上薬箋を服用した時とて、ここまでの回復はない。
それだけではなかった。
轟々と満たされるとめどない活力に比例するように、傷付いた鎧獣の肉体すらもかなりの早さで回復しつつあったのだ。しかも、同じく憔悴していた中の騎士たちにすら、体力が戻りつつあった。
今や連合軍の全ての騎士は、開戦当初と何ら変わらない――いや、それ以上の英気に満ち満ちていた。
「一体……これは?」
左翼でユキヒメがギルベルトに訊くも、彼とて肩をすくめた返答である。
「主席官……! こいつぁ……」
「うむ……力が、戻っておるなッ」
中央の陣ではジルヴェスターとリッキーが驚愕していた。
右翼のイェルクも、先ほどバロールから受けた傷がみるみる治りつつあるのを感じ、驚きに次いで悦びと闘志にほくそ笑んでいた。
そこへ、連合全部隊に向けての思念通話。
――連合の皆さん、カイ・アレクサンドルです。今、皆さんにはホーラー師の術により体力と肉体の全回復を行ってもらいました。
連合軍がざわついたのも無理がない。
体力? 肉体? 全回復?
思念で会話出来るだけでも魔法じみているのに、全軍の治癒と回復をしただなんて――。
もうそれは、神の起こした奇跡としか言い様がなかった。
――それは魔術でもなければ奇跡でもありません。人が、ホーラー師が研鑽と研究の果てに編み出した大いなる術理。紛れもなく、人が為さしめた人による術です。
カイの言葉の意味するところはただの説明ではない。
それに気付いた左翼のギルベルトは、感嘆と共に彼の見識の深さと軍師としての指揮に呆れるような溜め息さえ漏らしたのだった。
「全く……カイ殿下は大したもんだねぇ。本当にこの戦、勝っちゃうかもよ」
「また戯けた事を言う。我々とて勝つ為に戦いに臨んでいるのであろうが」
「そうじゃないよユキヒメちゃん。僕たちは勝つつもりで――勝とうと誓って戦っている。でもね、カイ殿下は勝つつもりなんて不確かな覚悟じゃない。確実に勝てる道筋がはっきりと見えているんだ。あの、アンカラの最強騎士団相手にだよ」
「……」
「正直僕ぁね、大博打のつもりで戦ってるんだろうな、と思ってたよ。万に一つの望みに賭けて、ってヤツさ。でもどうやらそれは、見当違いも甚だしかったようだ」
カイの言葉に、ユキヒメも首肯した。
――我々も、そして我々の前にいる敵も同じです。どれだけ優れていようが強大だろうが、それは人の為さしめたもの。自分達と同じ人なのです。ですからどうか皆さん、今一度耐え抜いて下さい。ここが……今この時こそが正念場なのです。
全身に漲る力に後押しされて、連合の内より熱気が膨らんでいった。
そうだ。こんなに凄い力の加護を受け、我が国のみならず他国も含めた強者までも集結しているんだ。何を怖れる事があろうか――と。
言い終えたカイに、思念通話でレオポルトから声がかかる。その言葉にカイは頷き、ホーラーにレオポルトの声を全軍に届けて欲しいと伝えた。
カイにとって、まさに今この瞬間こそ、王の一言が欲しかったのだ。何も言わずとも、レオポルトはそれが分かっていたらしい。
――皆よ、レオポルトだ。
カイに続いた連合王国国王の声に、連合全騎士の心中に更なる熱いものが生まれた。
――我々にはクリスティオ殿や恐炎公子、覇雷獣に覇導獣のホーラー師やカイ軍師、私、そして百獣王がいる。
一旦ここで、レオポルトは言葉を区切った。
彼は思念通信をしつつも今まさに、戦っている最中だったからだ。
――だが、強者がいるから我々が強いのではない。皆一人一人が、我が大連合軍の誇る勇者だから強いのだ。誰かが欠けてもいけない。誰かが挫けても駄目だ。皆が皆、私が心より信を置いた勇者だからこそ、我々はあのアンカラを相手に負けていないのだ。皆よ、今こそ思い出せ! 戦の前に私の言った言葉を。
怯むな! 躊躇うな! 顧みるな! お前達の命は、私と我が〝覇王獣〟と共にある!
全騎士の脳裏に、鮮やかに浮かび上がる。
――今がまさにその時だ。皆、私を信じろ。カイを信じろ。私とカイも、皆を信じる!
その瞬間、大連合軍の纏っていた闘気が誰の目にも明らかに変わった。
圧され、今にも決壊しそうだった連合の騎士達に、炯々と灯った覇気。
あまりに急激な変化なうえ、アンカラ側からすれば何が起こっているのかまるで分からない事態だった。それゆえ、一時的ではあったが、アンカラ軍は押し戻される形で陣を僅かに後退させる。
カイやレオポルトの演説が後押しになったのは言うまでもないが、何よりそれを実現たらしめたのは、ホーラーと覇導獣レンアームの驚嘆すべき術によってであった。
そしてホーラーもまた、これを境に次の行動へと移っていく事となる。