第二部 第五章 第五話(1)『極大決戦』
〈第二次クルテェトニク会戦――五戦図(1)――〉
その瞬間、戦場からほんの一瞬だけ、音が消えた。
敵味方問わず、二騎の周囲から鎧獣騎士がひどく距離をおいたのは、巻き込まれないためという実際問題もあるが、それ以上に皆がこの戦いを注目していたからであろう。
百獣王 対 獣帝
三獣王同士の対決。
歴史を紐解くと数えるほどではあったが、最強を謳う三獣王同士が争った例は今までもあった。
しかしこの一騎討ちが過去のどれとも異なっているのは、剣を交える三獣王が百獣王と獣帝であるというその一点だ。
百獣王は六代も続く三獣王。三獣王の歴史とは百獣王の歴史であり、六代続いて未だ不敗。まさに生ける伝説そのもの。
片や獣帝は史上最大最強の古代絶滅種・帝王巨象の鎧獣であり、駆り手はユムン地方の歴史上おそらく最強の騎士であるジャラール大帝。
百獣王の敗北など誰も想像がつかないし、マンモスの獣帝が負けて屈する姿も考えられるものではない。どれほど目の肥えた戦経験のある者であっても、此の度の勝敗ばかりは予測もつかなかったであろう。
曇天を衝かんばかりに聳え立つ、帝王巨象の巨大過ぎる姿。
その全高は何と三九・五フィート(約十二メートル)にもなる。
百獣王ヴィングトールとて、十六・四フィート(約五メートル)というバーバリーライオンの鎧獣騎士にしては規格外の巨体であるが、ドゥルガを前にすれば半分にも満たない。
ましてや横幅体積含めての存在感は、この会戦下においても圧倒的。
対峙する彼我を比較すれば、百獣王ですら大人に対する嬰児に見える。
しかし体格差が何であれ、ジャラール大帝の心はかつてないほど弾んでいた。
ドゥルガを得て以来、彼が実力の全てを出せた相手など、誰一人としてなかったからだ。だが、百獣王カイゼルン=ヴィングトールなら、それが叶うかもしれない。
先ほど紫象騎士団を相手に見せた戦い振りを目にして、その期待はいやが上にも高まっていた。
大木の幹のようなマンモスの腕が持つ、飾り気の多い巨杖を突き立て、ジャラール=ドゥルガが言った。
「この日をどれだけ待ちわびたか。どちらがより三獣王に相応しいかどうか――いや、この世における最強の鎧獣騎士がどちらか。今こそはっきりさせる時だな」
肚に響くような太く威圧的な声。
征服帝と呼ばれるに相応しい男のものだと言えた。
「そぉんなご大層なモンかねえ、たかが三獣王なんて名前。称号だの栄誉だのに拘る気持ち、オレ様には分かんねぇなぁ」
カイゼルンはといえば、相も変わらぬいつもの調子である。しかし続けた言葉は、いつにない別の響きが混じっていた。
「ま、それは分かんねえけど、オレ様に勝つ事は出来ねえって事だけは分かるぜ。――アンタじゃあな」
「その言葉、期待させて貰うぞ」
「期待はずれかもしんねえぜ。あっという間にアンタがやられちゃあな。だろう?」
挑発に激した訳ではなかった。
単に待ちきれなくなっただけであろうが、ドゥルガの方からいきなり先制の一撃が放たれる。
ドゥルガの巨杖――その名をトゥルダクという――が目にも止まらぬ速度で旋回する。カイゼルン=ヴィングトールは、しかしこれを僅かな挙動で躱し、即座に夥しい数の剣を放りつけた。
ドゥルガの先制は大振りだったため、反撃に対し防御も躱すも間に合わないかと思われたが、山のような巨体からは想像もつかない上体の動きでいくつかを躱し、腰から下への剣は遠心力を利用した巨杖トゥルダクの旋回で全てはたき落とす。
しかしいつの間にか、ヴィングトールは既に目の前に来ている。
先ほど紫象騎士団を相手に見せた跳躍で、ゼロ距離からの獣能――創大――を放とうというのか。
「ぬかせ!」
帝王巨象が、鞭というより巨大蛇のような鼻で牽制。一本目の剣を出した直後、それを遥か彼方に吹き飛ばし、そのまま黄金獅子に襲いかかる。
牽制と言っても長い鼻の攻撃は、触れれば肉を抉られ骨も砕ける威力。何せゾウの鼻は、四万個余りの筋細胞で出来た筋肉の塊なのだ。マンモスの鎧獣騎士ならばそれだけで城一個破壊してしまう威力を秘めている。
対するヴィングトールはこれを躱そうとするのかと思いきや、何と片腕で長鼻の鞭を弾いたのである。
大型猫科猛獣の代表格と言えばライオンと虎。
虎は後ろ足が強く、飛びかかる動きや跳躍力ではライオンに勝る。一方でライオンは後肢よりも前足の筋肉の方が発達しており、正面からの応酬なら虎を圧倒すると言われていた。
その強靭な前足で形作られた両腕である。
一度たりとも弾き返された事のない鼻の鞭打が、容易く払われた。
しかしそんな事でジャラールは動揺しない。弾かれると同時に、凶々しく魔王の角のように湾曲した二本の長大な牙を左右に振り、黄金獅子に獣能を出させない。どころか、牙の威力は鼻の比ではなかった。鼻のように弾こうとするなら、上半身ごと持っていかれるだろう。
ここでヴィングトールは、この戦場ではじめて黄金の大剣を抜き放った。
ゴィィィン――
牙と刃がぶつかりあう。
大寺院の鐘楼のような、震動を伴った金属音。
ドゥルガは衝撃で上半身を仰け反らせ、ヴィングトールも後方に鞠のような恰好で吹き飛ぶも、猫科のしなやかさで着地。
両騎がほんの少し距離を置いた事で、一瞬の静寂がおきた。
その瞬間――
被撃範囲にならないよう距離をとっていたアフリカゾウの騎士が一体、上半身を失った形で仰向けに倒れた。一方でメルヴィグ側も、壱号獣隊のライオン騎士が、鳩尾に深々と剣が刺さった恰好で絶命していた。
「な……!」
両軍ともに蒼然となる。ならざるを得ない。
ドゥルガの巨杖による最初の一撃は、味方の騎士にまで届いていたというのか。余波を被らないよう、距離を取っていたはずなのに――。
そして壱号獣隊の倒れた一騎に刺さった剣は、ドゥルガの鼻で弾かれたヴィングトールが創り出した剣であった。
互いに降り掛かったのは、火の粉どころではない。
とばっちりというにはあまりに暴虐すぎる争闘の余波。
これが三獣王同士の戦い――。
まさに、生きた災厄そのものであった。
「いい動きだ。それに噂に違わぬ素晴らしい鎧獣であるな」
巨象から放たれた声は、武闘者の喜びに満ちている。
「ったく……。デカブツすぎんだよ。てめえの部下をてめえで殺してりゃ世話ねえっての」
「余にとっては余こそがアンカラ軍。それ以外は皆弱者よ。弱者故、余の手にかかるは誰であれ、名誉だと思うがいい」
「ハッ、アホか」
苦々しい表情を作る黄金獅子。
こういう手合いはタチが悪いと駆り手のカイゼルンは知っている。
いわゆる戦闘狂。戦バカ。闘いでしか生を実感出来ない類いの人種だ。
そしてもう一つ。こういう人間こそ、最もなってはいけないのだ。
人の上に立つ立場には。
「次は余も本気でいかせてもらうぞ」
ジャラールの放った一言に、顔を蒼醒めて戦慄したのは、味方のサッファーフ大将軍であった。
彼は知っていた。ジャラール帝の本気。ドゥルガが真に実力を出すという言葉の意味を。
「離れろ! 紫象騎士団! 巻き添えで全滅したくなければ離れろ! 急げ!」
今まで見せた事のない大将軍の焦った姿に、アンカラ軍は騒然とし、慌ててドゥルガから更に離れていった。メルヴィグ軍との戦闘の最中にも関わらず、この狼狽えよう。危険だと判断したクラウスも、壱号獣隊に距離を取るよう命じる。
「大帝が……陛下が神になられる……! 黒き破壊神に……!」
サッファーフは意識せず、その一言を呟いた。聞こえていたクラウスにはその意味が判らなかったが、この〝闘神〟をして、ここまで戦かせるその意味を、彼は明確に感じ取っていた。
「〝破壊神〟」
ジャラール=ドゥルガの放つ、帝王の異能。
胸を仰け反らせ、天を仰ぎ見るように鼻を掲げる。
同時に、アフリカゾウに比べて半分にも満たない小振りな耳の前、人間でいうこめかみの部分から、黒いタール状の液体が噴き出した。
漆黒の液状は動脈のように迸り、辺りに巻き散らされるだけでなく巨象の全身を黒々と濡らしていく。巨体が黒くなるにつれ、巨大人象の目は血走り、全身が膨張、ただでさえ巨大な身体がおそるべき肉体変化を遂げていった。
こめかみから噴き出したこのドロドロの液状は、マストというもの。
雄のゾウが周期的に出す液体で、このマストが流れ出る時期をマスト期と言った。これが吹き出ると雄ゾウの男性ホルモンが大量に分泌され、ゾウの攻撃性や凶暴性が増し、非常に危険な興奮状態になる。
ドゥルガのそれも男性ホルモンを超過剰分泌させるのだが、その結果肉体にまで変化がおきる。全身の運動機能や筋肉を著しく向上、ありとあらゆる肉体能力が倍加され、さながら破壊を司る魔神の如き容貌に変えさせてしまうのだ。
最前までのどっしりした体型では既にない。
巨大な筋肉の塊。
ゾウやマンモスの特長でもある長い鼻すら、筋肉質に隆起している。
その異形、まさに〝破壊神〟――
破壊の黒き神に変じたドゥルガが、空気をひび割れさせそうな咆哮をあげ、巨杖トゥルダクを一閃。
雷撃かと見紛う迫力に、それ以上の破壊力。カイゼルン=ヴィングトールはこれを見切るが、空を斬って地を撃った杖は、全くの文字通り――遥か広がる地平を割った。
硬い平原の地盤を易々と砕き壊し、周囲に破裂の余波を巻き散らす猛威。
敵も味方も関係ない。破壊神の暴虐はあらゆるものに累を及ぼしかねないほどの凄まじさだった。
これを作り出したアベティスⅧ世はこう考えたという。
ドゥルガは基礎能力が既に規格外。べらぼうに高い。ならば下手な異能を施すより、いっそ単純に生物の基本的な性能を有り得ぬほどに底上げすれば、とんでもない怪物になるのではないか? ――と。
果たして制作者の思惑は最高の駆り手を得る事で実現し、ここに最大最強の破壊力を持つ怪物が、その真の姿を見せたのだった。
味方でさえ怖気をふるう威圧感に呑まれながらも、アンカラ側は沸き立った。
これぞ大帝!
これぞ獣帝!
我らが皇帝に敵なし!
反対にメルヴィグ側はあまりの異形と威圧による恐怖で、足に竦みを覚えてしまう。
こんなもの、一体どうやって戦えというのか……。百獣王でも勝てるのか……と。
「……う〜ん。こりゃあ、ちいとばっか面倒だなぁ」
味方の怯えを感じ取ったわけではないが、カイゼルンが小さく独りごちる。
「こうくると、さすがに差がありすぎるわな。……全く、このオレ様にここまでさせるなんてよ」
言葉とは裏腹に、まるで何の緊張もなくカイゼルン=ヴィングトールは手にした黄金剣を大地に突き立てた。
まるで人間の騎士に似た待ちの姿勢のように。
静かに目を閉じ、気負いなく両目を開く。
「〝極大――臨界〟」
発したのは、誰も見た事のない百獣王の第二獣能。
黄金の肉体から、じわりじわりと白い靄が漏れ出てくる。それは瞬く間に白い蒸気となり、やがて爆大な量の白い煙柱となってヴィングトールの全身を包んだ。
「むっ?!」
ドゥルガの中、ジャラールもこの変化に眉をひそめた。
アンカラ軍もメルヴィグ軍も、いや、右翼や左翼、戦場にいるあらゆる騎士、戦士、術士たちがこの異様な光景に目を奪われた。
やがて煙柱がゆっくりと晴れ、中からまず、腕が出てくる。
戦場にいるありとあらゆる人々が、その目を疑った。
次に足。
理解不能の疑念は確信になる。
しかしそれでも、思考が追い付かない。
白煙が全て消えたそこには、四四フィート(約十三・五メートル)はありそうな巨大な姿が立っていた。
黄金の巨大人獣。
手に持った大剣が、まるで短剣のような小ささだ。
「な……」
目にした者全員、発すべき語彙を喪失した。
そこにいるのは、二倍以上に巨大になった、ヴィングトールだったからだ。
「〝創大――終剣〟」
武具を創り出す獣能、創大の最終形にして完成形。
短剣のように小さかった黄金剣が、握った柄の部分からどんどん大きさを重ねていき、やがて巨大化した姿に見合った巨体以上の超々大剣へと見た目を変えてしまう。
「ウッフッフッフ……何という事だ、これは!」
不気味な声をあげて、ジャラールが笑う。
「どこまで余を楽しませてくれるか、百獣王よ! 余は今、乙女のように心躍っているぞ!」
「ゴツいオッサンがキモチワリぃ事言うなよ」
巨大化したヴィングトールが、神話じみた姿で言い放つ。
ヴィングトールの獣能〝創大〟は、細胞を自在に操り武装を産み出す力。
そして第二獣能もまた細胞を操る力。
細胞そのものを巨大化、分化させる事で、自らを巨大な姿に変える異能。
それが第二獣能〝極大〟。
〝極大・臨界〟は、それの最大出力状態の事。
二騎の三獣王は、今や体格も同等。
果たして勝利の天秤はどちらに傾くのか。
会戦の気運は、最高潮に達しつつあった。