第二部 第五章 第四話(終)『闘神』
〈第二次クルテェトニク会戦――四戦図(終)――〉
地上最強最大の生物種アフリカゾウの戦士たちの目の前に姿を見せた、黄金の獅子王。
金のタテガミ。金の鎧。黄金に輝く大剣。
この世で最初に三獣王の号を贈られ、以後一三〇年以上、三獣王であり続ける唯一無二の騎士。
それが〝百獣王〟ヴィングトールである。
味方とはいえ、壱号獣隊や覇獣騎士団総騎士長クラウスでさえ、その威圧感には息を呑む。無論、敵する紫象騎士団達は当然の事。
ゴキリ。
黄金の獅子王は、片腕で首を鳴らし、むしろ気怠げに後ろの壱号獣隊たちに視線を送った。
「おいヒヨっ子ども、ゾウさん達を相手にし辛えってんなら、今からオレ様がちょっと手助けをしてやる。それを手本にやってみな」
メルヴィグ最強部隊、壱号獣隊が三騎以上でやっと一騎しか倒せない紫象騎士団を相手にどうするつもりなのか。
紫象騎士団の側とて、百獣王の名は知っていてもその存在がどれほどのものか、実感している者など誰もいない。
何を猪口才なと言わんばかりに、アフリカゾウ達が殺到しようとする。半年ほど前、〝神豹騎〟に手も足も出なかった事を忘れたわけではなかったろうが――。
ヴィングトールが片腕を真横にかざした。
「まさか……!」
その動きに瞠目したのは唯一人、動きの意味を知るクラウスだけだった。
カイゼルン自身は、気負いもなく告げるだけ。
「〝創大〟」
号令と共に、カイゼンルン=ヴィングトールがかざした腕を横に薙いでみせる。同時に、幾本もの剣、槍、斧、矛といった無数の武器が獅子王の目の前に刺さって並んでいた。
横一列に突き刺さる十本以上もの武装。
どれもが淡い金色をしているが、見た目はのっぺりとして飾り気もない。
ヴィングトールはその一本を無造作に掴み――閃光の速さで投げつけた。
矢よりも速い迅雷の如き剣は、浅くはあるもののゾウ騎士の体表に突き刺さる。襲いかからんとしていたゾウは勢いを削がれ、たたらを踏みながら半身を仰け反らした。
その瞬間――
既に目の前には、黄金の獅子騎士。
「〝創大〟」
片腕を振るうと、再び十本を超える様々な剣が最大級の人象騎士の全身に刺さっていた。
土埃をあげ、どうっと地面に倒れる巨体。
ゾウ騎士を踏みつける恰好で剣の一本を抜くと、それを壱号獣隊の足元に放りつけ、地面に突き刺す。
「見ての通りだ。オレ様が〝創った〟武器なら、でけえゾウさん達だって斬れるし突ける。ナマクラになったらまた〝創って〟やっから、さっさとおめえらもそいつで退治しちまいな」
言うや否や、ヴィングトールが再度の跳躍を見せた。黄金の体毛が残光の尾をひくたび、次々に人象の巨体が倒れていく。
壱号獣隊の一騎が、地に突き立った剣を引き抜き、しばし呆然となる。
「それは百獣王ヴィングトールの獣能〝創大〟によって創り出された剣だ」
目の前に獅子豹の鎧獣騎士総騎士長クラウスが近付いて言う。
「獣能……? 武器を産み出す獣能ですか?」
意味が判らないと言わんばかりに、別の騎士が上擦った声で聞いた。当然だろう。体機能を特異化させたり発達させるのなら分かるが、武器を産み出せるなど、まるで理屈が分からない。
「俺も聞いた程度だが、ヴィングトールの獣能とは、細胞を自在に操るものらしい」
「細……胞……?」
「生物の身体を構成する、極小の単位だと思えばいい。ヴィングトールは己の細胞を自在に変化・変質させるどころか、無限に増殖させて己の身体から無数の武器を産み出せるという。その硬度や威力までも変えてな。――これは聞いた話だが、百獣王の百とは、ただの数字ではなく普くという意味でもあるらしい。つまり己の創りし武具を与え、普く人獣を率いる王、それが百獣王という名の真の意味という事だな」
次々に倒される味方の人象騎士を前にして、敵部隊の足並みは乱れた。しかしそんな中、紫象騎士団の一騎が何かを思いついたように、倒れた人象の死体から突き刺さった槍を一本引き抜いた。
――我々を倒す程の武器なら、貴様にも通じるのではないか? 敵の前に武器を残すなど、何と愚かな!
己の閃きが逆転の一手だと確信し、ヴィングトールの創り出した槍を、創造主に向かって投げつける。
ゾウの巨腕が繰り出した槍は、しかし黄金の獅子に当たる事なくけたたましい金属音ではじかれた。
カイゼルン=ヴィングトールを覆うように、巨大な盾。
絶句する人象騎士たち。
「何で武器が出せるんなら、盾や鎧も出せるって思わねえかな? さてはあれだな。お前らアホだな?」
今度は一ダースもの槍や矛が投げつけられ、また一騎、紫象騎士団の人象騎士が倒された。
槍を放った人象本人だ。
自分達に手も足も出させず、何より最大の拠り所であるアフリカゾウの絶対防御すら意に介さない黄金獅子の縦横無尽振り。仮にゾウ騎士達が数に頼ったとしても、黄金の獅子が無限に武器を創り出すのなら、数など無意味かもしれない。それほどまでに一方的な蹂躙をしていた。
僅か一騎で部隊が全滅するのか――
恐るべき予想を脳裏に描いた一騎が、思わず悲鳴を上げて後じさろうとする。
その頭上に――
象の、いや堅牢堅固な鎧獣騎士の頭蓋ごと砕く、巨大な何かが落ちてきた。
頭頂を潰したそれは、そのまま上半身ごと巨体を砕き、臆病に取り付かれたその一体を冥府に送りつけてしまう。
降り注いだのは、アカマツの幹ぐらいはありそうな巨大な杖。
背後に姿を見せた、頭ひとつ分大きなアフリカゾウの人獣騎士。
他よりも豪奢な鎧、絢爛な装いに身を包んだ巨躯は、彼らを率いる大将の証。
「だ……大将軍……閣下」
誰かが呟いた。
「誇りある紫象騎士団が逃げ出すなど言語道断! もしここから立ち去らんというなら、敵より先にこの私が貴様らを潰してやろう!」
紫象騎士団団長、アンカラ大帝国二大大将軍の一人。
サッファーフ・ハイレディンと彼の駆るアフリカゾウ〝闘神〟ガンパティである。
サッファーフの苛烈な檄で、浮き足立った紫象騎士団が、俄に士気を奮い立たせた。いや、正確には自軍の将に殺される恐怖の方が、敵の刃にかかる恐ろしさよりも勝ったためであったろう。
「百獣王よ。よくも我が精鋭達を相手に、好き勝手してくれたな」
「その恰好はアンカラの大将軍かい? さながら英雄サマのご登場ってノリだな。――ま、見せしめに味方と鎧獣を殺すなんざ、オツムん中は石器時代の英雄ってとこだろうがよ」
カイゼルンの言葉には、嘲りもあったが不快さも滲んでいた。しかし言われた当人よりも紫象騎士団の部下達の方が、その小馬鹿にした言い草に逆上をしかける。しかし嘲弄を受けた大将軍本人は安易な挑発と受け取ったのか、それを歯牙にもかけないで受け流すように軽く笑った。
「私が己の手で相手をしてやろうと言いたいところだが……残念ながら貴様の相手は私ではない」
地響きが起こるのと、黒々とした巨体の出現が重なった。
これだけの数の超常な騎士たちが戦っているのだ。絶え間ない地揺れが平原一帯を覆っていたのも当然だが、その上更にうっすらと大地の震えが重なるのを、敵味方関係なく気付いてしまう。
「ハッ、そりゃそうだわな。そうなるよな」
カイゼルン=ヴィングトールが不敵に笑った。
アフリカゾウの群れを割るように姿を見せたのは、最大級ではなく、紛う事なく最大の鎧獣騎士。
黒々とした壁のような皮膚。
どれだけの長さがあるのか一目で判断がつかない、湾曲した牙。
誰よりも、どれよりも――そう、覇王獣や百獣王、魔牛将や闘神、破神よりも絢爛豪奢な鎧が光る。
帝王巨像の鎧獣騎士
〝獣帝〟ドゥルガ
そしてアンカラ大帝国の皇帝にして三獣王の一人。
ジャラール大帝
「百獣王よ、貴様の相手は余だ」
「やれやれ、もうちょっと後進の育成ってヤツに励んでいたかったんだけどなァ。ま、ダラダラやるよりはマシか――クラウス!」
カイゼルン=ヴィングトールが、様子を伺っていた総騎士長クラウスを呼びつけた。
「オレ様の武器はいくつか残しといてやる。お前にはあのでっかいゾウ将軍を任せたいが、出来るか?」
「無論です。紫象騎士団どもも我が壱号獣隊が相手で充分」
いつの間にか側に寄った〝覇雷獣〟ガルグリムを見て、少しだけ黄金獅子の顔に笑みが浮かんだ。ニヤリとしたそれは、微笑ましさなど微塵もない、凄惨さと覇気に満ちた笑みであった。
何も言わずに視線を獣帝に戻すと、カイゼルンは大音声で告げる。
「獣帝サンよ! こんな機会はそうないんだ。折角なら邪魔の入らねえところで存分にやろうぜ」
「良かろう」
パオォォォン
帝王巨像が、天空も裂けんばかりのいななきをあげる。
黄金の巨大獅子と帝王巨像が同時に地面を蹴ると、そのまま中央の離れた位置に両騎が着地をした。
跳躍とともに、地面に爆発のような衝撃が起きる。
しかも着地の際には、それの倍はあろうかという勢いで大地さえも割れてしまう。
ヴィングトールはともかく、帝王巨像の跳躍と着地である。地形さえも破壊するのは当然だろうが、目にした全員の目を奪ったのは、ドゥルガほどの巨体が高々と跳んだ事そのものにであった。
更にそれよりも衝撃的だったのは、怪我ひとつなく、まるで平然としているその両足だ。
〝走る〟事が構造的に無理なゾウなのに、走るどころか跳んでみせたのである。
跳ぶ。
たったそれだけの行為で、クラウスは三獣王という存在の底知れなさに慄然とする。
もし百獣王がこの場になくば、メルヴィグ軍は壊滅していたかもしれないのでは……。
――お頼み申します、カイゼルン公。
絶対不敗の獅子王に祈りを込め、クラウス=ガルグリムは斧剣を縦に構えた。
同時に、思念の指揮で配下に告げる。
――各型種の〝守護〟がカイゼルン公の武器を持て。余れば〝罰〟〝終〟の順で持てばいい。後は先の要領と同じだ。各〝守護〟は獣能を忘れるな。いいか、一騎一騎確実にだぞ!
クラウスの下知に、特級の獅子騎士達が応じる。
その彼の前には、闘いの神と渾名された巨大なゾウの怪物。
「お前は私が相手をしよう」
クラウスの台詞に、アフリカゾウから大将軍に相応しい低く大きな声が答えた。
「貴様が噂に聞く〝覇雷獣〟ガルグリムのクラウス・フォッケンシュタイナーだな。相手にとって不足はない」
武人らしい闘気に満ちた言葉。
己の勝利を微塵も疑わぬ強者の声。
しかしそれはクラウスも同じであった。
かつてこれほどの敵と相見えた事は今まで一度たりともない。
それは、自分よりも強者がいなかったという意味ではない。当然だ。百獣王がそうなだけに自惚れなど抱きようもないからだ。そういった規格外の存在を除いたうえで、己と拮抗出来るほどの〝敵〟に出会えた事がなかったのである。
敵でない者も含めれば、唯一の例外が主君にして盟友のレオポルトであった。しかし、己の主君に本気で剣を向ける事など有り得ない以上、やはり好敵手にはなりえない。
だが今まさに、思う存分力をふるえる相手が目の前にいる。
両者は闘争者としての本能のまま、昂る思いを解き放たんとしていた。
一方は、味方の尊崇とそれ以上の恐怖を背に受け。
もう一方は、味方の信頼と尊敬に、僅かばかりの案じる思いを受け――。
――クラウス様……。
己の国王に向ける以上のものをこめ、壱号獣隊の副官イングリットは、彼女の想い人の無事を神に祈った。