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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第一部 第一章『少女と狼』
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第一章 第二話(1)『大角羊』

 三日前に急激に天候が崩れたせいで、ソルゲル・オセロンの部隊は、追跡の中断を余儀なくされてしまった。追跡部隊を率いてかなりの日数が経つ。このままいたずらに時間が経てば、いずれ処罰の対象となりかねない。焦る気持ちとは裏腹に、崩れやすい山の天候は、一向に機嫌を直してくれなかった。


 いつまで、こんな辺鄙な村にいなければならんのだ!


 本当であれば、北方のフィン・ウゴル人の襲撃を討伐したかどで、今頃祝杯をあげているはずなのに、何を好き好んで、こんな南の国境くんだりまで駆け回らなければならんというのであろう!


 それもこれも、かの〝氷の皇太子(イクプリンス)〟が原因だ。帝国都城の地下深くに眠っていた、帝家鎧獣ロワイヤルガルーが逃亡したといい、その捕獲部隊として国家騎士団の副団長であるソルゲルの部隊が編制されたのだ。元来、主の命には絶対服従するはずの鎧獣ガルーが、逃亡するというのもあり得ない話であるが、さらに奇妙なのは、捕獲の最優先は、その帝家鎧獣ロワイヤルガルーではなく、一緒に逃亡した銀髪の少女であるという。


 珍妙な話だが、事が事なだけに、大部隊を編成する訳もいかず、また、生半な部隊では信頼出来ないとあって、戦帰りのソルゲルに白羽の矢がたったのであった。


 とはいえ、〝冷血〟として名の知れる〝氷の皇太子(イクプリンス)〟だ。早く事を済ませねば、どうなるものか分かったものではない。




 ブリッゲン山系のとある小さな宿場町で、六名からなる部隊は、身動きも取れずにいたのだが、手をこまねいてもいられない。今朝方、やっと晴れ間がさしたのを機に、部下を四方に散らして情報収集にあたらせていた。やがて、何名かの部下が戻ってくると、進展となる話を耳にする事が出来た。


 部下によればこうだ。

 この宿場町からそう遠くない山麓の村に、腕の良い錬獣術師アルゴールンが住んでいる。その錬獣術師アルゴールンの一人息子が、見た事もない服装の銀髪の少女と、銀狼の鎧獣ガルーを連れていたという。


「間違いない。それだ」


 ソルゲルは話を聞くや否や、喜び勇んで部隊に出発を命じた。

 雪道に強い種類の馬を選んできたので、六名はそれに乗り、さらに、それぞれの鎧獣ガルーを後方に従えて、一行は足早に進んで行く。六名の騎士に、六体の鎧獣ガルーである。数を絞ったと言っても、充分すぎるほどに威圧的で人目を惹くが、何より目立つのは、彼らの鎧獣ガルーであった。

 全員が似たような長大なツノを持つヤギで編成された部隊は、誰が見ても明らかな、北方を支配する大帝国、ゴート帝国の国家騎士団の一つ、ゴゥト騎士団のものであった。


 ゴゥト騎士団の特長は、他の騎士団と違い、様々な種類の動物で編成されているのではなく、アイベックスという大角の山羊を、騎士団員の九割以上が、己の鎧獣ガルーとしているところにある。


 まさに、アイベックスの大騎士団といったところだ。


 アイベックスとは、高地に住む山羊の一種で、最大の特徴は、弓なりに後方に反った、長大なツノにある。ツノには、竹のように隆起した節がいくつもあり、発情期や縄張りを巡って、または外敵を追い払う際に、このツノが最大の武器となった。高山の多い北方において、これほど適した鎧獣ガルーはいないといえるだろう。


 だが、このアイベックスの集団の中で、一匹だけツノの形状の異なった山羊がいた。

 灰褐色の体毛に、アイベックスとは違う雄々しさを持った、螺旋状に渦を巻いた巨大なツノ。


 シベリアオオツノヒツジである。


 他のアイベックスは、ゴゥト騎士団共通になる、同型の暗灰色の授器リサイバーを着けているのに対し、シベリアオオツノヒツジのみ、色は似たものの、形状の異なる黒縁の授器リサイバーを着けていた。

 この授器リサイバーこそ、神之眼プロヴィデンス以外での、鎧獣ガルー鎧獣ガルーたる一目で分かる証であり、鎧獣騎士ガルーリッター時の最大の武器にもなりうるものだ。

 主に、鎧獣ガルーの、動物形態時の動きを阻害しないよう、首周りや四肢に着けている事が多い。一見して、ただの動物用の鎧にしか見えないが、鎧獣騎士ガルーリッター時には、これが大きく変容する。




 一行が目的のクナヴァリ村に着くと、辺りはすっかり夕暮れになっていた。

 村人たちは、普段見た事のない騎士スプリンガー鎧獣ガルーの集団に、一様に驚きを表した。団員の一人が、村人をつかまえて問い質すと、話の錬獣術師アルゴールンは、村はずれに、大きな屋敷を構えているという。金持ちというのではなく、錬獣術アルゴーラを行うには、それ相応の広さや設備が必要となってくるからだろう。だが、その特殊な職能ゆえ、実際裕福な暮らしをしている錬獣術師アルゴールンは多い。





 ソルゲルたちが村人に尋ねていた時であった。

 村の医療師に、薬湯を貰いに来たイーリオが、その一団を目に止めたのは。


 一目で分かる、鎧獣ガルーの騎士団。


 どうしてこんな所に騎士団が?


 どこか異様な、物々しい雰囲気。

 近付く事が躊躇われたイーリオは、遠巻きに眺めている内に、何やら嫌な予感に襲われた。

 急いでここを立ち去った方がいい。

 その思いが、急速に心を満たしていく。

 すると、足早に家路に向かう途中。後方で、騒がしい人のざわめきが聞こえた。

 一瞬だけ振返ると、村人の一人が、自分の事を指差していた。


 ――いけない!


 咄嗟に駆け出すイーリオ。

 あの騎士団がどういうものかも分からないのに、直感でイーリオは、シャルロッタとザイロウに、害をもたらしにきたのだと悟った。

 だが、山道で鍛えられたとはいえ、人の足で、馬やアイベックスに敵う訳がない。目の前に屋敷が見える距離まで来て、イーリオは騎士団員に囲まれてしまった。


 ソルゲルが、険のある目つきでイーリオに問いかける。


孺子(こぞう)。何故逃げた」


「……逃げたんじゃありません。騎士団の人が珍しくって、見惚れているうちに、用事をすっかり忘れていた事を思い出したんです。それで、急いで帰ってたんです」


 息を切らせながら、もっともらしい嘘をつく。


「ふむ。それならそれで構わんが、お前、ヴェクセルバルグという家を知っているか? そこの主人、錬獣術師アルゴールンのムスタ・ヴェクセルバルグを」


 少し間を置いている間に、考えを巡らす。

 やはりこいつらは、シャルロッタとザイロウを追ってきたんだ。なら、シャルロッタがあんな所に倒れていたのは、こいつらのせいって事じゃないのか。もしくは、こいつらは彼女らの保護者か何かで、偶然はぐれてしまったとか……? いや、それにしては空気が異様だ。まるで戦帰りの兵隊そのものじゃないか。やっぱり、どこか怪しいし、信用出来ない。それなら何としても、彼女らを逃がさなきゃ……。

 でも、どうやって?


 イーリオが、最良の答えを探して、急いで考えていると、彼は無意識に母の形見のペンダントを指で触っていた。考える時の、イーリオのクセだった。


 だが、その仕草がソルゲルの不審を買った。


「おい、貴様、何を黙っている? 何だ、その手に持っているものは。見せてみろ」


 馬から降り立ってイーリオに近付くと、無理矢理片手を捕まえようとする。

 大事な母の形見である。身をひねって躱そうとするも、鍛えられたソルゲルの動きには到底及ばず、片手を捩じ上げられる羽目になった。その際にペンダントの鎖がはずれ、ペンダントはソルゲルとイーリオの足下に音をたてて落ちた。


 豪華ともいえる草冠の模様に、月と星の彫り物がしてある金製のペンダント。


 ソルゲルはそれを拾い上げると、しげしげと眺めた。


「返してください! それは僕の母の形見なんです」

「母のだと? これは貴族の紋章じゃないか。何でこんなものを、お前のような平民が持っている?」

「僕の母は貴族の娘だったと言います。父は、その……錬獣術師アルゴールンのムスタ・ヴェクセルバルグです。錬獣術師アルゴールンなら、平民と貴族でも結婚したっておかしくないでしょう?」


 要領が悪いというだけでは済まない、思わず口を突いて出た言葉。が、どうにもならない。

 たった一つの母の形見だから――。

 あれを、こんな薄汚い騎士団の連中に触られていると思うと、総毛立つような怒りで、目の前が真っ赤になってしまいそうだった。


 「ほう……では、お前が息子のイーリオ・ヴェクセルバルグだな。それなら話が早い。お前の家に銀髪の娘と狼の鎧獣ガルーがいるな。そいつらを我々に渡してもらおう。お前が案内するんだ。このペンダントは、それと引き換えに返してやろう。いいな?」



 どうにもならない。



 己の無能と無力さへの怒りの色で、目の前が染まっていく。

 だが、六人の鎧獣ガルー持ちの騎士団員が相手だ。天地がひっくり返ったって、勝ち目はない。

 だからといって、このまま、こんな胡乱な連中に、あの子とザイロウを引き渡してしまうのか? それしかないのか? どうにか逃がせる手はないのか……。せめて、何か伝える事さえ出来れば……。

 己の無力さに歯噛みしながら、イーリオは、屋敷の方を見上げた。


 ――!


 屋敷の前、庭と言ってもいい空いた場所に、シャルロッタが不思議そうに立っていた。


 全員が目を見張った。

 イーリオは、咄嗟に声を張り上げる。


「駄目だ! シャルロッタ! すぐに逃げるんだ!!」


 イーリオの言葉に、ソルゲルをはじめ騎士団員が全員目を剥く。

 そのほんの僅かな隙。一瞬、イーリオの言葉に気を取られた瞬間だった。振返ると、シャルロッタの姿はそこからいなくなっていた。


「くそっ!」


 忌々しげに吐き捨てると、ソルゲルは慌てて馬に乗る。その際、手に持っていたペンダントを地面に投げ捨てると、そのまま六人が一斉に屋敷に駆け出していった。


 馬蹄と山羊の蹄が雪原を泥濘に変え、辺りを踏み散らしながら、駆け出して行く。

 イーリオも、転げるようにその場を駆け出そうとするも、視界の隅に、先ほどソルゲルが投げ捨てたペンダントを捉えると、慌ててそれを拾った。見ると、蹄で踏まれたからだろう。美しかったペンダントはへしゃげ、無惨な姿に変わり果てていた。

 イーリオは怒りで荒々しく、自分のポケットにペンダントを突っ込むと、全力で屋敷の方へと足を動かした。

 だが、一歩一歩が異常なまでに重い。早く足を動かしたいのに、一向に駆け出していないようにさえ思える。実際は、自身でも驚くほどに駆け足をしていたのだが、目の前に起こりつつある光景に、ただただ気持ちばかりが焦っていた。



 屋敷に着くと、ソルゲルは玄関の扉を乱暴にこじ開け――いや、破壊したというべきだろう――そのまま一言もなしに屋敷内へ踏み込んで行った。騎士団員六人共に、屋敷を踏み荒らしていく。

 その物音に何の騒ぎかと思い、研究室からムスタが顔を出した。無礼すぎる訪問者たちと、踏み荒らされた我が家を見て、思わず怒気を露にする。


「なんだ、お前たちは」


 ムスタの姿を認めたソルゲルは、名乗りもしないで剣を引き抜くと、切っ先を突きつけてこう言い放った。


「ここに、銀髪の娘と、狼の鎧獣ガルーがいるな。そいつらは何処だ」





 イーリオが屋敷に着くと、突然、居間の窓ガラス戸が割れて、人がそこから転げ落ちた。傷だらけになったその姿は、父、ムスタであった。ガラス戸からは、続けてソルゲルが剣を抜いて現れる。切っ先を再び突きつけると、先ほど尋ねた言葉と同じ事を言った。

 だが、とムスタは言う。


「何処の誰だか知らんが、このような無礼な輩共に、何かを教えてやる義理なんぞない」


 ガラスの破片で己の身を傷つけぬよう注意しながら立ち上がって、ムスタは目の前の横暴な騎士スプリンガーを睨みつける。


「全く……、息子といい貴様といい、この土地の錬獣術師アルゴールンは、随分態度がでかいなあ。錬獣術師アルゴールンがいくら貴族身分だとはいえ、こんな田舎錬獣術師(アルゴールン)如きが、国家騎士団たる我々に楯突こうなど、それこそ身分違いも甚だしい。それにな、いくら逆らったとて、全くの無駄だぞ」


 冷笑を浴びせながら、ソルゲルは指笛を鳴らす。

 すると、乗馬の近くに待機していたオオツノヒツジが、跳ねるようにソルゲルの側にやってきた。オオツノヒツジの首をひと撫でして、再び剣をムスタに向ける。


「分かるよな? 俺の〝ラインホーン〟なら、こんな屋敷、一瞬で粉微塵にできるぞ?」

「貴様……」


 そこへ、ソルゲルの部下の一人が、声をあげてやってきた。


「副団長、例の娘を捕まえました」


 部下の腕には、羽交い締めにされたシャルロッタの姿。シャルロッタは、騎士の腕を振りほどこうと、苦しそうにもがいている。


 それを見たイーリオが、どうするべきか、辺りを見まわした。幸い、騎士団員たちは、途中で見つけた子供の事など、完全に視界から外れていた。


「その子をどうするつもりだ」


 ソルゲルを睨んで、ムスタが言う。だが、ソルゲルはその言葉を無視して、部下に命令を下した。


「よし。これで目的の半分は達した。あとはあの鎧獣ガルーのみだ。あの大きさだ。すぐに見つけて来い」

「あの鎧獣ガルー……お前達はあれが何なのか知っているのか?」

「はん! あれが何かなど、我々が知った事ではない。我々は、ただ国家の命を遵守する騎士団員だ。そもそも、貴様ごとき田舎錬獣術師(アルゴールン)が我々に対してとやかく言える事ではない。大人しく恭順しておけば良いものを……、この程度の被害で済んで良かったと思うんだな」



 黄昏時の薄暗さを利用して、屋敷を迂回する形で近付いていたイーリオは、途中一瞬だが、もがいているシャルロッタと目が合った。


 悲しいのか。苦しいのか。


 表情の乏しい瞳の輝きは、何も映していないように見えたが、イーリオと目が合った瞬間、瞳の奥で、何かが弾けるような気がした。


 その閃きに、イーリオは力強く頷く。



 大丈夫。約束したから。



 僕が君を必ず守るから。



 その時、シャルロッタも一度、こちらに向かってまばたきで頷いた。


 わかっているのだろうか。

 伝わったのだろうか。

 そうだろうと信じたい。


 一気に屋敷の奥へと駆け出す。同時に、シャルロッタや父のいる方向から、声があがった。少し目をやると、隙をついてシャルロッタが逃げ出そうとしていたのだった。

 急がなければ。

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[一言] 頑張って逃がさなければ。
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