第二部 第五章 第四話(3)『覇王獣』
〈第二次クルテェトニク会戦――四戦図(3)――〉
イーリオらの戦っているすぐ隣りでも、この戦場の趨勢を決めるもう一つの戦いが幕を開けていた。
メルヴィグ連合王国国王にして大連合軍大将の一人。
レオポルト王と、彼の駆る〝覇王獣〟リングヴルム。
他方にいるのはオグール公国筆頭騎士にして灰堂騎士団団長。そして十三使徒の第一使徒。
ゴーダン総長と、〝魔牛将〟バロール。
両者による一騎討ちである。
リングヴルムは白色獅子虎。
バロールは古代巨大野牛。
バロールの方がひとまわりほど大きいが、ともに十六フィート(約四・八メートル)はゆうに超える巨体同士である。となれば体格等級は互角。
そして、リングヴルムの手にする巨大な純白の槍。
スピアというより刺突槍に近い形状をしたそれは、先ほどジャイアント・チーターのゼフュロスを助ける際にも見せたが、速度と突進力に相当の威力を持っているとゴーダンは推し量った。おそらく突貫だけでいうなら、狩猟騎の敏捷性も相まって、自分のバロールが出す角突撃並みの破壊力を持っているかもしれない。
並みいる敵を吹き飛ばす、駆動騎以上の突撃能力を持った狩猟騎――。
成る程、覇王の名を持つに相応しい獅子達の王と言えよう。しかしそれは同時に、大型猫科鎧獣騎士の持つ目まぐるしい敏捷性を殺す事にもなっている。
何故なら、背丈ほどもあるあのように巨大な槍では、上下横といった立体的な動きがし辛いうえ、斬る、凪ぐといった線の攻撃も困難。必然的に突き一点に絞った点の動きにならざるを得ないからだ。
無論、点というにはあまりに巨大すぎて、むしろ面が迫ってくるというべきであろうが、バロールほどの巨体を前にしては体格の有利が意味を為さない。
――私の読み通りであれば。
獣能にさえ警戒しておけば、恐ろしい相手ではない。
バロールの中、ゴーダンは思考を巡らして警戒を厳にしつつ、長柄斧刀を斜めに構える。
リングヴルムも巨槍を前面にして突撃の構えだ。
構えから察するに、やはり自分の読み通りだとゴーダンは考えた。
が、次の瞬間――
白い巨体が〝機〟も見せずに消えた。
考えるよりも戦士の本能が先んじる。腕をたたみながら半身を捻るも、衝撃はジャイアント・バイソンの巨躯を宙に浮かせた。
懐にホワイトライガー。
巨大な体格からは想像も出来ぬ、ひと呼吸での突進。
咄嗟にゴーダンは、バロールの長柄斧刀で〝受け〟の構えを取った。考えての行動ではない。戦士の勘がそうさせた。
横殴りというより、柱のように長く太い塊で、身体の中央が千切られるような激突感。
ゴーダンの息が詰まる。
目の奥に火花を散らせながら、気付けば十九・七フィート(約六メートル)あるバロールは、身長の二倍ほどの距離を吹き飛ばされていた。
しかし、それで隙を見せないのはさすが灰堂騎士団・第一使徒といったところか。リングヴルムの反応速度に先んじて、既に構えをとっている。
「すごいね」
ホワイトライガーの顔で、感嘆の声を漏らすレオポルト。
だが驚いていたのは、むしろゴーダンの方であった。
――斬撃が出来ないだと?
刺突槍に似たあの槍は見るからに突撃用の武器であるのに、それをまさか棍棒のように横払いにして殴打するとは――!
そういう使い方も可能だろうが、遠心力による加重もあり、無理に凪ぎ払おうとすれば自分に隙を生むようなものだし、何よりそんな無茶な扱い方など考えもつかない。少なくとも鎧獣騎士戦では。
しかし白色獅子虎のリングヴルムは、まるで大刀を振るう要領で、あの槍を〝横に〟凪ぎ払ったのだ。もしもあれが槍でなく大刀で、しかも聖剣なみの斬れ味があったらどうなっていたか? もしかすれば今の初手で決着になっていたかもしれない。
「すごい? それはこちらの台詞だ、メルヴィグ王よ」
堪らず、ゴーダンの声に喜色が混じる。
――これほどとは……!
〝覇王獣〟リングヴルムが途轍もない戦闘力を秘めているのは言わずもがなだが、駆り手のレオポルト王の実力がいかほどか。そこまでは実戦ってみないと分かる事ではなかった。
しかし邂逅よりのわずかな間でゴーダンは確信した。
間違いない。
レオポルトの実力は、かの〝闘師〟ジャンカルロ・サヴォイアをも超えている、と。
更に言えば、狩猟騎の欠点でもある正面突破の弱さを、あの長槍と突進力で補う以上のものを見せたにも関わらず、狩猟騎ならではの俊敏で変則的な動きすら体現している。
獣騎術の要諦である〝砕・咬・裂・動〟その全てに隙がない、まさに全天候型の万能騎種。
それを駆る騎士もまた、計り知れぬ実力を持った達人。
身の内から溢れ出しそうな〝己〟に、思わず喉の奥で笑い声をあげるゴーダン。
――抑えろ。落ち着け。
肌が粟立つ。
皮膚が総毛立つ。
愉悦が全身を舐めるようにおし包む。
僅かに震える巨牛騎士の両肩に、レオポルトは不審と警戒を向ける。よもやそれが笑いを堪えてのものだとは気付くべくもなく。
だが、どうあれ牛科の鎧獣騎士の体力はライオンなどの狩猟騎のそれを凌ぐもの。勝負を焦りはしないが、ゆるりと矛を交えていれば、いずれ体力が尽きるのはこちらであるとレオポルトは予測した。
「褒めていただけるのは光栄だけど、ボクはね、得意技っていうのがないんだよ」
「ほう?」
「ジルヴェスターは〝不動〟、ギルベルトは〝曲操剣〟、ルドルフは〝雷体〟といった風に、皆自分に合った戦法を組み立てて戦う。それが強さにもなる。でも、ボクはレーヴェン流を習得しながら、そういった得意技を身につけられなかったんだ」
己の得意な戦い方、得意技といったものは、流派どころか鎧獣騎士でなくとも共通した話だ。およそ武術というものは、どれだけ自分の得意な――つまり有利な状況で競い合うかの勝負であるとも言える。
得意技がないなどと放言するのは、自分が二流であると言っているようなものだ。
それが意味するのは、戦争ではまるで不要な謙遜から来るものなのか、はたまたこちらに油断を誘うものなのかはゴーダンも計りかねるところであった。
「どれもこれもそこそこ出来るけど、どれか一つが一番にはなれない。器用貧乏っていうのかな。ほら、今もこんな風に――」
レオポルトの語尾が、手にした長槍と共に消える。
――!!
目は離してない。
警戒を解くはずもない。
まさか今の言葉で油断したのか?
ゴーダンが驚愕する間もなく、再び飛び込んで来るホワイトライガー。だが、武装がなければこちらの得物の餌食にするだけと言わんばかりに、バロールの長柄斧刀が振り下ろされた。その間際――
リングヴルムの背後から、滑るようにあの長槍が出て来る。
――〝隠武〟!
レーヴェン流の技。武装を回転させて行うカウンターの一種。
長柄斧刀の刃が槍にぶつかるも、衝撃の最高点に達する前だったため、勢いで弾かれてしまう。火花と焦げ臭さはこの後の残滓。
そのまま槍はバロールの左脇腹を貫通。
しかし、刃の当たった際の力を殺しきれず、軌道が大きく逸れたため、数インチの肉を抉っただけになった。
その隙にバロールは、この日初めての後退を行った。距離を取る跳躍だ。
そもそも、レーヴェン流の〝隠武〟とは、これほど巨大な武装で行うものではない。大体がジャイアント・チーターのゼフュロスが持つ短剣や、杖棍といった扱い勝手の良いもので行うものだ。あんな巨大な武器での〝隠武〟など聞いた事がない。
――得意技がないだと?
油断を誘うにしては上出来の偽りだと、ゴーダンはせせら笑った。
おそらく得意技がないのではない。
「貴様にとっては、あらゆる技が得意技――つまりはそういう事か」
獅子と虎、両方の特長を持つ顔が、微笑みの形を取った。
「良かろう」
ジャイアント・バイソンの身体が、ゆっくりと背筋を伸ばす。
脇腹の傷など微塵もかえりみていない。
その手に持つ長柄斧刀から、ゴリ、と固い何かが擦れる音が漏れた。そして空いたもう片方の手の平を胸の前で翳すと、中央から肉を突き破るように緑に輝く結石がせりだしてくる。心なしか、両目や額の神之眼も妖しげに輝きを放ったように見えた。
――もしこれを凌げれば、その時は〝アンフェール〟を出してやろう。
昏い喜悦が期待に膨れ上がる。
おそらくそうなるであろうと、ゴーダンは心密かに確信していた。皮肉にも敵であればこそ、獅子群王の実力を彼は認めていたのだ。
リングヴルムの方も、明らかに変化した雰囲気と、緑に輝き出した両手の光から察して、あれが耳にした〝魔牛将〟の獣能だと、かつてない警戒の構えを見せた。
用心をするなという方が無理だろう。
「それが噂の動きを封じる獣能か」
言いながらリングヴルムは、おもむろに自身の片手に噛み付く。それもかなり深く。
滴り落ちる血。
すぐさまもう片方の手にも同じ事をした。
「貴様こそ、獣能封じの獣能を出すか」
「ああ」
リングヴルムの方は、相手の緑の光を直接見てはいけない。その意味では圧倒的に不利な状況だし、それでアクティウム最強の〝神豹騎〟も敗れたのだ。しかし、バロールとて同じ事。
知られた通りの力なら、獅子虎の傷から零れる血を身に浴びれば、こちらの獣能が封じられるのだから、一瞬たりとも気を抜けない。
「我が力の名は〝亡き英雄の末路〟という」
「そうか」
消える。
跳躍。
両者が激突する。
位置が入れ替わるも、再び巨体がぶつかった。
緑の光が尾をひき、白き巨体から鮮血の玉が舞う。
視線を合わせないで可能な攻防ではない。にも関わらず、動きは先ほどにも増して鋭い。
その事にゴーダンは舌を巻いた。しかもリングヴルムの巨体は、動きに付いていくだけでなく目にも止まらぬ突進と跳躍さえ繰り出したのだ。
ガクリ
不意に、バロールの片腕が虚脱したように――〝落ちた〟。
前腕の真ん中。体毛の隙間が濡れたように光っていた。
「〝王の誓約指輪〟」
リンヴルムから発せられた声。
血の着いた箇所を中心に、まるで輪っかのようなものに締め付けられる形で、バロールの腕に燐光めいた痣が浮かび上がった。
腕は動く。脱力したように思えたが、動けなくなったわけではないようだ。
しかし、手の平の神之眼。
それから輝きが失われ、石のような鈍いものへと変化していた。
「これが獣能を封じる獣能か」
厄介きわまりない能力だ。
あれほど激しい動きの中、相手が巻き散らす血の玉を全て躱すなど不可能に近い。
だが、長柄斧刀を持つもう片方の手の平からは、輝きが失われていなかった。
おそらく腕に着いた輪っか状の痣が、獣能を封じているのだろう。どういう原理かは分からぬが、効果があるのはその付近の肉体のみらしい。
「私のバロールをここまで追いつめるとはな……」
不意に巨牛の騎士が、今度は抑える事なく哄笑をあげた。
「……?」
有利に進めているはずのレオポルトが、むしろ二の足を踏む不気味さだ。
――いいぞ! 最高ではないか! これほどの〝人間〟、千年前を思い出す。
ジャイアント・バイソンの身体が、高笑いを上げながら膨れ上がる。
もりっ
もりっ
と。
「何……?!」
目に見える形では巨体がひと周りも嵩を増し、目に見えぬ巨躯の中では、駆り手のゴーダンにも変化があった。
全身を覆う巨牛の生きた鎧の中、ゴーダンの額には目の玉ほどの大きさの結石がせり出していた。
――〝アンフェール〟を出しての戦いなど、千年振りだ! 光栄に思うがいい、人間の王が一人よ。この〝破壊と闘争の〟エポス、アンフェール様が顕現したのだからな。
クハァッ。
瘴気のような息を吐くバロール。
黒々とした巨体は身に着けた授器すらも弾き飛ばしていた。
もはやそれは〝魔牛将〟などではない。
人牛の姿を借りた、魔王そのものであった。