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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第二部 第五章『大戦と三獣王』
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第二部 第五章 第四話(2)『覇剛獣』

〈第二次クルテェトニク会戦――四戦図(2)――〉

挿絵(By みてみん)




 鎧獣騎士(ガルーリッター)による戦争は、早期に決着のつく場合が多い。

 高速での戦闘だからというのが大きな理由だが、飛び抜けた戦闘力を持つ一騎、二騎がいればそれだけで趨勢は一気に傾くというのもある。実際、ほとんどの集団戦は長くて半日がいいところ。数日もかけたいくさになる事の方が非常に稀であった。


 未曾有の大戦である第二次クルテェトニク会戦も、目まぐるしい展開のあまり、既にかなりの時間が経っているように感じるが、実際のところ開戦から一時間ほどしか経っていなかった。

 厚い雲で太陽の位置は分からぬものの、時刻は中天を少し過ぎた頃だろう。

 寒風が吹きすさぶ空の下、覇獣騎士団(ジークビースツ)参号獣隊(ビースツドライ)主席官(エアスター)のイェルクは、参号獣隊(ビースツドライ)の半数六〇騎を率い、後方に控えていた灰堂騎士団(ヘクサニア)左翼約一五〇騎に襲いかかっていた。

 数の上では圧倒的に不利だが、敵部隊に有力な指揮官が不在なのもあり、むしろ勢いは参号獣隊ビースツドライの方にあった。


 本来、この灰堂騎士団(ヘクサニア)左翼部隊には二人の十三使徒がいたはずなのだが、一人は指揮を他に任せて独断行動、もう一人はいつの間にか姿を消していたのだ。一応、味方によって助けられた第八使徒ビルジニア・ピサーロもいたが、陸号獣隊(ビースツゼクス)のヴィクトリア=キュクレインによって奪われた視力がまだ回復しておらず、指揮どころか戦線復帰すら絶望的だった。現在は十三使徒ではない部隊長が指揮を執っている。


 では、元の指揮官は、そもそもどこに行ったのか?


 〝彼〟は、左翼部隊より突出した先。部隊を離れた前方に、一人居た。


 目の前には、〝彼〟の出現でこの場に釘付けになった連合の客将騎士。



 白銀の大狼(ダイアウルフ)恐炎公子(エルド・フォース)〟イーリオ=ザイロウ。



 そしてその指揮官とは、灰堂騎士団(ヘクサニア)・第四使徒――


 ファウスト・ゼラーティである。


 勿論ファウストも、その身に黒豹とライオンの混合種ブラック・ジャングリオンの〝ノイズヘッグ〟を纏っている。


「トクサンドリア以来だな、〝恐炎公子(エルド・フォース)〟」


 ファウストが、何故部隊の指揮を他人に任せてここにいるのか。

 それは、この男との決着をつけるためであった。


「あの時はヤンの横槍で勝敗着かずになったが、今は邪魔もない。今度こそ貴様に引導を渡してやろう」


 ファウストがイーリオに拘った理由は、彼の抱える鬱屈に根ざしている。

 かねてよりファウストは、オグール公国内にて〝黒獣の救世主〟などと呼ばれ、内外に武名を轟かせていた。彼自身も自分の実力は、灰堂騎士団(ヘクサニア)で一、二を争うほどだと自負しているし、周囲の評価もそれほどかけ離れたものではなかった。


 が、その反面、三年前にメルヴィグのロワール城にて六代目・百獣王に敗北して以来、一対一の戦いで芳しい成果を残せていないというのがあり、それこそが彼の自尊心に無視出来ぬ大きさのしこりを残していたのである。しかもそのどれも、運が悪かったとしか言えないような幕引きなのだ。


 彼からすれば、これから大陸中に己の名を広めていくべき自分が、一対一では勝ちを拾えてないというのに我慢がならないというわけだ。何より、自分より明らかに格下の実力しかない目の前の孺子こぞうにすら、勝ちきれてないのだ。

 となれば、この戦場で恐炎公子(エルド・フォース)首級(クビ)をあげ、更に幾人もの実力者を手掛ければいいだけの事――そのようにファウストは目論見、それだけのために一人だけ突出してイーリオの前に立っているのである。


 ――こいつの実力は既に見極めている。


 油断とも取れそうな目算だが、彼はそれを侮りと思っていない。


「第四使徒ファウスト……」


 一方のイーリオもまた、現在の置かれた状況に、どこかでそうなるような覚悟もしていた。

 トクサンドリアの一件で、ファウストとの因縁に決着がついたとは彼も思ってないし、そもそも三年前から数えて、どこか宿業めいたものすら感じずにはおれなかったからだ。


「声をかけずに一気に屠ってやる事も出来たが、全力でない貴様を倒したところで、俺の武名の足しにはならんからな。――これは情けだ。さあ、貴様もあの白い炎を出して全力で来い」


 もしイーリオがファウストと剣を交えていなければ、馬鹿にするなと憤ったかもしれない。しかし騎士スプリンガーとしてだけでなく、鎧獣(ガルー)の性能も含めた鎧獣騎士(ガルーリッター)としても、ファウストとノイズヘッグは間違いなく自分より上の実力者だ。



 ふと、イーリオの思考に雑音が混じる。



 ――何?



 肌をざわつかせる感覚。不快感? 不愉快さ? それはいわゆる、第六感的なもの……ではなかった。


 ――ザイロウ?


 己の全身を包む白銀の大狼ダイアウルフが、彼の思考に何かを訴えていた。それが何か、イーリオはすぐに気付く。伊達に四年以上も共に過ごしてきたわけではないという事だろう。


 そのザイロウが――怒っていた。


 他でもない、駆り手のイーリオ自身に。


 ――何でザイロウが怒るの?


 そもそも鎧獣騎士(ガルーリッター)状態では鎧獣(ガルー)の思考は眠っているので、騎士(スプリンガー)に何かを語りかける事などあるはずがないのだ。しかしザイロウはその特殊性ゆえか、こうやって意識に語りかけてくる事がままあった。


 そしてザイロウは、何故かイーリオに対し不快感を示しているのだ。


 ――そっか。僕がザイロウよりノイズヘッグの方が上だなんて思ったから……。


 だからザイロウは腹を立てたのだと、イーリオは思った。

 しかしそれに気付いて尚、ザイロウはやはり不快感を鎮めようとしない。纏っている状態で謝る事など出来ないし、こんな思考を覗かせられても……と、イーリオは迷う。


 だが、今度はもっと明確なイメージで、ザイロウは彼の主に意思を示した。


 ――え?


 ザイロウが示したもの。


 ――僕? 僕の事を言ってるの?


 ――そうだ。お前はあんな男に負けてなどいない。


 声になったのではないが、そんな心象が、イーリオの思考に流れ込んでくる。


 目の前の黒き猛獣騎士。


 黒灰色の鎧に、斑紋の浮かんだ黒の体毛。手にする剣は陽光もないのに輝く直剣。この戦場でも、明らかに上位の実力者。


 それほどの鎧獣騎士(ガルーリッター)に、自分が負けてない……だなんて。


 ――もっと自信を持て。


 何故だかふと、イーリオは笑いがこみあげてきた。


 まさかこの状況で、ザイロウに励まされるなんて――そんな情けない自分と、自分を支えてくれる相棒に、彼は恐怖を上回る愉快な感情が沸き上がってきたからだ。そしてそれは思考内だけでなく、実際に声を上げて外に漏れ出していた。


「――何が可笑(おか)しい……?」


 凄味のある声で、ファウストは突然忍び笑いをはじめた人狼騎士を睨みつけた。


「い、いや……貴方にではないですよ。自分自身に笑っちゃって……」


 黒獅子の眉間に、怒りの皺が幾本も刻まれる。


「勘違いしてたんです、僕。それをまさかザイロウに教えられるなんて」

「ザイロウ? 貴様、俺を馬鹿にしているのか?」


 笑い声を何とか押し殺しながら、イーリオは顔を上げて真っ直ぐに視線を合わせた。


「僕は貴方に勝てないと勘違いしてた。でも違う。そうじゃない」

「何だと?」

「だって僕は、まだ一度だって貴方に負けた事はない。負けてもいないのに勝てないと決めつけるなんて、おかしいじゃないですか?」


 一瞬ファウストは、この男の気がふれたのかと思った。絶望のあまり、現実が見えなくなるほど正体をなくしているのだと。

 決着をつけると言ったのは言葉のあやのようなもので、実際、トクサンドリアでの決闘で既に勝敗はついているのに等しい。それを今度は生死というはっきりした形にしてやろうというだけなのだ。少なくともファウストにとってはそうである。

 なのにイーリオは、この期に及んで尚、負け惜しみを口にする――


「貴方は僕より強いのかもしれない。いえ、実際そうなんでしょう。でも、僕にだって貴方に負けられない理由がある。だから今日の僕は――貴方に負けません。……多分ですけど」

「ふん。強がりで自分を誤摩化そうとはな。存外貴様も小物めいた事を口にする」

「強がりじゃないですよ」


 人狼の口の端、片側が笑いの形に曲げられる。フレーメン反応という動物の習性を利用した人間的な笑み。


「今日の僕はあの時とは違います。例え貴方がどんな人であっても、僕が(くだ)してみせます」


 ザイロウが姿勢を低くした。

 トクサンドリアで見せた、レーヴェン流の構え。

 ファウストは探るようにノイズヘッグの目を細めるも、何も変わってないようにしか見えなかった。気配も何も、変化は微塵も伺えない。

 ファウストは憐れみの眼差しを向ける。

 彼からすればこんな虚勢など、むしろ寒々しいと呆れてさえいたからだ。

 が、人狼の黄金の瞳に宿った光は、金メッキじみたハリボテではなかった。混じり気のない、高純度の意思。

 殺意や敵意、怒りや反抗心などですらなかった。

 戦場であっても、その〝光〟を宿す者は少ない。

 しかしその光の種類が何であるか、心の中にとぐろを巻いた魔物を飼うファウストには、理解の出来ない種類のものだった。


「せいぜい狼らしく吠えておけ。それが無益だと知る間もなく終わらせてやる。――この、〝覇剛獣〟がな」


 ファウスト=ノイズヘッグも剣を構えた。

 こちらは僅かに腰を落としただけ。しかし弓を絞るように、利き腕を後ろに溜める。


千疋狼(タウゼントヴォルフ)――炎身罪狼フェンリル・シュティル


 人狼の全身から、白い炎が噴き上がった。


血閃深化(プラズマ・ダイブ)


 黒色豹獅子ブラック・ジャングリオンが総毛立つ。血管が浮かび上がるほど全身が脈動し、さながら溢れそうな力に震えているかのようであった。


 はじまりの合図などない。


 獣能(フィーツァー)を同時に出したのが、騎士としての最後の礼節だったのかもしれなかった。ここから先は、ただただ血腥い闘争が開かれるのみ。

 辺りは戦場の狂騒が鼓膜を潰さんばかりにがなりたてているというのに、両者を取り巻く半径だけは、肌を刺すような静寂が降りていた。そしてこの沈黙を破ったきっかけになったのは、音にならない声からであった。


 イーリオの思考。

 彼を呼ぶ声。


 ――イーリオ君!


 レレケの声だ。

 思念通話による声は、気配に鈍感な愚かな騎士が後ろに迫ってきた事への警鐘だった。

 同時に白銀と黒灰が姿を消す。

 中間点で火花が見えたのは、両者の位置が入れ替わった後から。

 同時に、ザイロウの後ろから襲おうとしていた灰堂騎士団(ヘクサニア)騎士も、上と下にその身を分断させられ、肉体から魂を切り離されていた。


 振り返るザイロウとノイズヘッグ。


 まるでトクサンドリアの時をなぞるかのように、互角の初撃。

 続け様ファウストが攻撃を仕掛けなかったのは、未だ狼の両目に宿る光に、不愉快さを覚えたからであった。


 ――まさか本気で、私に勝てる気でいるのか?


 無謀ではなく愚かにもほどがあると、ファウストは苛立ちさえ覚えはじめる。

 一方でイーリオは、ザイロウが気付かせてくれた意思でもって、歯を食いしばるように敢然と立ち向かう。実は彼も、心の底では本気で勝てると思っていなかった。やはりどう考えても、ファウストと〝覇剛獣〟の方が実力は上に違いないし、それが齎す恐怖に両膝が崩れそうなのは間違いのない事実だからだ。


 自分如きで勝てる相手ではない。

 だが――


 ――ザイロウは言う――


 そうじゃないだろう


 ――うん。


 圧倒的な現実を前にして、自分は常に立ち向かってきた。愚かでも何でも、恐怖で震えあがりそうになりながらでも、心にたったひとつの〝思い〟を込め、退く事などしなかった。



 ティンガル・ザ・コーネと戦った時も――



 黒騎士と戦った時も――



 天才騎士セリムの時も――



 白亜の魔神バルムートとの時も――



 どれも同じだ。



 恐怖に打ち勝つたった一つの方法。

 英雄と讃えられる多くの者の資質として、それは常に語られてきた。

 ファウストが理解出来ず、イーリオを常に支えてきたその心。

 ザイロウが示してくれたイーリオの本質に宿るもの。


 古くから人は、それをこう呼んだ。




 勇気――と。

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